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一巡目(二〇二二)
第006匙 SPFと四種の御塩:いっぺこっぺ(D02)
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メトロは遅延した。だが必ず、かの店に到着せねばならぬと決意した。
書き手は、夕方の用事を済ませ、東京メトロ銀座線にて末広町駅に向かっていた。時間的余裕をもってメトロに乗ったのだが、列車の遅れのせいで、店の到着は予定時刻ギリギリになりそうだった。
しかし、列車の中で、どんなに急がんと欲しても、一メートルすら先には進めない。列車間の時間調整が一秒でも早く終わることを、車内でただひたすらに願うしかなかった。
列車の遅れのせいで気が急いていた書き手が店に着いた時、入り口の札はまだ「営業中」になっていた。
十九時四十五分のラストオーダーに間に合った。書き手の願いは成就されたのだ。
その店の名は「いっぺこっぺ 秋葉原店」で、いっぺこっぺは、本店が蒲田にある、とんかつ専門店〈檍(あおき)〉に連なるカレー専門店である。
そういった事情もあって、入口に置かれている現金専用の券売機には、普通に定食のメニューも存在していたのだが、とんかつ専門店系のカレー店ということもあって、書き手は、とんかつ定食ではなく、かつカレーの中から品を選ぶことにした。
ラインナップは、ロースかつカレー、上ロースかつカレー、特ロースかつカレー、カタロースかつカレー、リブロースかつカレー、ひれかつカレー、特ひれかつカレーの七種類だったのだが、書き手は、その中から、〈上ロースカツカレー〉を注文した。
いっぺこっぺ秋葉原店は一度訪れたことがあって、その時には〈ロースかつカレー〉を注文したので、今回は、ちょっとランクアップさせたのである。
実を言うと、神田カレー街スタンプラリーに参加する、書き手の切っ掛けになったのが、このいっぺこっぺだったのである。
いっぺこっぺ秋葉原店が提供している豚肉は、「SPFポーク」で、店の入り口のポスターには、「常陸豚SPF」だと記されていた。
それゆえに、一度目と二度目の来店の間に、〈SPFポーク〉について書き手は調べたのだった。
〈SPF〉とは、〈Specific(特定の)〉、〈Pathogen(病原体)〉の〈Free(無い)〉の略記号で、「あらかじめ指定された病原体を持っていない」という意味である。なじみのない略記号のように思えるが、日本において、SPF養豚が始められてからもう既に半世紀が経過しているらしい。
病原体が無いということは、SPFの豚は健康に発育した豚であり、サイトによると、SPFポークは、筋肉がきめ細かく、保水性に富んでいるそうだ。それゆえに、旨味を逃さずに調理可能で、加熱しても灰汁が出にくく、冷えても固くならず、風味豊かなのだそうだ。
さらに、脂の質が良く、あっさりしていて、豚肉独特の臭みもないという。
なるほど、そうか。
臭みがないから、塩だけで素材の味が活きるような食べ方をした際に、かつの味が絶品だったのだろう。
そうこうしているうちにようやく、二度目のいっぺこっぺのかつカレーが提供されたのだった。
皿には、半分がカレー、半分がライス、その脇にキャベツが添えられ、ライスとキャベツの上に切り分けられたかつが置かれていた。
書き手は、出てきたロースかつカレーを、とんかつ定食、カレーライス、かつカレーの三種の料理として味わい、そしてさらに、上ロースかつそれ自体は、カレーと、卓上に置かれた四種類の塩といった、計五つの味で試してみることにした。
このかつと塩との組み合わせこそが、いっぺこっぺの特色であるように思われる。
これまで、かつを食する時は、ソースをかけ、辛子ををふんだんに付けるのが常だった書き手には、この塩を振っただけのかつの食べ方が衝撃的であった。
それらの塩は、ロックソルト(深層岩塩)、シーソルト、ヒマラヤン・ピンクソルト、ナマック岩塩の四種である。
〈シーソルト〉とは、海水を煮詰めて残った海塩のことで、一概にシーソルトといっても、収穫地によって味や香りに差異があるらしい。
