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第四章 エサだけ売っときゃ大丈夫なワケじゃない

第25話 先ず錘より始めよ

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 シャッターを降ろした後で、夕食を摂り、シャワーではなく、ゆっくりと、じっくりと、まったりと湯船に身体を沈めながら、仁海は、祖母の代わりとして、初めて店に立った、この二日間の事を思い返していた。

 初日、そして、二日目の午前中も、実は、アオイソメのような活き餌以外の釣り道具を買ってゆく客もいるにはいた。だが、その場合には、常連と思しき来客達がレジまで持ってきた商品を、パッケージに貼られている値札通りに売れば、それで、問題なく事は済んでしまっていた。それゆえに、仁海は、釣り道具に関する商品知識が皆無で、さらには、品物が店の何処に置かれているのか、その置き場所さえ知らずとも、物を売る事が出来てしまっていたのだ。

 だがしかし、このような状況は、常連客や熟練客への仁海の甘え以外の何物でもない。

 来客の中には、地元以外の客や遠方から来てくれた方、あるいは、釣り初心者の客だっている。
 そういった来客は、何か分からない事があった場合には、当然、釣具屋の店員である仁海に質問を投げ掛けてくるにちがいない。となると、仁海が、このまま釣り道具について無知なままでは、祖母から引き継いだ、大洗の漁具店を上手に切り盛りしてゆく事ができるはずはない。

 事実、二日目の午後には、〈中通し〉の錘を欲していた馬越氏に、危うく〈ナス〉を間違って売りそうになったのだ。この出来事によって、仁海は、自分の未熟さを改めて痛感させられたのである。

 もしも困った事があったら、漁具店店主歴二十年以上の叔父に頼りたいのだが、いかんせん、叔父は、大洗から五十キロも離れた鹿島の店に常駐している。
 二日目の昼時の〈大貫橋〉の件のような、助けとなる〈ツヨキ〉者たるツヨシ叔父の登場は、例外中の例外なレア・ケースで、この時のように、絶好のタイミングに叔父が帰ってきてくれる事を常に期待する分けにはいかないのだ。
 すなわち、大洗と鹿島の間に横たわっている物理的な距離がある以上、仁海が、ワン・オペレーションで大洗の店をやるしかないのである。

「でも、バアバは、いったいどんな風にして独りでお店をやってきたのかな?」
 ふと仁海は、そんな疑問を抱いた。
 祖母は、祖父の存命中には殆ど店に出た事がなく、釣りに関しても、それほど詳しかった分けではない、と父や叔父から仁海は伝え聞いていたからだ。

 風呂から上がって、濡れた髪の毛をタオルで拭きながら、祖母が使っていた寝室に入った仁海は、何気なく、祖母の収納ケースを開けてみた。
 すると、そこに、積み重ねられていた数冊のノートが目に止まり、仁海は、その中の一冊を手に取り、ページをめくってみたのであった。

 !!!
 
 それは、祖母が綴り続けていた「お客さまノート」であった。このノートが寝室に置いてある、という事は、これは祖母が床に就く前に書いていた物なのかもしれない。

 そして、仁海は、ゆっくりとノートを捲ってみた。

 そこには、どこから来たお客さんで、何を買っていったのか、その時にどんな話をしたのか、それから例えば、そのお客さんが、釣りの後に店に立ち寄った際に語った、どんな魚がどれだけ釣れたのかなど、一人一人のお客さんと祖母のやりとりが事細かく書かれていたのである。
 
 また、そのノートには、出来なかった事や分からなかった事についての祖母の釣りの勉強の痕跡も記されていた。

「そっか、バアバも、日々、勉強していたんだ……」

 そもそも仁海は、疑問を抱いたり、知りたい事があった場合には、それについて、すぐに調べないと気が済まない性質の持ち主なのだ。
 釣り道具に関する知識だって、学校の勉強と同じだ。
 自分の今現在の無知ぶりを嘆いて凹んでいても仕方がない。知らない事は、勉強してこれから知ってゆけば、それでよいのだから。

 と思えども、いかんせん、釣りの道具って種類が多すぎるのよね。
「でも、物事は〈パ・ザ・パ〉よ」
 〈パ・ザ・パ〉とは、フランス語で「一歩一歩」という意味で、これは父の口癖であった。
 そして、仁海は、釣り道具への最初の一歩目を、先ず錘から学び始める事にしたのである。

                   *
 
 現在、仁海が錘について知っている事は、錘とは、鉛で出来た燻んだ銀色、まさに鉛色の物体で、その重さの単位は、グラムやキロではなく〈号〉で表わされている、せいぜいこれ位である。
 要するに、錘って、針に付けたエサが浮かばないようにする、オモシとして使う釣り道具でしょ、この程度の認識しか仁海にはないのだ。

