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竜太と神楽のむかしのはなし。

17ー1.お前を落とすために本気で口説くんやから

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「…観覧車…」
 緊張を隠しながら竜太の後ろについて歩くと車で移動中にも見えていた観覧車がどんどん存在感を増していく。下から見上げていると横から控えめな笑い声が聞こえ不思議に思い竜太を見上げると
「口開いてマヌケな顔しとる」
とさらに笑われてしまった。羞恥に襲われた神楽は反射的に両手で口を押さえた。
「どこ行こうかと考えたんやけど、お前、遊園地とか縁なさそうやなぁって思って。流石に昨日の今日で系列の遊園地を貸切にしようとしたらめっちゃ怒られたわ…」
「そりゃ怒られるだろ…」
 珍しく肩を落として落ち込む竜太に呆れる神楽は「実の弟がこんなめちゃくちゃな事を言ってきてお兄さんどう思うんだろ」などと内心でしっかり者の長兄を案じていた。しかし、そんな心配も都心の夜景を従えてなおもキラキラと輝く観覧車を前にはどうにも霞んでしまうというもの。感情を表に出さないまま密かに心を躍らせていた。
「乗ろか」
 人気のない観覧車乗り場に手を引かれるまま進むとゆっくりと回るゴンドラに二人で乗り込んだ。他に客は一人もいないことを神楽は不思議に思ったがドアのロックがかかり少し上昇したところで目深に被っていた帽子を脱いだ。
「俺の使える権力では時間外の観覧車をすこぉーしだけ動かせるだけやったわ…」
 窓の外を眺めながら己の無力さを嘆く竜太に神楽はくすくすと笑った。
「それだけでも俺には充分。観覧車なんて中学生以来だ」
 夜景を瞳に映しながら懐かしさに細められたそれには寂しさも色濃く映していた。
「…」
 世界と戦うためにこいつはどれだけのもんを諦めてきたんやろう。
 判を押したような神楽の毎日を目の当たりにしていた竜太はそう思わずにはいられなかった。努力に我慢を重ねた毎日をなんでもないような顔をしていとも容易く繰り返す神楽に感服しつつも気がかりではあった。
 狭い不安定な空間は腕を伸ばしただけで景色を傾かせる。
 訝しむ神楽は髪に触れる手を受け入れるものの体は緊張に包まれた。
 こいつと二人っきりの密室はマズかったか…?
 蘇る記憶に羞恥心に襲われた神楽は熱くなる顔を窓に向けた。
「存外、ウブやんなお前」
「悪いかよ…」
「いや?そういうとこめっちゃかわええ」
「可愛っ!!…男に言う台詞じゃねぇだろ…!」
「しゃあないやろ?本気でそう思うてるんやし…出来れば、ずっとこうしてお前に触れていたい…」
 するりと頬を滑る温もりに神楽は肩を跳ねさせた。抵抗しようにも体が動かず座席に置いていた手に下降した竜太のそれが一本、また一本とゆっくりというよりはなにかの意図を含みながら神楽のそれに絡められてしまった。
 思わずそれを凝視した神楽は爆発しそうになる心臓を吐き出すように大きく口を開けた。
「っ!…こういうのは…レベル高い!!」
 そう叫んで絡められた指を外し逃げ出したくなったが竜太が許してくれるはずもなく、そもそも逃げ場などない。
「慣れてや。お前を落とすために本気で口説くんやから」
 微笑みながら神楽の手を引きその手の甲にキスを落とすとより一層、妖艶な色を濃くして微笑んだ。
「…っ、そういうのも…徐々に……頼む…」
 熱いほどに赤く染まった顔で懇願するように見上げると竜太も頬を染めながら手を解放してくれた。
「急ぎ過ぎたな」
 くすくすと笑いながら座席に座り直した竜太は神楽にある提案をしてきた。
「俺はこれから今みたいに遠慮なくお前を口説こうと思う。それで…もし、お前が俺と付きおうてもいいと思うたらお前からゆうて欲しい。もちろん、もう止めて欲しいっちゅう時も遠慮なくゆうてや?そしたら俺はちゃんとコーチと選手の関係に戻るし、お前が嫌やったらそれも解消する。これからの関係は全部お前に任せるわ」
 微笑みも声音も優しいものだった。それでも落ち着きなく組んでは離れ、離れては組んでを繰り返す両手の指に神楽は先ほど自分のことを可愛いと言った竜太の気持ちが少し理解できた気がした。
「…分かった」神楽は躊躇いがちに返事をした。
 その瞬間、目の前の顔がぱあぁっ!と眩しく光った──気がした。
 付き合う許可を出した訳でもなく口説くチャンスを得ただけだというのに子供のように嬉々として笑う年上の男に鼓動が早く高鳴った。
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