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竜太と神楽のむかしのはなし。
22.常識が通じない相手だった
しおりを挟む翌日。この日もいつもどおり練習を終えスタッフにマンションに送られると疲労困憊の体を引きずりながらエレベータを降りた神楽は真っ直ぐに自室に辿り着いた。ポケットに入れていた鍵を取り出しいつも通り、何の変わりもなく玄関のドアを開いた。瞬間──。
「…………………は?」
神楽は間抜けな声を上げた。同時に肩に掛けていたカバンがずり落ちぼすっと鈍い音を立てて床に着地した。
一度ドアを閉めて部屋番号を確認するが間違いなく自分の部屋だ。当然だ。自分の掌に収まっている鍵で開いたのだから部屋を間違えているはずがない。
それならば何故?
神楽は再び玄関に入り目を擦ってから部屋の中を見回すがやはり無いのだ。玄関に並んでいるはずの靴も壁に掛けてあった服もその服を収納しているはずの家具も家電も綺麗さっぱり消えて無くなっていたのだ。まるで内見にでも来たのかと錯覚してしまう程部屋には何も無かった。
狐に化かされているのかはたまた夢でも見てるのかと疑う神楽は頬をつねってみるも痛みはこの現状を変えてはくれなかった。それからマンションの管理人に電話をした。常駐してくれている管理人に確認すれば怪しい人物を目撃しているかもしれないと藁にも縋る気持ちだった。
すぐに繋がった電話で到底信じてもらえないだろう状況を説明すると管理人の初老の男性は明るく『あぁ』と答えてから今日あった出来事を話してくれた。
『神楽さんの知人の方からマンションの契約解除と昼間の内に新しい部屋に荷物を運び出したいと連絡があって鍵を開けて協力しましたよ』
「…………………は?」
管理人の言葉に神楽は再び間の向けた声を上げた。
そして湧き上がる怒りに任せて「有り得ないだろ!!俺に確認もなく勝手に荷物を運び出すなんてっ!」そう叫び出しそうになるが僅かに残った理性の欠片がそれを制止した。
落ち着け!俺は神楽愛灯だ!
呪文のように何度も何度も自分に言い聞かせ深呼吸を繰り返しさらに詳しく聞き出そうとしたが管理人が先に声を上げた。
『あ、ちょうどその知人の方がいらっしゃいましたよ』
「…へ?あ、ちょ、ちょっとその人に代わってもらっていいですか?」
なにがなんだか分からないぐちゃぐちゃな頭では状況についていけず混乱する神楽に管理人は『ちょっと待ってくださいね』と変わらず明るく返事をする。
漏れ聞こえる声に耳をそばたてたが内容は聞き取れなかったが、すぐに聞き慣れた声が電話越しに聞こえてきた。
『もしもし。驚いたやろ?』
軽い声音に神楽の中で盛大に何かが切れる音がした。
「人の部屋でなにしてんだあんたはぁっ!!」
欠片ほどの理性では敵わず、怒りのあまり思わず叫んでしまった神楽に電話の相手、竜太は楽しそうにケラケラと笑っている。その声にも苛立ちを募らせる神楽だったが、荒い呼吸を整えていると電話口の声がやけに近くなっていることに気付いた。
「そんな大声出したら近所迷惑やろ」
「…」
電話口の声と重なって声が直接耳に届いた。玄関に現れた竜太は酷く楽しそうに笑いながら神楽の前に進んできた。
神楽は怒りを通り越し疲労感を相手に見せつけながら無言のまま電話を切ってポケットに仕舞った。
「なんなんだよ、これ…」
がらんどうになった部屋を指差しながら頭を抱える神楽に竜太はなおも楽しそうに笑う。
「俺の部屋でルームシェアするってお前が言うたやん。そんで、俺は明日にでも引っ越してきてええ言うたやろ?」
「…まさか…」
「お前が練習中に全部俺の部屋に運んだわ」
「…」
常識が通じない相手だった。竜太の異常性に触れ改めてそう痛感させられた。
