愚者が描いた世界

白い黒猫

文字の大きさ
上 下
50 / 51
~そして愚者は歩き出す~

6-8<愚者の生き様>

しおりを挟む
 一年ちょっと前に凱旋式を見下ろした謁見広場の同じバルコニーから、フリデリック再び歓喜に湧く民主を見下ろしている。
  かつて父親がいた場所には、レジナルドが声を高々に響かせ演説をしている。
  神殿に神への報告と戴冠式を終え、今その姿のお披露目となっているのだが、不安げだった民衆が新国王としてレジナルドが現れたとたん割れんばかりに歓声をあげその誕生を喜んだ。
  アデレードの国色の赤い式典用の軍服に身にまといマントをたなびかせて立つ姿、それはもう堂々としているだけでなく麗しい。その横に同じ髪色と金眼をもち神の子とされている可憐なテリー・コーバーグが立つ。その光景そのものも神が作りし芸術品のようだった。フリデリックはよく通る声で民衆に語りかけ希望を与えていくレジナルドを見つめ淡い葡萄色の瞳を細めホウと溜息をつく。
  フリデリックはそこまでは理解していないが今回の戴冠式は、アデレード国内だけでなくそして世界からみてもその意味は大きかった。金環眼のテリーが王位継承に関わった。金環目の者が認めた王。それは神の意思と同意義。アデレードにおいて、その要素をあまり重視していなかったとしても、金環眼のいる国で誰が王位につくのか? それは同盟国だけでなく大陸中が注目する所だった。
  レジナルドが新国王になりテリーを傍に置いていることはアデレードの者だけでなく、大陸中その存在感を知らしめることとなっていた。
  会場に割れんばかりにレジナルドの名が連呼されるのを、目を閉じてそれを身体で聞く。フリデリックは漸く人心地つく事が出来た。腫れた頬や打撲による身体痛みもようやく今フリデリックの感覚として戻ってくる。緊張の中、多くの人の激しい感情にあてられギリギリの精神状態だっただけに、こうして一人考える時間が出来たことにはホッとする。
  王族専用といいつつバルコニーにいるのはフリデリックと護衛の者のみ。王太后と姫の姿はない。さらにいつもフリデリックに付き添ってくれていたダンケはおらず、代わりに元老院の衛兵とバーソロミュー家の者が付き従っている。その者達は警護の為と言うより見張りの役割が強いのだろう。
  先程神殿で激昂した王太后と姫に二人がかりで詰られ詰め寄られていても、ただ見ているだけだった。昂りすぎた王太后が息子を激しく叩き転倒させ持っていた扇で激しく打ち始めてやっと静止に入ってきた。
 「私が、貴方を王にする為にどれ程の根回しをして努力をしてきたと思うの! それを全て台無しにして! なんて情けない息子なの! この役立たず!」
  ヒステリーに声高にまくし立て息子を責めた。
 「失望したわ! 王位を嫌だから投げ出すなんて! これで全て台無しよ! 私達は終わりよ!」
  姉のエリザベスもそう叫び弟に詰め寄る。二人がかりで責められるフリデリックの姿は、他国の出席者や会議に参加出来なかった貴族などの見える所で行われたので、さぞ情けなく滑稽なものに見えただろう。
  フリデリックはチラリと一尺ほど隣に離れて立つエミール・オーウェンに視線を向ける。金髪に近い明るい茶色の髪に緑の瞳。柔和で整った顔立ちも赤くなった頬が台無にしていた。フリデリックの視線に気が付きその表情が『何でしょうか?』と問う。
 「頬大丈夫ですか? 母が申し訳ありませんでした」
  フリデリックの言葉に驚いた顔を返すかニコリと笑う。引き離してくれたエミールは何かを王太后に話しかけその後に引っ叩かれていた。
 「いえ、私は生真面目に説得しようとされた貴方とは違って態と怒らせる事言いましたから」
  この人物はやはりあのキリアンの付き人である。それを強く感じフリデリックは笑みを引き攣らせる。それでもエミールは気にした様子はない。
 「いい加減、あの方がたの馬鹿さ加減に腹を据えかねていましたから。言えてスッキリしました」
  エミールはそう続け真っ直ぐフリデリックを見つめる。
 「母にどのような言葉をかけたのですか?」
  訊ねるフリデリックにエミールはあっさりと応える。
 「貴方の賢い決断により、命もあり王族でい続けられる事をもう少し感謝してはいかがですか? と」
  やはりとフリデリックは思う。つまりはウィリアム前王一家を完全排除の方で話は進んでいたようだ。いや、それは尚も今もそこにゆるやかに進んでいるだけ。
  フリデリックは改めて自分が無力で危うい立場にいる事実を再確認する。放棄したとはいえ王族であるからには依然継承問題の火種となり得る可能性が残っている。今後の事を考えるとフリデリックを生かし残す事の価値は全くと言ってないと言える。良くて幽閉か軟禁、最悪……。そこまで考える頭を横に振る。どちらにせよもう自分で未来を変えるだけの力はない。出来る事は己の運命を受け入れる事だけ。
  今後の自分の事よりも気になる事について訊ねる。ダンケの事だ。元老院府で抜刀したことで捕えられ今牢にいるという。
 「オーウェン殿。お願いがあります。
  私の近衛のダンケ・ヘッセンはただ職務を真面目に行動しただけ。
  私についていた事で裁判が不利に働くことはないように、バーソロミュー候に働きかけてくれないでしょうか」
  エミール・オーウェンは目を見開くがすぐに苦笑する。
 「キリアン様も、我々ももう懲り懲りなのですよ。愚かな感情や意図によって人が陥れられ罪を被せられる。誰もがヘッセン殿は近衛としてあの王家に仕えねばならなかった。同情されてはいても恨まれる事もない。まともな判決はされるでしょう」
  フリデリックはホッとしたように笑い視線を広場へと戻す。エミール・オーウェンはそんなフリデリックに何か言おうとしたが、苦笑して顔を小さく横にふり同じよう視線を正面に戻した。