〈ヒマラヤン・ピンクソルト〉とは、ピンク色の塩で、産地は、その名称が示しているように、パキスタンのヒマラヤ山脈である。
〈ナマック岩塩〉も、パキスタン・ヒマラヤのブラック岩塩なのだが、店内の卓上には、「ヒマラヤ岩塩ナマック」について、次のような説明書きが為されていた。
「ヒマラヤ岩塩は3億8千万年前のピュアな海水から出来ており海洋汚染とはまったく無縁なものになります。
またパキスタンの高度4000メートル付近の地中深くから産出され
高品質の天然岩石と言われています。
このいにしえの海水からできたヒマラヤ岩塩は、特に日本人に不足しがちな鉄・銅・カルシウムなどのミネラルが豊富に含まれています。」
説明書きの「3億8千万年前」の「いにしえの」海水という文句が、書き手の厨二心を非常にくすぐった。
ちなみに、ナマック岩塩の特徴は硫黄の香りがする、という点である。
実際、ナマック岩塩を、ほんのりと桃色がかったかつの断面に振りかけ、それを一口口に含んでみると、たしかに、硫黄に似た独特の臭みのようなものが感じられた。だがしかし、この味は、豚肉の旨味と絡まって病み付きになるほど美味であった。
さらには、ナマック塩を振ったかつをカレーと一緒に食べてみると、味が変わって、実に面白かった。
一点注意すべき事があるとするのならば、それは、塩をかつに振りかける食べ方に、書き手は未だ慣れていないので、つい瓶を強く振って、塩を振り過ぎてしまい兼ねない、ということである。
実際、書き手は、振り過ぎてしまった……。
とまれかくまれ、いっぺこっぺのおかげで、かつの食べ方の観念が、かつには塩という食べ方へと、完全にコペルニクス的転回してしまったのであった。
〈訪問データ〉
とんかつ檍のカレー屋 いっぺこっぺ 秋葉原店:秋葉原・末広町
D02
八月二十日・土曜日・十九時四十五分
上ロースカツカレー:一八〇〇円(現金)
〈参考資料〉
「とんかつ檍のカレー屋 いっぺこっぺ 秋葉原店」、『神田カレー街 公式ガイドブック 2022』、二十五ページ。
〈WEB〉
「SPF豚とは」、『日本SPF豚協会』、二〇二二年八月二十九日閲覧。
「塩の種類とそれぞれの使い分けの方法を徹底ガイド!」、『GOURMET』、二〇二二年八月二十九日閲覧。
書き手は、夕方の用事を済ませ、東京メトロ銀座線にて末広町駅に向かっていた。時間的余裕をもってメトロに乗ったのだが、列車の遅れのせいで、店の到着は予定時刻ギリギリになりそうだった。
しかし、列車の中で、どんなに急がんと欲しても、一メートルすら先には進めない。列車間の時間調整が一秒でも早く終わることを、車内でただひたすらに願うしかなかった。
列車の遅れのせいで気が急いていた書き手が店に着いた時、入り口の札はまだ「営業中」になっていた。
十九時四十五分のラストオーダーに間に合った。書き手の願いは成就されたのだ。
その店の名は「いっぺこっぺ 秋葉原店」で、いっぺこっぺは、本店が蒲田にある、とんかつ専門店〈檍(あおき)〉に連なるカレー専門店である。
そういった事情もあって、入口に置かれている現金専用の券売機には、普通に定食のメニューも存在していたのだが、とんかつ専門店系のカレー店ということもあって、書き手は、とんかつ定食ではなく、かつカレーの中から品を選ぶことにした。
ラインナップは、ロースかつカレー、上ロースかつカレー、特ロースかつカレー、カタロースかつカレー、リブロースかつカレー、ひれかつカレー、特ひれかつカレーの七種類だったのだが、書き手は、その中から、〈上ロースカツカレー〉を注文した。
いっぺこっぺ秋葉原店は一度訪れたことがあって、その時には〈ロースかつカレー〉を注文したので、今回は、ちょっとランクアップさせたのである。
実を言うと、神田カレー街スタンプラリーに参加する、書き手の切っ掛けになったのが、このいっぺこっぺだったのである。
いっぺこっぺ秋葉原店が提供している豚肉は、「SPFポーク」で、店の入り口のポスターには、「常陸豚SPF」だと記されていた。
それゆえに、一度目と二度目の来店の間に、〈SPFポーク〉について書き手は調べたのだった。
