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私とレイの出会い 03
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「水族館?」
「うん、なんか昨日誘われた。一緒に行こうって」
「ふうん」
「もちろんサクラも、だよ」
全身がジリジリと焼かれるような暑さから避難するため、私たちは喫茶店に入った。レイは新作の甘さてんこ盛りミルクティを美味しそうに呑んでいる。私はアイスコーヒー。コーヒーはホットが一番美味しいと思うけど、流石にこの気温でホットを頼むほど頭茹だってはいないわ。
「……え、私も?」
「柊さんも誘ってよ~、ってお願いされたんだ」
「レイ一人で参加したら?」「えぇ、私人見知りだから無理です。一緒に行こう~。サクラの背後に隠れないと辛い」「あんたのどこが人見知りよ。その逆でしょう」「私はこう見えて明るいキャラを作って頑張っとるのです。実はコミュ障なんだ」「出た、自称コミュ障という名のハードル下げ。私コミュ障なんです~ってしおらしくアピールするクセに分け隔てなくべらべら喋りまくるのよね」
クラスの子から今度の休みに水族館に遊びに行こう、と誘われたとか。
……私も。
何故?
レイは私以外にも普通に話せる友達がクラスにも居る。誘われるのもわかるけど、私は初日の音楽の授業のイメージがまだ抜けないのか、クラスメイトと少し壁を感じる。でもレイが隣に居るから気にしない。
「水族館って近くにあるんだっけ?」
「電車で30分くらいのとこ。イルカショーや珍しいクラゲを飼っているみたいで結構人気あるっぽいよ」
「クラゲ……」
「そうそう昔海で泳いでいたら青いブヨブヨした塊が近寄ってきてさ、怖くて逃げたけど、後になって調べたら猛毒を持っているクラゲで、好奇心に負けて触らなくて助かったよ。刺されたらビリビリに痺れて運が悪いとそのまま窒息死、だってさ」
ビリビリ、まぁレイに触れると痺れるような感触を覚える。
ピリピリって、素肌に触れると。
……こんな感じで。
「夏は暑いんだからベタベタ触ってくるの辞めなさいって言ってるわよね」
「私の肌、ひんやりするでしょ?」
「しない。汗でベトベト」
「非道い……」
レイの指が剥がれる瞬間、いつもの痺れる感覚を味わう。当初は驚いたけど、今ではその感触がクセになっていた。もっとレイにぎゅっと掴まれたい、触って欲しい……そう願う私が存在する。バカ、アホ、何変なこと考えてるのよ! と私を貶すけど、この子の家に泊まる時とか、一緒のベッドで眠ると無意識の内に触ってしまう。レイを起こさないように気づかれないように、と。多分気づかれてると思うけど……。
クラゲ──。
痺れるような毒を持つ。
ふとレイを見つめる。レイはちゅぅぅぅ……とストローを加えながら首を傾げる。可愛い。ぞわっと寒気がする。気を抜いてる時にレイを見つめるとその強烈な美少女さに戸惑う。私は内心悶えつつもレイを眺める。ふんわりと広がる綺麗なボブカットはシルエット的にクラゲに見えなくもないわね。触ると痺れるし、毒みたいな魅力もある──。
「レイはもしかしてクラゲなの?」
「へぇ、いつから知ってたの……クラ?」
「……」
「クララララ!」
「で、その水族館は来週の土曜日?」「無視しないでぇ。あのさ、私がね、今せっかくサクラちゃんのわけわからんフリに全力で応えてあげたというのに……」「だって顔赤くしながら変な鳴き声も発したし、なんか私まで恥ずかしくなる」「おまっ……クラゲの声を再現したの!」
「声帯ないじゃない」
「きっとクラゲにしか理解できない言語で仲間と意思疎通してるんだよ」
「内蔵と皮しかない生物なのに? 無理でしょ」
「うわぁうわぁうわぁ……霊長類の傲慢ここに極まれり。ちょっと頭良く進化したからって生物界のトップに君臨してるみたいだけど、いい? この星では人間だって生命の一つに過ぎないんだよ。平等な命なのだ。他の生物をあまり馬鹿にするな!」
「じゃあ部屋に蜘蛛が出たっていちいち私を呼んで殺させるな」
「虫は殺そう。あれは宇宙人がこの星を観察するために放ったバイオ・スパイだから。手足合計五本以上持つ生物は滅亡させても大丈夫! というか絶対滅亡させるべき!」
「……エビやカニは? 外見は巨大な虫よ」
「まぁよく見るとキモいけど、美味しいから特別許してやるか」
「さっきの言葉そっくりそのまま返すわ」
──レイの部屋に蜘蛛が出た時は最悪だった。突然私を自宅に呼び出し、部屋に招き入れ、ジュースを取ってくるフリをして私を置き去りにし、扉を外から閉めた。そして部屋の隅に殺虫スプレーと箒があるから、部屋に蠢く巨大蜘蛛を殺せと命令してきたの……。まぁ確かに蜘蛛は手のひらサイズもあり、レイが怖がるのも無理ないけど私だって怖いっての! 扉は開かず、私は涙目になりながら蜘蛛と格闘し、どうにか撃退することができた。あの時はもうレイの友達やめようかしら……と思ったけど、その後ぎゅうぎゅう抱きしめられて、なんかどうでもよくなってしまった……。
「来週の土曜日は何も予定ないでしょ?」
「……えぇ」
だってレイと遊びに行くつもりだったから──。
最近というか、レイと知り合うようになってから常に一緒に行動していた。レイと離れて過ごす時間の方が……短いかも。このまま夏休みはもちろん、年越しする時も一緒に過ごす勢い。それでも、レイと二人きりで過ごせる時間が減るのは、なんか嫌だった。
☆★☆★
私は水族館に一度も訪れたことがなかった。
特に行きたいと思ったことは無いし、周りの人からも誘われたことが無かったから。よく遊びに連れて行ってくれたあの人も、遊園地や某ネズミーランドは好きだったらしく一緒に行ったけど、水族館は興味無かったわね……。
水族館に到着すると、もう皆集まっていた。私を含めて男女計八名。もちろんレイも居る。皆同じクラスの子。すでにクラスでは様々なグループが出来上がり、その内の男女が混ざっているグループの一つだった。彼らとは席が近いから授業のグループで時々一緒になることもあり、そこそこ喋ったことはあるけど、やっぱり誘われるのは不思議──不可解ね。
