カオスシンガース

あさきりゆうた

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雨が隠したもの

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 ついにカオスシンガースの本番が始まった! 一曲目は「いつの日か王子様に」からだ。初めにソプラノとアルトの歌、つまりひじり左京さきょうのサビの歌声で始まる。そこから後を追うように、テノールの或斗あると、ベースの馬上まがみと自分で歌っていく。

ざわわ……

 或斗の男性ボイスに観客がざわついた。まあ初見で或斗を男と見抜くのは難しいし、誰もが誤解するところだ。しかし男とは言え女よりな声を出している或斗が凄いと思う。自分たちよりも音楽歴が長いこともあって、すごく良い音を出しているなと思う。
 ここまで女性陣も男性陣も緊張せずに良いメロディを体から出している。出だしの女性陣の声が良かったおかげか、自分と馬上の二人も好調な声で出だしを決めることが出来た。こういう場合、先頭バッターがずっこけると、後もずっこけるのが、世の法則みたいなところがある。女性陣は良い仕事をしていると思う。
 自分はベースというパートの性質上、単調な音を出していく感じだが「ベースがある・なしで曲全体の安定感が非常に違ってくる」と或斗が練習で言っていた。ゆえに気は抜けない。幸い、声を出してしまえば、先ほど自分を支配していた緊張がどっかに行った感じがある。
練習で体に身についたことをステージでそのまま出すかどうかだなと、体が理解して動いているようだ。歌っているから、当たり前といえば当たり前なのだが、今までの人生でこれ程集中して歌ったことがないかのような感覚だ。曲の最後のpedendsiペルデンドシも自然に決まり、曲が無事に終わった。
 よし、次は「ヤッホー」、自分のソロから始まる曲だ。気合を入れて……あれ、なんか、全身がさっきより硬い感じがある。曲が始まるタイミングはソロの自分が決めても良いと予め或斗に言われていた。
なので落ち着こうと思うが、自分が今作り出している数秒間の沈黙の間がとても重い。メンバーも異変を感じている。早く歌わなければマズイと焦ってしまう! しかし、このまま声を出すと失敗する! というのが直感的にすごい分かる。だが、もうこの時点でこれ以上は待たせてはいけない! という気持ちが自分を焦らせる。歌おう、なんとしても声を出すんだ!

「ヤッホーーーー……」

 なんだこれは……声がいつもより響かない……。
 全く響いていないわけではないが、声のボリュームが思っていたよりも物足りない。リハーサルの時以上の声が出なかった。

 失敗したのだ。

 そう思った瞬間、目玉に温感、何か出る感触、涙を流す前兆を感じた。いかん、こんな場所でそんなもの出してはいけない! 耐えろ!
 耐えるんだ!

「ヤッホ~~~~~~ッ!!」

 自分のヤッホーにやまびこのように他のメンバーが答える。歌に集中せよ! 涙を流すことを忘れるくらい歌の集中せよ! くそう!
涙なんて流すまい! 歌に集中しよう! 集中しよう!

 そう思っている間にいつしか曲が終わった。お客さんの拍手が鳴り響く。今の自分はとても無様な歌い手だ。それを胡麻化すために、礼儀に見える偽りの笑顔を作り、お客さんに向けた。



「皆お疲れ様! 初舞台であれだけ出来れば上等よ!」

 或斗がとびっきりの笑顔で皆に労いの言葉をかけた。

「……お疲れ」

 馬上はいつも通りの対応だ。

「やっぱ歌うのは気持ちいいぜ!」

 左京がやり切ったような表情をして言葉を発した。

「私疲れた~、ふぃ~」 

 聖は近くにあった椅子にだらしなく座っている。皆から言葉が出るが、自分は言葉を出す気になれない。いつもはちょっかいをかけるメンバーも察しているのか、視線を合わせようとせず、自分に声をかけない。
 
「審査を担当している長谷川さんから評価が出たわよ! ちなみに長谷川さんはアトリオンで歌っていることもあるから、気が向いたら行ってみるのもいいわよ。じゃあ評価内容を読むわね」

(カオスシンガースさん初めての合唱祭参加ですね。曲は私も幼いころに見たことのあるアニメが元ネタだったので、なんだか楽しくなりました。皆さん個々人の素質もなかなかよろしいかと思います。また、美男子美女揃いで、コスプレもなかなか良かったです。一番のお気に入りはテノールのお姫様ですね。これからのカオスシンガースの躍進を期待しております!!)

