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     名前が変わるとき

その名にちなんで

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 午前中私が席を立つと、前に座っている深沢主任がニヤっと笑う。
「サンちゃん、俺も珈琲な!」
「はい、はい!」
 私は笑って頷く。この主任はチャッカリしていて、私が何か飲み物を作りにいくと、こうして便乗する。他の二人の上司を見ると、井筒課長は俺はいらないと首を横にふり、係長は小さく『お茶』とつぶやく。

 結婚というのは、プライベートな意味ではその違いは大きいけれど、会社的にはさほどの変化はない。
 家が若干近くなり、交通費支給額が下がった事。後は書類上での名前が変わっただけで、仕事もそれまでと同じだし、呼ばれ方も旧姓のまま。
 背が伸びたわけでも、女っ振りが上がったわけでもなく社内の人からみての変化は殆どないのかもしれない。結婚して一年チョット経つけど、会社の殆どの人が『月ちゃん』と私を呼ぶ。
 ただ、この上司だけは結婚というより、入籍を境に私の呼び方をハッキリ変えてきてくれた一人。
 でも『月見里』で『月ちゃん』のような感じのニックネーム。『大陽』という名前はイマイチ良い感じで略すのが難しいようだ。『おおちゃん』『およちゃん』とも言い辛くい事もあったのかもしれない。
 そして太陽=SUNという事で、この上司は私を『サンちゃん』と呼ぶ。
 そして隣の係長は『太陽』と呼び、主任はちゃんと『大陽』と呼んでくれる。課長は生真面目な性格から私を正しく呼び、残り二人は面白がって態とそう呼ぶ事を楽しんでいる感じだ。

 給湯室に行くと、実和ちゃんが珈琲を楽しそうに入れていた。彼女の前にあるのは同じデザインで色の違うマグカップ二つ。
 以前は別々のデザインのカップを使っていたはず。付き合いだしてからペアカップになっている所が、微笑ましいやら、見ていて恥ずかしいやら。
 おっさんのお茶を入れにきた私と違って、愛する男性の為に飲み物を作っている姿はなんともいじらしくて可愛い。
 私が入ってきたのに気が付き、彼女は顔を輝かせ私に笑いかける。
「月さん、あの……私昨日の日曜日に無事入籍いたしました」
 色々、時期とかどうするか相談されていたから、その報告を彼女は嬉しそうに言う。
 二人もやはりハネムーンを同じ名前で行きたいということで早めに入籍することに決めたようだ。
「おめでとう!」
「月さんが、色々教えて下さったので、何も問題もなくスムーズに終わりました!」
 まあ、元々そこまで複雑な手続きではないので誰でも簡単にできるものなのである。
 私のように、一カ所渚くんのサインがなくて、偽造しなければならないといった失敗はあまりないだろう。二人揃って提出にいけばないようだ。
 まさか入籍の時に、公文書偽装なんて罪を犯すことになるとは思いもしなかった。
「良かった! で、どう? 黒沢さんになった気分は?」
 彼女は『黒沢さん』と呼ばれ激しく照れたものの、嬉しそうだ。
「いえ……嬉しいのですが、実感がまったくなくて。それにまだ私実家ですし」
 そうでしょうね、私もそうですし、会社においては未だに私の苗字は何? と思うところがある。
 流石に夫婦同じグループで同じ仕事というのは問題があるということで、別のグループへ配属異動になる。
 異動といってもフロアーは変わらない。黒沢夫妻が共に同じフロアで過ごすことになる。となると同じフロアに『黒沢さん』が二人になるそういう状況。
 『黒沢』の名で定着するのか、『西川』の名が残るのか見所である。
 今の所、私の同期では、夏美ちゃん以外は旧姓が以前強く残っている状況だ。それだけ頭で分かっていても長年染みついた名前の認識を変えるのって難しい事のようだ。

 でも不思議だ。昔は家をとにかく出たくて、結婚して別の名前になって月見里でなくなる事を望んでいた。
 しかし実際結婚してみると大陽という苗字と同じくらい、月見里という苗字も愛しい。
 寧ろ社内で、旧姓での呼び方が残っている事がチョット嬉しかったりもする。
 もう流石に旧姓の郵送物の転送もないし、年賀状にも『(旧姓)月見里』の文字を入れる必要もないだろう。でもこの会社で『月ちゃん』『月見』『大陽さん』『太陽』と両方の名前で呼びかけられても、それが全て私の名前なのだ、そのように今は思える。
「ねえ、実和ちゃん。実和ちゃんは会社でコレから、どちらの名前で呼ばれたい?」
「え!」
 実和ちゃんは、キョトンとした顔で見返してくる。でも真面目な子なので、すぐに私の質問をジックリ考えているようだ。
「今はまだ、西川で挙式後は、やはり『黒沢さん』って呼ばれたいかな」
 『黒沢さん』って言葉に照れながら、彼女は夢みる乙女の顔で答えた。
「オッケー、ならそのつもりで、呼ばせていただきます。
 名前が変わっても、結婚しても、コレまで通り仲良くおつきあいさせてね」
「当たり前じゃないですか!」
 実和ちゃんの可愛い返事に、私はフフっと笑ってしまった。ここにも一人可愛い妹が私にはいたようだ。
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