愚者が描いた世界

白い黒猫

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~そして愚者は歩き出す~

6-5<味方はいない>

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「企む? 貴方も見られていたでしょう。私はただ皆さまとソファーでお話していただけです」 
  そう惚けたことを言いエミールは朗らかに笑う。
 「何故、お前は珈琲を飲まなかった?」 
  そう訊ねると悲しげに見える顔で息を吐く。
 「珈琲を飲みたい気分でも無かったので」
 「俺は元々珈琲嫌いなんで」
  エミールに続いて、聞いてもいないトマスも応える。倒れている部下の一人に近付きその容態を確認する。息は穏やかで、頬を叩くと顔を顰めるなどの反応は示すが覚醒にまでは至らない。毒という訳ではなく、強力な睡眠薬が使われようだ。
 「ただ皆さん寝ているだけみたいですから、心配する事ないと思いますよ。時間が経てば目を覚ましますよ」
  能天気な口調でそんな事を言うトマスをダンケは睨みつける。
 「もしかして私達をお疑いですか? ただ出された飲み物を、飲まなかっただけで。それは貴方も同じでしょうに」
  エミールはそう柔らかく声をかけてくるがそんな言葉で誤魔化せると思っているのだろか? この状況に平然としている事が可笑しいのだ。
 「ふざけるのもいい加減にしろ。目的は何だ?」
  ダンケは腰に下げた剣の柄に手を添える。その様子を焦る訳でもなく、エミールは困ったように見える顔で笑う。
 「まさか元老院府内で剣を抜く気ですか? 貴方が何か問題を起こすとあるじに迷惑をかける事になりますよ。フリデリック様に迷惑をおかけしたいのですか?」
  どこまでも穏やかに話すエミールがダンケには気持ち悪い。居心地悪い静けさに包まれた部屋の中だけに余計に奇妙に見える。
 「私の仕事はその主を守る事、その為ならば、何でもする。そして何か不穏な事が起こっている状況ならば剣を使う事になっても当然だ。この状況を何でもないと言い張るお前らの方がオカシイだろ!」
  ダンケはそう言いながら剣を握る手に力を込めるが二人は抜く事はしない。
 「あらら、意外と短気で。
  我々はアンタと戦うつもりはないんで手を剣から離してくれませんか? ここで我々が揉めても何もいい事なんてないじゃないですか」
  トマスの言葉にダンケは鼻で笑う。
 「ならば、そこを退いて俺を通せ」
  トマスはチラリとエミールと目を合わせる。
 「私としてはこの部屋を出る事はお薦めしません。冷めてしまいましたがその珈琲を飲んでユックリして頂けると助かります。
  早とちりしないで下さい。何度も言いますが私達は敵ではない。寧ろ目的は同じです。平和につつがなく戴冠式まで行いたいだけ。悲しい犠牲者を一切出さずに」
  エミールは視線を先ほどダンケが置いた珈琲カップに向ける。トマスの剣の能力は知らないが、エミールはキリアンと共に行動することが多く文官としての印象が強いが、代々バーソロミュー家に仕える騎士の家柄。剣技大会でもそれなりの成績をおさめていた。その二人を相手に闘って間に合うのか? 今、正に何か起ころうとしているこの状況で。
  しかもここで剣を抜く事のしない二人に向かって剣を抜くことの危険性も考える。その途端にダンケこそが謀反者と騒ぎ立てられる可能性もある。ここでダンケを暴れさせ問題を起こす事か目的だったら? とも考える。そういった意味では、ダンケの罪を被せられた親戚の存在は自分に不利に働く事となる。