ひんやりと冷やされた館内はなんか肌寒いわ。
休日だけど人は少ない。店内が薄暗いからか、私たちは若干落ち着いた感じで、優雅に泳ぐ魚や身動き一つしない生物達を観察する。最初は巨大な水槽に入っている魚を見るのがどうして楽しいのか謎だったけど、実際に訪れてみると可愛い魚や愉快に泳ぐ生物の躍動は新鮮な感動を覚えて、結構楽しい。
けど、皆で行動するのは最初の十五分間だけだった。
館内の中心辺りに到達したところで、お昼の少し前にイルカショーがあるから、それまで個々に館内を散策することになった。私はレイと……と思ったけど、一人の男子が近づいてきて、一緒に行きません? って声をかけてきた。
──うちのクラスでよく私に声をかけてくる男子だ。
──前にレイが教室の掃除用具入れに潜んでいた時に教室に残っていた人で、あれ以来何かと声をかけてくる。
──背が高く、爽やかな短髪で、レイ曰く最近流行りの俳優に似ているらしく、クラスでもそれなりに人気があるとか……。
ちょっと、レイ……。
思わずレイを探していた。どうせ私をニヤニヤ眺めているはずなのに、どこにも居ない。
嘘でしょ。
ふわっと体が一瞬無重力になるような孤独感。
迷っていたけど、柊さんと呼ばれて──あぁ、私って柊って苗字だったんだとなんか思い出した。最近ずっと私は「サクラ」と呼ばれていたから。……もう逃げることもできない。彼の後を追いかけた。
☆★☆★
テニス部。
日に焼けた肌が逞しさを感じさせる。がっしりと筋肉を纏った体型。
まだ一年だけど、中学の頃から硬式テニスのスクールに通っていたので先輩よりも上手く打てるとか。次の公式戦では団体戦のメンバーにも選ばれ、毎日遅くまで練習している。──今日は? 他の部活とのグラウンド調整の関係で練習が消え、だから偶然参加できた、と語る。
特にこれといった共通の話題も無いので、テニスについて聴いた。すると彼は饒舌に語る。テニスって時々ニュースで誰々が勝った負けたくらいの知識しか無いので、点数の数え方から知らない。そう伝えると、彼は軟式と違って硬式なので一風変わった点数の数え方からラケットの持ち方まで楽しそうに喋った。
公式戦に出場できても団体戦のダブルスとなってしまう。本当はシングルスで出場できるようになりたいが、強い先輩にはまだまだ歯が立たない。けどいつか乗り越えてやる! と嬉しそうに瞳をキラキラ輝かせながら語っていた。
未来を。
本当にテニスが好きで部活動をしているのね、と悟った。
──柊さん、部活は?
帰宅部。
──何か入ったりしないの?
体動かすの苦手だし、文化部も今更入れないでしょ。
──そういえば、いつも天彩さんと一緒に居るよね。
えぇ、仲良いから。(友達だから親友だから私はレイのこと──レイとの会話っていつも停滞してるわだからか彼が語る未来についての話題は新鮮)
──天彩さんって最初モデルかと思ったよ。
わかる(!!!!!!!!!!!!! レイを褒められると嬉しくて嬉しくて堪らない)
「あ、クラゲ……」
薄暗い空間で、ブラックライトに照らされながら優雅に輝くその姿はとても神秘的だった。時々妖しく輝き、思わず目を奪われる。
綺麗……。
内臓と皮だけ……と言ってしまったことがなんか申し訳なくなる。
シルエットは少しレイに似ているかも。ふふっと笑うと、彼はもがくようにまた色々と語りかけてくれる。私は笑ってそれに応える。
ふぅ……。
別に、私だってそこまでバカじゃないから、どうして二人きりになったのか、どうして私が誘われたのか、その理由も大体察せられる。
彼は、そこまで退屈な話ばかりじゃないし、正直なところレイとは異なる魅力を感じた。
一生懸命に私を楽しませようと頑張ってるし、それはかなり大きな成果を上げている。初めはレイが消え、一人取り残されて恐怖を覚えた。同じクラスだけど赤の他人と僅かな間でも一緒に過ごすのは恐怖を覚えた。けど、この人は若干抜けている部分を感じさせるも気さくで楽しい人だった。クラスでも皆から愛される理由がなんとなくわかる。それに、あの授業についてもちろん知っているので、私のピアノについても本当は色々根掘り葉掘り聞き出したくて堪らないはずなのに、そんな気持ちは毛ほども出さずに接してくれる。
私の中で色々なモノがグラグラと歪んでいるのを感じている。
必死に押さえつけようとすると、また別の箇所が崩壊を初めて何かが崩れ落ちる。そしてその中に潜んでいた存在が、姿を晒し始める。
数ヶ月レイと一緒に過ごし、私の中の割合を殆どレイが占めている。
けどそれは、
私には、
レイしかいないから、
かもしれない。
私は、
ピアノから離れ、
母から突き放され、
あの人から☆★され、
学校では最初の授業で皆に怖がられたから、もう一人でいいや、そう投げ出した。
色々と。
全部。
全部私の人生とか。たった一つの夢を投げ出した程度でそう諦めて、もっと他にもたくさんあるんだからくよくよせずに頑張ろうって気安く思わないで私は、そんなに簡単に捨てたんじゃないの。無数の努力と後悔と失敗と恐怖と喜びと賞賛を積み重ねて、到達できないと自分自身に言い聞かせた。積み重なった私の夢は音も無く崩れ落ち、残ったのは恐怖だけ。
──また、この苦しみを抱きながら歩まなくてはならない。
──叶う、なんて保証も無いのに。
──才能なんか私が一番無いってわかっているのに、それでも夢だから。
──母に認められたくて、母のようになりたくて、あの人に注がれる母の眼差しを私にも……。
断腸の思い、──私の場合は手を切って、もうピアノに触れないように、触れようとしたらこの痛みを思い出して絶対に弾けないように、と願いを込めて。
辛かった。
私だけがその傷と痛みを抱きながら生きていくつもりだった。けど、それをレイに悟られて、同じ夢を諦めた人間だよ、と……。
レイしかいない。
だから私はレイに依存していた、と思っていた。可愛いとか可愛いとか可愛いとか、それも全部自分に言い聞かせているだけで、本当はレイだけしか逃げる場所が無いから、依存してるんじゃないの?
