釣具屋さんのJK店長(仮)がゼロから始めたワンオペ運営

隠井迅

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第二章 活き餌がウチの主力だそうです

第12話 モエビは水を〈シャンブレ〉

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「お、オイちゃんがいない間、わ、わたしが、朝と晩の一日二回、モエビの水槽の水を取り換えるのは了解したよ」
「じゃ、水の入れ替え方を教えっから」
「ま、待って。わたし、開店後の六時と閉店前の七時って聞こえたんだけど」
「だな。開店前にやったら始めるのが四時、閉店後にやったら終わるのが九時になっちゃうから」
 叔父は、事も無げにそう言った。

「だ、だから、わたしが訊きたいのは、朝の六時前、午前五時に店を開けて、夜の七時の後、午後八時に店を閉めるのかって事よっ!」 
 仁海は少し語気を荒げてしまった。

「夏や秋の初めのこの時期ならば、開店時刻は五時、閉店時刻は八時ってのがうちの普通だから」
「えっ、ええええええぇぇぇぇぇぇ~~~」
 仁海は、思わず驚きの叫びをあげてしまった。

「どうして、そんなに早くて、そして、そんなに遅いのよっ!」
「釣具屋は、陽が昇ってから、陽が暮れるまで、つまり、陽が照っているうちが営業時間なのさ」
「それって、時計がない時代の、陽が昇ったら仕事して、沈んだら終わるってゆう自然時間と同じじゃん」
「そりゃ、そうだわな。釣具屋なんて、自然さまさまの商売だし」

 仁海は、ポケットに入れておいたスマート・フォンで、この時期の大洗の日の出と日の入りの時刻を調べてみた。
 九月四日の日曜日の日の出は五時十二分、日の入りは十八時三分であった。

「オイちゃん、なんで、こんなに早く店をあける必要があるの?」
「てか、オヤジの時代は、もっと早くて、四時半前には店を開けてたよ」
「えっ!」
「まあ、なんで太陽と共に店を開けるかってゆうと、釣りに適した時間帯に、朝マズメと夕マズメってのがあってだな」
「ちょ、ちょと待って。その『まずめ』っていったい何?」
「〈まずめ〉ってのは、日の出と日の入り前後の薄明るい状況の事だよ」
「ってことは、日の出付近が朝まずめ、日の入り付近が夕まずめなんだね」
「そっ。で、このまずめの時が、魚が釣れる時間帯な分けなのさ」
「具体的には何時くらいなの?」
「う、うぅぅぅ~~~ん。時刻っていうよりも、体感なんだよな。朝は徐々に明るくなってゆく時間、夕は徐々に暗くなってゆく時間帯がまずめで、朝は日の出の前後一時間くらいで、夕は、日の入りの一時間前から二時間後くらいまでが釣り頃なんだよ」
「だから、日の出前に開店して、日の入り後に閉店しろ、と」
「そゆこと」
「あっ! そのまずめって夕方の方が長くない?」
「そうなんだよな。とにかくだな、この理屈で言うと、日の出の一時間前に店を開けて、日の入りの二時間後に店を閉めるって事になるのさ。そうしないと、まずめ狙いで釣りをするお客さんを逃しちゃうから」
「なるほ。さっき調べたんだけど、今の時期の日の出が五時で、日の入りが夕方の六時だから、五時開店で八時閉店ってのは、〈理屈〉としては分かったよ」

「それとだな。うちは活き餌の〈卸し〉もやってるから、釣り船屋さんとかが、自分の店を開ける前に、早い時には六時くらいにエサを仕入れに店に買いにくっから、やっぱ、六時前には開店しておかなきゃあかんのよ」
「わ、分かったよ。とにかく、早起き、頑張るよ」
 仁海は自身なさげに叔父に応じたのであった。

 店の開店時刻については、五時という、あまりにも早い時刻であったため、仁海は、脊髄反射的に叔父に反発してしまったのだが、朝まずめ狙いのお客さんや、卸しのお客さんが来るから、という理由を叔父から伝えられ、祖父や祖母の時代から、五時開店というのが、創業七十五年の〈河倉漁具店(ぎょぐてん)〉の伝統と言われてしまっては、仁海も納得せざるを得なかった。
 
 仁海は、ふだん夜一時くらいまで起きている、比較的夜型な生活をしているので、五時に店を開けるための四時台の起床なんて、コミック・マーケットや、青春十八きっぷの時期にライヴで遠征する時にしか、しかも半分徹夜状態で起床した経験しかなかったので、毎週末、そんな早起きをできる自信なんて全くなかった。だが、バアバの跡を継いで釣具屋をやると決意した以上、早起きからは逃げることはできないようだ。
 そういえば、バアバのラインの送信時刻が四時台だったのは、つまり、こうゆう理由だったのである。