よくよく考えれば今日の練習中、しばしば姿が見えなかったり忙しそうに電話をしていた。裏でこんなことをしていればそれは忙しいだろうとその無駄な労力の使い方に神楽は呆れてしまう。
この常識の通じない相手にどう説明してやろうかと頭を悩ませる神楽だが、竜太は管理人に借りたままのスマホを振った。
「とりあえず場所変えようや。話は俺らの部屋で、な?」
意味深に微笑む竜太に神楽は頭を抱えたまま重く重く溜め息を吐いた。
これ以上抵抗したところでこの部屋から運び出された自分の荷物が戻ってくるわけでもない。神楽は諦めて重く小さく足を踏み出すと満足そうに笑う竜太を鋭く睨みつけるが効果はないどころかご機嫌にウィンクでも投げて寄越されそうなので早々に諦めて玄関に向けて歩きだした。
それから二人揃ってエントランスに降り管理人に挨拶をすると管理人は「仲良いねぇ」と微笑みながら見送ってくれたがどこか意味深なその微笑みに神楽は胸騒ぎを覚えた。「管理人さんにどんな説明したんだ?」そう口をついて出かかった言葉を神楽は無理やりに飲み込んだ。これ以上無駄な疲労感を溜めたくない。その思いだけで神楽は重い体を引きずり歩いていた。
***
竜太の後をついてホテルの最上階の部屋に着くと先日の寝室の前を通り過ぎさらに奥に進む。本来ならば個人が自室として使用していい部屋などではないのだろう。小さな会議室の他に閉じられたドアがいくつあるのだろうと神楽はその一つ一つに呆れた視線を向けた。
そして竜太が一つの部屋のドアを開けると神楽は驚愕した。
そこには元々神楽の部屋にあった家具や私物が配置もほぼそのまま運び込まれていたのだ。
「見事だな」
誘われるまま足を進め本棚に並べられた本の順番から机の中、壁にかけていた服にソファーの上のクッションの位置まで今朝練習に向かう前に見たままだった。
高校の入学を機に一人暮らしを始めスケート中心の生活になることは分かっていたので広い部屋は必要なく荷物も最小限にしか揃えていなかったので運び出すのは容易だったかもしれない。神楽は冷静にそんなことを考えた。
キッチンにあった家電などは部屋にあるバーカウンターに置いてありこの部屋に入りきらなかった荷物は隣の部屋に運んであると竜太は不動産屋のように身振り手振りを交えながら説明口調で言った。
バーまであるのか…。
部屋の間取りの把握に頭の処理が追いつかない神楽は部屋に自身のベッドも運び込まれてることに気付き横目で竜太を窺った。
「俺のベッドがあるけど…ここで寝ていいって事だよな?」
「いや?アスリート御用達のこだわりのベッドやから運んだけど基本的にはあっちの寝室で俺と同衾やで?キングサイズやし狭くないやろ?」
「広さの問題じゃない」そう神楽は出かかった言葉を飲み込んだ。目の前の男があまりに嬉しそう頬を緩ませている姿になにも言えなくなってしまったのだ。
「今、お前の使っとるベッドのメーカーにキングサイズのベッド特注しとるからもう少し我慢してや?」
「特注…」
「お前の体を考えたらそっちのベッドの方がええやろ?」
「…」
常識が通じない相手だ。それでもその非常識が自分のためと言われ呆れるどころか嬉しいと思ってしまう自分もどこかおかしくなってるんだろうと神楽は悟られないように苦笑した。
「この部屋ん中は好きに使ってええよ。自分の部屋にずっとおってもリビングにおってもええし。せやけど寝る時だけは俺と一緒、な?」
「疲れてこっちのベッドで寝落ちするかも?」
「そん時は俺が優しく運んでやるわ。お姫様抱っこでな」
「…」
冗談混じりに本気でそう言えばなおも緩む頬のままウインクつきで返されてしまえば神楽は絶句するしかなかった。
そうして前途多難な二人の同居生活は強制的に始まることになった。
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