呑気なトラとはりきりヨネの 昭和の食卓

有栖多于佳

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【完結】トラ、ヨネを迎えに行く ~屋台の中華そば~

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うちの人はね、江戸時代の末期慶応2年の生まれです。

そして、私は明治15年生まれ、うちの人とは16も年が離れているんですよ。

私の母親は浅草の芸者でした、父親は誰かわかりません。

一人で私を産んだが、産後の肥立ちが悪くて体を壊してね、もう芸者は出来ないと辞めることになって、でも芸者だった女が他に何が出来るでもなくてね、その後、当時浅草で流行っていた矢場で働く矢場女になりました。

だから、私の記憶の母は、矢場で給仕をしている姿しか知りません。

そんな母が、私が数えのとうを過ぎた頃、ぽっくり流行り病で死んじまって。
生きてかなければなりませんからね、同じ矢場で私も矢場女として働くことになりました。
まあ、最初は雑用仕事で、もうちょっと大きくなってからね、矢場の給仕をしましたよ。


多くの男衆が遊びに浅草の矢場へと来てました。
その頃の矢場はちょっとした流行りの場でね、酒を飲んで、弓で的を狙ったり、給仕の女と戯れたりと、そんな社交場でした。

私が成人を過ぎた頃、ウチの人は羽田村で建設会社をやっていて、たいそう羽振りが良かった。
私の常連さんでした。そのうち身請けの話が出て、私はあの人の二号さんになりました。


暫く浅草に住んでいたけれど、矢場も辞めたのでね、店のお客さんに会うのも気まずいってんで、横浜の長屋へとうちの人と引っ越しました。

そこで数十年過ごす頃、隣の家の奥さんが急に病気で亡くなってしまって。
残されたのは旦那さんと男、女、女の子供が3人。
一番上の子は8つで、その次が5つ。一番下の子はまだ2つになる前でした。

通夜の席、残された旦那さんは急なことに途方にくれていて、一番下はいっそのこと養女に出そうかと思っていると言っていました。

「じゃあ、私に引き取らせとくれよ。」
咄嗟に私は声を上げてしまいました。
だって、下の子が産まれてからずっと私は隣で手伝ってきたもんでね、その子も私に懐いていたし、目がクリクリした可愛い子だったものでね。

私は子供が出来ない体だったし、もうずいぶん年を取っていたのでね、諦めていたんですけどね、急に子供が欲しくなったんですよ。他の子じゃない、その一番下の子を、自分の子にしたくなってしまいました。

隣の旦那も私の人となりを知ってくれていたし、とにかく私に懐いていたのでね、

『それじゃあお願いします、可愛がってあげてください』

そういって養子縁組の手続きをすぐにとりましたよ。

そう、それが、ヨネです。

ヨネは私の戸籍に入れました。

ウチの人は会社があって本宅には跡継ぎもちゃんといたのでね、後々相続の問題が起きても困ると思ってね。

諸々の手続きを終えた頃、うちの人とヨネと三人で名古屋に引っ越して、そこで親子三人で暮らしました。
うちの人が62、私が47、ヨネが2つの時でした。

うちの人には男の子供しかいなかったのでね、また孫くらいの年ですから、幼い娘にメロメロで、とても甘やかすものでね。私もたいそう心配しましたよ。我が儘になっちまったら、追々ヨネが困りますからね。

うちの人が仕事で長期居ない日が続くとね、寂しがって、まあビタビタと一日中泣いてね、本当に困ったもんですよ。

あの人が甘いから、私くらいは厳しく躾なきゃならないと、思ってやってきましたが私はどうやらヨネに嫌われちゃったみたいでね。まったく親心のわかっちゃいない困った娘ですよ。

そんな、普段はあの子に甘い父親のうちの人が、珍しくヨネを厳しく叱った日がありました。

ヨネは工場でけっこう稼いでいてね、でもある分はみなパッパと飲み食いに使っちゃうもんでね、私が一旦取り上げて、その都度必要な分だけ小遣いって渡してね、残りを結婚の時に持たせる金にしようと貯めてましたよ。