 そこでまず、仁海は「釣り 錘」と検索エンジンの窓に打ち込み、錘についてまとめているサイトにアクセスしてみた。

 すると、である。
 釣りの錘には、仁海が思っていた以上に、とんでもない数の種類がある事が分かった。

「これは、さすがに〈大杉〉、いきなり全部の理解は無理ね」
 先ず錘から始める事にした仁海ではあったが、錘について学ぶにしても、もう少し学習範囲を狭める必要を感じたのであった。
「そういえば、今日いらっしゃった馬越さんは、〈ナス〉とか〈中通し〉とかって言っていたわね。最初はその辺から勉強を始めてみようかな」
 仁海はそのように軌道修正したのであった。

 「ナス」とは〈ナス型オモリ〉の略称で、その形は下膨れになっていて、まるで、絵で描く場合の涙の雫や、野菜の茄子のような形を成している。だから、〈ナス型〉という名になっているそうだ。
 ナスの重さ、すなわち号数は若い数の品物が多く、ルアー釣りや、近い距離をチョイっと投げる〈ちょい投げ釣り〉、あるいは、その場でポンと仕掛けを落とすだけの〈落とし込み釣り〉に向いているらしい。
「あれっ!? 落とすだけって、〈サビキ釣り〉の事かしら?」
 まさに仁海の予想通りであった。

「ところで、一号の重さってどの位なのかな?」
 錘の一号とは〈三.七五グラム〉だ。
 そして、チョイ投げには、三~十号、そして、サビキ釣りには六~十号の錘を使う事が多いらしい。

 サビキは水に沈めてゆく釣り方だから、少し重めなのかな? そう思いながら、仁海は、自分のノートにこう書き記した。

 「オモリ:ナス:号(3.75) 軽め
   チョイ投げ:3~10
   サビキ釣り:6~10」

「でも、大は小を兼ねて、大きい方が遠くまで飛ばせて、深く沈みそうに思えるけれど、それじゃダメなのかな?」
 どうやら、錘が重すぎると、魚のヒキが弱い場合、針に掛かった事に気付き難いので、重すぎる錘はよくないらしい。
 そして、熟練者は、その日その時に釣れる魚のサイズや、水深や風の強さに応じて、錘の重さを調整してゆく、との事であった。
 錘に細かな号数があるのも、これで納得である。

「じゃ、〈ナツメ〉は? えっと、たしか〈中通し〉だったかな? これって、ナスとは何が違うのかしら?」

 ナス型には、錘の端に取り付けるための部位が付いているのだが、〈中通し〉式とは、錘自体に穴が空いていて、その中に糸を通すタイプの錘であるようだ。
 
 中通し式の錘を使った仕掛けとは、〈道糸〉に〈中通し〉を通すのだが、道糸、ヨリモドシ、ハリス、釣り針というシンプルな構成であるらしい。
 ???
 釣り用語のオンパレードで、仁海の頭はパニックに陥ってしまった。

 どうやら、釣り糸には大きく分けると二つの種類があって、それが、〈道糸〉と〈ハリス〉であるそうだ。
 道糸とは、リールに巻いてある方の主たる糸の方で、メインラインとも呼ばれている。
 そして、もう一方のハリスとは、針に結んである方の糸で、ハリスはかなり細い糸であるようだ。
 そして、ヨリモドシとは、仕掛けの接続部に使う小さい道具で、例えば、このヨリモドシの一方に道糸、もう一方にハリスを結び付ける、との事であった。
 これで、最低限の基礎知識は理解できた。
 という事は、中通しの錘って、道糸側に付ける分けだから、もしも、強い魚が掛かったり、大地に釣り針が引っ掛かって、ハリスが千切れてしまったとしても、損害は、餌と釣り針、そしてハリスだけで済むってゆう事なのかしら?
 素人ながら、仁海はこんな風に、中通し式錘を使うメリットを考えてみたのであった。

 ちなみに、中通し式の錘には、丸い玉のような〈丸玉〉という物や、楕円形というか、樽のような形の〈タル型〉の錘もあって、タル型の方は〈ナツメ型錘〉とも呼ばれているそうだ。
 馬越氏が買っていったのは、この〈ナツメ〉であった。
 どうやら〈ナツメ〉は、植物の〈棗〉に形が似ている事から、この名で呼ばれているらしい。
 さらに調べてみると、ナツメ型錘は、グミとも呼ばれているらしく、ナツメにせよ、グミにせよ、これらは錘と似た形の果実であるらしい。

 錘の呼び名が食べ物由来というのは実に興味深い。
 もしかしたら、昔、ナスやナツメを片手で食べながら釣りをしている人がいて、食事の際に、錘の形と食べ物の形が似ているのを見て、つい、錘をナスやナツメに喩えてしまったのかもしれないな、そんな妄想を、仁海は脳内で繰り広げたのであった。
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