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第三種接近遭遇

この世で二番目に会いたくなかった人

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 不思議そうにしている鈴木悟氏に、鈴木玲奈さんは【大学時代の知り合い】と説明する。
 それもそうだろう。そうとしか説明しようのない関係だから。
 私は鈴木玲奈さんの顔と名前以外は何一つ知らない。さらに言うと言葉を交わした事すらない。
「あ、コチラが私の兄、ってもう紹介は終わっているのよね? でも私の兄はコレ」
 私はその言葉に苦笑するしかない、彼女も少し困ったように笑う。
 ぎこちなかったのはそこまで。その後は玲奈さんのお蔭でチャキチャキとテンポよく仕事は進む。口下手の兄とは異なり社交的な玲奈さんのお陰で打ち合わせそのものは順調に終わる。
 彼女は絶えず笑顔で、私への友好的な態度を一切崩すことなく接してきていた。
 そんな彼女の態度が私には理解できない。
 彼女は何故私にそんなに親しげに接してくるのか? 私が家族の経営しているお店の宣伝をしてくれる記者だから?
 無事打ち合わせが終わって挨拶をして、お店を出て数メートル歩き出す。
 『わかばさん』
 私を呼ぶ声が背後から聞こえた。
 玲奈さんが相変わらずの笑顔で、何か小さな袋を手に私の方に走ってくる。
「良かったらウチのパン、どうぞ。コレ試作品なので感想も頂けると嬉しいわ♪」
 ニコニコしていた彼女の顔がスッと真面目になる。私は思わず身構えてしまう。
「わかばさんとは本当にズット話したかったの。だから今度二人で呑みにいきませんか?」
 玲奈さんの言葉に余りにも呆然とするしかない。
 彼女のパワーに圧倒されたのもあり気が付いたら連絡先を交換していた。
 私はアドレス帳にあるその名を見ていると激しく心が練り動く。喜怒哀楽の中の負の感情だけに染まった私が出来上がる。

 正直な気持ち二度と会いたくなかった。取材さえ無事に終わればもう彼女とは一切の関係を持ちたくない。
 あのように友好的に見える態度で来られると私は何も言えなくなる。気が弱すぎる自分にも嫌になってきた。
 私は深く重い溜息をつき会社へと戻る事にした。

 その後の時間は私にとって散々なモノだった。仕事に集中する事でなんとか感情的になっている自分を抑えようとしていた。しかしその仕事の中に私の心をかき乱す相手がいるから堪らない。

 ドゥーメチエの窓口は玲奈さんとなったようだ。メールや電話でやたら絡む機会も多い。
 鈴木悟氏は職人タイプで寡黙な人。それだけに私達が知人ならば、妹の方が話も円滑に進むだろうと考えての事だと思う。
 のんびりしていたように見えた鈴木悟氏には二人の微妙な表情が分からなかったのだろう。

 玲奈さんは仕事をするには最高の相手であったのかもしれない。経営の一端を担っている事もある。
 兄の代弁者としても最適であった。何が自分のお店の売りであるのかを明確なビジョンとして持っている。
 客商売をやっている人だけに細やかな気遣いの出来る対応をしてくれるという意味では助かった。
 その様子は社会人としては全うなもの。しかしフレンドリー過ぎる態度がひたすら私を惑わせる。
 彼女は素敵で良い人なのは分かる。私が彼女を苦手とし嫌っているのと同様、彼女も私とは関わりたくもないし憎しみすら抱いている筈。
 彼女は何故か私に対してニコニコと笑いかけてくる。
 私なんて争う相手にすらならないという彼女の余裕をそこに感じて私はますます苛立つ。
 年齢は同じくらい。女性として出来の違いと器の違いも見せ付けられた気がして私はますます凹んだ。

 色んな意味で私のコンプレックスを刺激され続けた一週間。トラウマを引き出す相手玲奈さんとお酒を呑みにいったのが金曜日。そんなに嫌ならば断れば良いとも思う。
『わかばさんが私を避けようとしている気持ちは分かる。でも一度ジックリ話をしたいの! お願い!』
 彼女の何処か必死な誘いに、用事があるからという嘘はつけなかった。
 その夜、因縁の有りすぎる二人の女性でお酒を飲んで濃厚な時間を過ごし……そこから……。私は首を捻る。
 となると、ここは鈴木悟氏の部屋? 取材相手に大迷惑をかけたかもしれないと一瞬青ざめた。

 私はすぐに否定する。グテングテンになった玲奈さんをお店兼自宅である場所まで送り届けた事を思い出したから。
 兄である悟氏に恐縮され謝られながら、私はそのまま立ち去った記憶がある。
 という事は、鈴木悟氏の部屋である可能性は消えた。考えてみたら酔っぱらった女性を普通自分の部屋のベッドには寝かせないだろう。
 多分客間か妹の部屋に寝かせてくれる筈。それにそこまでの記憶はちゃんとある。いや思い出せた。問題はその後。
 その後の私はどうしたのだろうか? 確か喉が渇いたので、コンビニの前を通りそこに入り……。水を買って。……いや水ではなかったかもしれない……。駄目だ、まったくそこからの記憶がない。
 悩む私の目の端にベッドルームの出口である扉が見える。

 ここで悩んで無駄な時間を過ごすよりも、逃げるべきではないのだろうか?
 そういう考えが頭に浮かぶ。
 もしも見知らぬ男性の部屋に連れ込まれた状態だったならば、逃げた方が良い。
 視線を巡らせると上着とコートは一つにハンガーに纏められ壁にかけてあった。鞄は扉の向こうで探すしかないだろう。
 私は上着とコートを着こんでから恐る恐る音を立てないように扉をあける。
 そこにはキッチンのついたリビング的な感じ。テレビ台付き本箱が一つあった。ベッドルーム同様ブラウン系のシックな色で纏められた部屋があった。
 やはり可愛さに欠け実用的な空気のあるその部屋は、女性の部屋には見えない。
 部屋を出た所手前に見えるソファーの背もたれの後ろの所に私のバッグを見つける。そっとそれを手にとった。
 その時にこちらからみえてかったソファー前面部分に人の気配を感じる。誰かが眠っているようだ。私はそっと相手を確認するために覗きこむ。
 そこで、スウェットというラフな恰好をした男性が眠っていた。
 良く知っている顔を見てホッとするのと同時に、混乱し慌てるという正反対の感情を同時に抱える。

 清酒さん! なんで?

 自分が見知らぬ人の家で目覚めるという最悪な事態は回避できた。しかし何故昨晩の流れで清酒さんが登場してくるのかが見当もつかない。昨晩の記憶がないために、どういう事があったのかすら解らない。

 ドサッ

 私はただ呆然と立ち尽くし、つい手にしていた鞄を落としてしまう。

 『しまった』

 思った時にはもう遅く、その音と私の気配で清酒さんが目をあけた。
 恐らくはソファーで寝たからだろう、ゆっくりと置きあがり痛そうに強張った身体を動かす。
 そして『ハッ』とした様子で後ろを振り返り私を見つめてくる。その動きで清酒さんが使っていた毛布がソファーから滑り落ちた。
 寝起きで寝ぼけていた目が私の姿を捕らえるとだんだん感情がこもってくる。
 何時もとは異なるキツイ眼差しにドキリとした。眉を思いっきり寄せて明らかに私に不快さというか怒りを示す表情。
「起きたな、この酔っぱらい娘!」
 清酒さんの表情の通り怒りを含んだ低い声が電気のついてない部屋に響く。
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