「そろそろイルカショーが始まるから、行きましょう」
不意に私が彼を呼んだ。
逃げるように。
レイに、会いたい。
☆★☆★
イルカってあんなに空、飛べるのね……。
吊るされたバルーンに向かってイルカが元気よく跳ね上がり、コツン! と口先でつつく。
水面に着地するたびに水が跳ね上がり、観客に降り注いで悲鳴が上がる。
レイは……。
私が座ってる席の一つ前で、ちょうど対角線上の位置に居る。喋るには大声を出す必要がある。
近くに居るのに……。
お互い顔の見えない場所に居るのならともかく、こうして認識できる距離なのに話せないのがもどかしい。隣の男子と楽しそうにはしゃいで──。
まぁそうよね……と観念していた。
嫉妬にすら至らない出来損ないの感情。
イルカに集中しよう……と思っても、どうしてもレイを観てしまう。目が合わないかな、と期待するけど、レイは私のことを見てくれない。
「……え、わぁ!?」
私の不意を突くように、イルカが大量の水を私たちに向けて浴びせた。びちゃびちゃびちゃ! と音と主に水が体を打つ。ぐしょっと濡れた。皆心配しながらも私の濡れた姿が面白いらしく、笑っている。私もつられて笑っていた。──レイは? レイも笑っているけどねぇあんたそんなつまらない笑い方する人じゃないでしょう?
それ以上は何事も無くイルカショーは終わった。
笑った時以外レイは私を一度も見なかった。
私は一人トイレに向かい、戻るとレイが居ない。
天彩さんもトイレに行ったみたいだけど……、と皆言う。十分ほど経過してもレイは戻ってこない。連絡しようとすると、なんとスマホの電波が入らない。私だけじゃない、皆のスマホも。
「もしかしたら、レイ迷子になってるかもしれない。探してくる」
返事を待たずに私は彼らから離れていく。「すぐ戻るから」足音がしたので振り返り、私を追いかけてくるテニス部の彼を振り払う。
☆★☆★
館内に残っている人もスマホの電波が繋がらないと口にしていたので、もしかしたら全国的に繋がらない状態に陥っているのかも。鞄の奥にスマホをねじ込んで、駆け足でトイレに向かった。
どの個室も空いている。
レイは戻ったの?
……それとも。
私は彼らの待ち合わせ場所とは反対に向かって駆けた。館内は走らないでの標識が目に入ったけど、今はそんなこと気にしてる場合じゃないの。
明かりが消え、バックライトに照らされるクラゲの部屋に出た。
クラゲたちは異様な光を放ち、ふわふわと自由気ままに泳いでいる。
先程私たちが訪れた時とは異なる色合いを見せ、意思があるかのように蠢いている。
周りのクラゲが全部レイに見えて、私は頭がおかしくなったのかと混乱しそうになる。
ふと振り返るも、レイは居ない。レイのことだから逆に私を尾行してる可能性があるけど見当たらない。
館内を更に奥深く進むと、別の展示室に出た。
先程のクラゲ展示とは異なる暗さ。
薄気味悪い空間。埃っぽい匂いというか、陰鬱とした空気が漂っている。人も居ない。私はもう一度スマホを確認する。電波はまだ復旧していない。
展示されている巨大な魚に面食らう。おとぎ話に登場しそうな往々しい名前がつけられているけど、その迫力満点な姿には相応しい名前なのかもしれない。これも深海魚なのね。レイを探していることを忘れ、細長い姿に見入っていると、尻尾の先、その奥の薄暗い部屋の中で、レイがじっと展示された魚を眺めている姿を発見する。
「あんた……」
「あ、サクラ」
「なんでこんなところに居るのよ」
レイは深海魚の展示室の奥にある小さな階段に腰を降ろしていた。
「道に迷っちゃった。しかも電波が届かず助けも呼べない有様」
「迷うほど複雑じゃないでしょう」
「方向音痴だから」
レイは惚けた顔で、私から視線を離して前を見つめる。その視線を追うと、ホルマリンで拘束された深海魚が目に入った。先程の銀色のまだ魚らしい姿と異なり、黒に近い体色に、異様に大きく開けた口は怪物としか思えない。退化した白色の瞳が痛々しい……。
「うーんグロテスク」
「まぁ、そうね」
「きっと前世で相当罪を重ねた人が転生した姿なんだよ。こんなグロテスクな姿に転生させられて、しかも光が全く届かない深海に追いやられて、はぁ可愛そうに……」
「転生?」
「私、輪廻転生信じる派だから」
「たまたま進化した時に、深海の方が住みやすいって思って自ら移動したのよ」
「そうかな~。だって深海から上がろうとすると、水圧の関係で内臓がどばって口から出ちゃうんだよ。閉じ込められてるの、深海に──」
「どうしたの?」
レイの普段と異なる雰囲気に声をかけたけど、無視して深海魚を凝視する。
「なんかこういうグロテスクな深海魚ってホント可哀想だよ。過酷な深海に追いやられて、もうそこで生きるしか道は無いのに、何を思ったのか時々浅い海まで出てきしまう。そして身の程を知って、敢え無く内臓が飛び出てしまうのです──」
にぃっと微笑んだ後、私を見つめる。
私はそれを無視して、レイの隣に座った。
……あああ、滅茶苦茶落ち着くわ。
さっきまでのふわふわした感覚が消え去り、地に足がつくような安心感を覚えた。