「結構良い評価ね。ちょっと甘口な気もするけどね」

「ふ~む、やっぱりアルちゃんのお姫様姿が評価されたか」

「やっぱこういうのって辛口じゃねえとしっくりこねえな、カレーも日本酒も辛口が上手いしな」

「……俺は醤油やかつおだしを入れた和風カレーがいい……」

「えぇ~わたし甘口だな! パイナップル入っているカレーが良い!」

「なに!? アデル、おめえの舌どうかしてんぞ! 学校の給食のカレーにパイナップル入っていたけど、あれは正気の沙汰じゃねえぜ!」

「私はスパイスのブレンド重視のインドカレーがいいわね」

 聖の発言をもとに、カレー談義が始まった。こんなくだらない話題でも30分間ぐらいしていたかと思う。

「あっ、そろそろ目ぼしい団体の演奏が始まるわね。また観客席にいきましょ♪」

 或斗の合図を皮切りに、メンバーがまた観客席へと戻った。

「すまん、ちょっと落ち着きにいく」

 自分はトイレに行って、今にも爆発しそうこの気持ちを沈ませにいった。



 合唱祭も閉会式を終えて、アトリオの前にカオスシンガースメンバーが集まった。

「じゃあ皆初舞台でお疲れだと思うし、解散しましょ♪ 月曜日にまた大学でね、お疲れ♪」

 一瞬「打ち上げ会とかやらないの?」という空気になったが、全員が察したかのように声を皆が出した。

「お疲れ~~!!」

 皆のお疲れの挨拶に合わせ、手を振りながら、自分は早々にその場を去った。



 メンバー全員バラバラに別れたように見えたが、セームを除き、聖、馬上、左京、或斗が集まっていた。メンバー皆が心配そうな表情をしている。

「ねえ、セームくんをあのまま一人にしていいの? 辛そうな顔をしていたよ」

「……しばらく一人にしておいた方が良い……男はかっこ悪いところを見せたくないもんだ……」

「そうだな、今はあいつを突き放すべきだ。あいつが一人で這い上がって来なきゃあ意味が無い!」

 聖、馬上、左京がそれぞれの考えを口にした。

「セーム君ってああいう男だけど、案外プライドのある性格なの。いつも皆にいじられているキャラではあるけど、歌に関するプライドは私以上よ。彼自身もしかしたら自覚は無いけど心底悔しがっているかもしれない」

「サークル辞めないよねセームくん……」

 聖が涙目ぎみになっている。

「彼を信じましょう。それがメンバーとしてできる事よ……」

「心配すんな! メンバーがいなくなったらその分あたしらが頑張れば良い! それが仕事ってもんだ! 男子がどうしても必要だっつうならそこいらにいる男子を脅して無理やり入れればいい!」

「左京ちゃん、前半はその通りだと思うけど、後半はダメよ」

「男子を脅すのがダメか?」

 馬上は左京に神妙な顔で話しかける

「……そんなことしたら……あいつの居場所がなくなってしまう……」

 聖がはっと気づいたかのように言葉を発した。

「あ、そうか、代わりの男子が来たら、セームくんがもう用済みって思っちゃうよね」

 左京が頭をかきながら申し訳なさそうな態度をとる。

「そ、そうか、そこまで気が回らなくてすまねえ!」

 残った4人はしばらくの間、何を話せばいいのか分からず、言葉が出なかった。



 メンバー解散後、自分は一人で家へ帰った。自分のアパートからアトリオまで歩けないこともない距離なので、今日は行きも帰りも歩きなのだ。今の時刻は夕方ごろか。雲に厚みがあるせいかあたりは暗く、雨も強く降っている。天気予報も見ていたので折りたたみ傘はちゃんと持っていた。しかし、帰る途中で傘をさすのをやめた。徐々に、自分の衣服がずぶ濡れに近い状態になる。でもこれでいい。なぜなら……

ふぇぐっ ひぐ

 全身、そして顔に降り注いでいる雨が、自分の流している涙をごまかせると思ったからだ。これで堂々と泣ける。涙は堂々と流すものではないけど、今は流したいのだ。それにしてもなんで、こんなに泣いているんだ自分は。本番で上手く歌えなかった。今までの自分の人生、失敗は決して少なくはないが、こんな感情になったのは初めてだ。とにかく涙が出てくる。

「もっと上手く歌えたはずなのに……」

 自分はその独り言を何度も何度も繰り返しつぶやいた。今はただただ辛い。



 後日、カオスシンガース愛用の市内のコミュニティセンターに四人の大学生がいた。その一人、聖が心配そうな顔をしている。

「遅いねセーム君……」

 左京が悪そうな笑みを浮かべ、拳をパキパキと鳴らす。

「ははぁん、あいつさぼりやがったな。見つけたらとっちめねえとな!」

 馬上は真剣な顔つきをしている。

「……このまま来なくなる可能性が大きい……」

 この状況に或斗はため息をつく。

「サークルの長として申し訳ないことをしたわね……」

 合唱祭後のカオスシンガースの練習に、セームの姿はなかった。
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