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竜太と神楽のむかしのはなし。

19.もうお前に関わるんはやめる

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 もう何度目かのデート中。その日は珍しく神楽が疲労を強くしていることが竜太は気がかりだった。
「無理せんでええよ」
 練習後の食事の約束はしていたが、なによりも神楽の体調が一番だと考え気遣う竜太の言葉に神楽は僅かに逡巡した後、控えめに首を振った。
 律儀っちゅうか頑固っちゅうか…。
 一緒にいる時間を作ってくれるのは嬉しいがやはり竜太の心中は複雑だ。
 食事中も箸を咥えたまま目を閉じゆらゆらと揺れる姿にそのまま机に倒れ込まないかと肝を冷やす竜太は正直、自分の食事どころではない。しかし、そんな心配はどこ吹く風と言わんばかりにぱちっと目を開いては食事を再開させる神楽。余裕があれば少しドライブでもしたいと思っていた竜太だが神楽が食べ終わったらすぐにマンションに送り届けようと決め、それまで寝惚けて怪我をしないように祈りながらもはや味の分からない食事を急いで胃に流し込んだ。



* * *



「…んぅ…………ん…?」
 眩しい光に目を開いた神楽は見たことのない天井を寝ぼけ眼で見つめていた。
 そして段々と頭が覚醒し飛び起きた。だが、周りを見回しても此処が何処なのか、どうして自分は此処で寝ていたのか全てなにも理解できずに神楽は混乱していた。朝日が差し込むカーテンを両手で開き外を確認しても高層階だということ以外なにも分からない。部屋の作りや家具の様子からしてどこかのホテルのようであるが妙に生活感がある。情報を整理してふと自分の服を確認するもとくに乱れた様子がないことに安堵の息を漏らした。
「起きたん?」
「うあっ!!な、っえ……なんであんたが此処に⁈」
 突然、バスローブ姿で現れた竜太に神楽は改めて自分の服と体を探るが特別な違和感は感じられない。
「落ち着け。なんもしてへん」
 ベッドに座りながらタオルで髪を乾かす竜太は寝不足だと訴えるように大きく欠伸をした。
 神楽は怯えながら窓際に逃げ込むが竜太は大して気にする素振りもない。 
「マンションに送ってく途中でお前が寝てもうて起こしても起こしても全然起きんから仕方なく俺の部屋に連れてきたんや」
「あんたの部屋…?…ここ、ホテルじゃないのか?」
「俺名義の、な」
「あぁ…」
 以前の説明で高級レストランのオーナーである竜太がホテルのオーナーでもおかしくないと神楽は素直に納得してしまった。
「此処に住んでんの?」
「食事も用意してもらえるしルームクリーニングもアイロンがけもしてもらえる。職権濫用は承知しとるけどマンション借りて独り暮らしするメリットがないわ」
「へぇ…」
 常人離れした竜太の生活にはもう驚きもなくなった神楽だが部屋の中を見回してもう一度外の様子を窺うとやはりその非常識さに呆れてしまう。
 竜太は自分の横をポンポンと叩きそこに座るように促す。神楽は一瞬躊躇った後、野良猫のように警戒しながら竜太の隣…というにはほど遠いベッドの対角に腰を下ろした。
「お前、寝てる時いつもあんな風に魘されとんの?」
 ギクリ。体を震わせる神楽は行儀よく膝の上に置いた拳に力を込めた。触れられたくなかった。事情を知る数名以外には気付かれないようにこの数年やり過ごしてきたというのに──何故、昨夜は無防備に寝てしまったのか。渦巻く後悔に手や額に汗が浮かぶが竜太を誤魔化せるような言い訳が浮かばない。
「魘される訳、話してくれへんの?」
「…あんただってこの前言ってただろ?『人に話したくない事』ってやつ。俺にだって少しくらい、あるから…」
 そう言われて先日の観覧車での会話を思い出した竜太は同時に影を落とした神楽の表情も思い出していた。
「…全部を話す気はない。ただ『赤い花が咲く夢を見るだけ』だから…」
