カオスシンガース

あさきりゆうた

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彼女のいない男にラブソングは歌えない

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 今日は市内のコミュニティにて、老人ホームへのボランティア訪問コンサートの練習をする日である。発声練習を終わらせ、各自音取りをした楽譜を持って、練習へと入る。
 最初に練習する曲が「またあなたに恋してる」という曲である。

「これは、皆知っているわよね?」

 或斗が楽譜を持って皆に尋ねた。

「演歌歌手がCMで歌っているやつだよな。良く聴く事があるから音取りはしやすかったな」

「……個人的に男版の方が好き……」

 そういえばこの歌って男性版もあったんだよな。馬上は男性版の方が好きなのか。

「確か、ブランコで有名な二人が歌っている奴だよな! この歌聴くと、焼酎飲みたくなるってもんだな!」

 左京ならマジで飲みかねないな。

「う~んと、テキサスの暴れ馬かな?」

「……それはブロンコ」

 聖のよく分からんボケに、ツッコミを返せる馬上の知識の幅がすごいな。

「やっぱり皆が知っている曲の方が楽しみやすいし、お年寄り方が若かった頃から歌っている二人の歌だから、馴染みやすいと思ったの」

 こうして練習が始まった。

しゃわわ~♪

 難易度はそこまで高い歌ではないが、この曲は男性がメインで歌う曲のようだ。基本、合唱はソプラノといった女性陣がメロディの主役になることが多く、男性陣は引き立てる事が多い。この曲ではまるっきり逆なので、或斗、自分、馬上の歌う男性パートが大事になってくる。
 一通り歌い終わって或斗がコメントした。

「ここのメロディのところでtr~~~っていうのが楽譜に出てくるでしょ。意味説明出来る人いる?」

「……通称トリル……この記号がつけられた音符の音とその二度上の音とを……交互に素早く繰り返す……しかしどうすれば良いか……」

「馬上君の説明通りだけど、難しく理解しちゃっているわね」

「これってビブラートってこと?」

「そういうことよアデルちゃん。でも、ビブラートって合唱ではあまりやらないでって指導する人が多いの」

「あっ、それ分かる気がするな~。なんか声が綺麗になりづらい感じはある」

「そう。合唱だからこそ個々人の声を綺麗にまとめたい。だから指導者としては素直な声を出して欲しいと思っているの。でも、歌詞を見ると、トリルのところは、気持ちを爆発させて歌う感じがあるからビブラート少しぐらいはいいかなと思うの。じゃあそこを意識してメロディもう一回歌うわよ」

 しゃりら~~♪

 或斗の指摘通り歌ったら幾分か上手く聴こえるようになってきた。しかし或斗は何か言いたげな顔だ。

「この時点でまあまあ歌えてる。もうちょっと練習すれば本番で歌っても良いくらい。だけど、このままだともの足りないのよね」

「或斗もそう思ったか? あたし的に或斗を除いた野郎達の声が物足りない感があるんだよな」

「そう恋奈ちゃんの指摘通り。具体的には男性陣に感情がこもってないのよ。歌詞の内容を表現することに、抵抗感や恥じらいを持っているのかしら? そういうのは捨てる気で歌ってみて」

「……分かった……善処する」

「自分も同じく」

 確かに自分でも歌ってて感情を込められてないなというのは実感している。でも、込めたくても込められない気持ちの壁があるんだ。

「男性陣、今度は手で振りをつけて歌詞を表現する事を意識しながら歌ってみて」

 というわけで歌詞を表現するように歌ってみた。

ほららわ~♪

 歌詞の中に「朝露」、「風」、「光」といったワードが出てくる。手の振りで表現するのは難しいところだ。でも、なんとかこうにかそれを表現しながら歌ってみた。
 そして或斗がコメントする。

「馬上君は良くなったわね。その調子でより完成度を高めていって。セーム君に関しては、まだぎこちない感じがあるわね」

「アルちゃん、これって歌詞の内容的に、自分が片思いしていた子に再会して、その時の気持ちを歌った曲だよね? つまり……あっ、ごめんセーム君」

「謝るな聖! 余計に悲しくなるわ!」

「あぁ、そういう事ね」

「或斗も納得すんな!」

 そう、これが原因だ。こんな自分でも、片思いの子はいて、ひょんなことで再開してどきっとすることはあった。だが、自分は恋愛経験皆無だ!

