77 / 79
痛み、音 02
しおりを挟むなるほど、確かに電子書籍化されずに見捨てられたかのように放置されている理由がわかる。
作者的に黒歴史として闇に葬りたい、と思っているのかもしれないわ。
本を閉じ、本棚の隙間に押し込んでいると、治療室の扉がゆっくりと開いた。レイがひょこっと顔を出し、私を見つけた途端にペタペタスリッパの足音を響かせて近寄ってきた。そして私の目の前で立ち止まる。
「どうだった?」
「虫歯、だった。虫歯に荒らされてボロボロになった歯が欠けたの」
「あら大変。でも今日歯医者に来れて良かったわね。虫歯は早めに治療した方がいいわよ」
「他人事のように言うな」「まぁ他人事だし。歯が欠けたってことは結構奥まで進行していたの?」神経とか抜くのかしら? よく知らないけど。
レイは首を縦に振り、ふぅ……と一息入れた。発言するまでに少し間を置くように沈黙する。
「というか……抜きます」
「神経を? でもいいの? あ、子供の歯だった?」
「全部大人じゃい! 熟れたレディさ……じゃなくて、神経でも無くて」
「何を抜くのよ?」
「歯を」
「え、そんなに悪化していたの?」
「なんとなんと、親知らずに虫歯が発生していたのですよ」
おやしらず、なにそれ? と思った瞬間、そういえば奥歯の名前だと気づいた。
レイ曰く、虫歯が進行して欠けた歯は右下奥歯の親知らず、だったとか。
「親知らず、抜いていいんだっけ?」
「うん。なんか奥の方にあるから歯磨きしても綺麗にするのが難しいんだって。だから今回欠けた部分を埋めて治してもまた再発する可能性が高いらしい。幸い変な生え方してないから──私みたいな真っ直ぐ育っているから、30分くらいで抜けるとのこと」
「もう抜くの?」
「抜歯できる先生が今日いるから抜いちゃう? とニコニコされながら聴かれたんです。でも親知らずの虫歯について延々怖い話を聞かされたから殆ど誘導尋問!」
「……レイのお母さんに相談したの?」
「──抜け、と。私もあんたくらいの頃に抜いたよ、だって」
「じゃあ抜けばいいじゃない。ねぇ、ちょっと何で私の隣に座るのよ。治療室に戻りなさい」
「こ・わ・いよ~!」
レイは私に寄りかかりウネウネとうねりながら声を上げる。擦り寄られるとゾクゾクっとした甘い快楽を覚えつつ、私は心を鬼にしてレイを引き剥がす。
「ただ抜くだけでしょ?」
「麻酔して、引っこ抜くの! 麻酔だよ麻酔! 歯茎に注射! ぶすッ! って……あぁ~想像するだけで震えが止まらん!」ガクガクブルブルと大げさに震え始めた。
「今は昔みたいに麻酔の注射も痛くないらしいわ」
親知らずの抜歯について調べてみた。
やはり虫歯になった場合は抜くのが一般的らしい。
「よし、サクラ、一緒に中入ろう!」
「無理」
「そして私のお手々を優しく……でもがっちり掴んで下さい」
「レイは私に縋るほど、弱くないわ」「わかる。確かにその通り」「……うん? うん」「けどさ、時には弱い部分も露呈しちゃう、人間だもの。ってかちょっと見て帰ると思っていたから抜歯なんて不意打ちで怖いんですけど!」
「まぁそうね、だったら明日にしたら? 今日は突然の出来事に困惑しているので少し考えます、って」
「嫌いなことは後回しにしたくないタイプなんです」
「……はよ行け」
「だぁかぁらぁ~一緒に来てよ」
「しょうがないわね」「やった!」「治療室の扉まで見送ってあげる」
「ふぅ~~、それでまぁしょうがねぇ手を打ってやるか。はぁ、私の歯がバッシバシと抜歯されるのをここで1人孤独に待ってろ!」
「バッシバシと抜歯」
「……それ言うの辞めろ、恥ずい!」
「いや、あんたが言ったんじゃない」
「私の計算ではサクラがなんかツボに入ってケラケラ笑うの期待していたのに冷めた顔晒すのなんか解釈違い、裏切られた……」
レイに手を掴まれて立たされ、そのまま治療室の扉に向かう。
──本当にここまでよ、とレイを断ち切るように想いを込めた。
瞬間、ぬるっと何かが私の中に零れ落ちる。
え? と思った時にはその記憶がまるで血飛沫のように脳裏に広がった。