  その後の晩餐会においてもフリデリックは完全に孤立していた。傍観者としての立場を余儀なくされる。諸外国からの賓客と貴族らも、王位を放棄しその事で母親から叱られ頬を腫らせたフリデリックの扱いを困ったのだろう。結果放置される。
  国外の者にとっては接触する価値はなく、国内の者にとっては今下手に関わるのは危険な存在だった。レジナルドがどう従兄弟を扱うつもりなのか読めていないからだ。
  王太后による神殿での騒ぎは、元老院府でのやり取りを霞ませ、フリデリックが単にその責務を果たすのが嫌で、王位を投げ出したというイメージを周囲に植え付けるパフォーマンスとなってしまった。
  会場の皆の何処か小馬鹿にしたようなチラチラとした視点を浴びながら、フリデリックは世界の縮図ともいうべき会場を見つめる。
  早くも新国王との親交を深め、国益の為に擦り寄る他国の面々、自らをアピールし今後の立場をより有利なものにしようとする貴族や官僚たち、レジナルドに近付けないものの必死にまだ自分が重鎮であることを繕うクロムウェル侯爵。ここの場に居ないことからも失脚が確定したヴァーデモンド公爵を見切りバーソロミューに擦り寄る貴族たち。祝杯をあけ熱く政治論を展開させる若手議員たち。いかなる派閥も、レジナルドという強き存在が持つ求心力に逆らえず一つと方向へと進んでいるように見えた。
  キリアンにまとわりついていた集団は、望んでいた答えがもらえなかったのか離れていくのが見えた。そんな彼らを冷めた目で見送り溜息をつく。そしてその瞳をこのフロアで最も華やかなエリアにむけてその瞳を細める。いつもの人を見下すような冷酷な目ではなく眩しいものを見るかのように。
  キリアンの表情がフワッと柔らかくなる。テリーがキリアンに視線を向けており、時間にしては一瞬というものだが、二人は確かに見つめ合い微笑みあっていた。キリアンは先程議会の中でフリデリックにしたのとは異なり、かなり簡素ではあるが明らかに敬意のこもった様子で会釈をして視線を外す。キリアンはジッとフリデリックが自分を眺めていた事に気が付いたようだ。コチラをみて露骨に顔を顰める。そのままフリデリックの事など無視するのかと思ったが、何故か近付いてくる。
 「今日の影の主役ですのにこのような場所で壁の花となっているとは。楽しまれていますか?」
  男のフリデリックでは花にもならないだろう。フリデリックはただ笑みを返す。
 「バーソロミュー殿、色々ご苦労様でした」
  他意はないのだが、キリアンは不快そうに顔を顰める。
 「貴方様こそ、慣れぬ事を色々されてさぞお疲れなのでは? それに子供の貴方はそろそろお眠なのではないですか? 宮殿までお送りしましょう」
  紳士的に微笑み言われてきた言葉にフリデリックは緊張する。
 「ここにいても、貴方に何もする事ないでしょうに。それに貴方に少しお話があります」
  キリアンの細められた黒い瞳に感じる強い感情を見て、フリデリックは頷く。いつの間にか背後に誰か立つのを感じる。キリアンがそちらをみて苦笑する。
 「ここで私が貴方のあるじが望まぬ事をするとでも? 本当に話をするだけだ。心配ならついてくれば良いだろう?」
  振り向きキリアンが話しかけた相手をみると元老院からここまで自分の警護を担当していた元老院府の衛兵だった。キリアンをみつめる青い瞳が、ダンケを思いださせてフリデリックを少しだけホッとさせる。
  そのままフリデリックは会場を後にして三人で歩き出す。しかし誰も口を開かない。
 「ありがとうございます。このように最も平和な形で事を進めて下さって。お陰で表立った混乱もなくこの結果を迎える事ができました」
  ここまでくると恐れるものもない。
