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親慶と義経のはなし。
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誰もいないロッカールームで義経は自分のロッカーを開けた。広いロッカールームには誰もおらず、というよりは義経は練習終了後に自主練をしたり人気のないところに隠れ時間を潰したりしてわざと他の選手とタイミングをずらしロッカールームを使用するようにしていた。ロッカールームに入る時も人─主に親慶─の気配がないか慎重に確認する。そして自分のロッカーの前でようやくほっと一息つくのが日課になっていた。
親慶と喧嘩をした訳ではない。むしろぎくしゃくしながらも二人の時間を大切にして充実した毎日を過ごせていると義経は感じていた。否、そう感じるように自分を誤魔化している部分があることも義経は気付いていた。
二人きりの部屋で親慶が甘い空気を漂わせてくれば義経は途端にどうしていいのか分からなくなる。それがここ最近の義経の最大の悩みであった。
いくら成長期が他人よりも遅いといえど義経だって高校生にもなればそういうことに興味がないわけではない。むしろスケートに影響さえなければいつだって親慶とそういうことをしたいとすら思っていた。しかし現実は違うのだ。自分一人だけの部屋で親慶に抱かれる妄想をして顔を真っ赤に染め上げて恋バナをする女の子のように「きゃー!!」と声を上げて楽しめていても、いざ本人を目の前にして甘い空気に包まれいつもより熱い熱を親慶から感じてしまえば鼓動を早めた心臓が口から飛び出そうになる。親慶の大きな手が服をたどり肌に触れてしまえば生理的に体は跳ねて頭は続く行為を想像してパニックになってしまう。
親慶との行為を期待しつつ、それでもまだ受け入れられない自分がいる。
「…」
このまま避け続けてたらチカに嫌われて……別れようとか言われちゃうのかな…。
ネガティブな思考に取り憑かれれば無意識に溜め息が溢れ今日もさっさと着替えて親慶に会わずに帰ってしまおうと義経は着ていたジャージに手をかける。スマホにも親慶からの連絡はなく、それが嬉しいのか寂しいのか…なんとも言いがたい感情に義経は再び溜め息を吐いた。
「つー訳で…」
「っ!!」
突然、聞き慣れた声がロッカールームに響いた。人がいないことを念入りに確認した義経は突然現れた神楽に驚き、振り返った瞬間後退りしたせいで背中をロッカーにぶつけてしまい金属製のロッカーは想像以上に大きな音をたてた。神楽はそれに反応も示さず、重く長い溜め息と一緒にそう呟いた。その表情は「心底面倒くせぇ」と主張してる。
そして視線だけでロッカールームに人がいないことを確認した神楽は義経の前に設置されているベンチに腰を掛ける。神楽の一挙手一投足を義経はびくびくしながら見つめていた。
「お前が親慶によそよそしい態度を取る理由を教えてくれ」
「…ど、どうして…?」
背中をロッカーに貼り付けたまま義経は吃りながら音を出す。
神楽くんがそんなことを訊いてくる理由なんてなんとなく分かってたけど確認の意味を込めて聞いてみた。
「……あのバカが可愛いお前不足なんだと…」
「気持ち悪っ…」
口に出すのも躊躇う理由を神楽は舌打ちをしながら説明すると想像と違う答えに義経は反射的に本音を溢した。その義経の言葉に神楽も「だよなぁ」と同調しながら何度も頷いてみせた。
チカって時々びっくりするくらい頭悪くなるんだよね。主に……オレ関連なんだけど…。
そんなことを考えればまるで愛されている自信に満ち溢れているようだと義経は意図せず顔に熱を集め赤く染めてしまう。
「それで?親慶と別れたいんなら全力で協力するぞ?」
そんな義経の様子を気にも留めずイタズラっ子のように笑う神楽の目は相変わらず笑っていない。
「…神楽くんてオレのこと過保護にし過ぎ」
「小さい頃から知ってんだ、どうしたって心配するだろ」
「…そか」
自分を落ち着かせるためにも話を逸らした義経だったが、神楽からはっきりとそう返されてしまえば恥ずかしさと照れくささに体がむず痒くなる感覚に襲われた。
「でもさ……オレ、べつにチカと別れたい…とかじゃなくて…」
言い澱む義経を眺めながら神楽は投げ出していた長い足を組んだ。
気心知れた自分達に対する態度や口調が随分と男らしいため忘れがちではあるが神楽はもともと中性的な顔立ちをしていて、コーチ時代に伸ばしていた髪を切り、眼鏡を外しコンタクトに変えたことでその美しさがさらに際立っていた。そして「魅了する者」の異名に相応しい柔らかで女性的な表現力は日常生活においてもその仕草一つ一つが計算し尽くしされたかのように耽美的だ。大人びたその姿に義経は思わず見とれてしまう。
それに比べてオレは…子供でかっこ悪いままで…こんな悩み、チカや神楽くんに言ったら笑われてしまう。
比べてしまったから、劣等感が無意識に言葉を紡ぐ。
「神楽くんて……本当に神様に祝福されてるみたい…」
才能も美貌も兼ね備えた者へのそれは最大の賛辞であり神楽にとっては最高の呪いの言葉だった。
虚ろだった瞳が光を取り戻すと自分の言葉を反芻して義経の喉がひゅっ、と鳴いた。
オレ…いま……なにを言った…?
「…ごっ!ごめんなさい、神楽くんっ!!あんな言葉言うつもりなくて…本当に………っ…本当にごめんなさい…」
言い訳をしてもそれは己の失態を取り繕うだけのものでしかなく義経は強く目を閉じて罪悪感に崩れ落ちそうになる体を必死に支えていた。
その言葉の強さを義経は誰よりも理解し、同時に神楽には絶対に言ってはいけない言葉だと理解していた。それなのに脳があろうことかその言葉を選び投げつけた。神楽を傷付けるためだけに…。
義経はどうしていいか分からず涙を浮かべ神楽を見つめる。神楽は顔色も変えずじっ、と義経を見据えると短く息を吐いた後、口元が笑みをかたどった。
「…今更なんともねぇよ。だから気にするな」
笑みを湛えるその表情は本当に穏やかなものに見えた。
「あ……ごめんなさい…本当に…」
包容力の高さに、さらに自分との格の違いを感じさせられ、先程まで頭の大部分を占めていた親慶に感じていること、それに対して自分がどう考えているかをどう伝えればいいかという悩み事など酷くちっぽけに感じてしまう。
義経は脱いだばかりのジャージを強く握り締め下唇をきゅっと結んで俯いた。
「それと、今さら格好つけんなよ?」
「…え?」
呆れを含んだ声音の神楽はそれでも微笑みをたたえ、優しい眼差しに義経は見覚えがあった。それは幼い頃、引っ込み思案で周りに馴染めない義経を心配していた眼差しと同じもので義経は少しだけ体の緊張を緩めた。
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