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~巣の外の世界~
4-7 <届かなかった手紙>
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マルケスは、いきなりスケッチブックに現れた、腕や足を欠いて苦痛に満ちた表情をした人物らの絵に、手を思わず引っ込めた。色のない絵に関わらず、包帯を濡らす血の色、苦悶の声が聞こえてきそうなそんなスケッチは、今まで穏やかで繊細な絵とは明らかに雰囲気が異なっていた。
「ひっ、先生なんですかこの絵は!」
思わず声をマルケスは上げてしまった。しかしその絵から眼が離せない。スケッチブックに描かれた他の絵にはない、凄まじい気迫がその絵にあった。
恐る恐るページをめくってみるとモデルとなった人物こそ違えど、似たような絵が数ページ続いていく。その絵を見ていると、どうしようもない悲しみ痛みを心に感じる。描いているフリデリックの感情だろう。このような絵でありながら、どこか被写体に対するやさしさというものを感じるのは不思議だった。
ウォルフは、近づいてきてそのページを見て『ああ』と短く答え、隣にある書庫へと消えてしまった。そして一冊の本を持って帰ってくる。そして、その本のページをめくり、ある場所を指し示しマルケスに示す。
『――今日ほど、私は自分が情けなく愚かだったと思った事はない。
戦闘が行われれば、敵味方双方に死者や怪我人がいるのは当然なのにその事実をまったく気にもせず、彼らが戦い守ってくれたこの世界をのうのうと生きていたのだ。
そして、そんな彼らを目の当たりにしても、私は彼らに何も出来る事はない。ただ固まり眺めるだけで、声をかけることも、その身体をさすって労ることも、また彼らにいるのであろう家族や友人の悲しみや苦しみに対しても何の慰めの行動に出る事もできない。
今できることは、彼らという存在を心に刻み忘れない事だ。眼を背けないことだ。――』
それはフリデリック・ベックバードの日記のようだ。スケッチブックの角に書かれているのと同じ繊細な文字で綴られていた。どうやらテオドール・コーバーグに連れられて、負傷兵の慰問にいったようだ。その時の様子を描いたのがコチラだったらしい。
「つまりは、テオドール・コーバーグはフリにまで立派な王にすべく教育していたという事ですか?」
ウォルフは首を傾げる。
「どうなのだろうな、結果から考えるとそうとも言えないようにも思う。ただ誰に対しても仁愛を説く人物だったようだ。敵味方関係なく彼に説かれ従うようになったという話も多い」
マルケスは成る程と、もっともらしい顔で頷く。その仕草がかえって彼の幼さを強く感じさせ、ウォルフは微笑ましくて笑う。
マルケスは、何かを思いついたのか、顔をあげウィルフを見上げる。
「ところで、金環の眼の人物って、結局アデレードにしか現れていないんですよね?」
ウォルフは頷く。そう結局あれから百年ほど経つがこの時代以降金環の眼の人物は歴史上現れていない。
「しかも、アデレードには金環の眼の人物が二人現れた。これこそが、アデレードが神に愛された国という事ですよね」
ウォルフは、歴史を学んでいるだけに、そういった迷信的なモノはあまり好きではないので苦笑を返す。
「マルケス、歴史と向き合う時は、そこに自分の感情や願望のせてはいけないよ。冷静な視点で現象を見つめる事こそに、真実は見えてくるものだ。この黄金の王の問題にしても、そもそも世界を導く王というものは、人間が勝手に作ったものだ。元からそんなもの存在しないのかもしれない」
「でも、預言の通り、テオドール・コーバーグは王を指名しました」
威張ったように語るマルケスをみつめ、ウォルフは溜息をつく。
「それこそが、アデレードにおける一方的な見方だ。あの時代にテオドール・コーバーグは多くの王族と関わりをもった。それだけに、自分の国こそが黄金の王だと言い張る国も多い。ラトニアなど、ラトニア国が王位継承権に揉めているときに世界に金環眼の人物が現れたと言い張るし、カラミア王は明らかに働きかけて王位に即かせた。寧ろ黄金の王はカラミア王だという説の方が世界的には有力となっている」
その言葉にマルケスはかなり不満そうな顔をする。
「テオドール・コーバーグは政治家ではなく、生涯軍人であった事は分かっているな? それが神の心を伝えるという事なのだろうか? しかも彼は志半ばで歴史から消えている事を忘れていないか? それこそが彼が人間だった証だと私は思う。本当に神に遣わされた人物ならば、最後まで見守るのではないか? 王位を授けるのが使命だったのなら、即位した段階で消える筈だし、彼はいろんな意味で中途半端な形で消えてしまう。」
