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ヨネの誕生日 ~爆弾のフライ~
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毎日毎日、茹だるような暑さが続いていた。
「あー、暑い暑い。」
「ヨネ、暑いって言ったら余計暑くなるぞー!」
「だって、本当に暑いんだもの。今日は風も吹いてないわ。」
そんな会話が四六時中繰り返されている、芝山村の吉竹家。
一年前のあの日、タイの野戦病院のベッドの上で医療軍人のお偉いさんから聞かされた【終戦】の知らせに、
(ああやっと日本に帰れる)
と、
(親父と妹は元気だろうか)
と、
そう思ったあの日をトラは思い出していた。
まさか、その数ヵ月後に見合いをして、半年後に嫁を娶るとは思いもしなかったトラである。
(人生ってのは何が起こるかわからないものだな)
ミンミンとジジジと忙しなく鳴く蝉の声を聞きながらトラは空を見上げたのだった。
今年の春先に、名古屋から嫁いできた新妻の誕生日は【終戦記念日】だった。
小さい細い体に似合わず、元気で明るい人懐こいヨネ子に、初めて会った瞬間からトラは恋に落ちた。
一目惚れである。
そんなこと、恥ずかしくてヨネはもちろん、誰にも言っていないが。
顔合わせで出向いた名古屋の街は、空襲の痕を色濃く残していて、あまりにひどい有り様で、
(ヨネよ、よくぞ無事で生き残ったな)
と思ったものだ。
ヨネの生家の長屋の茶の間で、薄い茶を啜りながら聞いたのは、戦地に居たトラは知らぬ内地の戦争の酷い様子だった。
ヨネは特別に悲しそうな様子も無く、普通の声色で、
「本当はね、その日、朝から工場に行かなきゃならなかったのだけれど。
でもなぜだかわからないのだけれど、その日に限って、どうしてもどうしても、工場に行きたくなくて。
でね、一緒に通っている工場の友達があまりにノロノロと歩いているから、見かねたのか『体調悪いの?』て声をかけてくれて。
『うん、お腹痛い』って本当はなんでもないのに、嘘ついちゃってね。
『じゃあ、無理しないで今日は帰ろう』ってその友達が言ってくれて。
『私も心配だから家まで送ってくよ』って言われて。
そうしたら、その子とは別の友達も『大丈夫?大丈夫?』ってけっこう大事になっちゃってて。
そうして私を入れて4人で、私の家に戻ることになってしまって。
その子たちと自宅に戻る道すがら、
『お母ちゃんには嘘がバレちゃうな、どう誤魔化そう』
って考えてたら、本当に気分が悪くなっちゃって。」
そう淡々と話していたヨネが、急に声を大きくして、
「うちのお母ちゃんは嘘をすぐに見抜く人なんですよ!」
そこだけは強調したので、ちょっと笑ってしまった。
それからまだ、ヨネの話は続いた。
「十分の道のりをもうゆっくりとゆっくりと、三十分もかけて戻りましたよ、お母ちゃんに怒られるのが嫌で嫌で。そしたら急に、そこここで、空襲警報がウーウーって鳴たんでね、急いでみなで防空壕に逃げたんですよ。」
「で、どうしたんですか?」
そう、トラが先を即した。
ヨネはやっぱり普通に、特段声色を変えずに話を続けた。
「その時の空襲で、私たちが働いていた工場が攻撃を受けて丸焼けになっちゃったんですよ。
だから、真面目に行ってたら
『ああ、私も死んでたな』と思いましたよ。
その時に『私は真面目じゃないけど、生きるためには自分の勘を大事にしよう』って思ったんです。」
別に怒りも悲しみもこもってないそんな話し方で、ヨネが淡々と語った。
その時、トラは
