愚者が描いた世界

白い黒猫

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~見えてきたのは~

5-8 <王の真の姿>

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 人の心を読むことが苦手で鈍感なフリデリックでも、キリアンが、テリーとグレゴリーとの間によく分からない確執がある事は気づいていた。その事について指摘するとグレゴリーはあっさりと肯定し、キリアンという人物に対する懸念を口にする。しかしテリーは苦笑して首を横にふる。
 「そのように勘違いさせる行動をしてしまい申し訳ありません。互いに思った事を正直に口にしてしまう質なので、聞く人にはキツめに聞こえてしまったのでしょうね。互いに殿下が気になさるような感情は持っておりませんのでご安心ください」
  そう言葉を返してくる。『自分はキリアンに』とは言わずに、『互いに』という言葉を使ってくるのは、フリデリックを安心させるためか、金の眼による見解なのかは、その笑みからは読み取れなかった。そしてそれ以上にその言葉を不快そうに聞くグレゴリーの表情の方が気になってしまう。グレゴリーがときおり見せる哀しげな表情に加え最近はどこか思いつめたような暗い顔をする事が増えたのがフリデリックには心配だった。そしてグレゴリーの前で、彼が忌み嫌うキリアンの話題をするべきではなかったと反省したものだった。そしてこの頃には流石のフリデリックも気がついていた。元老院と王国軍のどうしようもない溝を。さらに母親であるマリー王妃とレジナルドとの確執も見えてきた。確執というか、母親が一方的にレジナルドを疎んじているようだ。だからこそ自分が王国軍の人とも積極的に関わり、レジナルドとも交流を深めなければと思い、王国軍の訓練の見学を元老院に申し入れても、その具体的な返事は来る事もなく、レジナルドに会うために動こうとしても、ダンケを伴っていたとしても、サンドリア宮殿から出ることも許可されない。今は勉強中で王族としての務めも何も果たしていない自分がどう言った所で何の意味もないだろうと、フリデリックは王である父に仕事の見学を申し出る事にした。そして微力ながらも父の仕事を手伝い学んで行けば、周りの自分に対する対応も変わると思ったからだ。
 「父のような王になりたいから」とその事を申し出た事は、は王だけでなく王妃も元老院も喜びその行動を歓迎された。
  父に近づく事で成長し大人にならんと胸を膨らませ訪れた王の執務室。そこで初めて父の仕事している姿を見学する事になった。
 「昨年反乱もありどうなるかと思いましたザビーナですが、バーソロミュー卿が良い働きをしてくれまして、例年以上の収穫を望めるようです」
 「先日王子が行ったチャリティーパーティーで集まった基金を複数の孤児院の子供達に贈る為の承認を頂けないでしょうか?」
  淡々と書類の概略を報告するヴォーデモン公爵の言葉に王は穏やかに笑い『それは良い事だ』といったら言葉一言返して出された書類に判子を押す。
  フリデリックはその一つ一つの報告がどれも興味深く思わず口をはさみ『ザビーナの反乱とは、どういう状況だったのか?』『チャリティーパーティーでどのくらい資金が集まり、それがどのように子供達の為に使われるのか?』とか質問を投げかけると、父には微笑ましそうに笑われ、ヴァーデモンド公爵には苦笑される。
 「王子、王のお仕事というものは、それは大変で、携わる事も多岐に渡っており一つ一つに気に掛けているような暇はないのです。だからこそ我々元老院が王の手となり目となり足となり最善の政策を行えるように整え、王はそれを確認し承認をすれば良いようになっております」
  そう語るヴァーデモンド公爵に父はゆっくりとしたら仕草で頷き、息子に優しく笑いかける。
 「我国は高い教育制度を持つ事から、優秀な人材が多い。だからこそ私も安心して全てを任せられる」
  王の言葉に恭しく頭を下げる公爵。そんな二人の言葉にフリデリックは曖昧な笑みを返すしかできなかった。自分のような政まつりごとについてまだ何も知らないから意見するのも烏滸がましいと思う。しかしその言葉の内容に違和感しかなかった。処理しなければならない案件が多いのは理解出来るが、王だからこそ重要な件に関してはヴァーデモンド公爵の口からだけでなく、その書類を纏めた人物なりを呼んで話を吟味してなら承認すべきだと思うのだが、全ての書類が表紙以外王に見られる事もなく、判が押されていく。それが人の処罰というモノであっても。その状況への戸惑いは恐怖へと変わっていく。かといってその時感じた想いを誰かに漏らす事は出来なかった。見学を続ければ続ける程見えてくる空虚な王の姿は、それだけフリデリックには衝撃が強すぎた。敬愛していて母親が虚栄心の強い愚かにも思える女性でしかなかった事を知った時以上の戦慄だった。
  そしてこの恐ろしい事実を誰に話せるのか? そういった事を漏らせる友と言える者もいなかった。親しい侍女のマールや自分に国に真面目に仕えてくれているダンケ等にも漏らせる訳もなく、一番頼りたい従兄弟レジナルドには会いに行ける状況でもなく、一番分かって貰えそうなテリーや王国軍講師は共にいるときは元老院の監視が付いている事で頼れず、元老院の中心人物を兄にもつグレゴリー先生にどう話せば良いのかも分からい。そんな行き場のない想いを日記にしたためるしかなかった。
  フリデリックが苦悩しているうちにも日常のようにそんな日々は過ぎていく。気付いてからのフリデリックの勉強への態度は徐々に変化する。より教授らに踏み込んだ質問をして自分に足りない知識を、より多く詰めこむように、次第に寝る時間も惜しみ勉強に勤しむようになる。あれ程楽しんでいた絵もこの時期一枚も描かれていない。その行為は己の未来の為というより、無心に知識を詰めこむ事で恐怖から逃げる為でもあったのかもしれない。

