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扇風機、サクラを駄目にするレイ 02

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「え、タクシー代半分出すよ」
「私が誘ったんだからいいわよ」「でもついてきたのは私。──こんなところでサクラに借りを作りたくない」
「そうね、昨日、一昨日とパフェ奢ってあげたんだから、ここで増えたら困るわねぇ」
「いちいち覚えるのホント器の小さいケチンボ」「……は?」「いいえぇ、大変素晴らしき記憶力でございます」

 レイは運転手さんと暑いですねぇ~と世間話を展開し、でも扇風機買ったんですよ! と嬉しそうに報告するの子どもか。しかもまるで自分のことのように。運転手さんもレイに感化されたのか朗らかな雰囲気で会話してる。
 タクシー内で涼むと時間の流れが変わるのか、あっという間に自宅に到着した。外に出ると、またじりじりと全身が焼き付くような気温にレイは「うぇぇ、ちょっと先に涼ませていただきます」と呻く。気持ちはわかるわ。けど、逃げるな。私は脱兎のごとく自宅に入ろうとするレイを捕らえ、扇風機をレイと一緒に運ぶ。

「あのさ、前々から思ってかけど」「ん?」「サクラの家ってデカいよね」
「そう?」

 レイは慄くような顔でまじまじと我が家を眺めている。

「周りと比べても大差ないでしょ」
「いや周りの家も皆大きいし、ってかここ高級住宅街のど真ん中ですしそりゃね、うん」
「ふふっ、レイの気のせいよ」
「サクラってホントはお嬢様だよね、だってお母さんが──」
 と、そこでレイは言葉を切り「なんでもありません」とあからさまな口調で言うので思わず吹き出してしまう。「何、わざと?」「ううん、ふとサクラが最初の音楽の授業でブチキレたの思い出しただけさ──」
「キレてないわ」
「先生の顔面を鍵盤に叩きつけておどれが弾けやぁ! の凄味ホントヤバかった」
「そこまでしてない」
「はぁ、あの史上最悪の空気になった授業今思い出しても寒気する」
「……そんなに?」
「ほらほら怒ってきた」「もう怒ってない。ってか扇風機私の部屋に運びなさいよ。そっちリビングだから、二階に……」

 私は無理やり話を変えるようにレイに指示を出す。レイは何か言いたげな表情を浮かべるけど、小さく溜息をつき、二階へ上がる。二人で扇風機の箱を支えながら、レイが先に上る。うわぁぁ! と手を離すフリをするので睨むとつまらなそうに口を尖らせて進む。そしてようやく自室に辿り着いた。

「暑いぃ」
「はいはいクーラーつけるから」
「さて、じゃあ早速扇風機も開けよっか!」

 意気揚々と扇風機の箱に飛びつくレイに私までなんか笑っちゃう。さっき不意に呼び覚まされた記憶──に紐づくあの感覚がじわっと蘇り、私はいつの間にか自身の右手を握っている。
 ぎゅっと。
 自分でも驚くほど、強く。そんな私をレイは見透かしている? ──だから無邪気を装っているのかもしれない。それとも素なの? 

「サクラ、組み立てて!」
「説明書は? えっと、この羽はここでいいのよね?」「多分ね」「あ、もしかしてドライバーとか必要なのかしら?」「ううん、この工具だけで完成するってさ」「ホントだ」「で、次は本体にこっちのパーツを取り付けて」「全然入ってないよ。もっと力入れて」「次は……羽を守るバリアーっぽいパーツを……」「頑張れ! あと半分!」

 ──途中からレイが完全に作成を放棄し、私を応援しているだけになっている気がしたけど、突っ込んだところで──負けなのよ。この子とつるむようになってから数ヶ月が経過し、大体わかってきた。外見はびっくりするほど可愛いのに、なんか色々と無邪気というか、理解しながら私をおちょくってくる。当初はいちいち律儀に突っ込んだけど、最近はもう疲れて放置することが多々ある。

「完成。……少しは手伝え」「めっちゃ応援したのにその言い草酷すぎる」

 スイッチを押すと、ブゥウン! と微かな音が響き、羽が回り始めた。どこか装着が甘くて羽が外れたらどうしよう、と一瞬危惧したけど私の心配を他所に扇風機は元気に回り始めた。最新の機器だから、予想していたよりも風圧が強い。これなら部屋に冷気が行き渡る。

「はぁ~扇風機~」

 その時、レイはにぃっと微笑むと、シャツを捲りまるで扇風機に被せるようにして近づいた。あっ! と思った時にはもう遅くて、そのままシャツがぶわっと膨れ上がり、「はぅぅ~気持ち良い~」と恍惚とした顔で腑抜けた間抜けな声を出す。

「あぁっ」
「最高……」
「ちょっとレイ、独り占めしないでよ」「待ってあと五秒ぅぅ……あぅぅ……はぁ……」「変な声出すな」

 レイは満足したのか、ほくほく顔で扇風機から離れた。が、突如私に抱きついてくる。「な、なに?」「ん~、サクラがなんか不満というか、ショック受けてるからどうしたのかな~って」
 レイに腰を抱かれ、そのままぎゅっと指を握られる。「だから毎回急にくっつかないでって」