「じゃあ、こうして俺とヨネさんが、今、二人会っている、この出会いは、本当に奇跡なんですね。」
なんて、思いがけないキザな台詞が口をついて出てしまったのだった。
誕生日にヨネに何をあげたら良いのか悩んで、すっかり困って、分家の祥子叔母ちゃんに相談に行った。
トラが誕生日に女にプレゼントなど送ったことは一度として無いのだ。
幼い七緒にトンボを捕って来てやったくらいか。
ヨネにトンボをくれる訳にはいかない、トラである。
祥子叔母さんも、悩んだけれど、まだヨネの嗜好をよく知らないからと、結局叔母がヨネに直接聞いてくれたのだった。
「ヨネちゃん、もうすぐお誕生日だろう?トラが何が欲しいか気にしてたよ。」
オブラートに包んだりしない、ストレートな物言いに定評のある叔母である、隠し事などとは無縁の人なのだ。
「ええ?何でも良いなら、私、お肉が食べたいわー!」
ヨネが夢見る眼差しでそう言った。
「え?欲しいものってお肉かい?」
これには祥子叔母ちゃんも面食らって聞き返した。
「うん。そうよ、お肉が食べたいなー。あ、でもスパゲッテやオムライス、トンカツにハンバーグでも良いわ。ケチャップやソースが食べたいよー洋食が食べたいのよ。」
ヨネが切実な声を出してそう答えた。
「名古屋にはそんなハイカラな物があるのね。アタシも食べてみたいなぁ。」
それを黙って聞いていた七緒が、ヨネの話を聞いてそうポツリと溢した。
「ほんとにハイカラだねぇ、それはいつ頃どこで食べたんだい?」
祥子叔母ちゃんも興味津々でヨネに質問をした。
「ああそれはね、私は工場で働いてた娘時分に、まだ戦争がそんなに激しく無い頃ね、休みの日には友達と汽車で名古屋の街まで行ってね、松坂屋の上の食堂で洋食食べるのが私の唯一の楽しみだったんだよ。そのために残業だって喜んでしてたんだから。」
ヨネは昔を思い出したのか、遠い目をしてそう答えた。
「まあ、ヨネちゃんは昔から食いしん坊だったんだねえ。」
フフフと叔母ちゃんが笑った。
そして、庭でソワソワと草取りをしているトラを呼んで、
「ってことで、トラちゃん。駅前の商店に頼んで肉を用意してもらって、すぐに買っておいでよ。」
そう言いつけた祥子叔母ちゃんは楽し気であった。
「いや、しかし叔母ちゃん、ヨネの誕生日プレゼントに肉って。しかも料理するのはヨネだろう?そりゃおかしいじゃないか。」
トラが戸惑いがちにそう言った。
「なんだい、トラちゃん、兵隊で料理はできるようになったって祝言の時言ってたじゃないか?」
「そりゃ、野うさぎ捌いたり鳥を絞めたりしてきたけど、洋食なんてハイカラなもん作られんよ。」
トホホ・・・トラは肩を下げて困り顔である。
『そりゃそうだね』と、祥子叔母ちゃんが小さく言った。
結局、自分でヨネに聞くしかないと、トラが腹を括って話しかけた。
「ヨネ、叔母ちゃんに聞いたんだが誕生日に肉が欲しいとか本当に肉で良いのかい?この辺りで洋食なんて洒落た物出す店はないんだけど、肉をどうすんだい?」
「そりゃあ、私が料理するわ。決まってるじゃない!」
ヨネが胸を張ってそう答えた。
「でも《けちゃっぷ)とか手に入るかどうかわからんぞ。」
まだ終戦後一年である。ましてや、この山間部の田舎のこの辺りで、そういう洋物の調味料を扱ってる店は無い、どうしたものだろうか。
「大丈夫よ。今回はけちゃっぷは使わない料理にするわ。ミンチ肉が欲しいのよ、あと卵とパン粉。それで私が作るわ!《爆弾のフライ!》よ」
ヨネが一際大きな声で言った。
「爆弾のフライ!?」
初めての誕生日に、なんとも物騒な名前の洋食を作るものである、そうトラは思ったがヨネが良いならと肉を頼みに駅前の商店へと急いで出掛けていったのである。
