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竜太と神楽のはなし。

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「…で?アキとなにしとったんや、イケメン」
「…問い詰める前に俺の心配してよ!かぐっちゃんまじで石頭!頭割れるかと思ったっ!!」
    大袈裟に痛がる親慶の目にはうっすらと涙が浮かんでおり、意外にも全てが演技というわけでもなさそうだ。しかし竜太はそれにたいした関心も見せずジトッと疑心に満ちた眼差しで親慶を見つめた。
「ほー…そら痛かったなぁ、可哀想に…」
    形式だけの心配は悲しくなるほど抑揚がなく、まるでロボットが定型文を読み上げているようだった。
「本当に痛かったよっ!だから、俺は今から医務室──」
    大きな体を丸めそそくさと竜太の前を通り過ぎようとした親慶の進路を妨害するようにどかっと音を立てて壁に足を渡されると親慶は大きく肩を跳ねさせた。
「下手な芝居打ちよって。逃げれると思うなよ?」
「逃げてないって!見て、ほらっ!!たんこぶ出来てるでしょ!!…ひぃっ!!」
    行く手を阻まれた親慶は睨みをきかせてくる竜太に手で触れればかろうじて分かるほどに控え目に膨らんだ額のたんこぶを見せつけるが、竜太はそれに動じることなく足を地面に下ろすと親慶の顔を殴る勢いですぐ横の壁に手をついた。
    まるで青春映画のワンシーンのように胸が高鳴る──なんてことはなく、むしろとても威圧的な竜太の行動に親慶の心臓はきゅっと縮み上がった。
「うわー…東儀コーチの壁ドンなんて迫力あるぅ~」
「俺のアキになにしとったん?」
 冷や汗を流しながら茶化すように笑う親慶だが竜太の表情筋は微塵も動くことはなく鋭い目つきは取調べの警察のようだと親慶はごくりと固唾を飲んだ。それから目を泳がせどうにかして竜太の腕によって作られた籠の中から逃げ出せないかと算段するが竜太がその腕の力を緩める気配はない。
「いやー…あれは、えっと…」
「なんや。俺に言えへんようなやましい事しとったん?」
「やましいことってゆうかぁ~…相談?ってゆうかぁ…」
「どうせあのちびっこ絡みやろ」
「俺イコール義経みたいな言い方やめてよ!」
「お前はちびっこかスケートの事の悩みしかないやろ」
「…まぁ…主にその二つだよね…」
 否定も出来ない事実にがっくりと肩を落とすと親慶は諦めて口を開いた。
「東儀コーチにはすっごく話しにくいんだけどぉ…」
「なんや、はよ話せ」
「え、えーっとぉ…実は……義経が…俺とのキスを嫌がるから…なんでかなぁって…」
 親慶の話を聞いた竜太はゆっくりと神楽に振り返る。
    神楽はようやく落ち着いた頬を叩き至って真面目な表情で竜太を見つめ返した。目を逸らしてしまえば自分が先ほどまでやましいことをしていたと認めることになると思ったのだ。
 神楽の様子に浮気の疑いは晴らした竜太だったが、それでは二人は何をしていたのだと謎が深まってしまった。
    仕方なく親慶に向き直るとまだ泳いでいる目と視線が重なった。
「…それで?それがなんであんな状況になるん?」
「それは…えっとぉ……」
「さっさと白状すれば許したる」
 竜太の甘い言葉に親慶の心が揺らぐ。
    おそらく自分がしようとしていたことを目の前の『神楽愛灯命』の竜太に話せば烈火の如く怒り狂うに決まっているのだが、それでも『許す』と言っている今の内に白状してしまうのがいいのではないか、と。
    上目遣いに窺う竜太の表情は少し落ち着きを取り戻し穏やかになった気がする。そう感じた親慶は両手の人差し指の先をツンツンと合わせながら恐る恐る告白を始めた。
「もしかしたらぁ、俺のキスが下手過ぎてぇ……義経はそれが嫌で俺とキスしたくないのかなって思ってぇ…」
「その…語尾を伸ばしながら話すのやめへんか?と被って不愉快や…」
って…誰?」
 眉を顰める竜太が指すに心当たりのない親慶がきょとんと首を傾げると竜太は低い声で「続けろ」と促した。
「それで…えっと、ねぇ、東儀コーチ?」
「なんや?」
「本当に怒らない?」
「ほんまに怒らへんからさっさと話せ」
 強い恐怖に襲われ念のためもう一度免罪符の確認をすると竜太はあっさりと約束を肯定する。それを聞いて安心した親慶は言葉を続ける。
「それで…俺のキスって上手いのか下手なのか気になっちゃって…」
「気になって…?」
「…かぐっちゃんに判定してもらおうかなって…」
「判定…」
 反芻しながら再び神楽に振り向く竜太だが、今度は目が合うことはなく神楽は斜め上を見つめたまま反論する気もないらしい。
「それで?アキとしたん?」
 会話をする気のない神楽を諦め親慶に確認すると親慶は小さく首を横に振る。それを確認してからもう一度振り向くと今度は神楽が竜太を真っ直ぐ見つめていた。
 どうやら二人とも嘘は言ってないらしい。
 それを確信した竜太は胸ポケットから館内のみで使用できるPHSを取り出すと慣れた手付きで番号を押してからスピーカー部分を耳に当てることなくマイク部分に口を近づけた。
「緊急呼び出し、緊急呼び出し。古河義経。今すぐ第三会議室に来るように」
 マイクに向かって発した言葉はピンポンパンポーンという柔らかい呼び出し音の後に館内中に流れた瞬間、神楽が大きく肩を跳ねさせ親慶が慌ててPHSを取り上げようと手を伸ばすが、体格差が大きく壁となり制止させることは叶わず最初とは逆のピッチで奏でられた呼び出し音が流れ竜太は一度大きく鼻息を吐き出すと満足げに笑った。

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