人々の記憶に残らなかった為に、歴史の影に消えていったフリデリック・ベックバードと、人々の記憶に鮮烈に焼き付いているのに、畏敬の念が人間としての姿をぼかしてしまい謎だらけで歴史から消えていったテオドール・コーバーグ。
歴史の教科書に書かれていない二人の若き姿が、この日記で見ることが出来る。
マルケスはその言葉に、黙り込んだ。その時代の英雄達はどうも必要以上に神格化され人間離れした存在と語られがちである。最もそれが激しいのはテオドール・コーバーグである。天使とか天上人とばかりの表記が目立ち、人間として描かれたものが少ない。彼が何を苦悩し何を思ったのかを記されたものもない。
しかし一方、マギラやアウゴール側の文書では冷徹で笑いながら人を切る魔の存在として書かれた報告書が残っている現実もある。
もっとも近くにいたと思われる、王国軍の人間は報告書とか記録というものは残しているが、日記をつけるといった習慣はあまりなかったようで、個人的な想いや感情を文章としてあまり残していない。
そういう意味でフリデリック・ベックバードの日記に出てくるテオドール・コーバーグの表記は、かなり貴重なものともいえる。彼の日記の中のテオドール・コーバーグは、ただ優しく穏やかな存在ではなかったように見える。かといって冷酷で性悪だというのではなく、正義感が強く真っ直ぐで勝ち気な性格だったようだ。だからこそフリデリックはテオドールを慕い愛した。
二人の関係は何だったのだろうか?
テオドール・コーバーグは遺書を態々フリデリック宛にも残していた事からそこには、友情はあったのだろう。しかしその遺書は何故かフリデリック・ベックバードの元に届けられた形跡はなく封も閉じられたまま発見された。実の所、遺書は他にもレジナルド・ベックバード、そしてレゴリス・ブルームなど近しい人達宛にも書かれていたが、全ては未開封のまま一つの箱に入ったままバーソロミュー家の倉庫で見つかった。 何故、遺書は誰の手にも届かなかったのか? 今も謎のままである。とはいえこの遺書が書かれたのが二十代半ばという年齢の時期であった事実から、テオドール・コーバーグは病死であったというのが現在最も有力となった。しかしならば何故か死亡という記録がなく、コーバーグ家の墓地にもその墓はないのか? 結局は謎を深めただけであった。
「ひっ、先生なんですかこの絵は!」
思わず声をマルケスは上げてしまった。しかしその絵から眼が離せない。スケッチブックに描かれた他の絵にはない、凄まじい気迫がその絵にあった。
恐る恐るページをめくってみるとモデルとなった人物こそ違えど、似たような絵が数ページ続いていく。その絵を見ていると、どうしようもない悲しみ痛みを心に感じる。描いているフリデリックの感情だろう。このような絵でありながら、どこか被写体に対するやさしさというものを感じるのは不思議だった。
ウォルフは、近づいてきてそのページを見て『ああ』と短く答え、隣にある書庫へと消えてしまった。そして一冊の本を持って帰ってくる。そして、その本のページをめくり、ある場所を指し示しマルケスに示す。
『――今日ほど、私は自分が情けなく愚かだったと思った事はない。
戦闘が行われれば、敵味方双方に死者や怪我人がいるのは当然なのにその事実をまったく気にもせず、彼らが戦い守ってくれたこの世界をのうのうと生きていたのだ。
そして、そんな彼らを目の当たりにしても、私は彼らに何も出来る事はない。ただ固まり眺めるだけで、声をかけることも、その身体をさすって労ることも、また彼らにいるのであろう家族や友人の悲しみや苦しみに対しても何の慰めの行動に出る事もできない。
今できることは、彼らという存在を心に刻み忘れない事だ。眼を背けないことだ。――』
それはフリデリック・ベックバードの日記のようだ。スケッチブックの角に書かれているのと同じ繊細な文字で綴られていた。どうやらテオドール・コーバーグに連れられて、負傷兵の慰問にいったようだ。その時の様子を描いたのがコチラだったらしい。
「つまりは、テオドール・コーバーグはフリにまで立派な王にすべく教育していたという事ですか?」
ウォルフは首を傾げる。
「どうなのだろうな、結果から考えるとそうとも言えないようにも思う。ただ誰に対しても仁愛を説く人物だったようだ。敵味方関係なく彼に説かれ従うようになったという話も多い」