 フリデリックはそうキリアンに向けて言葉を発する。それは嫌味でも、相手に擦り寄る諂いの言葉ではなく本心からものだったが、その言葉はキリアンの顔から表情が消え足を止める。
  人は怒りが強すぎると無表情になるようだ、ただその瞳に宿る明確な激しい感情で激怒させた事をフリデリックは察する。そういった感情に疎いフリデリックでも理解出来た。その感情は殺意だと。いや殺意も超えた憎しみの感情。
  フリデリックはそんなキリアンを前に固まってしまう。
 「……貴方は私を不快にさせるのが、本当にお上手だ」
  キリアンはそういって口角を上げるが、それで表情が柔らかくなる訳でもなかった。
 「貴方はこの今の状況を私が勝利と喜んでいるとお思いですか?
  いえ、逆ですよ。恐らくヴァーデモンド公爵以上に悔しくて腸煮えくりかえっています」
  フリデリックはここで気の効いた言葉を返せるわけもなく、かといってキリアンから目を逸らす事も出来ない。
 キリアンの言うことが、理解出来ない。全ては思い通り進み誰よりも達成感を感じ満足していると思ってきた相手の意外過ぎる反応だったからだ。
 「貴方は何故、今もこうしてのうのう生きていて、この様な戯言をここで言えているのか?」
  フリデリックは流石にその言葉にギョッとする。この男にフリデリックを殺す気だったとハッキリ伝えられたようなものだから。
 「……何故。
  貴方は何故、私を……」
  怯えそう口にするフリデリックにニィっと笑う。先程の議会での表情仕草は単なる装いで、その感情の激しさ恐ろしさは比べものにもならない。今目の前にいる男こそが、キリアン・バーソロミューなのだろう。
 「貴方の何処に、好ましく思う要素があると?
  先程の議会でも貴方は恐ろしい事を言った。
 無能であるが愚かではない?
  とんでもない。
  ……貴方がた王族にとって【無能】であることがどれ程罪深い事なのか!
  それだけでなくお前達は罪深い事を自覚をもせずに……やってはならないことを繰り返してきた。
  あろうことか、あの家族を穢し壊した。テオこそこの国に必要な人物だった! テッサは穏やかに幸せな人生を歩むべきなのに……私と幸せになるはずだった。
  そして、貴様は、アイツに更に苦しい道を選ばせた!」
  ギラギラした狂気すら感じる目でフリデリックを睨みつけながら話すキリアンの口調がどこか虚ろになっていく。その闇色の瞳はフリデリックを見ているようで別のモノへと向けられている。これ程の激しい哀しみ怒りにフリデリックは触れた事はない。
  それを目の当たりにして、父の治世で人がどれ程傷つき苦しめっれていったのかを。フリデリックはキリアンに対してというよりその事に恐怖を感じる。前に見た身体を欠損に痛みに悶え苦しんでいる兵士を見た時以上のショックにフリデリックの心が震える。
 「バーソロミュー殿」
  警護の男の呼びかけにキリアンの目に少し理性が戻る。暫く警護のものと視線を合わせ、落ち着くように深呼吸する。
 「フリデリック殿下、貴方がたは自分が罪深き存在であることをしっかり理解しておくべきです」
 「バーソロミュー殿……私は……」「何も聞きたくありません」
  そう声かけるがそんな言葉で遮られる。キリアンはフリデリックに微笑んでくる。
 「【助かった】なんて甘い事を考えないで下さい。私は貴方に平穏な人生なんで歩んで貰いたくない。
  貴方の人生が恥辱に塗れ、苦悩と苦痛に充ちたものでありますように。そうお祈りしております」
  キリアンは呪いにも似た言葉を告げ、一人元きた道へと消えていく。フリデリックは立ち尽くすしかできなかった。
 「殿下、宮殿へ参りましょう。
  顔色を悪いです。今日はもう休まれた方が良いでしょう」
  警護の男の言葉に、フリデリックは素直に頷き暗い回廊を促されキリアンとは反対の方向へと歩き出した。