「あ! もしかして~さっきのシャツ被せるのやりたかったの!?」
「べ、別に」

 レイの言う通り──。
 実は、シャツやスカートを被せてぶわーっとするのが、好き。レイが恍惚とした顔晒してたけど、多分私もあんな感じで快感に喘ぐと思う。中学の頃、帰宅した時はいつもしていた。ある時あの人にその姿を目撃されて、滅茶苦茶弄られてから人前ではやらないけど。

「やだ、すっごくショック受けてるじゃん。えぇ~それならそうと言ってよ」「人の話を聴いて」「ううん、悲しいわ~この扇風機に初めてシャツを被せるのは私のはずだったのに~って悔やんでるのわかるよ」

 的確に言い当てられ、そんなに顔に出てるの? と私は内心焦る。思わず顔を手で覆い隠そうとするけど、それはレイの言葉を認めているようなものじゃない、と必死に耐える。

「……じゃあさ、シャツは私が堪能したから、スカートでぶわぁしていいよ」
「そんなはしたないことしない」
「え、制服の時やらない?」
「……時々」中学の時はほぼ毎日。
「そっかそっか」

 レイはニヒヒと笑った後、私を解放する。無論、レイの前で扇風機にスカートを広げることもなく、私はベッドに凭れ掛かる。レイはやんないの? と何故か不満げな顔してたけど、その時突然硬直する。と思ったら動き出して、部屋の隅に向かう。

「どうしたの?」
「これ、なに?」
「……あぁ、それは──」
「え、えぇぇぇ~! もしかしてあの、柔らかいクッション!」「……そう」「人を駄目にする、という名で有名な!」「……知らないけど、まぁ柔らかい奴」

 口にした途端、レイはクッションに向かって飛び込んだ。
 ザァァ……と細かな粒子が擦れる音に合わせて「ふぇぇ……」とレイの喘ぎ声が響く。本日二度目──。

「やばい……これ……しゅごい……」
「クッションに、喰われてる」
「いいなぁいいなぁ……なんで持ってるの?」
「ん、大きくて邪魔だからって、貰った」「誰に?」「知り合い、母の」「その知り合い私にも頂戴」「……アホ?」「ムリならこのクッションで」「だーめ」
「ケチ、ドケチ! ケチンボ!」
「語彙力ねぇな」

 レイはうだうだ蠢きながらクッションを引きずるようにして扇風機に近づくと、首振りを固定して自分だけに向け、再度クッションに沈んだ。

「ちょっと」
「シ・ア・ワ・セ……」
「クッションはいいけど扇風機独り占めは辞めなさい」
「どうせ私が帰った後にクッションと扇風機でダメ人間になるんでしょ」
「あったりまえでしょ。ま、そうね──せいぜい今のうちに楽しんどきなさい」

 私があざ笑いながら言うと、レイは苦虫を潰したような顔を一瞬した後、ぐりぐりと体をクッションに擦り付ける。

「何してんの?」
「マーキング。クッションに私の匂い覚えさせてる」「馬鹿なことしないで」「へへへ、これでサクラはクッション使いづらくなっちゃうね。あぁ、レイの香り」「臭い」「がするわ~、これはレイにプレゼントするべきだわ~ってなるはず」「なるか」

 でも、まぁ……レイの匂いがするのは……悪くないかも。いや、そういう意味じゃなくて。クッションに触れた途端じわっとレイの匂いを感じることができる。待って、それって……なんか凄く最高かもしれない。レイの匂いは……変な意味は無く、好きだから。レイが帰宅して離れ離れになっても嗅ぐことができるのはそれはとても──「何?」「なんかニヤニヤし始めたから、大丈夫かな、って」

 レイは私に近づき、また手を掴んでくる。
 私はその手を振りほどき、「あんたが変な動きで面白いからよ」と嘘をついた。けど、レイはじっと睨んでくる。

☆★☆★

 次の日。
「おはよ!」
「おはよう……どうしたの、ニヤニヤして」

「私の匂いつきクッションは堪能したかな? って思って」「しません」嘘だった。昨日はレイが帰宅した後、私はクッションに思いっきり沈み込み、初めは偶然顔が埋もれてしまったのよ、と言い訳を並べながら匂いを嗅いだ、けど段々自分が抑えきれなくなり、次第に自ら埋まるようにクッションに包まれて──。

 レイの香りは残っていた。
 僅かだったけど、でも……でも……嬉しい。
 普段は時折鼻をかすめる程度にしか嗅ぐことなんてできないから、堂々と深々と堪能できちゃうのは嬉しくてゾクゾクする。ただふと私、何、してるんだろう──、と思う。怖くなる。別に私は匂いフェチってわけじゃないし、ただ……レイのことが、レイは……多分私の友達、というか親友で。親友なの。親友の、匂い嗅いだ程度で別におかしくないわよ。
 匂いが好きというか、
 レイを僅かでも常に感じていたいの?

「ふふ……ふ……ふふふふ」
「何よ笑いだして気持ち悪い」
「うーん、何でもないよー。あのクッションさ、寝心地やばかったらウチでも買おうかなって思ったんだ」

 ……え。
 ってことは、レイは今後あまりクッションに寄り付いてくれないの?

「でもサクラんち遊びに行けばあるからやっぱり買うの辞めた」


//終
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