〈SPF〉とは、〈Specific(特定の)〉、〈Pathogen(病原体)〉の〈Free(無い)〉の略記号で、「あらかじめ指定された病原体を持っていない」という意味である。なじみのない略記号のように思えるが、日本において、SPF養豚が始められてからもう既に半世紀が経過しているらしい。
病原体が無いということは、SPFの豚は健康に発育した豚であり、サイトによると、SPFポークは、筋肉がきめ細かく、保水性に富んでいるそうだ。それゆえに、旨味を逃さずに調理可能で、加熱しても灰汁が出にくく、冷えても固くならず、風味豊かなのだそうだ。
さらに、脂の質が良く、あっさりしていて、豚肉独特の臭みもないという。
なるほど、そうか。
臭みがないから、塩だけで素材の味が活きるような食べ方をした際に、かつの味が絶品だったのだろう。
そうこうしているうちにようやく、二度目のいっぺこっぺのかつカレーが提供されたのだった。
皿には、半分がカレー、半分がライス、その脇にキャベツが添えられ、ライスとキャベツの上に切り分けられたかつが置かれていた。
書き手は、出てきたロースかつカレーを、とんかつ定食、カレーライス、かつカレーの三種の料理として味わい、そしてさらに、上ロースかつそれ自体は、カレーと、卓上に置かれた四種類の塩といった、計五つの味で試してみることにした。
このかつと塩との組み合わせこそが、いっぺこっぺの特色であるように思われる。
これまで、かつを食する時は、ソースをかけ、辛子ををふんだんに付けるのが常だった書き手には、この塩を振っただけのかつの食べ方が衝撃的であった。
それらの塩は、ロックソルト(深層岩塩)、シーソルト、ヒマラヤン・ピンクソルト、ナマック岩塩の四種である。
〈シーソルト〉とは、海水を煮詰めて残った海塩のことで、一概にシーソルトといっても、収穫地によって味や香りに差異があるらしい。
〈ヒマラヤン・ピンクソルト〉とは、ピンク色の塩で、産地は、その名称が示しているように、パキスタンのヒマラヤ山脈である。
〈ナマック岩塩〉も、パキスタン・ヒマラヤのブラック岩塩なのだが、店内の卓上には、「ヒマラヤ岩塩ナマック」について、次のような説明書きが為されていた。
「ヒマラヤ岩塩は3億8千万年前のピュアな海水から出来ており海洋汚染とはまったく無縁なものになります。
またパキスタンの高度4000メートル付近の地中深くから産出され
高品質の天然岩石と言われています。
このいにしえの海水からできたヒマラヤ岩塩は、特に日本人に不足しがちな鉄・銅・カルシウムなどのミネラルが豊富に含まれています。」
説明書きの「3億8千万年前」の「いにしえの」海水という文句が、書き手の厨二心を非常にくすぐった。
ちなみに、ナマック岩塩の特徴は硫黄の香りがする、という点である。
実際、ナマック岩塩を、ほんのりと桃色がかったかつの断面に振りかけ、それを一口口に含んでみると、たしかに、硫黄に似た独特の臭みのようなものが感じられた。だがしかし、この味は、豚肉の旨味と絡まって病み付きになるほど美味であった。
さらには、ナマック塩を振ったかつをカレーと一緒に食べてみると、味が変わって、実に面白かった。
一点注意すべき事があるとするのならば、それは、塩をかつに振りかける食べ方に、書き手は未だ慣れていないので、つい瓶を強く振って、塩を振り過ぎてしまい兼ねない、ということである。
実際、書き手は、振り過ぎてしまった……。
とまれかくまれ、いっぺこっぺのおかげで、かつの食べ方の観念が、かつには塩という食べ方へと、完全にコペルニクス的転回してしまったのであった。
〈訪問データ〉
とんかつ檍のカレー屋 いっぺこっぺ 秋葉原店:秋葉原・末広町
D02
八月二十日・土曜日・十九時四十五分
上ロースカツカレー:一八〇〇円(現金)
〈参考資料〉
「とんかつ檍のカレー屋 いっぺこっぺ 秋葉原店」、『神田カレー街 公式ガイドブック 2022』、二十五ページ。
〈WEB〉
「SPF豚とは」、『日本SPF豚協会』、二〇二二年八月二十九日閲覧。
「塩の種類とそれぞれの使い分けの方法を徹底ガイド!」、『GOURMET』、二〇二二年八月二十九日閲覧。
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