「どうだった?」
「イルカショー? イルカって空飛べるのね」
「じゃなくてぇ、あの人。サクラと一緒にイチャコラしてた人」「してない」「連絡先交換した?」「ううん」「グループに私が載せとく?」「しなくていい」「あれ、お気に召さなかった?」「いい人だと思うわ」
「ふうん」
「何、その含みある”ふーん”、は?」
レイはくっくっくと小気味よく微笑む。
「だってサクラはボロクソにこき下ろすかと思ったの。私の体目当ての精液臭い不貞てぇ野郎だ! こっちからお断りしますだ、って」
「非道い言い方」
「男子なんて一皮むけば皆そんなものさ。あんな好青年装ってるけど、きっとファミレスやコンビニの店員さんに横暴な態度見せるよ。あと度々お金貸してとねだったりさ。サクラは男飼う感じのタイプだ」
「全然普通だったわ」
「そりゃ猫かぶっとるんだよ」
「レイ……」
睨むとわざとらしくしゅんとする。「どういうこと?」
「ん?」
「あの人、私に気があるから二人だけにしようと、そのために今日は水族館に誘ったの?」
「ううん遊ぼうって普通に誘われただけだよ。……え、そんな裏があったなんてびっくり仰天だよ」
「う、そ、つ、け」
「ホントだよ」
「……別に彼氏とか欲しくないから」
「そっか」
レイは無表情で言った。その声色からも何も感じ取れない。
……レイは、私と同じく男子と二人きりになった。レイはどうだったの? と聞けない。
怖くて……。
レイは何故今日のセッティングしたのか。私なんてどうでもいいの? もし私がさっきの彼と仲良くなり、そのまま付き合っても大丈夫なの? 別にその妄想に関して嫌悪感を抱くことは無かった。私がこの学校でレイと出会わず、普通に学園生活を謳歌していたとして、その時に彼と仲良くなり、そして告白されたら、私は……。
レイは立ち上がると大きく腰を伸ばした。うーんと唸り、そして再び座る。……え「ちょっと、何?」
私の膝の上に、レイは腰を降ろした。
私と向かい合う格好になる。
スカート越しにレイの感触がもっちりと広がる。
「お、重い……。ってか、こんな外でいきなりどうしたの?」
「ううん、なんか今日はずっとサクラに触ってないから……補給」ふぅ……とため息をつく。
「ふざけないで」
「駄目?」
顔が近い──。
膝に乗っている分、僅かにレイが高いけど、首を曲げて私を覗き込んでくる。レイの体温や匂いが降りかかり、私の体が嬉しくて震えているのが自分でもわかる。レイが補給とかほざいたけど、むしろそれは私の方かもしれない。
「誰か来たら……驚かれるでしょ」って口だけもっとくっついてよ。
「ただ膝の上に座ってるだけじゃん」
「レイ、降りて、足が潰れる」ピリピリさせて。
「私も膝立ちな感じだからそんなに重くはないでしょ」その通り……。
重しのように膝の上に乗られ、両手を握られるともう何もできない。また、レイのペースだ。主導権はいつもレイにある。私はそれに抗えず、レイの思うがまま、私は弄られる──それを待ち望む私が居た。
ぎゅっと強く握られると指から生暖かい何かを流し込まされているようでドキドキする。獲物を捕らえた捕食者が、逃げないように毒を注ぎ込むように。やっぱりレイはクラゲ?
「試したの?」
「ん?」
「私が……レイから離れるかな」「自意識過剰というか、そこまで考えてないよ」
「いいの──」「私から離れても?」
「……台詞を取るな」
「でもそれってさ、私が決めることじゃないじゃん。サクラが決めることだよ、うん」
「私はイヤ。反対の立場でも同じ。レイが……誰かと付き合って、私から距離取るようになったら……ムカつく」腹立つ悲しい苦しいイヤだ私以外を好きにならないで、と喚く自分に出会う。元から私の中に存在したはずなのに、今初めて知った気分。
「でもホントのところはどうかな~。今日のサクラ、普通に皆と仲良くできたじゃん。もっと友達と一緒にいられないかと思ってた。でも、テニス部の人とも仲良くしていたし、案外へっちゃらなんだね。楽しそうだったよ」
「えぇ、それは否定しない。けど……」
「けど?」「彼、なんかキラキラ夢語り過ぎで、眩しいの」レイが良い……。未来を語らず、私たちお互いの傷を舐め合うような関係性は、怠惰な安らぎを覚えるの──。
それでも迷っている。
レイに触れて嬉しいのはただの逃避、だけなのか。それとも、レイのこと大好きだからなのか──。
「明日予定ある?」
「申し訳ないけど、秒単位でスケジュールが組み込まれてます」「真っ白なクセに」「バレたか」
「また、水族館行きましょう」
「……いやいや、もう来てるじゃん」
「だから明日」
「連チャンで?」
「えぇ、明日はレイと二人で回りたい」「二日分のお金無い……」「貸すから」「やったー!」
レイと遊ぶ方が、今日彼と一緒に回った時よりも数千倍楽しいと、自分に証明したい。
そして私が、
私が、
私が……こうしてレイと手を繋いでいるのは、初めはただの逃避だったかもしれない、けど、今は違う。私がただただ純粋にレイのこと、好きだから、それを認めたいの──。
──もし違ったら?
