いつか幸せになれたら

井野ヒマリ

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笑顔が素敵な子

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 僕には最強の武器がある。
 柔和さと人当たりの良さを兼ね備えたこの笑顔だ。
幼い頃から常に周りの人から褒められた事で、表情筋が鍛えられてきた。
 そんな笑顔を持ってしても手に入らなかったものが環境である。
高校を卒業間近で中学生の弟である健太の心臓病が悪化し、お金と時間が必要になった。
親は母1人だけ。
朝から晩まで化粧もせず働く母を見ていた僕はこれ以上負担をかけたくなかった。
「あの、実は就職勧められててさ」
咄嗟についた嘘だった。
「担任が工場の社長さんと知り合いみたいで、今度面接も予定してもらってるんだ」
ただいつもと同じ笑顔で目の前の人を安心させたかった。
将来の見えない恐怖なんて考える余地は無かった。
貴方には大事な未来があるのに、と言った母の顔には少し安堵が見えた気がした。

 担任は成績優秀で将来有望な生徒を逃したくなかったらしい。
僕が頑なに就職を希望する姿勢に折れてくれたは良いが、今までとは別人のように無関心になった。
家庭の相談にも乗ってくれる気さくな先生だった人からの義務的な態度はキツかった。
 友人達には本当の事情を打ち明けた。
みんな励ますような言葉を掛けて、「ずっと友達だからな」と言ってくれた。
卒業式当日には彼等とカラオケに行って、これからの夢や同窓会の予定なんかを話した。
 それ以降は少しずつ疎遠になった。
眩い大学生と、生活するのがやっとな僕では色んな事が違い過ぎるのだ。
遊びに誘われても予定が付かないことが多かったが、唯一食事に出掛けた日を覚えてる。
 大学生らしくお洒落をした彼等を見ても尚高校時代の雰囲気に浸っていた僕だったが、店に入って暫くすると課題に焦っている事やバイトの忙しさなどで場が盛り上がり始めた。
一生懸命話について行こうと笑顔で相槌を打っていたが、将来を語り始める友人達の輝く瞳を見るとふと疎外感が生まれた。
自分の機械のように淡々と送る日常も、夢を持たない事も、着ている服さえ惨めに思えた。
それからというもの彼等とは会えていない、いや会わないようにしている。
卑屈だと思われてもしょうがない、僕には僕の使命がある。
弟の入院費を稼いで、母の笑顔を見るために会社で毎日働くことが生き甲斐なのだ。

 そんな僕ももうすぐ27歳。
高校卒業と共に雇ってもらった近所の工場には数年前に早期退職を促され、そのまま辞めた。
今はコンビニで朝から晩まで働く、いわゆるフリーターだ。
 浮き沈みの無い凡庸な十年だったが、唯一嬉しかったことがある。
健太の持病が寛解したのだ。
幾度かの入院生活を乗り換え大学病院での治療を施し、5年前にやっと寛解に至った。
まだ様子見だが少しずつ元気を取り戻す健太を見ていると、僕の努力が報われたようだ。
 母も弟と比例するように笑顔を取り戻していた。
一纏めにしていただけの髪は手入れされて艶やかさを取り戻し、無頓着だった服装も今では若干の華やかさがある。
何より学生時代から見ていない笑顔が増えたことが嬉しかった。
 闘病の関係で一年遅れにはなるが大学生として過ごす弟と、転職先の会社で事務として働く母親。
やっと僕にも心の安寧が訪れた気がする。
「あれ美味しかったね」
目の前で盛り上がる2人はさも当たり前のような顔で会話を続ける。
「え、どれのことだろ」
堪えきれず会話に釘を刺した僕に健太が曖昧そうな顔で答える。
「あぁ、昨日一緒に駅前のランチ食べてさ」
「そうなの?言ってくれたら行けたのに」
そう言うと母が微妙そうな顔をした。
咄嗟に何か言わないと、と思った。
「まぁでも時間合わないし無理だよな、はは」
わだかまりが残らないように笑顔で蓋をした。

 こういう事はよくある。
母の中で健太との結びつきは僕以上なのだ。
 幼い頃から病弱で床に伏せてばかりいた健太は、護らなければいけない対象だった。
加えて大学に主席合格しただとか、部活で結果を残しただとか、友達に慕われているだとか、健太には魅力が沢山ある。
コロコロと変わる表情や明るい話題に溢れた、愛おしい子なのだと思う。
だからこそ病気から解放された息子と失われた時間を取り戻すように、最近は一緒にいる事も多いらしい。
 そこには自分の入る余地なんて無い。
僕から出るのは定型の会話だけで、笑顔だって使い古しだ。
今だってただ2人の会話に適当な相槌を入れるだけで、まるでバラエティのガヤのようだし。
でもそれでいい。
幸せそうに笑う2人を見ているだけで僕には充分。
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