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第三章 アップデートしてゆこう

第21話 大潮満干時の釣

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 仁海は、潮の満ち引きに関する二つのサイトをブックマークした。
 これによって、〈まずめ〉の指針となる日の出と日の入の時刻、原則として、一日に二度巡ってくる満潮・干潮の時刻、あるいは、いったい何月何日が大潮・中潮・小潮・長潮・若潮になるか、といった〈潮回り〉などの情報を確認する術を手に入れたのである。

 だがしかし、だ。
 たとえ、潮回りについて知る術があっても、このように情報にアクセスできるだけでは不十分で、問題は、釣りに行くスケジュールを立てるとして、一体いつ、何潮の時に釣りに行くのがベターなのかを理解しておかなければ、せっかくの情報も片手打ちとなってしまう。
 とゆうことは、次に仁海が勉強すべきは、釣りに適した潮回りについてであった。

 そこで、仁海は『サーフ・ライフ』のページからいったん離れて、検索エンジンに戻った。それから、検索窓に「潮 釣り」と打ち込み、ネットの世界をサーフし始めたのである。

 最初の検索結果をざっと流し見してみると、潮と釣果にはやはり因果関係があり、どうやら釣りには〈大潮〉が適している事が分かった。
 それから、もっと深く調べてみよう、と思い立って、「大潮」、ついで「釣」まで検索窓に打ち込んでみたところ、入力予測一覧の中に「大潮 釣りにくい」という候補が出てきたのである。

「えっ! どおゆうこと?」

 仁海は驚き、かつ、分からなくなってしまった。

「意見が真逆じゃないのっ! どっちが正しいのよおおおぉぉぉ~~~!」

 家の中に居るのが彼女独りという事もあって、叫びをあげながら、仁海は、思わずパソコンが置いてある机を掌でバンっと強く叩いてしまった。

 直後、しまった、と反省した後で、机の表面を、叩いたのと同じ掌で軽くさすりながら、仁海は、幾つかの記事を読んでみる事にした。

 大潮の日は、満潮時と干潮時との水位の差が大きいため、その結果、潮の流れが速くなる。

 喩えてみると、急角度の坂道を自転車で下るダウンヒルのような感じなのかしら?

 大潮の日は魚も動くようなのだが、ネットサーフィンをした結果、自問自答しながら仁海が理解した内容は、要約すると次のようになる。

 大潮で、潮の流れが大きくなると、水中に漂っているだけで、泳ぐ能力がないプランクトンも、ひとつの浮遊エリアに浮き留まっていられなくなり、潮の流れと共に動くようになる。すると、プランクトンを乗せた潮の流れに合わせて、プランクトンをエサとして狙っている小型の魚の移動もまた、より活発になるそうだ。

「でも、その速くなった潮の流れに、アジ・イワシ・サバみたいな小魚って追いつけるのかしら?」
 ふと、仁海は疑問を抱いた。

「なるほどね」
 エラ呼吸をしている魚は、大潮で潮の動きがダイナミックになると、水の中の酸素をエラで吸入しやすくなって、〈活性〉が上がるそうなのだ。
「〈活性〉って、酸素をたくさん吸って、元気になって運動量が上がるって理解で良いのかしら? そうだ、活性についても調べてみよう」

 活性が〈低い〉とは、魚がエサに見向きもせずに、エサを追いかけない事で、反対に、活性が〈高い〉とは、魚がエサをよく食べ、エサを追いかける事で、つまり、活性が高ければ魚は釣れ易くなるらしい。
 活性の意味に関する仁海の推測は外れてしまっていたが、とまれ、水中の酸素を取り込む時、魚は活性が高まり、エサを求め欲するようである。
 つまるところ、潮の動きが大きいと、酸素を吸入した魚の活性が高くなるから、大潮の日は釣果が上がるという話になる分けだ。

 まあ、速い潮の流れに乗ったプランクトンを追えているのだから、酸素を沢山吸った小魚は元気で、お腹も空くのであろう。

 そして、酸素を取り込んで活性が高くなるのは、プランクトン狙いの小魚だけではなく、小魚をエサにする、より大きな魚もまたしかりなのだ。

 小魚食いのより大きな魚とは、サビキで釣る〈アイサ〉や、うちで売っている活き餌で言ったら、ウグイを食べるような魚なんだけど、それにしても「小魚食いのより大きな魚」って表現ってちょっと冗長じゃない?
 と仁海は思った。

「あっ! この表現、良いわね」
 仁海が目にした、とある記事では、小魚を食べるより大型の魚を〈フィッシュイーター〉と呼んでいた。 
「『フィッシュイーター』って、まんま英語に訳しただけだけど、こんな風に横文字にしただけで、なんか、すっきりした呼び名になっているわね」
 こう仁海は独り言ちた。