──楽しいとか、楽しくない以前に、今日の方がレイよりも充実していると思ってしまったら。
……そんなの一瞬だってありえない。
「そんなに水族館が気に入った?」
「クラゲ、レイとそっくりだったわよ。もっと観察しましょう」
「しょうがないな……」
コツン、と額が当たる。
「レイ……」
「ん?」
「そう簡単に……投げやりに手を離すようなこと、しないで」
ギリギリの言葉だった。何かのはずみで砕けてしまいそうな感情を必死に押しとどめて、レイに伝える想い……。本当は単純に好きと伝えたいけど、その意味──私自身もまだ完全には理解できていない『好き』をレイに知られ、もしも私の理想とは異なる返事が帰ってきたら、そう思うと怖い──。
ややあってから、レイは口を開く。
「明日は一日ずっと手を繋いでもいい?」
恥ずかしいと思ったけど、レイが覚悟を決めた表情をしていたので、頷いた。
☆★☆★
//続く
「うん、なんか昨日誘われた。一緒に行こうって」
「ふうん」
「もちろんサクラも、だよ」
全身がジリジリと焼かれるような暑さから避難するため、私たちは喫茶店に入った。レイは新作の甘さてんこ盛りミルクティを美味しそうに呑んでいる。私はアイスコーヒー。コーヒーはホットが一番美味しいと思うけど、流石にこの気温でホットを頼むほど頭茹だってはいないわ。
「……え、私も?」
「柊さんも誘ってよ~、ってお願いされたんだ」
「レイ一人で参加したら?」「えぇ、私人見知りだから無理です。一緒に行こう~。サクラの背後に隠れないと辛い」「あんたのどこが人見知りよ。その逆でしょう」「私はこう見えて明るいキャラを作って頑張っとるのです。実はコミュ障なんだ」「出た、自称コミュ障という名のハードル下げ。私コミュ障なんです~ってしおらしくアピールするクセに分け隔てなくべらべら喋りまくるのよね」
クラスの子から今度の休みに水族館に遊びに行こう、と誘われたとか。
……私も。
何故?
レイは私以外にも普通に話せる友達がクラスにも居る。誘われるのもわかるけど、私は初日の音楽の授業のイメージがまだ抜けないのか、クラスメイトと少し壁を感じる。でもレイが隣に居るから気にしない。
「水族館って近くにあるんだっけ?」
「電車で30分くらいのとこ。イルカショーや珍しいクラゲを飼っているみたいで結構人気あるっぽいよ」
「クラゲ……」
「そうそう昔海で泳いでいたら青いブヨブヨした塊が近寄ってきてさ、怖くて逃げたけど、後になって調べたら猛毒を持っているクラゲで、好奇心に負けて触らなくて助かったよ。刺されたらビリビリに痺れて運が悪いとそのまま窒息死、だってさ」
ビリビリ、まぁレイに触れると痺れるような感触を覚える。
ピリピリって、素肌に触れると。
……こんな感じで。
「夏は暑いんだからベタベタ触ってくるの辞めなさいって言ってるわよね」
「私の肌、ひんやりするでしょ?」
「しない。汗でベトベト」
「非道い……」
レイの指が剥がれる瞬間、いつもの痺れる感覚を味わう。当初は驚いたけど、今ではその感触がクセになっていた。もっとレイにぎゅっと掴まれたい、触って欲しい……そう願う私が存在する。バカ、アホ、何変なこと考えてるのよ! と私を貶すけど、この子の家に泊まる時とか、一緒のベッドで眠ると無意識の内に触ってしまう。レイを起こさないように気づかれないように、と。多分気づかれてると思うけど……。
クラゲ──。
痺れるような毒を持つ。
ふとレイを見つめる。レイはちゅぅぅぅ……とストローを加えながら首を傾げる。可愛い。ぞわっと寒気がする。気を抜いてる時にレイを見つめるとその強烈な美少女さに戸惑う。私は内心悶えつつもレイを眺める。ふんわりと広がる綺麗なボブカットはシルエット的にクラゲに見えなくもないわね。触ると痺れるし、毒みたいな魅力もある──。
「レイはもしかしてクラゲなの?」
「へぇ、いつから知ってたの……クラ?」
「……」
「クララララ!」
「で、その水族館は来週の土曜日?」「無視しないでぇ。あのさ、私がね、今せっかくサクラちゃんのわけわからんフリに全力で応えてあげたというのに……」「だって顔赤くしながら変な鳴き声も発したし、なんか私まで恥ずかしくなる」「おまっ……クラゲの声を再現したの!」
「声帯ないじゃない」
「きっとクラゲにしか理解できない言語で仲間と意思疎通してるんだよ」
「内蔵と皮しかない生物なのに? 無理でしょ」
「うわぁうわぁうわぁ……霊長類の傲慢ここに極まれり。ちょっと頭良く進化したからって生物界のトップに君臨してるみたいだけど、いい? この星では人間だって生命の一つに過ぎないんだよ。平等な命なのだ。他の生物をあまり馬鹿にするな!」
「じゃあ部屋に蜘蛛が出たっていちいち私を呼んで殺させるな」
「虫は殺そう。あれは宇宙人がこの星を観察するために放ったバイオ・スパイだから。手足合計五本以上持つ生物は滅亡させても大丈夫! というか絶対滅亡させるべき!」
「……エビやカニは? 外見は巨大な虫よ」
「まぁよく見るとキモいけど、美味しいから特別許してやるか」
「さっきの言葉そっくりそのまま返すわ」
──レイの部屋に蜘蛛が出た時は最悪だった。突然私を自宅に呼び出し、部屋に招き入れ、ジュースを取ってくるフリをして私を置き去りにし、扉を外から閉めた。そして部屋の隅に殺虫スプレーと箒があるから、部屋に蠢く巨大蜘蛛を殺せと命令してきたの……。まぁ確かに蜘蛛は手のひらサイズもあり、レイが怖がるのも無理ないけど私だって怖いっての! 扉は開かず、私は涙目になりながら蜘蛛と格闘し、どうにか撃退することができた。あの時はもうレイの友達やめようかしら……と思ったけど、その後ぎゅうぎゅう抱きしめられて、なんかどうでもよくなってしまった……。
「来週の土曜日は何も予定ないでしょ?」
「……えぇ」
だってレイと遊びに行くつもりだったから──。
最近というか、レイと知り合うようになってから常に一緒に行動していた。レイと離れて過ごす時間の方が……短いかも。このまま夏休みはもちろん、年越しする時も一緒に過ごす勢い。それでも、レイと二人きりで過ごせる時間が減るのは、なんか嫌だった。
☆★☆★
私は水族館に一度も訪れたことがなかった。
特に行きたいと思ったことは無いし、周りの人からも誘われたことが無かったから。よく遊びに連れて行ってくれたあの人も、遊園地や某ネズミーランドは好きだったらしく一緒に行ったけど、水族館は興味無かったわね……。