あ、そういえば、寅造さん、家計は誰がやっているの?え?寅造さん!?ああ、そりゃあ、良かった。

いいですか、あの子にお金を扱わせちゃダメですよ、使う分だけ都度都度、渡して下さいな。

ヨネは有れば有るだけ使っちゃうもんですからね、お宅の身上潰しちゃ困りますからね。


あ、そうそう、うちの人が怒った日。

終戦の後、しばらくしてヨネに昔の工員だった男が声をかけてきたようで、

「苦労させない」
だの
「金はあるから気にするな」
だのと、ずいぶん耳障りの良いことばかり言って来たようでね。

ある日、突然『お父ちゃん、私お嫁に行っちゃダメかね』と言って来たんですよ。

ええええ、うちの人はそれこそ、怒って、『どこの誰だ』と、しつこく聞いてね、その名前を聞いた途端、またまた烈火のごとく怒り狂いましたよ。

『あんな破楽戸になんてお前を嫁がせるものか。ヨネ、そんなに嫁に行きたいなら俺が探すから、お前は口出しするんじゃない!』って。

そのまま、その声かけた男の家へと筋を通して断りを入れて、今後二度とヨネに近づかないときちんと約束させました。

その最中、寅造さんの親父さんに急いで見合いの打診の手紙を出したんですよ。

昔、国鉄の現場で働いてた寅造さんを思い出して、あいつは真面目で気の良い男だから、って言ってね。

その節は、親父さんが亡くなってたのを知らなくて、お手紙出してしまって申し訳なかったですよ。

ええ、でもね、本当に良いご縁があって、寅造さんのお嫁にしてもらって。親族のみなさんにもあんな何にも出来ない娘に本当に良くしてもらっていて。親として有り難い気持ちでいっぱいです。

だから、嫁ぐ日の朝、私はあの子にキツく言って聞かせたんですよ。

「ヨネ、言いたいことの半分は心の中だけにして、決して口に出すんじゃないよ。大きな農家の長男に嫁ぐんだ。今までのような我が儘娘はもう終わりにするんだよ。私に誓いなさい。」
ってね。あの子も誓ったんですけどね、言いたいことは半分胸にしまうって。

でも、三つ子の魂なんとやら、というヤツですかね。

私が、こういう風に口に出してポンポン言っちゃう性格でしょ、浅草の矢場育ちですから。
そんな私に育てられたあの子は、いくら言い含めても普通の家の娘さんみたくキチンと出来ないんですよ。

本当に、寅造さん。

ごめんなさい。

あの子の性格をあんな風に育てたのは私なんですよ。

私自身が普通の環境で育って来なかったから、どう頑張っても、あの子を普通に育てられなかったんですよ。
ヨネは、本当は情に厚い、とても良い子なんですよ、優しくて明るくて頑張り屋でね。

ただ、なんの因果か、血も繋がって無いのに、少しばかり気の強いところが私に似ちまってね、寅造さんには大変ご迷惑かけてしまいました。

どうぞ、今回の事は私に免じて許してもらえませんかね。

あの子にね、もっとちゃんと、普通の家のお嬢さんのように振る舞うように、私が厳しく言って聞かせますから。
どうぞ、あの子のことお許しくださいませね。」

背筋がピンと伸びた、姿勢の良いヨネの母親が、深々とトラに頭を下げて謝罪した。

長い長い、義母の独白にトラは面食らっていたけれど、頭まで下げられて謝罪されたことに居たたまれなくなった。

「いやいや、お義母さん、どうぞ頭を上げてください。お義母さん、俺が悪いんですよ。良い年をして、今まで女っ気が無かったせいでね、私はてんで女心がわからないんです。今日も、分家の叔母にもとても怒られました。

ですから、今日はこちらに『娘を泣かせて許さん』とお義父さんに叱られる覚悟で来たんですよ。

ヨネは明るくて、周りにも優しくて、俺には本当に勿体無い良い嫁さんです。お義母さん、大事な娘さんを泣かせて家出までさせてしまって、誠にすみませんでした。」
そう言って、トラも頭を畳に擦り付ける勢いで下げて謝罪した。


