犬になりたい葛葉さん

春雨

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パンケーキパニック

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 わん、と犬よろしい返事をした夜更け。その後は別に何も無く、いい子いい子、そうされていると気付いたら2人とも寝入っていたらしい。翌日は休肝日、夜の店も全て休みにしておいてよかった、と朝起きると着替えを済ませた彼女がコーヒーを啜って読書をしているのが目に入った。
「あ、凪紗、起きた?」
「……うん。起きた」
「二日酔いとかは?」
「皆無、でもお腹すいた」
「いま10時半だよ、どっか食べに行く?」
「ええ。だるい……デリバリーがいい……化粧してないのに外あるけない……」
 ベッドの上でモゾモゾと動きながら、軽い柔軟をする。童顔に見られるとはいえ若くない、今年27歳。起き上がって自身の鞄の中からメガネケースを探すと、そのまま中に入れていた予備のメガネをかける。クリアになった視界で、ソファでスマホを眺める彼女の隣にちょこんと腰掛けてみる。
 夜中のことは夢じゃないよね。
 そう思いながら隣にいる彼女を盗み見ると、自分のスマホをスッと差し出される。そこに映ってる食事に、あ、希望通りにデリバリーしてくれるんだ、と少し嬉しくなる。
「何がいい?」
「あんまり重くないやつ……サンドイッチとかパンケーキがいいな……」
「いいよ、じゃあパンケーキにしよっか。ん~……あ、凪紗は甘いもの好き?」
「うん、好き」
「じゃあここのはどう?店舗まで食べに行ったことあるんだけど美味しかったよ」
「なら、それで。……バナナとチョコのがいい」
「決めるの早いなあ」
「選ぶの苦手だから、1番人気って書いてるやつ選ぶだけだよ」
「そっか。私は……プレーンのにしよ」
 もしかして、甘いものが苦手なのかな。とそのチョイスに思いつつ、まあ寝起きで生クリームは流石にしんどい(多分)、という気持ちも分からなくは無い。朝ぐらいは甘いものを食べたっていいはずだ、ダイエットしてるとはいえ、食べたら食べた分が贅肉になるとはいえ。
 彼女の長い指が注文ボタンを押すと40分程度で届くらしい。それならさすがにこの格好は着替えた方がいいだろう、袖が余るので恐らくはオーバーサイズのシャツなんだろう。丈が全然足りないのでパンツが見えるわけなんですけど。
「凪紗、シャワー浴びる?」
「いいの?」
「うん。パンケーキ届くまでに浴びておいで。服も貸そうか」
「あー……うん、借りてもいいかな。洗って返すよ」
「お風呂こっちね」
 先に立ち上がった彼女が当たり前のように手を差し出してくれる。その手を取って、改めて見ると私の部屋よりも広い部屋だなと思いつつ浴室に向かえば柔軟剤のいい匂いがした。
 白が基調のランドリールームに置いてあるバスタオルを洗濯機の上に乗せた彼女が「これ使って」と言うので頷けば頭の上に手が置かれる。
「いい子」
 好きになっちゃうからやめて欲しい。
 それだけ言って出ていった彼女の背中を見つめながら溜息を吐く。ほんと、勘弁して欲しい。
 他人の言いなりになるのも、奉仕するのも、その後に褒められるのも。全部好きだ。いい子だね、と褒められて育った私が1番好きな褒め言葉はどう足掻いたってそのワードで。なんでわかっちゃうの、洗面所の前でブラシを借りて髪を軽く梳かした後に服を脱いで肌寒いバスルームへと足を踏み入れるのだった。
(……高そうなシャンプーだ……)
 そこに並んだシャンプーボトルを見つめるラベルの説明が全部英語、ついでに書いてある文字は「Made in France」。忘れそうになっていたがお嬢様なんだっけ、と頭を濡らしながらシャンプーを手に取る。
 彼女について私は何も知らないし、私のことも彼女は何も知らない。やっぱり深夜のお酒の入ったノリで言われたのかな、とか思いながらも髪を洗う。びっくりするほどいい匂いがした。……ついでだから、トリートメントも借りておこう。普段なら面倒がって2日に1回ペースのそれもしっかり済ませて、身体も何となくいつもより入念に。身綺麗にしておく仕事をしていて良かった、と初めてキャバ嬢で良かったと感謝した。ちなみに、ボディソープは「Made in Italy」と書かれていたのでお嬢様のお金の使い道は一般庶民(貧困育ち)とはかなり違うらしい。
 いい匂いがする、と思いながらお風呂を上がると着替えが用意されていた。タオルで体を拭いて、用意された着替えに袖を通すと夏目さんは華奢だなあとしみじみしてしまう。用意されたLサイズのパーカーですら胸がちょっとキツいことは黙っておこう。
 適当にタオルドライも終えて、彼女のいる部屋に戻るとテーブルの上には昨夜の飲みかけのペットボトルが置いてある。ドライヤーも面倒臭いなあ、どこにあるか分かんなかったし来ちゃったんだけど、と
「ドライヤー、やってあげるからここおいで」
「え、いいの」
「うん。そのつもりで待ってた」
 神かな?
 彼女に促されるまま、彼女の足の間、ソファの下へぺたんと座り込む。用意されていたドライヤーの温風と細くて長い指が頭皮へ触れて、髪を梳くように乾かしてくれる。美容室ぐらいだなあ、他人に髪乾かして貰うのって。その心地良さにソファへともたれ掛かりながらぼんやりとする思考。まだ寝れそうかも、休日ずっと寝てるし。と思えば不意にチャイムがなる。
 あ、私のチョコバナナパンケーキ。
 そう思うと同時に、夏目さんの手が止まってインターホンの方へ向かっていく。その後ろ姿を見ながら、華奢だなあ、と思ってしまうのも無理は無い。私も痩せよう。
「もう少しで乾くから、乾いたら一緒に食べよ」
「……うん」
 そう笑った彼女を見ながら、好きだな、と思ってしまう。恋愛感情かは分からないけど、人としては相当好きだ。それに、本当にこうしてお世話してくれるわけだし。彼女が玄関先でパンケーキを待ってる間、何となく手櫛で髪を整えれば確かに8割はもう乾いていた。
 再度チャイムが鳴り響いて、パンケーキが入ったビニール袋を持った夏目さんが戻ってくる。それをセンターテーブルへと置けば、再度ソファに座り私の髪へと触れる。
「凪紗って髪の量多いよね」
「うん。縮毛もかけてる」
「そうなんだ。くせっ毛?」
「天パ」
「へー、見てみたかったなあ」
「可愛くないから嫌だよ」
 私の可愛いは金が掛かってるんだから、と喉元まで出かかった言葉を飲み込んだのはドライヤーが止まったから。すっかり髪も乾いたらしい、と振り向き彼女を見上げると予想よりも顔が近い。
 うわ、顔がいい、ほんと好み、ノーメイクでも目が大きいって何事?バグ?
 そうやって思わずまじまじと見つめていると、彼女の手が前髪を避けたかと思えば額に柔らかいものが触れた。
「パンケーキ、食べよっか。冷めちゃうし」
「う、うん、食べる、ます」
 何でそんなに平然としてるんですか、夏目さん。たかが額へのキスなのに、心臓がバクバクと音を立てている。パンケーキの味がしない、なんてことはなく普通に甘くてそれは美味しくいただいたのだった。
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