水族館に到着すると、もう皆集まっていた。私を含めて男女計八名。もちろんレイも居る。皆同じクラスの子。すでにクラスでは様々なグループが出来上がり、その内の男女が混ざっているグループの一つだった。彼らとは席が近いから授業のグループで時々一緒になることもあり、そこそこ喋ったことはあるけど、やっぱり誘われるのは不思議──不可解ね。
ひんやりと冷やされた館内はなんか肌寒いわ。
休日だけど人は少ない。店内が薄暗いからか、私たちは若干落ち着いた感じで、優雅に泳ぐ魚や身動き一つしない生物達を観察する。最初は巨大な水槽に入っている魚を見るのがどうして楽しいのか謎だったけど、実際に訪れてみると可愛い魚や愉快に泳ぐ生物の躍動は新鮮な感動を覚えて、結構楽しい。
けど、皆で行動するのは最初の十五分間だけだった。
館内の中心辺りに到達したところで、お昼の少し前にイルカショーがあるから、それまで個々に館内を散策することになった。私はレイと……と思ったけど、一人の男子が近づいてきて、一緒に行きません? って声をかけてきた。
──うちのクラスでよく私に声をかけてくる男子だ。
──前にレイが教室の掃除用具入れに潜んでいた時に教室に残っていた人で、あれ以来何かと声をかけてくる。
──背が高く、爽やかな短髪で、レイ曰く最近流行りの俳優に似ているらしく、クラスでもそれなりに人気があるとか……。
ちょっと、レイ……。
思わずレイを探していた。どうせ私をニヤニヤ眺めているはずなのに、どこにも居ない。
嘘でしょ。
ふわっと体が一瞬無重力になるような孤独感。
迷っていたけど、柊さんと呼ばれて──あぁ、私って柊って苗字だったんだとなんか思い出した。最近ずっと私は「サクラ」と呼ばれていたから。……もう逃げることもできない。彼の後を追いかけた。
☆★☆★
テニス部。
日に焼けた肌が逞しさを感じさせる。がっしりと筋肉を纏った体型。
まだ一年だけど、中学の頃から硬式テニスのスクールに通っていたので先輩よりも上手く打てるとか。次の公式戦では団体戦のメンバーにも選ばれ、毎日遅くまで練習している。──今日は? 他の部活とのグラウンド調整の関係で練習が消え、だから偶然参加できた、と語る。
特にこれといった共通の話題も無いので、テニスについて聴いた。すると彼は饒舌に語る。テニスって時々ニュースで誰々が勝った負けたくらいの知識しか無いので、点数の数え方から知らない。そう伝えると、彼は軟式と違って硬式なので一風変わった点数の数え方からラケットの持ち方まで楽しそうに喋った。
公式戦に出場できても団体戦のダブルスとなってしまう。本当はシングルスで出場できるようになりたいが、強い先輩にはまだまだ歯が立たない。けどいつか乗り越えてやる! と嬉しそうに瞳をキラキラ輝かせながら語っていた。
未来を。
本当にテニスが好きで部活動をしているのね、と悟った。
──柊さん、部活は?
帰宅部。
──何か入ったりしないの?
体動かすの苦手だし、文化部も今更入れないでしょ。
──そういえば、いつも天彩さんと一緒に居るよね。
えぇ、仲良いから。(友達だから親友だから私はレイのこと──レイとの会話っていつも停滞してるわだからか彼が語る未来についての話題は新鮮)
──天彩さんって最初モデルかと思ったよ。
わかる(!!!!!!!!!!!!! レイを褒められると嬉しくて嬉しくて堪らない)
「あ、クラゲ……」
薄暗い空間で、ブラックライトに照らされながら優雅に輝くその姿はとても神秘的だった。時々妖しく輝き、思わず目を奪われる。
綺麗……。
内臓と皮だけ……と言ってしまったことがなんか申し訳なくなる。
シルエットは少しレイに似ているかも。ふふっと笑うと、彼はもがくようにまた色々と語りかけてくれる。私は笑ってそれに応える。
ふぅ……。
別に、私だってそこまでバカじゃないから、どうして二人きりになったのか、どうして私が誘われたのか、その理由も大体察せられる。
彼は、そこまで退屈な話ばかりじゃないし、正直なところレイとは異なる魅力を感じた。
一生懸命に私を楽しませようと頑張ってるし、それはかなり大きな成果を上げている。初めはレイが消え、一人取り残されて恐怖を覚えた。同じクラスだけど赤の他人と僅かな間でも一緒に過ごすのは恐怖を覚えた。けど、この人は若干抜けている部分を感じさせるも気さくで楽しい人だった。クラスでも皆から愛される理由がなんとなくわかる。それに、あの授業についてもちろん知っているので、私のピアノについても本当は色々根掘り葉掘り聞き出したくて堪らないはずなのに、そんな気持ちは毛ほども出さずに接してくれる。
私の中で色々なモノがグラグラと歪んでいるのを感じている。
必死に押さえつけようとすると、また別の箇所が崩壊を初めて何かが崩れ落ちる。そしてその中に潜んでいた存在が、姿を晒し始める。
数ヶ月レイと一緒に過ごし、私の中の割合を殆どレイが占めている。
けどそれは、
私には、
レイしかいないから、
かもしれない。
私は、
ピアノから離れ、
母から突き放され、
あの人から☆★され、
学校では最初の授業で皆に怖がられたから、もう一人でいいや、そう投げ出した。
色々と。
全部。
全部私の人生とか。たった一つの夢を投げ出した程度でそう諦めて、もっと他にもたくさんあるんだからくよくよせずに頑張ろうって気安く思わないで私は、そんなに簡単に捨てたんじゃないの。無数の努力と後悔と失敗と恐怖と喜びと賞賛を積み重ねて、到達できないと自分自身に言い聞かせた。積み重なった私の夢は音も無く崩れ落ち、残ったのは恐怖だけ。
──また、この苦しみを抱きながら歩まなくてはならない。
──叶う、なんて保証も無いのに。
──才能なんか私が一番無いってわかっているのに、それでも夢だから。
──母に認められたくて、母のようになりたくて、あの人に注がれる母の眼差しを私にも……。
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私だけがその傷と痛みを抱きながら生きていくつもりだった。けど、それをレイに悟られて、同じ夢を諦めた人間だよ、と……。
レイしかいない。
だから私はレイに依存していた、と思っていた。可愛いとか可愛いとか可愛いとか、それも全部自分に言い聞かせているだけで、本当はレイだけしか逃げる場所が無いから、依存してるんじゃないの?