駅前の商店でミンチ肉とパン粉を買い、分家で飼っている鶏の卵を分けてもらった。
野菜は畑に有るもので良いという。
「さてさて、では今日は祥子叔母ちゃんも手伝ってくれるということで、今から爆弾のフライを作ります。」
ヨネは自信満々で笑って言った。
「まずはウスターソースを作ります。まあなんちゃってだけど。」
エヘヘと舌を出して笑いながら、ヨネが説明を始めた。
「何だい、そのウスターソースって?」
祥子叔母ちゃんが不思議そうな顔で尋ねた。
「スゴくフライが美味しくなるソースなんだよ。本当は、店で買えたらいいんだけど、無いからね、今日はなんちゃってを作りますよー。」
そう言って、ヨネが七緒と祥子叔母ちゃんに指示を出して調理が始まった。
玉ねぎ、ニンジン、ニンジンの葉、セロリ、生姜、にんにく、鷹の爪、を細かく刻む。
それを油で炒めて、昆布を浸しといた水を入れて砂糖と醤油を入れる、この時山椒の実の醤油漬けも加えた。
別の小鍋に砂糖と少量の水を入れて、火にかけ焦げてきたら湯をジュッと入れる。
「これをカラメルソースっていうのよ、ぷりん作る時にも底に入れるのよ。そのうちぷりんを作ろうね。今回はカラメルソースを鍋に入れますよ。」
そう言って、先程の野菜を入れて煮ていた鍋にカラメルを加えた。
その後、よく煮詰めて水分が半分以下になったらザルと布巾で濾して、入れ物が無いから徳利に入れた。
「これが、ウスターソースかい?」
祥子叔母ちゃんがペロリと鍋に残った物を指で救ってチロっと舐めて聞いた。
「うん、まあなんちゃってだから本物はもっと美味しいけどね。作りたてよりも寝かせた方がより旨味が増すんだけれど、今日はもう使っちゃうよ。」
そう言って、ヨネも七緒も鍋のそこのソースを指で救ってペロって舐めたのだった。
「さて、次は爆弾作りよ!」
ヨネが楽しそうにそう言った。
「まあ、なんとも、物騒な名前だね。」
「爆弾ってなーに?」
二人とも料理名に爆弾などついた料理は知らないと、想像も出来ていない顔をしていた。
「ふふ楽しみにしてね。じゃあ、ナナちゃん卵を一つこっちにちょうだいな。あと、二つ割って水で薄めて溶いておいてね、そして、残りの卵は茹で玉子にして下さい。」
「はい。ネエサン」
「ボールにミンチと玉ねぎのみじん切りと卵と塩を入れて粘りけが出るまで捏ねますよ。祥子叔母ちゃんは、付け合わせのキャベツを千切りして下さいな。」
「ハイわかったよー。」
茹で玉子に小麦粉まぶして、ミンチ肉を回りに付けて野球のボールのよう。
更に、小麦粉・水溶き卵・パン粉の順で衣を付けて、油で揚げる。
揚がった物を半分に切ると、衣メンチ玉子層がきれいに出来ていた。
「大皿に山盛りキャベツと爆弾のフライをたくさん並べて、徳利に入ったソースを添えて。さあ、爆弾のフライの出来上がりだよー!」
その頃、トラは広間に机を並べて、会場の仕度をしていた。
今日はトラたち三人に加えて、分家の大叔父と、再従兄弟夫婦と子供たち二人を呼んで食事会を催すのだ。
下の家の分家はトラの父親の従兄弟の家で、そこの長男はトラの再従兄弟である。
祥子叔母ちゃんと呼んでいるが、祥子叔母ちゃんは再従兄弟の嫁で、血縁関係はないのだ。
トラと再従兄弟は年が十も離れていて弟のように、幼い時から可愛がってもらっていた。
出稼ぎも一緒にトラの父親とも行っていたので、一家とはずいぶん仲良くしていた。
トラが出兵して、母親も亡くなり、父親と七緒の二人暮らしになった頃は、下の分家が色々と手伝いをしてくれていたし、祥子叔母ちゃんは、足の悪い七緒をいつも気遣って良く見舞ってくれていたのだった。