忘れていた……違う、思い出さないようにしていた。
あの時、
手のひらをカッターで切り裂いた時に、あの別荘の付近に町医者は無く、最寄りの救急病院に向かうにも数時間かかる。市販の痛み止めでは焼け石に水で全く痛みが収まらなかった。指先に無数に集中する神経がけたたましいサイレンを鳴らすかのように激痛が轟いた。狂う、と思った。寧ろ狂いたかった。でも狂えなかった。意識はあり、正常に思考が続く。ただただ痛いだけだった。心の傷すら凌駕しようとする肉体的な痛みに驚いた。
仕方なく近くにあった歯医者に向かい、どうにか痛み止めを処方して貰った。
という、記憶──。
「やれやれ、それでは……行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「……抜歯が終わったら、私くまたんの新しいフィギュア買うんだ」
レイは切ない表情を浮かべながら中に入っていった。
1人取り残された私は、傷が残っている手の震えを抑えるように肘を掴んだ。……震えてなんかいなかった。そういうフリ、をしているだけ。そうよね、もう過去の古い物語なんだから、私はいつまでそれに縛られて生きなければいけないの?
☆★☆★
「はぅぅぅ……」
──30分後。
治療室から出てきたレイは、よろよろと千鳥足で彷徨うように進みながら、私の隣に座り込んだ。
頬を手で押さえつけながら。
顔は苦痛に歪む……ではなく、顔面蒼白な感じで震えていた。今度は本気で震えている。
「大丈夫?」
「あぅぅ……」
「親知らず、抜けたの?」
レイは小さく頷いた。なんかとても弱っているわね……。私と背丈は同じくらいなのに、縮こまって座る姿から獲物から逃げ延びて震える小動物のような印象を覚えた。
「はぅぅ……」
「痛むの?」
「……いぁい、いはぁい……」
「麻酔したのよね?」
「もちろんしたよぉ。でも終わり間際に切れたみたいで……シクシクシクゥゥゥ! って抜けた穴が……はぁはぁはぁ。すぐに痛み止め飲ませて貰ったけどまだ効いてないの」
治療室に入るまでの怖がり方はレイ特有のフリで、実際のところ大したことありませんでした! って感じでいつものように陽気に飛び出てくると思っていただけに、痛々しい姿に面食らう。
その後料金を払い、歯医者を後にした。
レイは私に寄りかかるようにして歩く。
「まだ痛いの?」
「収まってきたけど……今度はじ~~~んってする……」
レイは頬を抑えながら言う。瞳には涙が滲んでいた。なんて愛らしい……じゃなくて、痛ましい姿なのかしら。可愛そうに。可愛そう。カワウソ。……本当に可愛そうと思っているわよ。何故かレイは訝しげな視線をぶつけてくる。
「あと少しで家につくから頑張って」
「おんぶしてくれ」
「……いいけど」
「やっぱいいや、多分落とされる。……抱っこできる?」「おんぶならまだしも、抱っこは絶対無理よ」
「サクラがムキムキだったら良かったのに……」
理不尽な批判を受けるも、今のレイは痛みで落ち着かない様子なので耐える。
それでもだんだんと痛み止めが効いてきたのか、肩で息をすることもなくなった。
「ちょっと痛みが収まってきたかも……」
「歩ける?」
「あああ、歩いた時の振動が響くぅぅ……」
ゆっくり亀のような速度で進み、レイの家にたどり着いた。レイはよたよたとよろめきながらソファに横になり、体を丸めて動かなくなってしまう。
「本当に大丈夫?」
「ただ単純に痛いのです……。薬を、薬を……」
「さっき飲んだばかりでしょ? これ……大量に服用しても効果に大した差は無いわよ」
「そうなの?」
「えぇ。あと数時間経過して、また痛みが非道くなったら飲みなさい」
──あの時、燃えるような痛みに耐えきれず、多めに飲んだことがあったけど、痛みはあまり収まらなかった。寧ろこれだけ飲んでも意味が無い、まだこの地獄を耐えなければならないの? と絶望した記憶が蘇る。
「サクラぁ……」
「ん?」
「あ、……やっぱ、なんでもない」
──サクラ来て~!
