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一巡目(二〇二二)
第016匙 優しさが理由:だし家焼肉ゑびす本廛(A13)
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丸の内線の淡路町駅の〈A2〉から出て、靖国通りを背にして、外堀通りを進んで、三本目の路地を左折すると、その右手に在るのが、焼肉店〈だし家焼肉ゑびす本廛(ほんてん)〉である。
外堀通りにもまた、数多くの細い道が接続しているため、曲がる道を間違えると、迷い人になりかねない。
さらに、この店が入っているビルには飲食店が他にも在るので、誤って入店してしまう可能性もある。
しかし、そういう場合にも、神田カレー街・ガイドブックを手に持ってさえいれば、店の人が、「ここじゃないですよ」と指摘してくれるので、間違いに気付かぬまま、という事もない。
かくゆう書き手も、道に迷った上に、二回連続で店も間違えてしまい、同じ建物であるにもかかわらず、目当ての店に辿り着けたのは、最後の最後であった。
しかし思うに、例の冊子を持っているだけで、他店の店員が察してくれるのは、それだけ、間違える人が多い、ということなのかもしれない。
ミスにミスを重ねた書き手が地下一階の店に入ったのは、予定よりも遅い十二時十五分くらいの事であった。
この店は焼肉店なので、焼肉のランチもあるのだが、カレー・メニューに関しては、ステーキとカレーの盛り合わせである〈愛盛りごはん〉や、甘口の〈初代〉のカレー、辛口の〈二代目〉のカレーや、そして、初代と二代目の〈ハーフ&ハーフ〉などがあった。
来店前には、ステーキも食べられる〈愛盛りごはん〉にするつもりだったのだが、この日の〈愛盛り〉のカレーは甘口のみであるらしく、書き手は、店独自の二種のカレーを一度に味わえる「初代&二代目 挽き肉のスパイスカレー 2種盛り」を注文する事にした。
程なくして、カレーがやってきた。
その一皿には、真ん中に白いご飯と緑と橙色の野菜、その人参にはニコニコマークが描かれ、白米の左右にはそれぞれ、初代と二代目のカレーが盛られていた。
まず、左右のカレーを一口ずつ食べてみたのだが、茶色がやや薄く、サラッとしているカレーは甘口だったので、こちらが初代なのだろう。
もう一方は、茶色味がやや濃く、カレーの表面が挽き肉で敷き詰められ、味は辛口なので、こちらが二代目であるようだ。
左右交互に食べると、甘口と辛口の味が混じってしまいそうなので、書き手は、先に、初代の甘口カレーの方から食べる事にした。
ところが、である。
初代のカレーだけでごはんが無くなってしまったのだ。
さて、ほとんど手つかずの二代目のカレーをどうしよう。
だが、心配せずともよい。
ご飯はお代わり自由だからだ。
かくして、書き手は、同量の白米をよそってもらい、二代目のカレーを口に運び始めた。
こちらの辛口カレーは、書き手にとっては、いささか辛かった。
お代わりをしたので、お腹的には、ご飯の量は十分なのだが、辛さのせいで、お口的には、もう少し白米が欲しくなる程である。
かくの如く、書き手がカレーを味わっていたのは、十二時半頃だったのだが、書き手の後に入ってきた客の一人が、カレーを注文したところ、その時点で店のカレーは枯れてしまっている、という話が耳に入ってきた。
危なかった。
〈迷い大人〉になったせいで、正午を過ぎてしまったのだが、書き手の入店は、カレーを食べられるギリギリのタイミングであったようだ。
さて、書き手は、カレーを数口、口に運ぶごとに、口をリフレッシュするかの如く、徳利に入っている常陸牛の牛出汁(だし)をお猪口で口に運び続けていた。
この牛出汁は、料理が出てくるのを待っている間に、あたかも、〈食前汁〉であるかのごとく提供されたものなのだが、しかし、この出汁の真骨頂は、カレーと一緒に口にすることによって、カレー単品では味わえないような、出汁と料理の相互作用を引き起こすものであるらしい。
そういえば、店の出入口に置いてあった看板にはこう記されていた。
「お出汁と共に食す新感覚焼肉店」と。
つまり、牛出汁と牛焼肉だけではなく、出汁と咖喱の〈マリアージュ〉というのが、焼肉店であるこの店独自のカレーの粋な食べ方であるようだ。
ちなみに、〈食前汁〉として牛出汁を口に運んでいる間に、店員さんが、先にスタンプを押してくれた。戻ってきたスタンプ・シートを見ると、そこには、インクが他のページに移ってしまわないように、シールが貼られていた。
さらに、である。
ガイドブックを覆うためのビニール・カヴァーもサービスでくれたのだ。
この店は、創業昭和四年(一九二九年)、もうすぐ百年になるそうだ。
これだけの長き年月、営業を続けてこられたのは、牛出汁などの食べ方の工夫や、料理それ自体の味もさる事ながら、シールやカヴァーなど、こうしたきめ細かな配慮、つまり、店のこうした〈優しさ〉が理由なのかもしれない。
〈訪問データ〉
だし家焼肉ゑびす本廛:神田・淡路町
A13
八月二十六日・金曜日・十二時
初代&二代目 挽き肉のスパイスカレー 2種盛り:一一〇〇円(現金)