  *   *   *

  マルケスは八代目国王が生まれた元老院での議事録を読み、正直驚いていた。
  一般民衆が認識してきるものとは余りにもかけ離れていたから。劇とかで登場するフリデリックの様子は、どうしようもないうつけもの。
  王妃やヴァーデモンド公爵らがお膳立てして王になったというのに、大げさに嫌がり面倒くさがる。
 「私が王?! そんなの無理だよ~! 面倒くさいし~。
  そうだレジナルド、お前がやればよい! うん、それがいい! お前はそういったややこしい事得意だろ? そうすることに決めた! レジナルド、お前を王にする! 以上~♪」
  そう能天気にいい、ヴァーデモンド公爵とクロムウェル侯爵が悲鳴をあげる。そこで観客は笑う。そういう流れである。
 「何故、フリデリック大公という人物像はここまで歪められたのですか?」
  ウォルフにマルケスは訊ねる。
 「会議に出席したものは、国の人口から言うと一部であったし、レジナルドが正当に王位に付いたと強調するために、フリデリック王子が王位を放棄した事をわかり易く周りに伝えた結果なのかもしれない。しかも会議においてフリデリックに好意を抱いていたモノも少なく、フリデリック王子を王にと推していた者を結果裏切った。そのどちらからも良い話は流されなかった。あと政略的にも、フリデリック王子に資質はないものとし、政治にも関わらせず未来を潰す意図もあったのかもしれない。元々ウィリアム王一家の評判は最悪だったこともある」
  それだけでなく、ウィリアム王の家族である三人は反対勢力を炙り出すエサに使われたのだろうとウォルフは考えている。自由にあえて放置された結果王太后は暴走し自滅し、エリザベス姫は兇行に走り修道院で短い生涯を閉じることとなる。
  マルケスはずっと日記を読んで来たことで親しみを覚えるようになってきたフリデリックを思い悲しくなる。
 「レジナルド様がそれを命じたということですか?」
  ウォルフは顔を横にふる。
 「レジナルド王が即位されたとき、まだフリデリックは十四歳。政治に参加させるには若すぎた。そしてフリデリック王子が成人を迎える前に、祖父であるヴァーデモンド公爵が兵を挙げ叛逆者となるし、母親であるマリー王太后は王太后でレジナルド王暗殺を企て失敗するなど、身内というべき存在が次々と事件や問題を起こしたこともあり、国民多くの人にとっては、フリデリック大公はヴァーデモンド公爵派の存在で、不満を持ってしまった過去の悪しき貴族体制の象徴とされてしまった。フリデリック大公自身もレジナルド王に何も無かったように仕える事も難しかったのだろう」

