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竜太と神楽のむかしのはなし。
8.本当に、なんもしねーんだよな?
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それから数日間、竜太と神楽を見守っていた一弥だったが二人に変わった様子などなく──いや、なさすぎることが大きな違和感だった。
竜太がいつもどおり出勤してきたあの日、練習後に一弥は竜太を捕まえ
「なにがあったん?!」
と訊くと一瞬、めんどくさそうな表情をした後
「忘れた」
それだけ呟いた竜太は一弥の腕を振り払うとスタスタと歩いて行ってしまった。
忘れた…ってどういう事やろ?
しばらく竜太の言葉の意味が理解出来なかった一弥だが、何度も咀嚼し竜太の考えそうなことをそこに混ぜてみるがやはり理解出来ない。
「まさかキスした事も好きかもしれんって話も全部忘れることにしたってことやないよね…?」
一人でそう呟くと乾いた笑いを溢したが竜太の反応を見る限りそう考えているように思えてくる。やはり一弥には理解出来なかった。
到底理解出来なかったがここ数日、竜太の様子を観察していた一弥の中でそれは確信に変わってくる。
どうやらボンはあのキスをほんまになかった事にしているようで、僕のお願いを受け入れてくれた神楽さんもまだボンを問いただすなんて事はしないでいてくれてるらしいけど……なんや、ほんますんません神楽さん…。
神楽は世界で戦うトップスケーターでありプライベートで余計な心労をかける訳にはいかないことは一弥も重々承知してはいる。
だが竜太の背中を押して無理やりに神楽と向き合わせることでまた自分の殻に閉じこもられても困ると手をこまねいていた。
ほんま…どうしたらええんやろ。ウタ達に相談する訳にはいかへんしなぁ…あの人達、こんなボンの状況知ったら絶対面白がって余計に悪化するに決まっとる。
しかし、一弥の心配をよそに事態は急激に良い方向?に動き出した。
その日、珍しく神楽の調子が悪かった。ほぼ素人の一弥が見てもスピンもジャンプもいつものキレがない。どこか歯車が噛み合ってないように見えた。
それはもちろん神楽も分かっていて、曲を流し通しで滑ってももう数えるのも嫌になるほど氷に弾かれる神楽は壁にぶつかって怪我しないだけマシかとすら考えていた。
ジャンプの着氷でミスして氷に寝転がる形で蹲った神楽は音楽が止まったことと誰かが自分の元へ滑ってきてくれてるのが分かった。
体は痛くない…けど、情けなくてすぐに動けなかった。
「おい、大丈夫か?なんや、今日調子悪ない?」
降ってくる声で竜太だと分かった神楽はゆっくり体を起こした。
「…大丈夫か?」
もう一度声をかけられて俯いていた顔を上げた瞬間、心配して顔を覗き込んできた竜太と鼻がぶつかるほどの近さで目が合うと二人は同時にあのキスを思い出してしまいぴたりと体が固まってしまった。
しかし、神楽の顔が瞬間的に真っ赤に染まると竜太はギョッとした。
ポッと顔を赤らめるなんて可愛いもんじゃない!ボンッ!!と目の前で爆発でも起きたのかと錯覚するほど服から覗く肌の全てが赤く上気していた。
「ほ、ほんまに大丈夫か?!」
「ちょ…待って……」
「ん…?」
「ちょっ……い、いまは…近づ、か、ないで…」
「…」
拒絶された訳ではない。それは竜太も理解し、なぜ神楽が自分に近付くなと言ったのかも理解出来たと思う…と意識もそぞろに「はぁぁーーーーっ」と長い溜め息とともにしゃがみこんだ。
自分が近付けば落ち着くもんも落ち着かへんってことやんなぁ…。
あのキスを思い出し爆発的な赤面をする姿を見てようやく竜太は目の前のクソ生意気で大人びたガキが年相応な青年だと気付いたのだ。
もしかしなくても俺のせいやんなぁ…。
そして、開き直り逃げ回っていた自分を恥ずかしく情けないと今さらになって反省した。
氷に再び倒れ込んだ神楽はまだ動かない。
近付くなとは言われたもののこれ以上はさすがに神楽の体が心配になるというもの。竜太は頭を掻くと優しく肩に触れた。神楽の体がびくっと跳ねる。
「…とりあえずリンクから降りるで?体が冷えるんも心配やし…」
声をかけても神楽は起き上がる気配がない。それぐらいの反応は覚悟していた竜太は神楽の腕を引っ張り無理やりに立ち上がらせるとまだ赤面したまま混乱してるのをお構いなしにその体を抱きかかえた。
「はぁ?!ちょっ、なにして…っ!!」
「暴れたら本気で落とすで?ほんま…お前らほどスケート得意やないねん…」
冗談でもない本気の脅し文句にたどたどしい竜太の足元を横目に見ると身の危険を感じ暴れるのをやめて大人しくなった。
「おりこうさんやね…」
ようやくリンクからおりると近くのベンチに神楽を座らせた。
「…ありがと…」
正直、不安定な竜太の滑りは生きた心地がしなかった。それが良かったのだろう、神楽の爆発的な赤面はいつの間にか治まっていた。
「ぶつけたところとかはないか?」
「…大丈夫…」
「そか、なら良かった。…あー……なぁ、今日時間あるか?飯行かへんか?二人で…」
わざと二人という言葉を強調すれば目の前の神楽はピクッと肩を跳ねさせ、落ち着いていた表情は途端に眉間に皺を寄せる。
「二人って…」
「公共の場ではなんもせぇへんて!少し話さなあかんやろ?」
「…本当に、なんもしねーんだよな?」
「約束する。これ以上お前の調子狂わせたら俺クビになるわ…」
竜太の提案に神楽は逡巡すると深く瞬きをしたあと、視線を合わせて目の前にしゃがむ竜太を見つめ返した。
「……分かった、行くよ…」
溜め息とともに吐き出された言葉に竜太は微笑むと「着替えて待っとけ」と言い放つとその大きな手で神楽の頭をぐしゃぐしゃっと撫で回してリンクに戻っていった。
「…はあぁ~…」
神楽は重い重い溜め息を吐き出すと力なく立ち上がりロッカーへと消えていった。
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