〈参考資料〉
「だし家焼肉ゑびす本廛」、『神田カレー街 公式ガイドブック 2022』、六十五ページ。
〈WEB〉
『だし家焼肉ゑびす本廛』、二〇二二年九月五日閲覧。
外堀通りにもまた、数多くの細い道が接続しているため、曲がる道を間違えると、迷い人になりかねない。
さらに、この店が入っているビルには飲食店が他にも在るので、誤って入店してしまう可能性もある。
しかし、そういう場合にも、神田カレー街・ガイドブックを手に持ってさえいれば、店の人が、「ここじゃないですよ」と指摘してくれるので、間違いに気付かぬまま、という事もない。
かくゆう書き手も、道に迷った上に、二回連続で店も間違えてしまい、同じ建物であるにもかかわらず、目当ての店に辿り着けたのは、最後の最後であった。
しかし思うに、例の冊子を持っているだけで、他店の店員が察してくれるのは、それだけ、間違える人が多い、ということなのかもしれない。
ミスにミスを重ねた書き手が地下一階の店に入ったのは、予定よりも遅い十二時十五分くらいの事であった。
この店は焼肉店なので、焼肉のランチもあるのだが、カレー・メニューに関しては、ステーキとカレーの盛り合わせである〈愛盛りごはん〉や、甘口の〈初代〉のカレー、辛口の〈二代目〉のカレーや、そして、初代と二代目の〈ハーフ&ハーフ〉などがあった。
来店前には、ステーキも食べられる〈愛盛りごはん〉にするつもりだったのだが、この日の〈愛盛り〉のカレーは甘口のみであるらしく、書き手は、店独自の二種のカレーを一度に味わえる「初代&二代目 挽き肉のスパイスカレー 2種盛り」を注文する事にした。
程なくして、カレーがやってきた。
その一皿には、真ん中に白いご飯と緑と橙色の野菜、その人参にはニコニコマークが描かれ、白米の左右にはそれぞれ、初代と二代目のカレーが盛られていた。
まず、左右のカレーを一口ずつ食べてみたのだが、茶色がやや薄く、サラッとしているカレーは甘口だったので、こちらが初代なのだろう。
もう一方は、茶色味がやや濃く、カレーの表面が挽き肉で敷き詰められ、味は辛口なので、こちらが二代目であるようだ。
左右交互に食べると、甘口と辛口の味が混じってしまいそうなので、書き手は、先に、初代の甘口カレーの方から食べる事にした。
ところが、である。
初代のカレーだけでごはんが無くなってしまったのだ。
さて、ほとんど手つかずの二代目のカレーをどうしよう。
だが、心配せずともよい。
ご飯はお代わり自由だからだ。
かくして、書き手は、同量の白米をよそってもらい、二代目のカレーを口に運び始めた。
こちらの辛口カレーは、書き手にとっては、いささか辛かった。
お代わりをしたので、お腹的には、ご飯の量は十分なのだが、辛さのせいで、お口的には、もう少し白米が欲しくなる程である。
かくの如く、書き手がカレーを味わっていたのは、十二時半頃だったのだが、書き手の後に入ってきた客の一人が、カレーを注文したところ、その時点で店のカレーは枯れてしまっている、という話が耳に入ってきた。
危なかった。
〈迷い大人〉になったせいで、正午を過ぎてしまったのだが、書き手の入店は、カレーを食べられるギリギリのタイミングであったようだ。
さて、書き手は、カレーを数口、口に運ぶごとに、口をリフレッシュするかの如く、徳利に入っている常陸牛の牛出汁(だし)をお猪口で口に運び続けていた。
この牛出汁は、料理が出てくるのを待っている間に、あたかも、〈食前汁〉であるかのごとく提供されたものなのだが、しかし、この出汁の真骨頂は、カレーと一緒に口にすることによって、カレー単品では味わえないような、出汁と料理の相互作用を引き起こすものであるらしい。
そういえば、店の出入口に置いてあった看板にはこう記されていた。
「お出汁と共に食す新感覚焼肉店」と。
つまり、牛出汁と牛焼肉だけではなく、出汁と咖喱の〈マリアージュ〉というのが、焼肉店であるこの店独自のカレーの粋な食べ方であるようだ。
ちなみに、〈食前汁〉として牛出汁を口に運んでいる間に、店員さんが、先にスタンプを押してくれた。戻ってきたスタンプ・シートを見ると、そこには、インクが他のページに移ってしまわないように、シールが貼られていた。
さらに、である。
ガイドブックを覆うためのビニール・カヴァーもサービスでくれたのだ。
この店は、創業昭和四年(一九二九年)、もうすぐ百年になるそうだ。
これだけの長き年月、営業を続けてこられたのは、牛出汁などの食べ方の工夫や、料理それ自体の味もさる事ながら、シールやカヴァーなど、こうしたきめ細かな配慮、つまり、店のこうした〈優しさ〉が理由なのかもしれない。
〈訪問データ〉
だし家焼肉ゑびす本廛:神田・淡路町
A13
八月二十六日・金曜日・十二時
初代&二代目 挽き肉のスパイスカレー 2種盛り:一一〇〇円(現金)
〈参考資料〉
「だし家焼肉ゑびす本廛」、『神田カレー街 公式ガイドブック 2022』、六十五ページ。
〈WEB〉
『だし家焼肉ゑびす本廛』、二〇二二年九月五日閲覧。
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