  ダンケはユックリと剣から手を離し、もう一人の部下に近づき身体を抱き起こし壁に凭れさせ楽な姿勢になおす。その様子をじっと見つめている二組の目を感じながら襟元も開け介抱作業をしているふりをする。武人であるのにここまで触られても何の反応もない。どれだけ強烈な薬を使われたのか? フーと息を吐く。
  背後からゆっくりとトマスが近づいてくるのを察して、身体を起こす勢いのままそのお腹に頭突きを暮らさせ吹き飛ばす。手に筒を持っているのを確認する。注射器のようなもので、ダンケも昏睡させる気だろう。ダンケはエミールとの距離を確認しつつ、尻もちつきながらも手を伸ばして動きを止めようとするトマスを避け、ドアを激しく開ける。外に出たら衛兵もいる。この異様な事態に気が付き動いてくれるだろう。廊下に出て周りを見渡し違和感を覚える。廊下に等間隔に立っている筈の衛兵は明らかに少ない。ダンケの姿を認め、その一人が近づいてくる。
 「何をしている部屋戻れ」
  衛兵の冷たい声にダンケは眉を寄せる。
 「バーソロミュー家が謀反を起こした部屋にいるものを薬で眠らせて、何かをしでかす気だ」
  そう訴えるダンケに相手は溜息をつく。深めの帽子で隠れていたその顔を改めて見てダンケは固まる。
 「貴方ですか、丁度良かったです。ダンケ殿を説得してくださると助かります」
  背後からエミールの声に、その前の人物は苦笑する。
 「バート、生きていたのか……」
  ダンケの口から思わず漏れたのはそんな言葉だった。冤罪を着せられて投獄された筈の従兄弟ロバート・ヘッセンがそこにいた。相手はフッと笑う。
 「見ての通りだ。
……でも、今は思い出話に花咲かせている暇はない。部屋で大人しくしていろ」
  死罪に等しい苛烈な労働を強いられる牢獄に入れられたことで死んでしまったとばかり思っていたロバートとの四年ぶりに再会の喜びよりも、この場面で自分を遮る存在として現れた事にダンケはショックを隠せない。
 「何故ここにいる? 何をしている?」
  ロバートは顔を傾けダンケを見る。
 「警護だ。そのように命令を受けているからな」
  自分の恰好を見ればわかるだろ? と言わんばかりの言葉にダンケは真意に悩みながらも深呼吸をする。昔から余りに多くを語らない人物ではあった。しかし何故囚人がここにいて元老院府の警護をしているなんて明らかに普通ではない。
 「ならば、協力しろ! あの部屋を見ればわかる。エミール・オーウェンと後ろのトマスという男が、控室にいる者の睡眠薬を仕込んで眠らせた。反乱を起こす気だ! それを阻止する」
  あえてそう言葉を投げかけるとロバートは『ほう』と返事を返す。しかし動かない。
  他の衛兵も、このやり取りを聞いている筈なのにまったく動こうとせずにコチラをただ見ている。味方は此処には誰もいない。ダンケは近くにいる従兄弟に訴えるように視線を向ける。
 「近衛だったお前が、王家に剣を向けるのか?」
  ダンケの言葉に、背後からエミールの大きな溜息が聞こえる。
 「その王家によって裏切られ、切り捨てられた。それでも忠誠を持ち続けろとは無茶な……」
 「その復讐でバーソロミュー側についたというのか? 国をただ混乱させる事をお前は望むのか!」
  エミールの言葉を遮るように叫ぶダンケにロバートは鼻で笑う。
 「バーソロミュー公? 関係ないな。
  私は私の主の意思に従うのみ。
  お前も分かっているのでは? あの王子には国を治められ――」 

