上 下
3 / 3

晩夏のハーブティー

しおりを挟む
 7月になって夏休みが始まる頃合い。ジリジリと暑い外に対し、喫茶四季成の中は涼しかった。それもそのはず、今日の店主は暑がりの弟。少しでも暑いとやる気をなくし、「もう今日休みにしない?」などと言い出すからだ。クーラーは効かせつつも効き過ぎて寒いなんて元も子もない。店内にブランケットは常に置いてあるもののアイスを食べて冷えすぎちゃいました、なんてことのないような温度にしてある。エアコンの風が1番届く場所を陣取り、人がいないことをいいことに本を読んでいた。

 カランとベルの音が鳴る。店主は読みかけの本に栞を挟んで音のなった方を見る。その先にいたのはくたびれた男性だった。ここ数日の日差しはいいにも関わらずその男性は白い肌持っていて普段外に出ないことを予想させる。彼は店内に人がいないことを察知すると困ったような表情を浮かべた。
 「今はもう夕方なのであんまり人いないんですよ。今日暑かったですし。でもやってるんで。」
 店主はそういうと男を席に案内する。男は困った笑みでで会釈をすると後ろをついていく。通された席は窓際のソファー席だった。そこに男が座ったのを確認すると店主は1度店の奥に行き、水を持って帰ってきた。受け取った水をまたもや軽く会釈して男は受け取る。その様子を見て店主は店の奥へ戻って行った。

 店主が店の奥へ言ったことで安心したように男は息を吐く。緊張していたのか固まっていた体から力が抜けた。ようやく落ち着いたのかメニュー表に目を通し始める。メニュー表を物珍しそうにしばらく見ていたが、決めきれなかったのか聞き馴染みがなかったのか首をかしげて唸り始めた。しばらくして店主が何かを持って帰ってきた。綺麗な木製のお盆の上に小さな紙コップがいくつか置かれている。
「よければお味見いかがですか?」
「えっと......。」
「趣味と仕事を兼ねたハーブティーです。アレルギーはありませんか?」
「いや、ない、ですけど......。」
「じゃあハーブティーを飲んだ経験は?」
「いえ......。」
「じゃあなおさら。すべて冷たいお茶ですので暑い今日にはピッタリかと。」
 困ったような顔をして男は出されたお茶を一つ、手に取った。
「それはカモミールです。甘い香りと飲みやすさが特徴のお茶ですね。」
「そ、そうなんですね......。」
 手に取ったカップに口をつける。確かに甘い香りがする。カモミールは花、だっただろうか。やわらかい甘さが口の中に広がった。
「はちみつやミルクを入れてもおいしいんですよ。もちろんホットでも。」
「なんかオシャレな女の子が好きそうでね。」
「実際ハーブティーの中でもメジャーな種類なんです。リラックス効果があるそうで安眠にいいなんて言われたり。」
「へぇ......。」
 男はふと思いついたように持ってきたバッグから手帳を取り出すと何かを取り出し書き始める。それが落ち着いたのを見計らって店主が話し始める。
「これはミントです。ミントはミントでもスペアミントですが。」
「スペアミント、ミントって種類があるんですね。」
「ミントって実は幅が多くて、一般的に料理に使われるのがスペアミント、香料に多いのがぺパーミントです。スペアミントの方が甘くて飲みやすいんですよ。」
 店主の言葉に耳を傾けながらミントティーを手に取る。すっきりとした香りが口をつける前から香ってきた。思い切って口をつける。
「あ、思ったより辛くない。」
「そうなんです。だから僕はスペアミントの方が好きで。姉の方はペパーミント派ですが。」
 なるほどと相槌を打ちながらまた何かを書き始める。
「他にもミントには結構種類があって。リンゴのようなアップルミントもハーブティーに多いですね。ミント特有の清涼感のないオーデコロンミント、なんて種類もあるんですよ。」
「ミントも奥が深いんですね。」
「そうなんです。さて、次なんですけどちょっと酸っぱいので気を付けてください。」
「酸っぱいですか?」
「はい、ローズヒップティーなんですけれど、ビタミンCが豊富な分、少し酸味があるのが特徴なんです。」
 男はローズヒップティーと言われたそれを見つめ、手に取る。ほんのり赤身のある液体は確かにほんのり花のような香りがする。少し匂いを嗅ぐと口をつけて驚く。
「本当に酸っぱい。レモンとはまた違うんですけど、レモンみたいに酸っぱいです。」
「そうなんですよね。だから苦手な人は苦手なんですよ。」
「でも体によさそうな酸味です。」
「実際美容にいいって言われてます。ただ無理はしないでください。おいしく飲むのが一番です。」
 そういって店主は優しく笑う。少しずつ男はローズヒップティーを飲み、別のカップを指さした。
「これは?」
「ジャスミンティーですね。ハーブティーというより紅茶に近いんですけど今日のおすすめが杏仁豆腐なので出してみました。」
「紅茶、ですか?」
「緑茶などの茶葉にジャスミンの香りづけをしたものがジャスミン茶なんです。フレーバーティーっていうやつですね。」
「フレーバーティー......。」
 男は香りを嗅ぐとためらわず口をつけた。どこかで嗅いだことのあるようなにおいが口の中に広がった。
「中国茶の中でもジャスミンティーはメジャーですし、何よりジャスミンはリラックス効果があるとされて色々な場所で使われるのでもしかしたら覚えがあるのかもしれません。」
「ああ、それでですか。」
 思い出してすっきりした、とでも言いたげな表情は最初のころの緊張なんて感じさせない。この短期間で随分と慣れたようだ。
「そして最後、迷ったんですけどルイボスティーにしました。ブレンドにしようかは迷ったんですけどさすがに初めての方にはそのままの香りを知ってほしくて。」
「ルイボス、ですか?」
「はい、マメ科の植物の葉を使ったお茶です。ちょっと癖はありますが体に良くておいしいので。」
 今までと違い、少しも聞いたことのないような植物に男は少し困ったような顔をしたものの、恐る恐る口をつけた。
「......確かに癖はありますが、飲みやすいですね。」
「ええ、あっさり系なんです。僕の好みもありますが。」
「好みですか。」
「渋めのルイボスもありますが渋いのが苦手で。」
「ああ、お茶特有の苦み、みたいな。」
「はい、どうも苦手で。」
 そう苦笑いをする店主に納得がいったらしい男。そのまますべて飲むと少し手帳に書き記し、メニュー表を再度見た。
「えっと、お茶、ありがとうございました。それで、注文なんですけれど。」
「はい、何にしますか。」
「ジャスミン茶と、後、じゃあさっきおすすめって言った杏仁豆腐で。」
「はい、かしこまりました。」
そういって店主は空のカップを回収して奥へと戻っていった。男はその後姿を見送ると手帳に書いていた分を読み返す。彼はしがない小説家だった。久しぶりに担当と外で打ち合わせをした際に新しい話を書きたいということを話していた。しかし、ネタが思いつかず、ネタを手に入れようにも外に出るのが苦手で困っていたのだ。いいネタがあったとでも言わんばかりに笑うと思いついたアイデアを書き始めた。

 とある中堅作家の新シリーズはとある喫茶店をテーマにしたものだった。こじんまりとした喫茶店とその周りの人たちの人間模様が描かれたその作品はその後しばらくして著名な賞をとることになる。その話に出てくる喫茶店は色鮮やかなハーブティーとそのお茶に合ったスイーツで人気なお店だと描かれていた。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...