「トラ、今日はお呼ばれしてすまんな。新婚の家庭に大勢で来て。」
大叔父が一升瓶を渡しながら言ってきた。
「やだ、気を使わせてかえってスマンね。適当にかけて下さい。」
家族でやって来た一家にトラが席を勧めた。
机には祥子叔母ちゃんが家で作っておいたという、ちらし寿司やら茹でた枝豆やとうもろこしも並んだ。
そこに大皿にのった爆弾のフライがドドーンと運ばれてきた。
「ヨネ、お誕生日おめでとう。誕生日に振る舞いを作らせてごめんな。」
さあさあ、座って座ってと本日の主役を真ん中に座らせて、トラが謝った。
「なによ、良いのよ、私が食べたかったんだから。」
ヨネは気にもかけずに、軽い口調でそう答えた。
「さあさあ、早く温かいうちに食べようよ。ヨネちゃんお誕生日おめでとう、カンパーイ」
そう、祥子叔母ちゃんが仕切って乾杯をした。
男衆は持ってきた酒を早速飲み始める。
トラは一口だけもらって、後は麦茶を飲んだ。
トラの家では、夏の間は、毎朝大きなヤカンで麦茶を煮だして、冷まして四六時中飲んでいた。
煎った麦の香りが良くて、食事の邪魔をしなくてとても美味しいのだ。
手作りのウスターソースを爆弾のフライにかけて食べた。
「「「!!!!!!」」」」
ソースのかかった衣からミンチの肉汁が溢れてくる。
ソース味の玉子も絶妙の旨さだ。
「旨いな!」
「美味しい!」
「豚肉にこのフライの衣をつけたトンカツにこのソースでも美味しいのよ。」
「じゃあ、今度はそれにしよう!」
ヨネの言葉に被せてトラが即答する。
「じゃあ、また俺らも呼んどくれや!」
「あんた、図々しいよ!」
再従兄弟と祥子叔母ちゃんが漫才のような掛け合いを見せる。
それを聞いて、みんなが顔を見合わせて笑い会う。
子供たちも、フライを口に頬張って食べていた。
夜が更けるまで、一族みんなで大いに飲み腹一杯ごちそうを食った。
これは初めてのヨネの誕生日を親族みんなでお祝いした、そんな美味しいお話。
「あー、暑い暑い。」
「ヨネ、暑いって言ったら余計暑くなるぞー!」
「だって、本当に暑いんだもの。今日は風も吹いてないわ。」
そんな会話が四六時中繰り返されている、芝山村の吉竹家。
一年前のあの日、タイの野戦病院のベッドの上で医療軍人のお偉いさんから聞かされた【終戦】の知らせに、
(ああやっと日本に帰れる)
と、
(親父と妹は元気だろうか)
と、
そう思ったあの日をトラは思い出していた。
まさか、その数ヵ月後に見合いをして、半年後に嫁を娶るとは思いもしなかったトラである。
(人生ってのは何が起こるかわからないものだな)
ミンミンとジジジと忙しなく鳴く蝉の声を聞きながらトラは空を見上げたのだった。
今年の春先に、名古屋から嫁いできた新妻の誕生日は【終戦記念日】だった。
小さい細い体に似合わず、元気で明るい人懐こいヨネ子に、初めて会った瞬間からトラは恋に落ちた。
一目惚れである。
そんなこと、恥ずかしくてヨネはもちろん、誰にも言っていないが。
顔合わせで出向いた名古屋の街は、空襲の痕を色濃く残していて、あまりにひどい有り様で、
(ヨネよ、よくぞ無事で生き残ったな)
と思ったものだ。
ヨネの生家の長屋の茶の間で、薄い茶を啜りながら聞いたのは、戦地に居たトラは知らぬ内地の戦争の酷い様子だった。
ヨネは特別に悲しそうな様子も無く、普通の声色で、
「本当はね、その日、朝から工場に行かなきゃならなかったのだけれど。
でもなぜだかわからないのだけれど、その日に限って、どうしてもどうしても、工場に行きたくなくて。
でね、一緒に通っている工場の友達があまりにノロノロと歩いているから、見かねたのか『体調悪いの?』て声をかけてくれて。
