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chapter3__城、営業中

白く溶けていく

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「あんた、女としての魅力に欠けてるのね」
「披露山さんの息子と付き合ってるって、近所のママたちに羨ましがられてたのに。浮気されてフラれたなんて、恥ずかしくて言えないわよ」

(……私って魅力に欠けてるのか。でも今の話にそれ、全然関係ないんだけど)
(そもそも付き合ってないって言ったじゃない。ハウスキーパーみたいなものだって。勝手にデマを吹聴した責任、こっちに押し付けないでよ)

「お姉ちゃん、子どもの頃の言葉を本気にしたんでしょ? 高校生にもなったらそんなの無効だって、ふつー気付かない? だから浮気されるんだよぉ~」

(本気にするも何も。あれはあんたに二者択一を迫られて仕方なく、「結婚するなら私がいい」=「妹の方とは結婚したくない」という意味の消去法……)
(ってこの二人にいろいろイチから説明するの面倒。話してもどうせキレるか、さらなる歪んだ解釈するかのどっちかだろうし)

 自室を出たとたん、侮蔑のこもった目で近寄ってきた母と妹へ、心の中だけで返すと。二人を無視して彼女はまっすぐ玄関へ向かった。

「どこ行くの?」
「披露山さんの家」
「「はあぁっ!??」」

 驚く母娘に、バッグから取りだした合鍵を見せる。

「おばさんとおじさんに、いつでも私の好きな時に来てほしいって言われてるから。外食に飽きて、今週はなるべく手料理を食べたいそうだし」
「なにそれ。披露山さん、そんなの私には一言も……!」
「あ、ありえない。浮気された元彼の家に入りびたって、その親とは仲良しを続けてるなんて。お姉ちゃん頭の中、お花畑すぎない!?」
(だから元彼でもなんでもない……あー面倒くさ)

 まだ何か言おうとした二人を玄関ドアで遮断し、通い慣れた道を歩いていく。

 披露山一家は彼女が小学生から中学生の間の一時期、隣の家に住んでいた。
 披露山氏は地元名士の御曹司。夫人は女優。彼女と同い年の息子は母親似の容姿に恵まれ、地域で知らない者のいない、華やかな家族だった。

 少し離れた場所に豪邸を建てて引っ越した後は、疎遠になっていたが。
 彼女が高校に入学して間もない頃、息子と駅でばったり再会すると、

「今のハウスキーパーの一人が飯もまずいうえ、親父を狙ってるみたいでさー。俺にもセクハラっぽいことしてくるし……。次の人が見つかるまで、飯作りに来てくれない? もちろんバイト代は払うよ」

 隣人だった頃。母親がパートの仕事を詰め込み、彼女が夕飯を作ることが多かった。(気を引こうと妹が勝手に持っていった)彼女の手料理を気に入っていた彼が、そんな話を持ちかけてきた。

「でもうちの学校、ちゃんとした理由がないとバイトは……、」
「手伝ってもらった謝礼、って形にすれば平気だって。週に2、3回程度なら税金の心配とかもないし。俺が好き嫌い激しいの知ってるだろ? 頼むよ~」
「……わかった。次の人が見つかるまでの間だけなら」

 その安請け合いを、彼女は早々に後悔した。

 もともと生真面目な姉より、甘え上手な妹を可愛がっていた母。
「披露山さんの息子が、あんたの手料理を食べたいですって!? まるでプロポーズじゃない~!」
 はじめは彼女が困惑するほど盛大に喜んでいたが……。

「そんな安物じゃなくてもっと可愛い服を着ていきなさい、買ってあげるから!」
「あちらの家事で疲れてるでしょ。うちの手伝いは減らしていいわよ」
「休みなんだから彼をデートに誘ったら? 交通費出してあげる」
(……絶対、なにか勘違いしてるよ。へんなことにならないといいけど……)