 「最近、どうかされました? 何か思いつめていらっしゃるようですが。コーバーグ様も心配されていました」
  講義の最中グレゴリーの方からそう振られフリデリックはビクリと身体を震わせる。
 「良き王になりたくて、父の仕事を見学してから、無知である自分が恥ずかしくなりました」
  尊敬するグレゴリーに、嘘は付きたくなかったのでかなり婉曲な表現で本心を伝えるフリデリック。そんな生徒にグレゴリーは優しく笑いかける。
 「貴方様の考える良き王とは、どういう王ですか?」
  穏やかな表情であるものの、真剣な眼での問いかけにフリデリックは言葉に詰まる。
 「私は……………………」
  フリデリックはフーと大きく息を吐き、吸い込む。
 「民と向き合い。民を想い動く王になりたい……」
  その言葉にグレゴリーはハッとした顔をするが、その表情は嬉しそうな笑みへと変わる。自分が漏らしてしまった言葉の反応がその笑みだった事にフリデリックはホッとするのと同時に泣きたくなる。
 「非常に良い心構えだと思います」
  グレゴリーの言葉にフリデリックは顔を横に振る。
 「そんな事……理想論なだけです。
  だって今の私には、民も世界も遠い。此処を出て外を生で見たい。直に世界と触れあいたい。私は何も分かってない。見えていない」
  涙を流す幼い王子をグレゴリーはソっと抱きしめる。
 「貴方にその意思があるのなら、ちゃんと道は広がっているものです。
  遠回りに見える事でも望む未来に道は繋がっております」
  その言葉はジンワリとフリデリックの心に暖かな希望を与えていく。
 「王宮にいるだけでは、貴方は孤立してしまう。外にでなければならない」
  抱きついているフリデリックの耳元で小さな声でグレゴリーが囁く。フリデリックは顔を上げ唇だけで『どうやって』と聞く。グレゴリーはニコリと笑う。
 「ちゃんと、貴方を見守っている人もいます。一人で悩まないで下さい」
  その声は小さな声だったが、フリデリックには大きな希望となった。

  ※   ※   ※

「フリデリック殿下が療養とはね」
  バラムラスの言葉にレジナルドは頷く。
 「最近色々と疲れているのか、部屋に籠ることも多く睡眠も満足に取れていないらしい」
  澄まして応えるレジナルドにバラムラスは意味ありげに笑う。
 「元帥、貴方も望んだ展開でしょうに」
  眼を細め笑うレジナルドにバラムラスはフフと笑う。
 「貴方が嫌がりましたが、やはりテリーに講師の任を任せて正解だったでしょに。クロムウェル侯も自分の弟がテリーにすっかり懐柔されているとは思ってもいないとは。あの男は元々コーバーグ夫妻に傾倒していた。テリーと会わせるとどうなるか読めると思うのに」
  レジナルドはバラムラスを軽く睨むがバラムラスは肩を竦めて応える。レジナルドもテリーからの報告でフリデリックの異変には気が付いていた。しかし最近妙な噂があらゆる場所で蔓延していることが、元老院の警戒心を高めている結果となっていた。親戚である筈のレジナルドであっても王や王子への面談が難しくなっていた。
 「あのままだと王子は潰されてしまいます。何とかしてサンドリア宮殿から出さなければ」
  テリーの言葉にレジナルドも悩む。王国軍側の人間が働きかけたら元老院はより警戒を高め王子の囲い込みを強固にするだけだ。またフリデリックに何かを学ばせる、見識を深める為にと外に出させるという事も元老院は嫌がる。無知で従順である方が傀儡としては都合よいからだ。
  そういう意味ではグレゴリーは丁度良い立場の人間だった。クロムウェル侯爵の弟だが、本人が政治に興味がないという態度で世捨て人な生活をしていることで侯爵の単なる付属品のようにしか思われていない。
  それでいて慈善活動という元老院の中心となっている貴族が一番興味のない場所でテリーと蜜に交流を持つことが出来ている。
  誰からも警戒心も持たれていないグレゴリーからの、『王子を空気も綺麗で景色のよい場所でのんびりとしてもらって療養したらどうか?』という言葉に元老院は反対をしなかった。最近の根を詰めたかのように勉強をしているフリデリックに懸念を抱いていただけに、そういう所で緩やかな生活をさせることで、元の大人しく従順な王子に戻るだろうと考えたからだ。
  王宮から出せれば、監視の眼も緩み王子に様々な体験をさせ人脈をつけさせ力を与える事も可能となってくる。
 「一つ問題があるとしたら、警護の問題ですが」
  バラムラスは人の悪い顔で笑う。バラムラスにしてみたら、王子の存在がなくなる。それはそれで悪くない状況だからだ。
 「それは彼らの問題だ、我々が考える事でもない」
  レジナルドにはそこが不安だった。未だ正体の分からぬコーバーグの亡霊の存在もある。フリデリックの為に外の世界に出してみても、その事がフリデリックの命を断つ事になってしまったら無意味だからだ。
  しかしそれどころではない緊急な問題が、今まさに近くで起こっていた。そしてその報を知らせる為にバラムラスの執務室に走ってくる者の存在。その者がノックもなしにドアを開け、口を開くまではバラムラスもレジナルドも平和で良き方向へと物事が進んでいると信じていた。
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