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竜太と神楽のはなし。

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◆  ◆  ◆



    あれから数日経ったが練習中の義経はいたって普通を装っている。
 じっ、と見つめても一向に視線が交わることがないなど多少の違和感はあるものの親慶を刺激しないように気を遣っているのが伝わり、親慶もその気持ちを推し量り様子を見ていた。しかし、練習が終わるとその態度は普通でなくなる。義経の姿は驚くべき速さで親慶の前から消えてしまうのだ。ニ日程は「たまたまか?」などと思っていた親慶だが、あの日から毎日続けられれば誤魔化しようもないほど避けられている事実を実感させられてしまう。
    前に『チカとのキスは嫌いじゃない』って言ってくれてたのに……もしかして俺のキスが上手すぎて感じちゃうのが恥ずかしい、とか?
「…」
    それはなさそうだよな。キスが下手って言われたことはないけど上手いって言われたこともないし……そもそも義経が俺と誰かのキスを比べるなんてこと出来ないだろうし…いや、そんなこと絶対!死んでもさせないけど!
    想像しただけで怒りが込み上げてきた親慶はこのまま一人で悩んでもらちが明かないと悟り善は急げと足早に歩き出した。
    広い練習場の施設の中でリンクから一番遠い場所にある第三会議室。他の会議室と比べてこじんまりとはしているものの、机がニ台と椅子は八脚置いてあり少人数の会議には丁度良い広さだ。あまり人気のないそこはリンクから離れていることもあり利用者も少なく静かな時間を過ごせる隠れスポットだった。
 神楽はこの第三会議室を好んで使用している。常に周りを人に囲まれている人気者の神楽が唯一と言っていいほど静かに一人で過ごせる空間だった。それゆえに神楽が練習場に来ている時は第三会議室は使用しないという暗黙のルールとなっている。神楽も特に規制をしているわけではないのでその暗黙のルールを知らずに使用している者がいたらそっと離れて他の部屋を使用している。そういうところもまた好感度が高い理由なのだろう。
    「元」とはいえ絶対王者って本当にすごい…。
    施設内では親慶も義経も一目置かれているが、神楽のように個室を一人で使えるような権力はまだない。こういう場面に触れるたび、親慶は神楽との格の違いを感じさせられる。しかしそんなことを気にしないほど神楽に気を遣わない関係性は幼い頃からともに過ごしてきた絆があるからだろう。大勢が利用するこの施設内でも神楽が使用している第三会議室に不躾に入り浸ることが出来るのは親慶ぐらいのものだった。
    そして今回も物怖じせず第三会議室に現れた親慶だったが足を止め部屋の前で一度深く息を吐き出してから開かれているドアをコンコンと控えめにノックをして部屋を覗き込んだ。
 不思議そうに振り返る神楽に親慶はへらっと笑いながら「…お邪魔しまーす…」と空元気に挨拶すると普段の眉目秀麗な顔はどこへ行ってしまったのかと心配になるほど嫌そうに顔を歪めながら「めんどくせぇ…」と低い声を漏らした。それは神楽の心の底の底からの叫びに聞こえた。それに怯んだ親慶は部屋に入ることを躊躇したがそろりと足を踏み入れ神楽の隣…には程遠い、離れたところに立ち顔の前で両手を合わせる定番の懇願スタイルを見せつけながら「お願いっ!!」と頭を下げた。
「聞いてよぉ、かぐっちゃん!!」
「嫌だ」
「なんでっ?!」
    目の前に置かれたパソコンの画面から顔を上げることもせず冷たくあしらわれてしまうと親慶は大声で抗議をするが、神楽は「うるせぇ…」と呟き眉間に皺を寄せる。
「どうせ義経との事だろ?」
「うっ…!」
    敏い神楽のことだ。親慶と義経の二人の様子に違和感を感じていたがあまり首を突っ込むのは良くないだろうと傍観を決め込んでいた。そんな矢先に親慶の懇願を受けてしまえば聞かずとも内容が分かってしまうというもの。拒絶しても立ち去る気配のない親慶を一瞥すると神楽は溜め息を一つ溢した。普段うるさいほど元気な奴が肩を落としてしゅんとしている様はどうにも居心地が悪い。神楽はもう一度溜め息を吐き出すとパイプ椅子を後ろに押して親慶の方へ向き直した。
「…今度はなにがあったんだよ」
「なんだかんだ言って話を聞いてくれる優しいとこ、かぐっちゃんってモテるよね!でもどうせ聞いてくれるならなんだかんだ言わなくてもいいと思うんだけど──」
「殴られるのと蹴られるのどっちがいい?」
「…どっちも嫌でぇーす…」
    いつもの調子を取り戻した親慶はガタガタと大きな音を立てながら神楽の近くの椅子に座ると、目の前の神楽が怒りを押し殺した笑顔を作りながら拳を握り締め手元にあった書類がクシャッと痛々しい音を立てた。その様子に軽口で返事をすると親慶は視線を泳がせて真剣な面持ちで正面から神楽に向かう。
「あのさ…キスしようとすると義経が嫌がるんだけど……なんで?」
「お前が下手過ぎるからじゃねぇか?」
    表情に釣り合わない親慶の告白に神楽の頭は思考を停止し、反射的に浮かんだ言葉が口からこぼれ出た。はっ、と鼻で嗤うオプションも付けてやれば親慶は分かりやすくがっくりと項垂れた。
「…やっぱりそうなのかなぁ…」
    椅子の上で膝を抱えてその上に頭を乗せて揺れている親慶を尻目に、神楽は机の上に置かれ握り潰されたことで皺くちゃになってしまった同じ日付が書かれた書類をファイルの下にそそくさと忍ばせた。親慶はなおも大きな体を縮ませ意気消沈したまま動かない。
    フィギュアスケーターでありながら大人気モデル。男らしい整った顔に高身長。誰もが羨む美貌の持ち主は竜太が「イケメン」と呼ぶに相応しいと納得すらしてしまう。そんな男が幼馴染みの子犬系男子に振り回され、情けなく小さくなっている姿を見ていると神楽はなぜだか笑いが込み上げてきた。
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