 嫌な予感は当たるものだ。
 隣人だった頃、妹は彼に憧れてしつこく言い寄っていた。
 姉への嫉妬。自分をほったらかすようになった母への不満。それらを爆発させた妹は、彼女が留守の間、母にありとあらゆる嘘をついた。

「お姉ちゃんがあたしの人格否定した」
「お姉ちゃんが勉強中に、しつこく彼の自慢話をしてくる」
「お姉ちゃんが階段から突き落とそうとした」「お酒飲んでた」「タバコ吸ってた」
「お姉ちゃんが、お姉ちゃんが……」

 ――妹の言葉を信じた母は、やがて彼女を疎むようになった。

 それでもまだ周囲への自慢のタネ、「いいところのお坊ちゃんと付き合っている」という思い込みがあるうちは。
(あそこまで、見下した目をされることはなかった……)

 だがママ友の一人から、「披露山の息子は他の女子と付き合っているようだ。街で一緒にいるところを見た」と報告を受けたらしい。
 彼女も、彼に相手がいるのはうすうす知っていた。

(……これからは本格的に、家に私の居場所はないんだろうな……)

 予感よりも確信に近い。
 価値観の違いを感じる母、特に妹と、仲良くしたいとは思わない。それでも血の繋がった家族に陥れられ、あからさまな悪意を向けられれば心が傷付く。

(はやく一人暮らしがしたい)
(どこか遠いところ、のんびり穏やかに過ごせる場所で。まっさらな私で……――)

 自宅を背にした彼女は、逃げるように。
 まだ見ぬ世界を夢見るように、代わり映えのない景色の中を駆けだした。


   凹凹†凹凹


(気分がだだ下がるだけの、いらない記憶。――と、あなどってはいけなかった)

「できたぁ~~!! 牛乳から作る、簡単クリームチーズ風のやつ!」

 水切りが完了したボウルをのぞき込み、ザラが笑顔になった。
 その中にはこっくりした純白の塊が、朝日を受けて輝いている。

(ハウスキーパーっぽいことをしていたせいか。記憶と一緒に、忘れていたレシピを再生できたわ。これからはむしろ積極的に思い出すべき?)
(……でも前世家族の記憶はなんかこう、胸にズンッとくるものがあるんだよなぁ)

「わぁ、すごいですね。普通のチーズと違って、なめらかで面白い食感です。料理に入れたらコクが増しそうだ」
「そうなのよ。ぜひいろんな料理にチョイ足ししてみて!」

 気分を切り替え、味見をするイアンに大きく頷いてみせる。
 それから塊の半分を取りだし、別のボウルへ移すと次の作業に取りかかった。


 ――数時間後。休憩室――


「「うまっっ!!!」」「「おいしい(です)!!!」」「……うまい」

「クリームチーズ風のやつで作った、スフレチーズケーキです♪」

 一口食べた皆の反応を見て、ザラが満足げな表情になる。
(これなら主力スイーツとしてうまくいきそうね)

「なんだこれ。口の中でシュワッッて溶けたんだけど!」
「外の香ばしさと中のとろける食感が、絶妙ですね」
「こんなの思いつくなんて天才か」
「思いついたのはあたしじゃなくて、えーと、昔いた場所の凄い人?」
「地方には案外、優れた人材が埋もれているものだな」
「おいしい。すき。今日の夕飯はこれだけ食べたい……」
「お兄ちゃんったら。偏食はダメよ」

(……あれ? なんか、平気だ)

 賑やかな試食会を見渡して。ふと自分の胸元に手を当てる。
 前世の嫌な記憶を思い出すと一日中つきまとう重苦しい気分が、いつの間にか消えていた。

(おいしいの力。それに食いっぷりのいいスタッフたちのおかげかな)

(遠い過去は現在いまの中に溶けて。いつか懐かしいとすら思う日が来るのかも……)

「それでは甘いもので回復した皆さん。午後もはりきって働きましょう!」
「「「「「はい!!!!!」」」」」

 元気よくそろった声に、ザラが軽やかな微笑みを返した。

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