  ガラガラガラァァァァー

 ロバートの言葉を遮るように、耳障りな鐘の音が響く。議事堂で何か異常事態が起こった時に鳴らされる警報音である。
  ダンケは議事堂方面へと踏み出すがロバートがその経路を塞ぐ。周りの衛兵やトマスも動くが、ロバートが手をあげ制する。その事がダンケの有利に働いた訳ではない。ダンケにとって寧ろ闘う相手としては、最も最悪な相手。年齢も近い事で、散々練習でぶつかりあってきただけに、ダンケの動き方をロバートは良く分かっている。しかも剣術、体術何においてもロバートの方が優れており敵わなかった過去がある。一人で止められるから手助け不要という意味であることをダンケは理解する。
  ダンケは剣を抜き切り掛るが、あっさり避けられ逆に間合いを詰められる。ロバートは腕にとりつけられている小型の盾をダンケの横腹にくい込むように当ててくる。盾を面でなく角で打ち込まれるとかなりの衝撃となる。
 「ウクゥッ」
  思わず声が漏れるが、体勢を崩すわけもいかず一歩だけ引く。元近衛だっただけに防具の弱い所を良く分かっている。式典用の制服は警護する目的の為それなりには頑丈に出来ているが戦場にいる兵士程の強度のあるものでは無い。寧ろ見た目と動きやすさを重視した分、衝撃といったものはあまり緩和してくれない。
  ロバートが剣を抜いてこない事についてもダンケは考える。身内の情から殺す気できていないという事なのか? しかしロバートが最も得意としているのが弓術である事を考えるとそう甘い事も考えてられない。盾の後ろにしっかり弓が隠されているのも確認した。いつでもそれを取り出せるようにする為に手を空けているという可能性もある。
  向き合っている間にも、鳴り続ける鐘に焦りは募る。剣の動きは悉く読まれ、適確にダンケの裏をかき盾を使い打ち込んでくるバード。かつて兄と慕った相手だけに、切り込みがどうしても甘くなっているのも自覚はしている。せめて剣を抜いてくれたならと思うが、そこが自分の甘さでもあると痛感する。
 「お前が本当にあの王子を守りたいならば、今はジッとここで耐えろ」
  そうロバートは低く呟き、容赦なく仕掛けてくる。その言葉に自分が今最もせねばならない事をダンケは思い出す。顔を上げロバートの顔を睨めつけるような視線を向けた。ロバートはそんなダンケの顔を見て何故かフッと笑う。それはかつて共に鍛え合った時に見せていた、想いを同じにしていた同志の時の表情だった。その顔にダンケは目を見張る。
  左に捻り攻撃をしてくるロバートを避けたとき初めてそこに抜ける隙をみつける。それはダンケが掴んだ隙ではなく、態と作られたもの。贈られたチャンスを無駄にしない為にもロバートの横をすり抜け。 ダンケはそのまま踏み込み議事堂へと向かって走り出した。

  カチャ

 ホールへ入ろうとした時に背後でそんな音を聞く。しかしダンケはその事を気にしなかった。今のダンケには議事堂にいるフリデリックの元に向かう事が何よりも重要だから。

  ブンッ

 次の瞬間に感じる左肩に鋭い痛み。ロバートが放った矢が肩に突き刺ささる。それでもダンケは足を止めずに走り続ける。ロバートの視界に入ったら終わりと言われる程の弓の腕前をもつ人物が、急所ではない所に矢を放ってきた事のその意味。ダンケはそれをロバートのエールと取る。昂揚の為か熱く火照ってくる身体を気にせず走り、ダンケはホール横切り議事堂に繋がる扉を開ける。回廊の向こうにある議事堂の扉を開けヴァーデモンド公爵が焦ったように出てくる。駆けつけるダンケの顔を見てその顔が安堵の表情に変わる。しかしその景色がダンケには歪んでくる。足というか身体中から力が抜けていくのを感じ眉を顰める。
 「ヘッセン! よく来た! お前でもいい! バーソロミューの小僧らが反乱を企ておった! ヤツを切れ!」
  ヴァーデモンド公爵の言葉に『やはり』と思い、前に踏み出そうとするが身体がよろける。ダンケは気合いを入れてなんとか踏みとどまるが視界のゆがみはさらに激しくなっていく。放たれた矢に毒が何か仕込んであったことに今更のように気が付く。
  ヴァーデモンド公爵越しに、部屋の中で青い顔をしたフリデリックがダンケを見つめているのを確認する。何かフリデリックが叫んだようだが、薬の所為かボワンボワンとした音に変換され言葉が聞き取れない。心配そうにコチラを見つめる顔を見てダンケは安心させるように微笑むが、視界はみるみる霞んでいく。
 「ダンケェェ!」
  薄れゆく意識の中でフリデリックの叫び声が、なんとかダンケの耳に届く。ヴァーデモンド公爵も慌て何か喚いていたようだがその声など聞こえず、フリデリックの姿と声だけをダンケの心は追うが、周囲の音はみるみる遠ざかっていく。
 『フリデリック様、……今そちらに…… ま……い……りま…… すから』
  口を開くが言葉にならない。ダンケは想いを込めて手をフリデリックに向けて差し出す。遠くその手を取れるわけでもないのに。そのまま闇に落ちていくように意識を手放し崩れるように倒れた。
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