「そろそろイルカショーが始まるから、行きましょう」
不意に私が彼を呼んだ。
逃げるように。
レイに、会いたい。
☆★☆★
イルカってあんなに空、飛べるのね……。
吊るされたバルーンに向かってイルカが元気よく跳ね上がり、コツン! と口先でつつく。
水面に着地するたびに水が跳ね上がり、観客に降り注いで悲鳴が上がる。
レイは……。
私が座ってる席の一つ前で、ちょうど対角線上の位置に居る。喋るには大声を出す必要がある。
近くに居るのに……。
お互い顔の見えない場所に居るのならともかく、こうして認識できる距離なのに話せないのがもどかしい。隣の男子と楽しそうにはしゃいで──。
まぁそうよね……と観念していた。
嫉妬にすら至らない出来損ないの感情。
イルカに集中しよう……と思っても、どうしてもレイを観てしまう。目が合わないかな、と期待するけど、レイは私のことを見てくれない。
「……え、わぁ!?」
私の不意を突くように、イルカが大量の水を私たちに向けて浴びせた。びちゃびちゃびちゃ! と音と主に水が体を打つ。ぐしょっと濡れた。皆心配しながらも私の濡れた姿が面白いらしく、笑っている。私もつられて笑っていた。──レイは? レイも笑っているけどねぇあんたそんなつまらない笑い方する人じゃないでしょう?
それ以上は何事も無くイルカショーは終わった。
笑った時以外レイは私を一度も見なかった。
私は一人トイレに向かい、戻るとレイが居ない。
天彩さんもトイレに行ったみたいだけど……、と皆言う。十分ほど経過してもレイは戻ってこない。連絡しようとすると、なんとスマホの電波が入らない。私だけじゃない、皆のスマホも。
「もしかしたら、レイ迷子になってるかもしれない。探してくる」
返事を待たずに私は彼らから離れていく。「すぐ戻るから」足音がしたので振り返り、私を追いかけてくるテニス部の彼を振り払う。
☆★☆★
館内に残っている人もスマホの電波が繋がらないと口にしていたので、もしかしたら全国的に繋がらない状態に陥っているのかも。鞄の奥にスマホをねじ込んで、駆け足でトイレに向かった。
どの個室も空いている。
レイは戻ったの?
……それとも。
私は彼らの待ち合わせ場所とは反対に向かって駆けた。館内は走らないでの標識が目に入ったけど、今はそんなこと気にしてる場合じゃないの。
明かりが消え、バックライトに照らされるクラゲの部屋に出た。
クラゲたちは異様な光を放ち、ふわふわと自由気ままに泳いでいる。
先程私たちが訪れた時とは異なる色合いを見せ、意思があるかのように蠢いている。
周りのクラゲが全部レイに見えて、私は頭がおかしくなったのかと混乱しそうになる。
ふと振り返るも、レイは居ない。レイのことだから逆に私を尾行してる可能性があるけど見当たらない。
館内を更に奥深く進むと、別の展示室に出た。
先程のクラゲ展示とは異なる暗さ。
薄気味悪い空間。埃っぽい匂いというか、陰鬱とした空気が漂っている。人も居ない。私はもう一度スマホを確認する。電波はまだ復旧していない。
展示されている巨大な魚に面食らう。おとぎ話に登場しそうな往々しい名前がつけられているけど、その迫力満点な姿には相応しい名前なのかもしれない。これも深海魚なのね。レイを探していることを忘れ、細長い姿に見入っていると、尻尾の先、その奥の薄暗い部屋の中で、レイがじっと展示された魚を眺めている姿を発見する。
「あんた……」
「あ、サクラ」
「なんでこんなところに居るのよ」
レイは深海魚の展示室の奥にある小さな階段に腰を降ろしていた。
「道に迷っちゃった。しかも電波が届かず助けも呼べない有様」
「迷うほど複雑じゃないでしょう」
「方向音痴だから」
レイは惚けた顔で、私から視線を離して前を見つめる。その視線を追うと、ホルマリンで拘束された深海魚が目に入った。先程の銀色のまだ魚らしい姿と異なり、黒に近い体色に、異様に大きく開けた口は怪物としか思えない。退化した白色の瞳が痛々しい……。
「うーんグロテスク」
「まぁ、そうね」
「きっと前世で相当罪を重ねた人が転生した姿なんだよ。こんなグロテスクな姿に転生させられて、しかも光が全く届かない深海に追いやられて、はぁ可愛そうに……」
「転生?」
「私、輪廻転生信じる派だから」
「たまたま進化した時に、深海の方が住みやすいって思って自ら移動したのよ」
「そうかな~。だって深海から上がろうとすると、水圧の関係で内臓がどばって口から出ちゃうんだよ。閉じ込められてるの、深海に──」
「どうしたの?」
レイの普段と異なる雰囲気に声をかけたけど、無視して深海魚を凝視する。
「なんかこういうグロテスクな深海魚ってホント可哀想だよ。過酷な深海に追いやられて、もうそこで生きるしか道は無いのに、何を思ったのか時々浅い海まで出てきしまう。そして身の程を知って、敢え無く内臓が飛び出てしまうのです──」
にぃっと微笑んだ後、私を見つめる。
私はそれを無視して、レイの隣に座った。
……あああ、滅茶苦茶落ち着くわ。
さっきまでのふわふわした感覚が消え去り、地に足がつくような安心感を覚えた。
「どうだった?」
「イルカショー? イルカって空飛べるのね」
「じゃなくてぇ、あの人。サクラと一緒にイチャコラしてた人」「してない」「連絡先交換した?」「ううん」「グループに私が載せとく?」「しなくていい」「あれ、お気に召さなかった?」「いい人だと思うわ」
「ふうん」
「何、その含みある”ふーん”、は?」
レイはくっくっくと小気味よく微笑む。
「だってサクラはボロクソにこき下ろすかと思ったの。私の体目当ての精液臭い不貞てぇ野郎だ! こっちからお断りしますだ、って」
