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7 薄霞のエル・ランレイユ
しおりを挟む深い灰色に包まれた朝だった。
時間が経過しても雲の隙間はなく、エメデーレの街並みは色がなくなったようだった。
旧公会堂が建っているランレイユの丘(エル・ランレイユ)の斜面には共同墓地があり、眼下に広がる景色が一望できるのだが、今日は薄霞に包まれて何も見えなかった。
バスカル・フェイの葬儀で泣く者はいなかった。
葬儀はフェイ氏が生前積み立てていた商工会議所の〔小さな葬儀〕で執り行われていた。
フェイ氏が信仰していたフレルアの神職が呼ばれ、商工会議所の現場責任者と職員ふたりが墓掘り人としてやって来ていた。
そして、簡素な棺が墓穴へ納められていくのをオリヴィエは見つめていた。
フェイ氏が殺害された事件は、現場から立ち去った男の情報がなく、捜査が難航していた。
葬儀の参列者は、妻のナターリア、ナターリアの友人であるモリナーリ卿のほかは家族親類はなく、ナターリアの小間使いと同業者が数名、ラ・トウェラのアロンがムエルヴァル・デロールを伴って来ていた。
少し離れた場所からその様子を見つめていたオリヴィエに、横に立っているミーシャが小声で話しかけた。
「警部、フェイ氏の奥方の喪服はどこのだと思います?」
オリヴィエは頭が一瞬空白になったが、一応聞き返した。
「どこのかわかるのか?」
「マダム・マデリーンのだと思います。いま流行っている仕立屋のドレスですよ」
どうして知っている、と言われると思ったのか、ミーシャは続けた。
「俺の彼女がそこのドレスを着てたんです」
「…………」
「レースの使い方がうまくて豪華に見えるそうです。実際とても高いらしいです」
「そうか」
「興味なさそうですね」
「事件に関係があれば覚えておく」
オリヴィエはあらためてフェイ氏の奥方に目を向けた。
ドレスが豪華なのは間違いない。夫が殺され悲しむことなく、喪服を選びに行ったのなら、夫婦仲は良くなかったのだろう。
ナターリア・フェイはモリナーリ卿に支えられて、棺の上に白い花束を置いているところだった。
ナターリアが祈りを捧げているのを見ていると、商工会議所の墓掘り人のひとりがオリヴィエとミーシャを見つめてきた。ミーシャはオリヴィエに尋ねた。
「警部、知ってる人ですか? 以前逮捕しました?」
墓掘り人は、シャベルを背中に抱えて、首をかしげてこちらを見つめている。
「昔と違う。商工会議所の職員だぞ」
それから墓掘り人は土の山の上にシャベルを刺し、白い花束を取り上げて、オリヴィエとミーシャのほうに向けてきた。ミーシャは言った。
「花を手向けに来て欲しいみたいですよ。行きましょう。ああ、警部、あの黒いターバンを巻いた人、見てください。肩に小鳥がいます」
「…………」
ミーシャに袖を引かれて、オリヴィエは参列に加わった。
墓地に新しく掘られた穴の中には、布が掛けられた棺が置かれ、白い花束が手向けられていた。
ナターリアは少し頭を下げた後、黒いベールの内側からオリヴィエを見上げてきた。
「ルヴェラン警部、このたびはありがとうございます」
彼女は36歳と聞いていた。ベール越しだがとても美しい女性だとわかる。モリナーリ卿がオリヴィエの視線を遮るように割り込んだ。
「ルヴェラン殿、突然こんなことになってしまって、わたしたちはショックを受けています。一刻も早く犯人が捕まるようにしていただきたい」
オリヴィエはふたりを見ながら、尽力しますとだけ伝えた。
墓穴を見下ろすと、横から墓掘り人が白い花束を渡してきた。
棺にはフレルアの紋章が刺繍された黒い布が掛けられている。
オリヴィエは、クラバットを留めているブローチを上着の上から押さえた。
祈りを捧げ、白い花束を棺の上へ静かに投げ入れ、その場を離れようとしたときだった。掘られたばかりの足元の土が少し動いた。靴がすべりそうになりぐらついたところに、咄嗟に白い布を巻いた腕が伸びてきて、オリヴィエを支えた。白い花束を渡してきた墓掘り人がオリヴィエの側で嘆息した。
「警部、気をつけてください」
その低い声音は、最近聞いたばかりだ。
見上げると、帽子の縁に隠れていた瞳が、気遣わしげに見下ろしてくる。曇天の色のない世界に、澄んで輝く黒い瞳がオリヴィエをはっとさせた。
その腕はオリヴィエが振り払うより早く、引き戻された。彼は、次に並んでいたミーシャへ花束を渡した。
どういうことなんだ?
リシエ・ピエレイドはなぜ墓を掘っているんだ?
オリヴィエの胸の内は少し騒いだが、表情は変えずにその場から離れた。
そこに、ムエルヴァルがやって来た。
「警部さん、またお会いしましたね」
「ええ。時間がとれたので」
「そうですか。とても合理的な葬儀ですな。ロンレムのとはまるで異なります。葬儀といえば……黒鳥が頭上をかすめ飛び、むせび泣く声が聞こえ、墓を掘る人夫は死に神のごとく死者を冥界へ送ろうとする光景を思い出します」
「はあ」
オリヴィエはアロンを探したが、ミーシャと立ち話をしている最中だった。
今日のムエルヴァルの装いは、黒一色でまとめられ、装飾品はかなり抑えられている。香水も控えめだ。しかし、昨日は彼の右肩に小鳥は乗っていなかった。緑色の小鳥で、いまは眠っているのか目が閉じている。ムエルヴァルはオリヴィエの視線を気にせず、尋ねてきた。
「警部さん、犯人の目星はついているのですか?」
「いまは捜査中なのでお話しすることはできません」
ようやく、アロンとミーシャが歩いてきて、オリヴィエはほっとした。アロンは言った。
「警部殿、今日はこれから当社にお越しになる予定でしたね」
「その予定です。今日で作業を終わりにしたいので」
「わかりました。わたしはこれから用事で出てしまいます。作業が終わりましたら部屋の鍵とファイルは社員に返しておいてください」
オリヴィエは頷いた。
ムエルヴァルとアロンが立ち去ると、ミーシャがオリヴィエに囁いた。
「さっき、保険会社の人に聞いたんです。あのターバン男の肩に乗っている小鳥は、ロンロンっていうそうです」
「…………」
すごく気になっていたんです、とすっきりした表情のミーシャの後ろで、墓穴が埋められていく音が聞こえた。
振り返ると、黒い帽子を目深に被ったリシエが手を止めて、オリヴィエに顔を向けた。
彼の表情はよく見えないが、微笑んでいるように見えた。
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