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9 真夜中の距離感

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 暖炉の炎が、ときたま音を立てる。
 鉄の箱の内側に、火が踊っている。
 オリヴィエはじっとしてそれを眺めていた。

 屋敷に住んでいる者以外で、オリヴィエの部屋に入った者はいない。
 へんな感じだが、帰り道に暴漢に襲われて、興奮した気持ちがようやく落ち着いてきたところだ。そのときの異常な判断力で、リシエ・ピエレイドを招いてしまったのは仕方のないことだろう。
 彼は暖炉の近くにある敷物の上にいた。
 暴漢が落としていった短刀を調べている。
 炎が照らし出す横顔は、やはりとても美しい。
 大胆そうだが、繊細な感じがする。陽気そうだが、切なそうな感じもする。
 彼の持つ相反した雰囲気が少年のようで、胸のどこかがくすぐられる感じがすることは、口が裂けても言えない。
 オリヴィエは、暴漢から助けてくれた人物が、野蛮な人物ではなくて良かったと思うべきだろうと、心を落ち着かせた。

 リシエは顔をオリヴィエのほうに向けた。
「この短刀は下町で売っているものです。警部は何か特別なものをお持ちだったのですか?」
 突然尋ねられて、オリヴィエは我に返った。
「たとえば、押収物とか?」
「あ……」
 今日着ていた上着は、フェイ氏が亡くなった事件の当日に着ていたものだった。壁に掛けた上着のポケットを探ると、小さな袋に入ったボタンが出てきた。
 リシエは立ち上がり、オリヴィエの手のひらに載ったボタンを見に来た。オリヴィエは少し距離が近いと思い、それを渡す。リシエは尋ねた。
「これは?」
「フェイ氏が亡くなったときに手に握っていたものだ」
 オリヴィエが言うと、リシエは嘆息した。
「そんな重要な証拠品を、なぜずっとお持ちなのですか?」
「忘れていた」
 リシエは暖炉の前まで戻り、自分の上着のポケットからルーペを取り出し、調べ始めた。
「金ですね」
「うん。同じ日に妹の件があったから、ついうっかりしていた」
「今夜警部を襲った暴漢は、これを取り返したかったのでしょうか?」
「可能性はある。鑑識官はひとまずわたしに預けておくと言っていたが、誰かに話したのかもしれない。フェイ氏が犯人ともみ合った際に引きちぎったものなら、これは犯人のものだろうし、金のボタンを服につけているのは相当裕福な人物だ。疑われるのを恐れて、取り返したいと思ったのかもしれない」
「今日の暴漢は、あなたがずっと上着のポケットに入れたままだと知っていたのではないですか?」
「そうなると警察内部にいる者を疑うしかないが、それはありえない」
「……警部が暴漢と面識がないなら、彼を雇った人物がいるのだと思います。そういう依頼を受けている人物を探ってみます。これは、いまから証拠品として捜査本部へ提出されますか?」
「いや。せっかくだから、調べてみよう。フェイ氏の妻に、夫がこれがついている服を持っていたか、または見たことがあるか聞き取りを行い、それから仕立屋に、このボタンを仕入れたことがあるか聞いてみよう」
 そう言って、オリヴィエはふと思った。

 いつから彼を仲間のように考えたのだ?

 リシエは沈黙を気にせず、協力しますと頷いた。そして言った。
「フェイ氏の妻のところへ行く際は、同行させてください」
「構わないが、どうしてだ?」
「彼女があなたに何をするかわからないからです」
「大丈夫だろう」
 そう答えると、リシエは嘆息して、行くときは必ず連絡をくださいと念を押した。
 リシエはオリヴィエにボタンを返し、元いた場所へ戻っていった。
 オリヴィエは椅子に深く座り直した。
 だんだんと瞼が重くなってきている。
 朝までどう過ごしたらいいのだろうと考えていると、リシエが尋ねてきた。
「フェイ氏の葬儀に来ていた、ロンレム風の衣装を着た男性をご存じですか?」
 オリヴィエは頷いた。
「ムエルヴァル・デロール氏のことだろう。昨日保険会社で会った。古物鑑定士だそうだ。今後《フォリス》の宝石の鑑別をすると聞いた」
「彼を調べましたか?」
「調べた。特に問題はなかった。君は、《フォリス》がイミテーションを扱っていたと言っていたが、あの店は偽物を売っていたのか?」
「はい。市場では、《フォリス》の顧客から流れてきた宝石には偽物が混じっているので、扱う際は慎重に審査するよう言われていると聞きました。普通の人では見分けはつかないそうです。市場は、盗品を扱う場所のことです」
「もしも妹のパリュールを盗んだ人物が、《フォリス》から購入したものだと知っていたら盗んだだろうか?」
「偽物と疑う理由があるのですか?」
「……昨日、デロール氏がおかしなことを言っていた。彼は妹のパリュールを知っていて、ネックレスについている石はサファイアではないと言っていた」
 それ以上説明するのは、オリヴィエには少し恥ずかしかった。偽物の宝石がついている、と言ったほうがましだ。リシエは尋ねた。
「どのようなものだと言っていましたか」
「よく覚えていない。サファイアより貴重だという話だ」
「サファイアより貴重ですか?」
 再度質問されて、オリヴィエは仕方なく口にした。
「……天と海に由来する宝石とか?」
 オリヴィエはリシエが笑うと思っていたが、意外な言葉が返ってきた。
「天と海の涙」
「…………」
 
