カオスシンガース

あさきりゆうた

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取り戻すために……

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 今日は土曜日で多くの学生がゆっくりしているが、大学内にて音楽講座があり、自分はそれに参加するために、大学のキャンパスまでやってきた。場所は教育学部の生徒が授業を受ける広いホール内にてだ。ホールの入り口らしきところに、音楽講座のビラが貼ってあり、建物内には参加者の確認をする人がテーブルに座っている。テーブルには音楽講座参加者はこちらへという張り紙があったので、そこへまっすぐ向かった。

「参加される方ですね。お名前をどうぞ」

 見た感じ自分と同じ学生さんのようだ。

「塩川です」

「えぇと、はい、塩川さんですね。こちらの資料を持って奥の部屋で待機してください」

 渡されたのは教科書代わりのA4サイズの資料である。表紙には音楽講座~AKT県の曲を知る~と書いてある。会場内には、おばちゃん方が多く、おじちゃん方も少しいた。空席はたくさんあるので、適当な席に座って、渡された資料を見ていた。楽譜や人物紹介の資料、歴史紹介の資料等がある。

「おはようセーム君」

 誰かが声をかけてきたと思ったら或斗がいた。

「あぁ、やっぱりいたか」

「私の教え方と講師の教え方は共通しているところもあると思うけど、違うところもあると思うわ。だから土日は良いところをつまみ食いして盗む感じで学んでもらえればいいわ」

「了解」

 或斗はそれだけ言って、その場を離れた。
 それからしばらくして、講師の先生らしき人が来て、マイクを持った。

「皆さん、おはようございます。今日は当講座へ足を運んでいただきありがとうございます。それではまず、受講生の方々の交流のため自己紹介をしていただきましょう」

 おばさま方、おじさま方が自分の名前、そして軽く一言をつけて挨拶を次々と終えていく。

「では次に塩川聖夢さん」

「はい、塩川聖夢。秋田大学工学部化学科の一年生です。歌の勉強をしたいと思って講座へやって来ました。短い間ですがよろしくおねがいします!」

 自分にしては珍しく無難な挨拶が出来た。
 全員の挨拶が終わり、次の話へと進む。

「では、歌を始める前に準備体操をしましょう」

 歌の練習前の準備体操はやはりどんな先生の元でも必須のようだ。

「足を軽く開いて、手を腰に置き、首の力を抜いて頭を前に倒し、左、後ろ、右、前と大きくゆっくりと首を回して下さい。このとき、首の筋肉を伸ばす事も意識するようにしてください。何回か回したら反対方向にも回しましょう」

 講師の指示通りに首を動かして分かった。これは首の柔軟だ。歌っている時に、首を使っているなという感覚はよくあることだ。ゆえに歌には首の筋肉も使う事になる。だからこそ首の筋肉もほぐした方が良いんだろうなと言う事になる。

「次に、肩を上下に動かしたり、前回し・後ろ回ししましょう。肩の力が抜けたと思ったら止めてOKです」

 これもさっきと同じ事なのだろう。歌う際はあまり肩を意識しないが、歌いながら肩が堅いかな~と感じた事はある。

「次は背骨を伸ばして、まっすぐ立って下さい。両手を頭上に高く上げて。両手を今よりももっと高く高く伸ばしてあげる事を意識して下さい」

 これは腕や肩に結構くるな。周りのおじさん、おばさん方はキツい顔をしながら腕を必死で伸ばそうとしている。

「はい、おじぎするように上半身の力を抜いて、腕をだら~んとさせてください。そしたら膝を曲げてうずくまってください」

 おっ、これはなかなか良い。力を入れて身体を伸ばした後に、脱力する感覚がとても気持ちよいものだ。

「では、ここいらで発声の練習をしましょう」

 ここから先はカオスシンガースでもやっている同様の事であった。息を長く吸って長く吐くのを繰り返したり、音をつけながら「あ・え・い・お・う」と歌ったりした。

「ところで皆さん、発声練習では『あいうえお』ではなく、なぜ『あえいおう』を使うか分かりますか?」

 実際に口を動かしてみれば分かるかなと思って、口を動かして、その感覚に違いに気付いた。

「あっ」

「はい、塩川さん分かりましたか?」

 しまった。口につい出てしまったか。正解の確証はないが、なんとなく思った事を言おう。

「えぇと、『あいうえお』だと口ヲ開く大きさがバラバラに変わるって言う感じなんですが、『あえいおう』だと徐々に開く口の大きさが小さくなるっていう感じで、自然と発声しやすいかな~と」

「お見事、正解です!」

パチパチパチ

 同じ受講生のおじさん・おばさん方から拍手を受けた。

「ど、どうも……」

 自分は照れながらも、まわりに頭を下げた。

「では、楽譜の資料をご覧下さい。当講座ではこちらの曲を使って声楽のレクチャーを行います」

 楽譜を見ると、いかにも昭和初期に生まれたという感じの日本の曲が何曲かあった。

「AKT県出身の成田為像なりたためぞうさんの曲をご用意しました」

 聞いた事がある名前だ。以前サークルで、県民歌を聴いた時に作曲家はこの人だと教わったんだ。講師の先生がまず曲を音楽科の学生に歌わせて、それから曲の背景の解説を始めた。

ほほほああ~♪

 やはり音楽科の生徒だけあって歌のレベルが高い。ちょっと緊張して音程が安定していないかなという場面もあるが、それでも自分はあれぐらいの歌は歌えない。
 ここで、以前教わったAKT県民歌の話が出てきた。

「AKT県民歌は本来であれば、もっと名のある人に作曲をお願いする予定でした。しかし、ご都合が悪くかわりに成田為像が作曲をしました。結果的に三大県民歌の一つにもなるほどの名曲となりました。意外にもカラオケでも歌えたりするんですよ」

 おばさん、おじさん方が自分も歌ってみようかなと世間話を始めた。

「では、これより実践といきましょう」

 歌の指導のために、2つほどのグループに分かれた。どうやら音楽科の生徒が指導するようだ。或斗は自分のいないグループを見るみたいだ。自分のグループはおばちゃんとおじさんがいっぱいいるグループである。
 若い奴が自分だけなのもあって、自分に話かける人が多かった。

「私の夫が化学科でバイオの授業を教えているのよ。知っているかしら?」

「お兄ちゃん、歌が上手いね。合唱でもやってたのかい?」

 こんな感じでコミュ障の自分にポンポン話が飛んでくる。年上相手だとどうも気を遣うから気軽に喋れなくて疲れる。

はわわ~♪

 あれ、おじさん・おばさん方が思っていた以上に良い響きを出している。歌の上手さは褒められはしたが、これはもしやグループ内で自分が一番下手なんじゃないか? いかん、気合いを入れよう!

らりらら~♪

 なんだろうか。今日は不思議と声が響く。のびのびと歌えている感じがある。そういえば、いつも練習では悪いところを指摘されてばかりだったからな。気楽なおかげか、自分の実力を十二分に出しやすい感覚があった。



「今日の講座はこれでおしまいです。明日は皆さんに歌の発表をやっていただきたいと思います。明日も十二分に練習の時間をとりますので、自身の最高の歌をお聴かせ下さい。ソロでもいいですが、不安であれば複数人ペアでもよろしいですよ」

「ねえねえ、良ければ組まない? お兄さん歌上手いから、安心して歌いやすいのよ」

 講座を受けていたおばさんが声をかけてきた。もちろん、自分の答えは決まっていた。

「申し訳ありません。自分は一人でどこまで歌えるか試してみたいと思っています」

 明日、自分はソロで発表に挑む事を決めていた。
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