と普段なら言うはずなのに、どうして? と疑問が湧き上がる。体が反射的にレイの下に向かおうとしていたので、おかしな感覚に戸惑う。でもレイも顔をひょこっと揺らして一瞬私を見たから同じことをどうやら同じことを考えてるみたいね。
「……今日の夕食はどうする?」
「なんかお母さんがサクラちゃん泊まりに来るんでしょ? ってカレー作ってくれた。一晩経ったカレーは美味いぞ~!」
「レイのお母さんの作るカレー美味しいのよね。でもレイ食べられるの?」
「え、あっ……」
親知らずを抜歯した直後の状態で、刺激的なルーが流れ込むカレーを食べても良いのかしら?
ネットで調べると麻酔が切れるまでは食事を控え、術後当日はお粥などの傷痕に触れにくい食事にしたほうが良いとのこと。
「う~ん、カレーってさ、お粥の仲間っぽいからいけるかな?」
「いや違う、国が、文化が違うわ。もしも傷痕に触れたら染みるわよ」
「うぅぅ、確かに。……それじゃあ申し訳ないけど、コンビニかスーパーでお粥とあと、あのゼリー買ってきてください」
「いいわよ。それだけでいいの?」「あとくまたんチョコ。なんか親知らず抜歯の後はくまたんのおかげで痛みが引きました! 救われました! ってネットに書いてある!」「書いてねぇ」
☆★☆★
//続く
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説

とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話
釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。
文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。
そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。
工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。
むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。
“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。
兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。
工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。
二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。
かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。
ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

さくらと遥香(ショートストーリー)
youmery
恋愛
「さくらと遥香」46時間TV編で両想いになり、周りには内緒で付き合い始めたさくちゃんとかっきー。
その後のメインストーリーとはあまり関係してこない、単発で読めるショートストーリー集です。
※さくちゃん目線です。
※さくちゃんとかっきーは周りに内緒で付き合っています。メンバーにも事務所にも秘密にしています。
※メインストーリーの長編「さくらと遥香」を未読でも楽しめますが、46時間TV編だけでも読んでからお読みいただくことをおすすめします。
※ショートストーリーはpixivでもほぼ同内容で公開中です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
乙男女じぇねれーしょん
ムラハチ
青春
見知らぬ街でセーラー服を着るはめになったほぼニートのおじさんが、『乙男女《おつとめ》じぇねれーしょん』というアイドルグループに加入し、神戸を舞台に事件に巻き込まれながらトップアイドルを目指す青春群像劇! 怪しいおじさん達の周りで巻き起こる少女誘拐事件、そして消えた3億円の行方は……。
小説家になろうは現在休止中。

隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)
チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。
主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。
ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。
しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。
その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。
「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」
これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。

Color4
dupi94
青春
高校一年生の岡本行雄は、自分のすべてから目を背けるほどの事故から始まった悲惨な中学時代を経て、新たなスタートを心待ちにしていた。すべてが順調に始まったと思ったそのとき、彼は教室に懐かしい顔ぶれを見つけました。全員が異なる挨拶をしており、何が起こったのかについての記憶がまだ残っています。ユキオは、前に進みたいなら、まず自分の過去と向き合わなければならないことを知っていました。新しい友達の助けを借りて、彼は幼なじみとの間の壊れた絆を修復するプロセスを開始しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる