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きょうだいの話。②

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「…っ、いやだっ!」
    逸らした顔を強引に正面に向けられ再び迫り来る唇から逃げるように瞼を強く閉じるとサイドテーブルの隅に追いやられていたスマホが鳴り響いた。
    気を逸らせるかも…!!
    ディスプレイは見えないため誰からの着信か分からなかったが、神楽は微かな期待を込めて助けを求めた。
「竜太…」
「竜兄?!」
    小さなSOSの効果は絶大で、蘭獅は予想どおり神楽の体から降りスマホに飛びついた。
    本当に竜太からだといいんだが…。
    祈りを込めて寝返りを打つと不自由な体を引きずりながらベッドサイドに落ちることに成功した神楽がなんとか立ち上がろうともがいていると、ベッドの上から嬉々とした声が聞こえた。
「竜兄、お久しぶりです…あなたの蘭獅ですよぉ🖤」
    甘い、先ほどより間延びした声はまさに『猫なで声』と呼ぶに相応しいもので、神楽は気持ち悪さと苛立ちを覚えもがいていた体からは戦意喪失するように力が抜けてしまった。
『………は?蘭獅?なんで日本に…ちょお待て!アキは?!アキになんもしてへんやろなぁっ!!』
    少しの間の後、スピーカーにされたスマホから竜太の間抜けな声の直後、怒りに震える怒号が響いたが、そんなことは気にもしない様子で猫なで声を続けるあたり蘭獅も流石は東儀の人間だと思わずにはいられない。
「今日帰ってきたんです。どうしても竜兄に逢いたかったんですけどぉ……神楽愛灯さんで我慢しようと思って…」
『相変わらず言ってる事が理解でけへん…。今どこにおんねん!!』
「竜兄と神楽愛灯さんの部屋ですよぉ」
『っ…どうやってその部屋に入ったん?』
「愚問ですよ、竜兄。僕に理解できない仕組みなんてないんですから」
『…理解されへんよぉな鍵を頑張って探しだしたんやけどなぁ…。アキはそこにおるんよなぁ?このスマホ、アキのやもんなぁ…』
「はい。さっきから震えてて可愛いですよ?ふふ、さっきねぇ、神楽愛灯さんとキスしたんですぅ。竜兄と間接キスですね🖤」
『アキとキス…?』
    竜太の呟きと同時に電話口の空気がピリッと震える。しかし、そんなことおかまいなしにマイペースで楽しそうに笑っている蘭獅の姿を見ると大物、というよりは相当な図太さを感じる。
「そう。あ、でも竜兄?これは浮気じゃないですからねぇ?僕の気持ちはずっと竜──」
『そこで待っとれこんのくそボケがぁ!!叩き潰したるっ!!』
「わわっ……切れちゃった。でも竜兄、ここで待ってろって…嬉しいなぁ。久しぶりに竜兄に逢えるんだぁ…」
    明らかにそんな甘い雰囲気などではなかった。だが、蘭獅は『竜太が自分に逢いにきてくれる』ととてもポジティブに受け取め神楽のスマホを愛おしそうに抱き締めている。竜太の怒声は離れたところにいる神楽の肩と心臓を大きく跳ねさせおもわず悲鳴が口から飛び出しそうになった。それをぐっと飲み込んだ神楽は慎重に床を這いながら竜太が到着するまでどう逃げきろうか思考を巡らすが両手を縛られていては上手く動けない。
「せめて両手が自由になれば…」
「お困りですかぁ、神楽愛灯さん?」
「え?あぁ、この紐を切りたいんだが…って、蘭獅さっ…!!」
「駄目ですよぉ?それは出来ないなぁ🖤」
「ひっ!!」
    いきなり目の前に現れた蘭獅に今度こそ情けない悲鳴を上げると、蘭獅はさらに上機嫌に笑いながらスマホをベッドに投げる。
「いつの間に…!!」
「いくら電気をつけていなくても月明かりは射し込んでますからねぇ、大人一人の影くらい追いかけられますよ」
    ギシッと嫌な音を立てて軋むベッドからゆっくりと降り退路を塞ぐように立ちはだかる蘭獅に神楽は固唾を飲んだ。目の前の男はあまりに非常識でこれからの動きも全く予想できないからだ。
「では、竜兄が帰ってくる前にさくっとヤっちゃいましょっか?」
    前言撤回。男の行動はとてもシンプルで明快なものだったが、神楽の常識からしてみればそれを行動に移すことが非常識だと自らの認識を改めながらゆっくりと後退りを始める。
「いやぁ…大人しく待ってた方がいいと思いますけど…」
    再び説得を試みるが、逃げる背中はすぐに窓にぶつかってしまい神楽の背中を嫌な汗が流れた。
    これは本当にまずい…。
    逃げ場がなくなったことに気付いた蘭獅はゆっくりとしゃがみ視線を合わせると猫にでも触れるようにそっと手を伸ばしてくるが神楽はそれを睨み付け威嚇でこたえる。
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