マルケスは成る程と、もっともらしい顔で頷く。その仕草がかえって彼の幼さを強く感じさせ、ウォルフは微笑ましくて笑う。
マルケスは、何かを思いついたのか、顔をあげウィルフを見上げる。
「ところで、金環の眼の人物って、結局アデレードにしか現れていないんですよね?」
ウォルフは頷く。そう結局あれから百年ほど経つがこの時代以降金環の眼の人物は歴史上現れていない。
「しかも、アデレードには金環の眼の人物が二人現れた。これこそが、アデレードが神に愛された国という事ですよね」
ウォルフは、歴史を学んでいるだけに、そういった迷信的なモノはあまり好きではないので苦笑を返す。
「マルケス、歴史と向き合う時は、そこに自分の感情や願望のせてはいけないよ。冷静な視点で現象を見つめる事こそに、真実は見えてくるものだ。この黄金の王の問題にしても、そもそも世界を導く王というものは、人間が勝手に作ったものだ。元からそんなもの存在しないのかもしれない」
「でも、預言の通り、テオドール・コーバーグは王を指名しました」
威張ったように語るマルケスをみつめ、ウォルフは溜息をつく。
「それこそが、アデレードにおける一方的な見方だ。あの時代にテオドール・コーバーグは多くの王族と関わりをもった。それだけに、自分の国こそが黄金の王だと言い張る国も多い。ラトニアなど、ラトニア国が王位継承権に揉めているときに世界に金環眼の人物が現れたと言い張るし、カラミア王は明らかに働きかけて王位に即かせた。寧ろ黄金の王はカラミア王だという説の方が世界的には有力となっている」
その言葉にマルケスはかなり不満そうな顔をする。
「テオドール・コーバーグは政治家ではなく、生涯軍人であった事は分かっているな? それが神の心を伝えるという事なのだろうか? しかも彼は志半ばで歴史から消えている事を忘れていないか? それこそが彼が人間だった証だと私は思う。本当に神に遣わされた人物ならば、最後まで見守るのではないか? 王位を授けるのが使命だったのなら、即位した段階で消える筈だし、彼はいろんな意味で中途半端な形で消えてしまう。」
人々の記憶に残らなかった為に、歴史の影に消えていったフリデリック・ベックバードと、人々の記憶に鮮烈に焼き付いているのに、畏敬の念が人間としての姿をぼかしてしまい謎だらけで歴史から消えていったテオドール・コーバーグ。
歴史の教科書に書かれていない二人の若き姿が、この日記で見ることが出来る。
マルケスはその言葉に、黙り込んだ。その時代の英雄達はどうも必要以上に神格化され人間離れした存在と語られがちである。最もそれが激しいのはテオドール・コーバーグである。天使とか天上人とばかりの表記が目立ち、人間として描かれたものが少ない。彼が何を苦悩し何を思ったのかを記されたものもない。
しかし一方、マギラやアウゴール側の文書では冷徹で笑いながら人を切る魔の存在として書かれた報告書が残っている現実もある。
もっとも近くにいたと思われる、王国軍の人間は報告書とか記録というものは残しているが、日記をつけるといった習慣はあまりなかったようで、個人的な想いや感情を文章としてあまり残していない。
そういう意味でフリデリック・ベックバードの日記に出てくるテオドール・コーバーグの表記は、かなり貴重なものともいえる。彼の日記の中のテオドール・コーバーグは、ただ優しく穏やかな存在ではなかったように見える。かといって冷酷で性悪だというのではなく、正義感が強く真っ直ぐで勝ち気な性格だったようだ。だからこそフリデリックはテオドールを慕い愛した。
二人の関係は何だったのだろうか?
テオドール・コーバーグは遺書を態々フリデリック宛にも残していた事からそこには、友情はあったのだろう。しかしその遺書は何故かフリデリック・ベックバードの元に届けられた形跡はなく封も閉じられたまま発見された。実の所、遺書は他にもレジナルド・ベックバード、そしてレゴリス・ブルームなど近しい人達宛にも書かれていたが、全ては未開封のまま一つの箱に入ったままバーソロミュー家の倉庫で見つかった。 何故、遺書は誰の手にも届かなかったのか? 今も謎のままである。とはいえこの遺書が書かれたのが二十代半ばという年齢の時期であった事実から、テオドール・コーバーグは病死であったというのが現在最も有力となった。しかしならば何故か死亡という記録がなく、コーバーグ家の墓地にもその墓はないのか? 結局は謎を深めただけであった。
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