 なにかを考え込む竜太に神楽は言葉を選び抜いて吐き捨てる。距離が縮んだこの関係を神楽は少なからず気に入っており、全てを黙っているのは耐えられない胸の締め付けを感じていた。
「話したくないんやったら無理に聞き出すつもりはないし、夢の内容には興味ない。そこで俺からの提案」
「なに?」
「お前は夢の内容を話したくない。俺は魘されてるお前が気になる。せやから折衷案として、お前もここに住め」
「………は?」
 あまりに横暴な提案に神楽は間抜けな声をあげた。表情を見るかぎり竜太は真剣そのものだ。
「別に夢の話を事細かに聞き出す気はないけど俺はお前を一人で苦しめたままにするんは嫌や。せやからここに住んで魘されとるお前を見守る事にする。起こしたりはせぇへん。それはお前の本意やないやろ?」
「なんで…」
 竜太の提案はまるで竜太にメリットがなく神楽が声をあげると威圧感すら感じる瞳に捕らえられ反射的に息を飲んだ。
「お前に惚れとるから」
 言葉になるはずだったものは神楽の喉でひゅっと音を立てて消えた。
 愛情を伴うスキンシップは過度に受けていたが与えられた言葉は「惹かれとる」それだけ。しかも「お前の才能に」だ。言葉の重みと重要性を実感し神楽は竜太に振り返る格好のまま固まってしまった。
 頭の中では竜太の言葉がぐるぐると回り続ける。
 混乱する神楽の横に移動した竜太は爪痕が残るほどにきつく握られた手を開き男性らしくない、まさに白魚のような指に自分の武骨な指を一本一本絡める。竜太の重みを受けてベッドのスプリングが軋む音が神楽の緊張を煽っていく。
「…観念するわ。俺はお前の事が好きで好きでしゃあないの。せやからお前を苦しめるもん全部取り除きたいけどそれはお前が許してくれへん。せやから俺は隣で見守るだけにする。それだけはさせてや」
 真っ直ぐに見つめられ真剣な瞳に映されると神楽は堪えきれずに顔を逸らした。
「…付き合うとかは俺の判断に任せるって言ってたよな」
 絞り出した声に竜太は「ゆうたな」と軽々しく返す。
「なのにいきなり一緒に住むって…」
「同性同士でルームシェアしとるやつなんかざらにおるわ」
「ルームシェア…で、でも俺が寝てるの見るって」
 往生際の悪い返答に竜太は神楽の胸ぐらを掴むと顔ごと力ずくで自分の方へ向かせた。眼前に迫った竜太の顔に神楽は息を飲む。
「グダグダゆうとらんではよ決めろ」
 鬼気迫る表情に逃げるように神楽はまたもや顔を逸らした。こんな状況なのに早鐘を打ち鳴らす心臓に熱を上げる顔を神楽は否定したいが『本気で口説く』と宣言した竜太の努力の賜物なのだろう。とにかく、ときめいてる場合ではない!と自分自身を叱責した神楽だが先に沈黙を破ったのは竜太だった。
「三日や」
 そう短く言い捨てる竜太に神楽は「え?」とこちらも短く声を上げた。
「付き合う返事はいつまででも待つけどこっちは三日の内に決めろ」
 あまりに猶予が少ない提案に異議を申し立てるべく口を開こうとした神楽だが、紡がれた竜太の言葉に再び短く声を上げた。
「三日後、お前がこの話を受け入れられないっちゅうんやったら俺もお前との関係を考え直そうと思う」
「…な、に…?」
「もうお前に関わるんはやめる」
 淡々と話す竜太に神楽の胸にはじわじわと焦燥感が広がっていく。
「スケートは…後で考える事にして、少なくてもお前を本気で口説くのはやめるわ」
 竜太が言ったことを神楽は理解出来なかった。表情を変えることなく話す竜太の瞳に映る自分の悲壮感漂う顔をただただ見つめていた。
「……送ってく」
 絡めた指を離し立ち上がる竜太が溜め息を吐くように息を吐いた。まるで恋人同士の別れのような重苦しい空気に神楽は圧迫感に圧し潰されそうになっていた。
 寝室を出ていった竜太はすぐに着替えて戻ってきた。手には神楽の鞄を持っている。
 神楽は竜太を見上げて無言で立ち上がると鞄を受け取り同じく無言で歩きだす竜太の後ろに着いて歩きだした。
 刑務官に連れていかれる囚人のような心境の神楽は振り返ることのない目の前の広い背中を見つめていた。
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