『うん、お腹痛い』って本当はなんでもないのに、嘘ついちゃってね。
『じゃあ、無理しないで今日は帰ろう』ってその友達が言ってくれて。
『私も心配だから家まで送ってくよ』って言われて。
そうしたら、その子とは別の友達も『大丈夫?大丈夫?』ってけっこう大事になっちゃってて。
そうして私を入れて4人で、私の家に戻ることになってしまって。
その子たちと自宅に戻る道すがら、
『お母ちゃんには嘘がバレちゃうな、どう誤魔化そう』
って考えてたら、本当に気分が悪くなっちゃって。」
そう淡々と話していたヨネが、急に声を大きくして、
「うちのお母ちゃんは嘘をすぐに見抜く人なんですよ!」
そこだけは強調したので、ちょっと笑ってしまった。
それからまだ、ヨネの話は続いた。
「十分の道のりをもうゆっくりとゆっくりと、三十分もかけて戻りましたよ、お母ちゃんに怒られるのが嫌で嫌で。そしたら急に、そこここで、空襲警報がウーウーって鳴たんでね、急いでみなで防空壕に逃げたんですよ。」
「で、どうしたんですか?」
そう、トラが先を即した。
ヨネはやっぱり普通に、特段声色を変えずに話を続けた。
「その時の空襲で、私たちが働いていた工場が攻撃を受けて丸焼けになっちゃったんですよ。
だから、真面目に行ってたら
『ああ、私も死んでたな』と思いましたよ。
その時に『私は真面目じゃないけど、生きるためには自分の勘を大事にしよう』って思ったんです。」
別に怒りも悲しみもこもってないそんな話し方で、ヨネが淡々と語った。
その時、トラは
「じゃあ、こうして俺とヨネさんが、今、二人会っている、この出会いは、本当に奇跡なんですね。」
なんて、思いがけないキザな台詞が口をついて出てしまったのだった。
誕生日にヨネに何をあげたら良いのか悩んで、すっかり困って、分家の祥子叔母ちゃんに相談に行った。
トラが誕生日に女にプレゼントなど送ったことは一度として無いのだ。
幼い七緒にトンボを捕って来てやったくらいか。
ヨネにトンボをくれる訳にはいかない、トラである。
祥子叔母さんも、悩んだけれど、まだヨネの嗜好をよく知らないからと、結局叔母がヨネに直接聞いてくれたのだった。
「ヨネちゃん、もうすぐお誕生日だろう?トラが何が欲しいか気にしてたよ。」
オブラートに包んだりしない、ストレートな物言いに定評のある叔母である、隠し事などとは無縁の人なのだ。
「ええ?何でも良いなら、私、お肉が食べたいわー!」
ヨネが夢見る眼差しでそう言った。
「え?欲しいものってお肉かい?」
これには祥子叔母ちゃんも面食らって聞き返した。
「うん。そうよ、お肉が食べたいなー。あ、でもスパゲッテやオムライス、トンカツにハンバーグでも良いわ。ケチャップやソースが食べたいよー洋食が食べたいのよ。」
ヨネが切実な声を出してそう答えた。
「名古屋にはそんなハイカラな物があるのね。アタシも食べてみたいなぁ。」
それを黙って聞いていた七緒が、ヨネの話を聞いてそうポツリと溢した。
「ほんとにハイカラだねぇ、それはいつ頃どこで食べたんだい?」
祥子叔母ちゃんも興味津々でヨネに質問をした。
「ああそれはね、私は工場で働いてた娘時分に、まだ戦争がそんなに激しく無い頃ね、休みの日には友達と汽車で名古屋の街まで行ってね、松坂屋の上の食堂で洋食食べるのが私の唯一の楽しみだったんだよ。そのために残業だって喜んでしてたんだから。」
ヨネは昔を思い出したのか、遠い目をしてそう答えた。
「まあ、ヨネちゃんは昔から食いしん坊だったんだねえ。」
フフフと叔母ちゃんが笑った。
そして、庭でソワソワと草取りをしているトラを呼んで、