「誰だって歌詞の意味が分かる経験をしたわけではないのよ。でも、さもそういう経験をしましたと見せる役者のような面も歌には必要なの。セーム君はこの前、『母』のソロを上手く歌えていたでしょ。あれは一人暮らし故に、経験的に歌詞の意味が分かるから、表現もできていたのよ」

「あっ、なるほど。そういう見方もできるか」

「えっ、つまりセーム君はマザコンを恥じらいなく表現できていたってこと? お母さんを大事にする気持ちは分かるけど、ちょっとひくわ~」

「おい、マザコンと言うのはやめろや」

「せめてお母さん以外への女性にも愛を表現できればねえ……」

 合唱団に来て、まさか自分の恋愛経験のなさを突かれるとは思いもせんかった……。

 いつまでも自分のために一曲にこだわるというのも良くないので、次の曲の練習に入った。

「次はAKT県民歌の大いなるAKTをやるわよ!」

 この曲は以前教えて貰った曲である。県内ではかなり知名度の高い歌なのでお年寄りからも受けが良いこと間違いなしと言うことで歌うことになった。

「では、楽譜のcon allegrezzaを、セーム君説明して」

「確か、イタリア語で快活にって意味だったかな?」

「はい正解」

 或斗から質問が来ると予想はしていたので、楽譜に書かれている用語は練習までに全部調べておいたのだ。

「この曲は確かセーム君が講座で教わったから私よりも詳しいはずよ。だから分からないことはセーム君に質問してね」

「えっ? いやいや、そう言われてもだな」

「よしセーム、歌詞のしゅうれいむひなるってどういう意味だ?」

 左京が或斗の無茶ぶりに悪のりしてきた。

「国語の質問されてもな……多分すんごく素晴らしくて比べようがないってことじゃないかな」

「じゃあこのcalandoカランドってどういう意味かな? かな?」

 聖まで無茶ぶりにのってきやがった。

「段々速く、強くだったかな……」

「セーム先生、いい加減な事教えないで下さいね~♪ 段々遅く、弱くが正解ですよ~♪」

 答えの間違いを或斗が煽りスキル全快で指摘してきた。

「くそったれが、うろ覚えだったのが悔やまれる」

「まあこの辺でバトンタッチしようかしらね。じゃあ最初から歌っていくわよ~♪」

 AKT県民歌第三楽章「大いなるAKT」の練習が始まった。歌詞の内容はいかにAKTの自然がいかに素晴らしいかを歌っている。ある意味国を称える国家に近いイメージがある。壮大さ溢れるメロディでなかなか気持ちよく歌える感じだ。
 一通り歌い終わって或斗が止めた。

「ふむ、この手の歌だと恋奈ちゃんが合うわね。悪いけど、ソプラノとアルトをチェンジよ。つまりソプラノパートを恋奈ちゃん、アルトパートをアデルちゃんでいくわ」

「へへっ、あたしが主旋律か。無茶ぶりだが悪くはねえな!」

「え~~、せっかく音取りしてきたのに~~。それに低音出せるかな~~」

「ゴメンね二人とも、その代わりアルトパートは私も入ってサポートするからアデルちゃんも安心してね」

「それならいいっか♪」

 困っていた聖も或斗と歌えると分かって、かえって喜んでいるようだ。

「この曲に関してはAKT愛を持って頂戴ね。例えば歌詞に出てくる鳥界山ってこんな感じよ」

 或斗がスマホで鳥界山ちょうかいさんの画像を見せた。美しい紅葉や生い茂った色とりどりな植物が見える。

「……登山したくなるな……」

「こんな山ならしゅうれい何とかって大層なこと言いたくなるわけだ!」

 馬上と左京が感想を述べた。一方、あまり山に興味の湧かない層もいる。

「私インドア派だから~、あんまし分かんないな~」

「自分も同じく、山行っても面白さとか分かんないし、疲れるしな」

「やれやれ、自然の良さも分かる視野の広い人間になってもらいたいんだけどね……」

 或斗が自分達に呆れていた。

「あと、歌詞に出てくる女鹿半島おがはんとうはこんなので有名ね」

 或斗がスマホで女鹿半島おがはんとうに絡んだ画像を見せた。美しい日本海の風景が広がり、また特徴的な形をした岩もある。

「あっ、これガジラ岩~?」

 聖がうきうきとした感じで画像を見ている。

「そう、ガジラに見える岩、通称ガジラ岩で有名なのよ。他にも桶の中に魚介類と味噌ベースのつゆ、焼き石を入れて調理する焼き石桶鍋なんてのもあるわ」

「へぇ~、AKTはきりたんぼと火内地鶏ひないぢどり、ハタハタのイメージしかなかったけどそんなのもあるんだ」

「AKTの恵まれた自然があるからこその料理なのよ」

ぐぅ~

 どこからか空腹を知らせる腹の虫が鳴った。音の主は馬上である。

「夕方にこういう話すると……腹が減るな……」

「そうね、良い時間になったし練習終了しますか。今日やった二曲とも大体歌えているから本番までに完成度をより高めること。それと、次の練習は他の曲も練習するから音取りはきちんと行うこと。あと、早い内に問題点を一つ解決した方が良いわね」

ぎくり

「分かっているじゃないセーム君」

 問題点と聞いて自分のことかと思って反応したのがまずかった。 

「な、何のことだ?」

「とぼけない。『またあなたに恋してる』は君の恋愛経験のなさを補わないと上手く歌えないのよ」

「じゃあ、どうしようってんだよ」

「そうねぇ~、デートしましょうか?」
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