  マルケスは『私を愚か者としないで』と告げたというフリデリックの言葉を読み何とも言えない気持ちになる。しかし彼はその後【愚か者】と呼ばれ、【愚者】の代名詞とされてしまう。
  この頃、フリデリック自身は何を感じ思っていたのかは分からない。ウィリアム王が倒れてから数か月、日記の記述はピタリと止まっている。

 『考える時間だけはタップリある日々の中、【無能であること、王族にとってそのこと事態が大きな罪である】そう私に告げたキリアン・バーソロミューの言葉が何度も頭の中で響く。
  王位を放棄した事で、父の罪を償えたとは思わない。
  しかし自分が何をすべきか、何ができるのか? それすら見えない。
  相も変わらず私は立ち尽くしているだけである』

  戴冠式以後ただ天気と訪問者の記録だけとなっていた日記にようやく、そんな文章が現れるのは四十日程後。それ以後も自分の生きる路を悩みながらも模索していく姿が見える。
  「この後、実際のフリデリック大公はどのような生き方をするのですか?」
  フリデリックは演劇や物語の中では、単に道楽三昧に生きて何の仕事もしていないように描かれている。マルケスはその後どう生きたのかが気になり師匠に聞いてみる。
 「戴冠式を境に家族との関係も壊れ、療養という名の隠居生活にはいり国内を転々としたようだ。按察官として名簿には記されている。会議に出席したり、承認したりとかはしていたようだが、自ら先頭に立ち何かを行うという事も無かったようだ。
  ……ただ芸術を愛する人物だったので、職人団体や芸術家への援助などを積極的に行っていたようだ」
  そうやって影ながら誰かを応援するそれはそれで、フリデリックらしいようにも思える。しかしもっと、別の生き方があったのではないかとも思うマルケスだった。
 とはいえ、その後の日記にも尚も王族としてのフリデリックに摺り寄ろうとする者たちの存在、またフリデリック自身がボランティアに関わろうとするとそこで協力という名で近づき甘い汁を吸おうとする貴族が現れるなどフリデリックが求める行動を、王族としての名前が邪魔していく事の怒りや悲しみが綴られていた。
 一歩引いて行動するという生き方しか出来なかったのかもしれない。マルケスは大きく溜息をつき日記を閉じる。
 「そういえば、お前、今日学校での仕事あったのではないか?」
  ウォルフの言葉に、マルケスはハッと顔を上げる。今日は借りていた資料を返しに寄っただけなのについ、日記を読み耽ってしまってしまい、今そのことを思い出す。フリデリックの日記はここでしか読めないからだ。マルケスは慌てて立ち上がり師匠に挨拶をして外へと飛び出す。

  今日はフリー・ベック校の資料室の整理作業の仕事があったのだ。資料整理というと重要な仕事のようだが、要は資料の埃を払い陰干しの作業。
 見習いの自分はただ言われたままに、資料を運ぶだけの作業だが、それはそれでマルケスには楽しい仕事だった。
 ウォルフの元で見せてもらえる程のすごい文書に触れられる訳ではないが、学校は学校で、それまでの創始者やそれに続く者が積み上げてきた熱き心の籠った教育への想いを感じられて楽しかった。
 「これは、この学校にとって最も重要な資料だから大切に扱えよ!」
  そうして校長から渡された資料にマルケスは緊張する。学校の創始者が遺した資料だから。手袋をはめた手で恐る恐るその資料を命じられたところに運ぶ。
 図書室の大きなテーブルに並べ、一息をつく。そしてその表紙にある【F.B】の文字をドキドキしながら見つめてしまう。子供への教育だけでなく、生涯学習への取り組み、学校建築に関わる治水工事の資料、農地改革の一環で各農地から集めた技術情報とその資料のもつ世界の幅広い。
 教育者としてのイメージが強いが、実は按察官が彼の本業である。農業技術の共有化し検証することで農業技術を研究すべき学問にまで高めた。
  そんなフリー・ベックが生涯かけて取り組んできたことの一部がそこに並べられているのだ。
 元老院府にいるよりも外で仕事していたことが多い為に、学校の方にフリーベックの足跡を示す資料は多い。