「ってことで、トラちゃん。駅前の商店に頼んで肉を用意してもらって、すぐに買っておいでよ。」
そう言いつけた祥子叔母ちゃんは楽し気であった。
「いや、しかし叔母ちゃん、ヨネの誕生日プレゼントに肉って。しかも料理するのはヨネだろう?そりゃおかしいじゃないか。」
トラが戸惑いがちにそう言った。
「なんだい、トラちゃん、兵隊で料理はできるようになったって祝言の時言ってたじゃないか?」
「そりゃ、野うさぎ捌いたり鳥を絞めたりしてきたけど、洋食なんてハイカラなもん作られんよ。」
トホホ・・・トラは肩を下げて困り顔である。
『そりゃそうだね』と、祥子叔母ちゃんが小さく言った。
結局、自分でヨネに聞くしかないと、トラが腹を括って話しかけた。
「ヨネ、叔母ちゃんに聞いたんだが誕生日に肉が欲しいとか本当に肉で良いのかい?この辺りで洋食なんて洒落た物出す店はないんだけど、肉をどうすんだい?」
「そりゃあ、私が料理するわ。決まってるじゃない!」
ヨネが胸を張ってそう答えた。
「でも《けちゃっぷ)とか手に入るかどうかわからんぞ。」
まだ終戦後一年である。ましてや、この山間部の田舎のこの辺りで、そういう洋物の調味料を扱ってる店は無い、どうしたものだろうか。
「大丈夫よ。今回はけちゃっぷは使わない料理にするわ。ミンチ肉が欲しいのよ、あと卵とパン粉。それで私が作るわ!《爆弾のフライ!》よ」
ヨネが一際大きな声で言った。
「爆弾のフライ!?」
初めての誕生日に、なんとも物騒な名前の洋食を作るものである、そうトラは思ったがヨネが良いならと肉を頼みに駅前の商店へと急いで出掛けていったのである。
駅前の商店でミンチ肉とパン粉を買い、分家で飼っている鶏の卵を分けてもらった。
野菜は畑に有るもので良いという。
「さてさて、では今日は祥子叔母ちゃんも手伝ってくれるということで、今から爆弾のフライを作ります。」
ヨネは自信満々で笑って言った。
「まずはウスターソースを作ります。まあなんちゃってだけど。」
エヘヘと舌を出して笑いながら、ヨネが説明を始めた。
「何だい、そのウスターソースって?」
祥子叔母ちゃんが不思議そうな顔で尋ねた。
「スゴくフライが美味しくなるソースなんだよ。本当は、店で買えたらいいんだけど、無いからね、今日はなんちゃってを作りますよー。」
そう言って、ヨネが七緒と祥子叔母ちゃんに指示を出して調理が始まった。
玉ねぎ、ニンジン、ニンジンの葉、セロリ、生姜、にんにく、鷹の爪、を細かく刻む。
それを油で炒めて、昆布を浸しといた水を入れて砂糖と醤油を入れる、この時山椒の実の醤油漬けも加えた。
別の小鍋に砂糖と少量の水を入れて、火にかけ焦げてきたら湯をジュッと入れる。
「これをカラメルソースっていうのよ、ぷりん作る時にも底に入れるのよ。そのうちぷりんを作ろうね。今回はカラメルソースを鍋に入れますよ。」
そう言って、先程の野菜を入れて煮ていた鍋にカラメルを加えた。
その後、よく煮詰めて水分が半分以下になったらザルと布巾で濾して、入れ物が無いから徳利に入れた。
「これが、ウスターソースかい?」
祥子叔母ちゃんがペロリと鍋に残った物を指で救ってチロっと舐めて聞いた。
「うん、まあなんちゃってだから本物はもっと美味しいけどね。作りたてよりも寝かせた方がより旨味が増すんだけれど、今日はもう使っちゃうよ。」
そう言って、ヨネも七緒も鍋のそこのソースを指で救ってペロって舐めたのだった。
「さて、次は爆弾作りよ!」
ヨネが楽しそうにそう言った。
「まあ、なんとも、物騒な名前だね。」
「爆弾ってなーに?」
二人とも料理名に爆弾などついた料理は知らないと、想像も出来ていない顔をしていた。
