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12 ちょっとした冒険

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午後4時になる少し前に《フォリス》に着いたオリヴィエは、警備をしている警官に捜索許可状を見せ、中に入った。警官には、しばらく休憩するよう伝え現場から離れさせた。
 カーテンが閉まったままの店内は薄暗い。扉の近くで待機していたオリヴィエは、外気が流れ込んだのを感じて振り返った。リシエ・ピエレイドは、黒いシャツの裾を風に揺らしただけで、音もなく入ってきた。そして、近くにいたオリヴィエを見つけて、瞳を輝かせた。
「警部、風邪をひかなかったですか?」
「大丈夫だ。君は?」
「俺は丈夫なので」
「そのようだな。無事帰ったみたいでよかった」
 オリヴィエが笑うと、リシエはその表情をしばらく見つめた後、店内を見回した。
 店主が倒れていた姿を思い出し、オリヴィエは一瞬前へ進むのを躊躇った。リシエは気にせず先へ進み、来客用の椅子を避け、ショーケースの裏側へ回った。
 店主が使用していたキャビネット、事務机と椅子はそのままの状態で置かれていた。つきあたりの壁には額縁に入れられた絵画が掛けられており、その下には戸棚がある。
 オリヴィエは空のショーケースを見下ろした。ここにあった宝飾類は、ラ・トウェラにある。キャビネットの引き出しを全部開けたが何もなかった。
 リシエは店主の机を調べていた。
 その机はアンティークで、表面は螺鈿になっていた。その夜光貝と白蝶貝の模様の上をリシエの指がなぞっていた。叩いたり押したりも繰り返している。不思議な行動をしていると思ってオリヴィエが見つめていると、彼の指が模様の一部分を叩いたとき、突然その場所が起き上がった。
「何をしている?」
 オリヴィエが言い終わらないうちに、リシエは飛び出してきた金具を回し始めた。
 そして、机の表面が模様に沿って二つに割れた。
 オリヴィエが驚いて近づくと、リシエは手で制した。
「危ないので俺がやります」
 そして凶器が仕込まれていないか確認をしたリシエは、中から布に包まれたものを引き出した。
「それはなんだ?」
「フェイ氏が隠したものだと思います」
「驚いたな」
 リシエは机を元に戻し、布に包まれたものを置いた。そして手袋をはめると、慎重に中を開いた。
 中から引き出されたのは、黒い革表紙がついた薄い冊子だった。
 そのとき、外が騒がしくなった。
 オリヴィエは走っていき、カーテンの隙間から外を覗いた。
 さきほど現場を離れさせた警官が戻ってきており、フォンブレと話をしている。
「管理官が来ている」
 オリヴィエが言う前に、リシエはすでに冊子を布の中に戻し、自分の上着の内側へ入れていた。
「出られないな」
 そう言いながら、オリヴィエはリシエをどうやって逃がそうかと思案した。リシエは店内の奥へ歩き出した。
「上から出ましょう」
「は?」
 オリヴィエは店内を見回したが、階段は見つからない。この店舗は3階建ての建物の1階に入っている。
 リシエはつきあたりの壁の前まで素早く移動し、額縁の裏に手を入れた。かすかな音が聞こえる。
 彼はその近くの壁を両手で押した。すると、壁一面の半分が奥へ動き、空洞が現れた。
 リシエはオリヴィエの手を掴み、その隙間へ身を滑らせた。そして壁を元に戻すとすぐに、管理官と警官が中に入ってくる声が聞こえた。
 ふたりの目の前には、ぼんやりと石の階段が見える。
 リシエはオリヴィエの手を放さず、目の前にある狭い石の階段を上っていった。階段は急勾配で、途中折れ曲がりながら続いていた。上り切ったところには鉄の扉があり、それを両側に開くとあかね色に染まった空が現れた。

 鉄の扉の外は建物の屋上になっていた。
 ふたりは屋上に出た。リシエは鉄の扉を元通りにすると、オリヴィエの手を引いて屋上を歩き始めた。
 ようやく緊張が解けたオリヴィエは、笑い声を立てた。
「こんな冒険初めてだ」
 リシエはオリヴィエの手を強く握りしめた。
「気を抜かないでください。煙突には近寄らないで。足を滑らせたら死にます」
「君はどうして抜け道があると知っていたんだ?」
「……探偵事務所の仕事は、ほとんどが素行調査です。主要な建物の構造は知らないうちに覚えました」
「浮気調査か?」
「まあ、ほとんどそうです」
「…………」

 ***

 ふたりはいくつかの建物の屋上を渡り歩き、ブロスペル通り近くまでたどり着いた。
 目の前に下に続く階段が見える。リシエはそこから降りようとしていた。
 しかし、オリヴィエはもう少し屋上にいたかった。
 日没前の赤く染まる空がとても美しかったからだ。
「ここにいたい」
 そう言うと、リシエがため息をついた。
「冒険を続けたいようですね」
「いま降りると目立つだろう。もうすぐ日が落ちる。そうしたら降りよう」
 リシエは、わかりました、と言い、平らな場所に移動して、オリヴィエのために手巾を広げてそこに座るように伝えた。
 オリヴィエが見つめる先には、エメデーレの街並みが広がり、視線を遮るものはない。
 あかね色の空の地表近くは黄金に輝き、とてもまぶしかった。
 オリヴィエがこのような夕日を見たのは久しぶりだった。
 リシエが囁いた。
「きれいですね」
「昔、ランレイユの丘から見た夕焼けを思い出す」
 オリヴィエが言うと、リシエはそうですか、と呟いた。
「まだ若かったときだ」
「……いまも若いです」
「いや、もう若くない。あのときと違って、今は温泉のある家に住むことが夢なんだ」
「温泉ですか?」
「源泉掛け流しが理想だ。気兼ねなく、いつでも湯船に入れるだろう?」
 オリヴィエが笑って答えると、リシエは考え込むような顔になった。
「掘り当てないといけませんかね……」
「は?」
「いえ、いいです。お屋敷は継がないのですか」
「継がないと思う。わたしは結婚には向いていない。父は退官した後、現役時代にできなかったことをやりたいと言って旅に出てしまった。現役のときもいまも家庭を顧みることはない。わたしも似たようなものだと思う」
 オリヴィエは、リシエに問いかけた。
「君の夢はどうなんだ?」
「俺は好きな人が幸せでいてくれればいいです」
「…………」
 この手の話は、オリヴィエが苦手な分野だ。返事を躊躇っているうちに、空の色が赤紫色に変わり、みるみる濃い藍色に染まり始めた。
 足下が見えなくなる前に、ふたりは階段を使って下まで降りた。リシエは上着の内側から冊子を取り出して尋ねた。
「これは俺が持って帰っても構いませんか?」
「いいだろう。君が見つけたんだ。今度中身を見せてくれ」
 リシエはオリヴィエの顔に手をのばし、乱れた前髪を整えた。
「信用してくださり嬉しいです」
 オリヴィエはその手を振り払った。
「昨晩の礼だ」
  背を向けて付け加える。
「君のスカーフと手巾は洗って返す」
 リシエが何も言わないので、オリヴィエは振り向いた。
 建物の路地はいつのまにか墨色に染まっていた。
 彼は思ったより近くから見下ろしていた。
 リシエの両腕が、オリヴィエを反対方向に回転させる。しかし、すぐにその片腕がオリヴィエを抱き寄せた。
「送って行きたいのですが、やはりここで別れます。気をつけて帰ってください」
 距離が近すぎてオリヴィエの心臓は焦ったが、リシエはすぐに離れていった。
 オリヴィエは自分の屋敷の方へ歩き始めた。
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