                   *

 それから、仁海は、モエビの手入れのやり方について叔父から手解きを受ける事になった。

「まず、これを使って、水を吸い出すんだよね」
 そう言って、叔父が仁海に見せたのは、ダイヤルが備わり、ホースがついた器具であった。

「オイちゃん、これって……」
「お風呂の水を吸い出す時に使うヤツだよ」
 それは、〈バスポンプ〉あるいは〈風呂水ポンプ〉と呼ばれている器具で、風呂に溜まっている水を洗濯機に使う場合に、水を素早く汲み上げる際に使うポンプである。
 例えば、ホースの片端に付いている器具の本体を湯舟に沈めて、タイマーを回し、電源をオンにすると、ポンプが強力な力で風呂の水を自動的に吸い上げ、もう片側のホースの先から、その汲み上げられた水が出てくるので、それを洗濯機に入れる、という仕組みである。

 バスポンプとは、風呂の水と洗濯水を同じくする事によって、水道代を節約するために使うエコ器具なのだが、うちの釣具店では、モエビの水槽の水を吸い出す時に転用しているらしい。
 それにしても、さっきのモエビの重さを測る時に使う〈スケール〉だったり、モエビの水槽の水を汲みだす時に使う〈バスポンプ〉だったり、目的の違う道具をうまく利用しているものだな、と仁海は感心してしまった。

「で、だな。水が完全に無くなると、白くなったエビをピックアップし易くなるから、割り箸を使ってそれを省いてゆくのさ」
「なるほど」
「で、大体でいいから、死んだエビを取り除いたら、水槽に新しい水を入れなおしてゆくのさ」
「それってすぐにやるべき事だよね。水がない状態のまま、モエビを放置していたら、エビちゃん、弱っちゃうよね?」
「その通りさ」

「入れ替える水って、どこから入れればよいの? そこの蛇口についている緑のホース?」
「あっ、そこの水は使わんといて」
「じゃ、どうすれば?」
「これを使うのさ」
 そう言って、叔父は、左のクーラー室の奥に置かれている、水がたっぷりと入ったポリバケツを指さしたのであった。

「今度は、バスポンプの本体をポリバケツに入れて、ホースの先から出てくる水をモエビの水槽に入れるのさ」
「水槽の水を汲み出す時とは逆にするって事だよね」
「そっ」

「でも、なんで、わざわざバケツの水を使うの? 蛇口から直接はダメなの?」
「ダメなんだな、これが」
「バケツからは大丈夫な分け?」

「バケツは五つあるんだけれど、手前のから使ってもらいたいんだ。手前のバケツが空になったら、奥のバケツの水を手前のポリバケツに移して、空になった奥のバケツに蛇口から水を入れるって具合に、水を〈回して〉ゆくんだよ」
「どうして、わざわざ、そんなメンドそうな事をしなくちゃいけないの?」
「えっとだな。そこの蛇口から出てくる水は冷たすぎて、これを、水槽に入れちゃうと、水温が低すぎてエビが弱っちゃうんだよ」

「オイちゃんの説明だと、例えば、朝と夕ごとに、モエビの水の入れ替えをやるとして、水槽に入れた、そもそもの手前のバケツの水は、昨日、土曜日の六時の水、奥のバケツから入れ替えた手前のバケツに入っている水が土曜日の十九時の水、そして、奥のバケツの水が、今日の朝の六時に入れたばかりの水、つまり、水が古い順に、水槽、手前、奥って事で合ってる?」
「その通りさ」
「でも、なんで、古いのから使う必要があるの?」

「つまり、ポリバケツに入れて、そのまま一日水を置いておくと、いい感じに、蛇口の水がクーラーの室温になじんでくるんだよ」
「クーラー室に〈シャンブレ〉された水なら、モエビへの負担も少ないって事なのかな?」
「そゆこと」

「モエビの手入れに関しては、注意点はあと一つだな」
 そして、エビの手入れについて最後の注意を叔父は仁海に施した。

「〈水〉からは、絶対に目を離さないように」
「分かったけど、でも、なんで?」
「エビの手入れの最中に、店にお客さんが来て、ちょっとのつもりで場を離れると、戻ったら、ホースが水槽やバケツから外れて、クーラーが水浸しって大災害になっちゃうからさ」
「なるほど」

 そして、左のクーラー室を出ると、叔父は、右の方の扉の取っ手に手を置いた。
「説明は、これで最後かな」
「これで『最後』?」
 白い箱の中の潮氷にコマセ、三種の生き餌を扱うだけならば、自分にもなんとか釣具屋ができそうだ。

「うちのお客さんのほとんどはコレを買ってゆくから」
 叔父が開けたドアを通り抜けて、仁海は、緑の鉄製の頑丈そうな水槽を覗き込んでみた。

 すると――

 目もなく、手足の無い紐状の小さな生き物が、所狭しとウニョウニョしているのが仁海の視界に入り、その瞬間、仁海の意識は遠のいてしまったのであった。
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