「止めてよー!!!!」
そこへ、どこからかヨネがスゴい勢いで襖を開けて飛び込んできた。

すると、先程までと打って変わって、一際鋭い厳しい声で、
「ヨネ!」
と、お義母さんが声をあげた。

ところが、ヨネはその声に反応せず、トラの横に正座して涙を流しながら、

「お母ちゃん、ごめんなさい。お母ちゃんの言いつけ守らなくてごめんなさい。でも、嫁いでからはずっと忘れずにいたのよ。

なのに、なぜか今日に限って、言葉が全部口から溢れ出ちゃって。
お母ちゃんが悪いなんてことないから私が言いつけ守らなかったから、私が悪いのよ。

トラちゃんもごめんなさい。トラちゃん、いつも優しく良くしてくれるのに。今日は私が勝手に怒って泣いて、ほんとうに子供みたい。本当にごめんなさい。」

そう、早口で捲し立てて、そのままガバッと額を畳に擦りつけた。

そんなヨネの言葉は考慮しない厳しい声で、
「ヨネ、あんた、いったいどこに居たんだい!」
お義母さんがピシャリッと言い放った。

するヨネは頭を上げると、母を見るでもなくトラを見るでもなく、目をあちこち泳がせながら、ふうと小さいため息を一つついて、囁くような声で畳にのの字を書きながら答えたのだった。

「あのね・・・汽車で駅まで来たんだけれど、私、この家の場所がわからなくなっちゃってね。

住所も覚えてないから交番で聞くことも出来ないし、どうしようってずいぶん長いこと、駅前のベンチに腰かけて考えていたの。考えても答えはでないし途方にくれてたら、なんと後ろからお父ちゃんに声かけられてね。天の助けだと思ったわ。

で、お父ちゃんに全部話して。とにかく、一度家に帰ってお母ちゃんにも話そうってお父ちゃんが言ってくれて、ここまで二人で帰って来てみたら、家の中にトラちゃんが居て、お母ちゃんが難しい話してるからさ。ずっと玄関で息を殺して聞いていたんだよ、ねっ、お父ちゃん。」

ヨネは最後の『お父ちゃん』と父親を呼ぶ声だけ大きくして、襖の後ろを振り返って声をかけた。

「おいおい、ヨネ、堂々と立ち聞きしたこと、言うんじゃないよ。まったく。」
ヨネの父親が困った顔で頬を指で掻いていた。




それから、今度はヨネの父親に謝られて、
「いえいえ、こちらこそ娘さんを泣かしてしまって申し訳ない。」
ってやり取りを繰り返して。

そんなこんなですっかり夜も更けて『もう遅いから泊まってけ』って言う二人に、
「いやいや、うちの者が心配してますから」
と言ってやっと出てきた。

ヨネと並んで駅まで二人で歩いて、切符買って時刻表をみると、汽車の時間まで随分ある。

そう言えば、今日は昼飯も食べてないと、ヨネと顔見合わせて、『腹へったなー』なんて呑気なことを声にだして言ってたら、二人、腹の虫がグーグー鳴きだしてしょうがない。

ちょうど駅前に屋台の中華そば屋が出てたので、

「ヨネ、中華そば食べないかい?」
「トラちゃん、私も食べたいと思ってたのよ」

って、二人で駆け込んで熱々のラーメンをフーフー言いながら食べた。

「こんな上手いラーメンはないな!」
「ほんとうに美味しいね」
って、二人で興奮しながらやって来た汽車に乗り、村の駅から、手を繋いで長い坂道をのんびり歩きながら話をした。

話の途中で、ちょうどヨネと知り合って一年だと思い出して、

「ヨネ、こんな俺と一緒になってくれてありがとう。」

って言ったら、ヨネが顔真っ赤にしていた。

坂を登って、家に着くと、七緒と叔母ちゃんが心配して起きて玄関口で待っていた。

ヨネと二人、申し訳ない申し訳ないと必死で謝ると、

「ああ、心配して損した。ね、七緒ちゃん夫婦喧嘩は犬も喰わないって言っただろう。全くやってらんないよ。さあさ、早く寝よう。風邪ひいちまうよ。」

と嫌みを言って、叔母ちゃんは坂を下って下の家に帰っていった。



結局、今年は年越し蕎麦は家で打つのを止めて、叔母ちゃんちでごちそうになった。

「来年は打ち方教えて下さい」
「いいよ、大晦日だけじゃなくて、毎月三十日蕎麦も打つからすぐ上手くなるよ。」

そんな、師走に新婚夫婦が大喧嘩して、ただ周りに迷惑をかけただけの、これはそんなちょっと迷惑なお話。


〈完〉
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