「非道い言い方」
「男子なんて一皮むけば皆そんなものさ。あんな好青年装ってるけど、きっとファミレスやコンビニの店員さんに横暴な態度見せるよ。あと度々お金貸してとねだったりさ。サクラは男飼う感じのタイプだ」
「全然普通だったわ」
「そりゃ猫かぶっとるんだよ」
「レイ……」
睨むとわざとらしくしゅんとする。「どういうこと?」
「ん?」
「あの人、私に気があるから二人だけにしようと、そのために今日は水族館に誘ったの?」
「ううん遊ぼうって普通に誘われただけだよ。……え、そんな裏があったなんてびっくり仰天だよ」
「う、そ、つ、け」
「ホントだよ」
「……別に彼氏とか欲しくないから」
「そっか」
レイは無表情で言った。その声色からも何も感じ取れない。
……レイは、私と同じく男子と二人きりになった。レイはどうだったの? と聞けない。
怖くて……。
レイは何故今日のセッティングしたのか。私なんてどうでもいいの? もし私がさっきの彼と仲良くなり、そのまま付き合っても大丈夫なの? 別にその妄想に関して嫌悪感を抱くことは無かった。私がこの学校でレイと出会わず、普通に学園生活を謳歌していたとして、その時に彼と仲良くなり、そして告白されたら、私は……。
レイは立ち上がると大きく腰を伸ばした。うーんと唸り、そして再び座る。……え「ちょっと、何?」
私の膝の上に、レイは腰を降ろした。
私と向かい合う格好になる。
スカート越しにレイの感触がもっちりと広がる。
「お、重い……。ってか、こんな外でいきなりどうしたの?」
「ううん、なんか今日はずっとサクラに触ってないから……補給」ふぅ……とため息をつく。
「ふざけないで」
「駄目?」
顔が近い──。
膝に乗っている分、僅かにレイが高いけど、首を曲げて私を覗き込んでくる。レイの体温や匂いが降りかかり、私の体が嬉しくて震えているのが自分でもわかる。レイが補給とかほざいたけど、むしろそれは私の方かもしれない。
「誰か来たら……驚かれるでしょ」って口だけもっとくっついてよ。
「ただ膝の上に座ってるだけじゃん」
「レイ、降りて、足が潰れる」ピリピリさせて。
「私も膝立ちな感じだからそんなに重くはないでしょ」その通り……。
重しのように膝の上に乗られ、両手を握られるともう何もできない。また、レイのペースだ。主導権はいつもレイにある。私はそれに抗えず、レイの思うがまま、私は弄られる──それを待ち望む私が居た。
ぎゅっと強く握られると指から生暖かい何かを流し込まされているようでドキドキする。獲物を捕らえた捕食者が、逃げないように毒を注ぎ込むように。やっぱりレイはクラゲ?
「試したの?」
「ん?」
「私が……レイから離れるかな」「自意識過剰というか、そこまで考えてないよ」
「いいの──」「私から離れても?」
「……台詞を取るな」
「でもそれってさ、私が決めることじゃないじゃん。サクラが決めることだよ、うん」
「私はイヤ。反対の立場でも同じ。レイが……誰かと付き合って、私から距離取るようになったら……ムカつく」腹立つ悲しい苦しいイヤだ私以外を好きにならないで、と喚く自分に出会う。元から私の中に存在したはずなのに、今初めて知った気分。
「でもホントのところはどうかな~。今日のサクラ、普通に皆と仲良くできたじゃん。もっと友達と一緒にいられないかと思ってた。でも、テニス部の人とも仲良くしていたし、案外へっちゃらなんだね。楽しそうだったよ」
「えぇ、それは否定しない。けど……」
「けど?」「彼、なんかキラキラ夢語り過ぎで、眩しいの」レイが良い……。未来を語らず、私たちお互いの傷を舐め合うような関係性は、怠惰な安らぎを覚えるの──。
それでも迷っている。
レイに触れて嬉しいのはただの逃避、だけなのか。それとも、レイのこと大好きだからなのか──。
「明日予定ある?」
「申し訳ないけど、秒単位でスケジュールが組み込まれてます」「真っ白なクセに」「バレたか」
「また、水族館行きましょう」
「……いやいや、もう来てるじゃん」
「だから明日」
「連チャンで?」
「えぇ、明日はレイと二人で回りたい」「二日分のお金無い……」「貸すから」「やったー!」
レイと遊ぶ方が、今日彼と一緒に回った時よりも数千倍楽しいと、自分に証明したい。
そして私が、
私が、
私が……こうしてレイと手を繋いでいるのは、初めはただの逃避だったかもしれない、けど、今は違う。私がただただ純粋にレイのこと、好きだから、それを認めたいの──。
──もし違ったら?
──楽しいとか、楽しくない以前に、今日の方がレイよりも充実していると思ってしまったら。
……そんなの一瞬だってありえない。
「そんなに水族館が気に入った?」
「クラゲ、レイとそっくりだったわよ。もっと観察しましょう」
「しょうがないな……」
コツン、と額が当たる。
「レイ……」
「ん?」
「そう簡単に……投げやりに手を離すようなこと、しないで」
ギリギリの言葉だった。何かのはずみで砕けてしまいそうな感情を必死に押しとどめて、レイに伝える想い……。本当は単純に好きと伝えたいけど、その意味──私自身もまだ完全には理解できていない『好き』をレイに知られ、もしも私の理想とは異なる返事が帰ってきたら、そう思うと怖い──。
ややあってから、レイは口を開く。
「明日は一日ずっと手を繋いでもいい?」
恥ずかしいと思ったけど、レイが覚悟を決めた表情をしていたので、頷いた。
☆★☆★
//続く
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