 要するに、大潮の時に釣果が上がるのは、いつもは沖合にいる魚の活性が高まって、潮の流れに乗って沿岸部にまで近寄って来るかららしい。
 その大潮の時に釣れ易いのは、小魚では、プランクトンを追ってきたアジやイワシ、そして、小魚を捕食するフィッシュイーターだそうだ。

 記事の中には、大潮の日に魚が釣れ易い意見のアンチテーゼとして、一日に二回ある潮の動きにおいて、夜中の一回目に比べて、昼間の二回目は動きがより小さいから、大潮の時には魚が釣れ難いと書かれていた。

 ???
 うっ、うぅぅぅ~~~ん、大潮の日に釣れない理由としては、ちょっと説得的ではないかな。そもそも、潮自体は動いているんだし。
 
 大潮の日って干満の差が激しい分けだから、満潮時や干潮時といった時間帯や、どこで釣るかっていう時間や空間の条件面の方が、釣れるか釣れないかを考える上で、より重要な要素なのではないかしら、と、釣りの素人ながら仁海は思ったのだ。

 そして、どうやら仁海の直感は的を得ていたようである。

 まず、大潮の日に向かない釣り方は、〈船釣り〉であるようだ。
 船釣りは、沖合の魚が釣れるポイントまで船で移動して、そこに留まって釣り糸をたらす釣り方なのだが、大潮だと潮の動きが速いため、船を安定させるのが難しく、また、糸や仕掛けも絡み易く、そして、仕掛けを狙ったポイントに落とす事も難しいらしい。
 もしかしたら、船の操縦者や釣り師が共に超絶技巧の持ち主ならば、大潮の日の船釣りでも釣果を上げる事が可能かもしれないが、普通の釣り人にとって、大潮時の船釣りの難易度が高いのは間違いなく、これをもって、「大潮の日の〈船釣り〉は魚が釣れ難い」と言ってもよいかもしれないな、と仁海は思った。

 また、船釣りではなくても、潮の流れが激し過ぎる場所もまた、大潮の日には釣果が上がりにくいらしい。
 これは、大潮の日の船釣りの理屈と同じで、ポイントに仕掛けを落とす事が難しかったり、糸が絡まり易いからであるそうだ。

 なるほど、納得である。
 だが、一般的には、船釣りや潮の流れが激しい場所での釣りの難易度が高いのは確かなのだが、糸を絡ませずに仕掛けをポイントに落とせれば、熟練の釣り人には釣果を上げる可能性が少しは残されているように仁海には思えた。

 だから、大潮の日に釣れない理由として仁海が思い付いたのは、〈大潮の日の干潮時〉には、潮の流れに乗ったプランクトンの動きに合わせて移動した小魚やフィッシュイーターが、干上がった沿岸部からいなくなってしまうから、という事であった。
 つまり、魚そのものが沿岸部に不在なのだから、大潮の日の干潮時に、いつも通りのやり方で沿岸で魚が釣れる道理はないのだ。
 これが、大潮の日には魚が釣れない、という説の根拠なのではなかろうか。

 そして、この仁海の推測は、まさにぴったしカンカンだったのだが、しかし、大潮の日の干潮時の沿岸部でも釣果が上がる裏ワザが実はあるようなのだ。

 大潮の日の干潮の時間帯の波打ち際は、潮が引いた結果、普段は水で一杯になっている場所の水深が浅くなっていたり、あるいは、水が無くなった状態になっている。

 その結果、メバルやカサゴのような〈根魚(ねざかな)〉、つまり、海底に棲み、遠くへは移動しない、そのような生息範囲が狭い魚が、干潮時には浅い所に居る事になるので、ポンとエサを落とすだけで、普段では釣り難い根魚がエサに食いついてくるそうなのだ。 
 また、干潮時に水が干上がると、岩場の凹みに水たまり、いわゆる〈潮だまり〉が出来ていて、その潮だまりには、潮の流れに乗りそこなった哀れな小魚が、群れで取り残されている場合もあって、その状況は、釣果を上げる絶好の機会になり得るらしい。

 そっか、大潮の干潮時って、きっと潮干狩りにも最適な時間帯じゃないかしら。

 結局のところ、仁海は、大潮の日に魚が釣れない理由って、大潮の日の干潮の時間帯の波打ち際の事を言っているのではないかしら、と思った。たしかに、この日のこの時のこの場所では、普段やっている釣り方は通用しなくなる、でも、ちょっと視点を変えれば、釣果を上げる方法もあるようだ。

 釣果と、潮回りや満干の因果関係については、もっともっと勉強すべき内容が未だ残されているようにも思えるのだが、壁の時計を見ると、すでに短針は天辺を回っていた。

 明日も五時開店だ。
 仁海は、ここで勉強を切り上げて、床に就く事にしたのである。
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