 涙?
 エネルギーじゃなく……?
 天と海のエネルギーが合わさったもの、よりましか。
 いや、涙もそのようなものだな。
 感情の爆発だと思えば……

 脳裏を駆け巡った言葉を、オリヴィエは否定した。
「そんな宝石、実在しないだろう」
「あります。ある小鳥の心臓が、フレルアとアマメイラの涙で青く染まったという宝石です。その宝石を持つ者は、すべての願いがかなえられるそうです。ロンレムの一部族が持っていたそうですが、ずいぶん前に失われたという話です。実在したそうですよ」

 話す人が違えば、別の話に聞こえるものだ。
 一応ムエルヴァル・デロールは、真面目に話していたのだな。

「そういういわくつきの宝石があることを知らなかった。しかし、わたしは妹のパリュールはデロール氏が言うようなものではないと思う」
「本物だから盗まれたのかもしれませんよ。フェイ氏にとってはただの商品だったのかもしれませんが、古物鑑定士のようにいわくつきの宝石を手にしてみたい者はいるでしょう」
 オリヴィエは首を振った。
「もし、その宝石を持っているだけですべての願いがかなってしまうなら、《フォリス》は資金繰りに困らなかっただろうし、妹はバリゾッティ公爵と結ばれても良かったはずではないか。信じられないな」
「持っているだけでかなうものではないのでは?」
「わからないが、そんな非現実的なことで、かなえられることなどこの世にはない。君はどうしてその宝石の存在を知っているんだ?」
「母がロンレムの人だったんです。ロンレムの人々は、そういう神秘性のある話が好きなんですよ。幼い頃、寝る前に話してくれました。もういませんが」
「…………」

 亡くなったのか?

 どこまで聞いていいかわからず、オリヴィエは黙った。
 リシエも黙ったままだった。
 オリヴィエは気まずくなって、椅子を降り、リシエの隣に座った。
「妹のパリュールを盗んだ犯人は、いわくつきの宝石の伝説を信じている人物かもしれないな」
 リシエは笑った。
「盗んだ人物がいまどうしているのか知りたいですね」
「持っているだけでは願いがかなわないなら、どうしたらよいのだろうな」
 いまだ半信半疑でオリヴィエがそう言うと、リシエがぽつりと言った。
「……明日、《フォリス》に行ってみませんか?」
「あそこにはなにもないぞ」
「フェイ氏の店を継ぐ人はいないでしょう。店がなくなる前に、中を見てみたいのです」
「わかった。明日は週末だから警備は緩いはずだ。午後4時に店の前で待ち合わせよう。店はまだ規制線が張られたままになっている。中に入れるように手筈を整えておく」
 オリヴィエが言うと、リシエは頷いた。
「もうすぐ夜明けです。少し眠ったらいかがですか? 俺は服が乾いたら勝手に帰ります。裏の勝手口なら明け方は開いているでしょう」
「朝になったら表から帰ればいい。見つかったらわたしの知人だと言ってくれ。執事に話しておく」
「……知人ですか?」
「では仕事仲間はどうだろう」
「見つからないように帰ります」
 リシエは横を向いた。
 オリヴィエはどちらでも良かったが、いまのやりとりで疲労の限界を超えた。
 暴漢に襲われ興奮した精神状態から、忘れていた証拠品の存在と妹のパリュールについていた宝石について。
 とりあえず寝ておこうと、頭が判断したようだ。
 オリヴィエは目を閉じた。
「風邪をひきますよ」
 遠くでそのような声が聞こえ、心も疑問を投げかける。
 
 この人物を信用しているのはなぜなのか。
 
 オリヴィエは心の中で、安全だからだろうか、と呟いた。
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