  それらの資料の表紙をウットリと眺め、そしてコッソリとめくり中を見てニヤニヤする。そんなマルケスはかなり怪しかったかもしれないが、フリー・ベック校で学んだ者にとって、フリーベックはもう王に並ぶ敬愛すべき存在。
 そういう行動になっても仕方がないことだった。
 そうしている内に見つめていた資料に何かひっかかるものを感じマルケスは首を傾げる。何かよく分からないモヤモヤした形にならないモノが頭の中で存在感だけを主張している。そんな気持ち悪い状況にマルケスは戸惑う。
 ボーとしていた為に校長から叱りの声が飛び、マルケスは頭をブルブルふって気持ちを切り替え、作業を再開することにした。
  マルケスがフリー・ベックの資料に感動以外に感じた何か、その原因に気が付くのはもう少し先の事となる。


 
 ★   ★   ★


~6章完~

 次話で完結です。

この作品は次話のエピローグにて完結となります。ここまで読んで下さりありがとうございました。最後までお付き合い頂けると嬉しいです。

 六章の主な登場人物
※※※過去※※※
フリデリック・ベックハード
 アデレード王国の王子 十三歳 第一王位後継者
  後生の人に『フリ(愚か者)』の名で呼ばれる

 テリー・コーバーグ
 アデレード王国軍の連隊長
  金環眼をもつレジナルドの部下
  フリデリックの剣術の講師

グレゴリー・クロムウェル
 フリデリック王太子の史学の教師 

レジナルド・ベックハード
 アデレード王国の王弟子 二十六歳
  フリデリックの尊敬する従兄弟
  王国軍 金獅子師団師団長 上級大将 金彩眼をもつ
 第二王位後継者

ウィリアム・ベックバード
 アデレード王国の国王
  フリデリックの父親

エリザベス・ベックバード
 アデレード王国の姫
  フリデリックの姉 十八歳 後に悲惨な事件を起こし修道院へ収監される。そこで肺炎を拗らせ死亡。

バラムラス・ブルーム
 王国軍 元帥 公爵家

レゴリス・ブルーム
 王国軍 紫龍師団師団長 上級大将
  レジナルドの親友 バラムラスの息子

キリアン・バーソロミュー
 元老員議員 按察官 伯爵家 二十一歳。後に暗殺されそうになった友であるテリーを庇い死亡。

ダンケ・ヘッセン
 フリデリック王太子近衛隊長 二十九歳。その後フリデリックのみに仕え一生を終える。

ナイジェル・ラバティー
 アデレード王国軍の連隊長
  フリデリックの兵法の講師
 その後フリデリックを傀儡として政権を取り戻そうとする者達に協力し謀反を起こさせる事で反体制派を一掃させ、その責を受けレジナルドより処刑される。

アルバート・ヘッセン
 ダンケ・ヘッセンの従兄弟で元近衛兵
  レジナルド暗殺の犯人に仕立てられてあげられ投獄。マギラ侵攻の際立ち上がった義勇軍の一人として活躍したことで赦免され解放。現在ギルバート・ローゲンという名で王国宇軍に所属。
 王国軍というよりテリー・コーバーグのみに一生仕えた。

エミール・オーウェン
 キリアン・バーソロミューの部下

トマス
  キリアン・バーソロミューの部下

ヴァーデモンド公爵
  ブルーム公爵と並ぶアデレード国の重鎮。
  元老院のトップを務める

 クロムウェル侯爵
  宮内省のトップを務めていて、ヴァーデモンド派の貴族。

メクレンブルグ公爵
  アデレード国の三公爵の一人。元老院議会で議長を務める。


フリー・ベック
 教育改革の農地改革を大胆に行った按察官で。子供が無料で学べる場であるフリー・ベック学校の創始者。

※※※未来※※※
マルケス・グリント
 見習い学芸員
  ウォルフ・サクセンの弟子。フリデリック・ベックバードとフリー・ベックについての研究に一生を費やす。

ウォルフ・サクセン 
 宮内省 王立美術館 館長補佐
  フリデリック・ベックバードの研究をしている
しおりを挟む

処理中です...