「ふふ楽しみにしてね。じゃあ、ナナちゃん卵を一つこっちにちょうだいな。あと、二つ割って水で薄めて溶いておいてね、そして、残りの卵は茹で玉子にして下さい。」
「はい。ネエサン」
「ボールにミンチと玉ねぎのみじん切りと卵と塩を入れて粘りけが出るまで捏ねますよ。祥子叔母ちゃんは、付け合わせのキャベツを千切りして下さいな。」
「ハイわかったよー。」
茹で玉子に小麦粉まぶして、ミンチ肉を回りに付けて野球のボールのよう。
更に、小麦粉・水溶き卵・パン粉の順で衣を付けて、油で揚げる。
揚がった物を半分に切ると、衣メンチ玉子層がきれいに出来ていた。
「大皿に山盛りキャベツと爆弾のフライをたくさん並べて、徳利に入ったソースを添えて。さあ、爆弾のフライの出来上がりだよー!」
その頃、トラは広間に机を並べて、会場の仕度をしていた。
今日はトラたち三人に加えて、分家の大叔父と、再従兄弟夫婦と子供たち二人を呼んで食事会を催すのだ。
下の家の分家はトラの父親の従兄弟の家で、そこの長男はトラの再従兄弟である。
祥子叔母ちゃんと呼んでいるが、祥子叔母ちゃんは再従兄弟の嫁で、血縁関係はないのだ。
トラと再従兄弟は年が十も離れていて弟のように、幼い時から可愛がってもらっていた。
出稼ぎも一緒にトラの父親とも行っていたので、一家とはずいぶん仲良くしていた。
トラが出兵して、母親も亡くなり、父親と七緒の二人暮らしになった頃は、下の分家が色々と手伝いをしてくれていたし、祥子叔母ちゃんは、足の悪い七緒をいつも気遣って良く見舞ってくれていたのだった。
「トラ、今日はお呼ばれしてすまんな。新婚の家庭に大勢で来て。」
大叔父が一升瓶を渡しながら言ってきた。
「やだ、気を使わせてかえってスマンね。適当にかけて下さい。」
家族でやって来た一家にトラが席を勧めた。
机には祥子叔母ちゃんが家で作っておいたという、ちらし寿司やら茹でた枝豆やとうもろこしも並んだ。
そこに大皿にのった爆弾のフライがドドーンと運ばれてきた。
「ヨネ、お誕生日おめでとう。誕生日に振る舞いを作らせてごめんな。」
さあさあ、座って座ってと本日の主役を真ん中に座らせて、トラが謝った。
「なによ、良いのよ、私が食べたかったんだから。」
ヨネは気にもかけずに、軽い口調でそう答えた。
「さあさあ、早く温かいうちに食べようよ。ヨネちゃんお誕生日おめでとう、カンパーイ」
そう、祥子叔母ちゃんが仕切って乾杯をした。
男衆は持ってきた酒を早速飲み始める。
トラは一口だけもらって、後は麦茶を飲んだ。
トラの家では、夏の間は、毎朝大きなヤカンで麦茶を煮だして、冷まして四六時中飲んでいた。
煎った麦の香りが良くて、食事の邪魔をしなくてとても美味しいのだ。
手作りのウスターソースを爆弾のフライにかけて食べた。
「「「!!!!!!」」」」
ソースのかかった衣からミンチの肉汁が溢れてくる。
ソース味の玉子も絶妙の旨さだ。
「旨いな!」
「美味しい!」
「豚肉にこのフライの衣をつけたトンカツにこのソースでも美味しいのよ。」
「じゃあ、今度はそれにしよう!」
ヨネの言葉に被せてトラが即答する。
「じゃあ、また俺らも呼んどくれや!」
「あんた、図々しいよ!」
再従兄弟と祥子叔母ちゃんが漫才のような掛け合いを見せる。
それを聞いて、みんなが顔を見合わせて笑い会う。
子供たちも、フライを口に頬張って食べていた。
夜が更けるまで、一族みんなで大いに飲み腹一杯ごちそうを食った。
これは初めてのヨネの誕生日を親族みんなでお祝いした、そんな美味しいお話。
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