異世界恋愛短編集

葵 すみれ

文字の大きさ
上 下
16 / 31
白い絹とレースの手袋は幸福をもたらさない

02.二つの箱

しおりを挟む
 クロエがリュシーを問い詰めると、彼女はあっさりとジュストと会っていることを白状した。
 しかも、後ろめたさなどかけらもなく、堂々としたものだ。

「だって、お姉さまの汚い手なんて、見ているだけでうんざりするっていうんですもの。私の綺麗な手が好きだっていうから、ちょっとお会いしてあげただけよ」

「……彼は、私の婚約者よ」

「まあ、誤解しないで。あの程度の男、私が本気で相手にするわけがないでしょう。たかが子爵家の三男なんて、私にはふさわしくないわ。私に気まぐれで相手してもらって、感謝するべきよ」

 薄笑いを浮かべながら、リュシーは高慢に言い放つ。
 クロエは唖然としてしまい、とっさに言葉が出てこなかった。

「お姉さまより私が良いのは当然だけれど、間違って本気になられたら迷惑だわ。私は上位貴族に嫁ぐのよ。おかしなことにならないよう、お姉さまもきちんと見張っておいてちょうだいね」

 言いたいことだけ言うと、リュシーはさっさと自分の部屋に戻っていった。
 怒りと悔しさ、情けなさでクロエは涙がにじんでくる。
 クロエは衝動的に屋敷から出て、近くの森へと駆け出した。
 誰とも会いたくなかったのだ。良い姉でいなくともよい、一人になれる場所に行きたかった。

「いつも……いつも、勝手なことばかり……! ふざけないでよっ!」

 薄暗い森の中で、クロエは一人叫ぶ。
 父も義母も、本当に大切なのは妹のリュシーだけなのだ。クロエが求められているのは良い姉という役割で、だからこそ家族と認められている。
 どれだけ腹立たしくても、直接文句を言うわけにはいかない。
 それでも我慢できなくなったときは、この森にやってきて叫ぶのが、クロエの息抜きだった。
 この森には危険な動物は確認されていない。小動物くらいしかいないので、一人で叫ぶのにはもってこいの場所だった。

「……そこのきみ、ちょっといいかな」

 ところが、誰もいないと思っていたはずなのに、木陰から声がした。
 クロエはぎょっとしながら、声のした方向を見る。
 すると、一人の青年が木にもたれかかって座り込んでいたのだ。
 しかもクロエがこれまで見たことがないほど、華やかな雰囲気の漂う、整った顔立ちの美青年だった。

「は……はい……」

 クロエは思わず青年に目を奪われながら、答える。
 それまでの激情が一瞬で引っ込むほどの衝撃だった。

「狩りに向かうところだったのだけれど、少々足を痛めてしまってね。迎えを呼びたいので、この森から出るのを手伝ってもらえないだろうか」

 落ち着いた声には、命令慣れした響きがある。
 間違いなく、身分の高い相手だ。クロエは緊張しながら、頷く。

「こ……この近くに、私たちの屋敷があります。よろしければ、そちらにご案内いたします」

「ああ、よろしく頼むよ。ところで少し支えてもらえないだろうか」

「は……はい……」

 おどおどとしながら、クロエは青年に手を差し出す。
 青年は微笑んで、その手を取って立ち上がり、クロエに寄り添いながらゆっくりと歩き出した。
 怪我人を助けているだけとはいえ、美青年と寄り添って歩くという状況に、クロエは戸惑う。
 やがて屋敷の前にたどり着くまで、二人とも言葉を発することはなかった。

「……もしかして、あなたは男爵の二人いる令嬢のどちらかかな?」

 屋敷を目前にして、青年が口を開く。

「は……はい、長女のクロエと申します……」

「そうか……私は王都から来ていてね。王都には、あなたのように心癒される令嬢はいない。もしよければ、これからも私に寄り添ってもらえないだろうか」

「え……?」

 突然の申し出に、クロエは耳を疑う。
 もしかしてこれは、プロポーズではないだろうか。
 つい先ほど出会ったばかりなのに正気だろうかと、クロエは唖然として立ち止まってしまう。

「実は、最上の紅月酒を作り出す乙女の話を聞いてやってきたのだよ。土産も用意してある」

 そう言って、青年は二つの小箱を取り出す。
 華やかな装飾の豪華な小箱と、飾り気のない素朴な小箱だ。

「これらは『華麗な栄光』と『素朴な幸福』の箱だ。血縁者が二人で同時に開く必要があるという、不思議な箱でね。その名のとおりの運命を開けた者にもたらすそうだ。二人の男爵令嬢にプレゼントしようと思って持ってきたのだよ」

 青年はクロエに二つの小箱を差し出してくる。
 つい、クロエは受け取ってしまった。

「私の名はエミリアンという。願わくば、あなたが華麗な栄光を掴むことを。では、私は男爵に挨拶してこよう」

 ゆったりとした足取りで、エミリアンと名乗った青年は屋敷に入っていく。
 残されたクロエは、呆然としたまま立ち尽くす。
 エミリアンとは、この国の王太子の名前だったはずだ。堂々とした立ち居振る舞いに支配者の声は、まさに本人であると物語っている。

「まさか、そんな……」

 たった今、クロエは王太子からプロポーズされたということになるのだ。
 信じられない思いで、クロエは屋敷の前で一人たたずむ。

「……お姉さま!」

 ややあって、屋敷の中からリュシーが出てきた。

「先ほどの方、いったい……あら? 何を持っていますの?」

 リュシーはクロエが手に持ったままの二つの小箱に気付く。
 そして、豪華な小箱をひょいと取り上げて、開けようとする。

「……ちょっ……開きませんわ……」

 だが、小箱は開かない。
 血縁者が二人で同時に開く必要があるという言葉を、クロエは思い出す。

「その箱は、二人で同時に開く必要があるそうよ」

「じゃあ、お姉さまも一緒に開けましょうよ。お姉さまは、そっちのつまらない、ちっぽけな箱でよいでしょう?」

 当然のように素朴な箱を押し付けてくるリュシー。
 クロエは、はっとして考える。
 これらの箱は、『華麗な栄光』と『素朴な幸福』だ。その名のとおりの運命を開けた者にもたらすのだという。
 つまり、豪華な箱を開ければ、これまで良い姉というリュシーの影でしかなかったクロエが栄光を掴めるのだ。
 実は中身は見た目に反しているのだとでも言えば、リュシーを言いくるめるのはわけもない。

 クロエは迷う。
 華麗な栄光を掴むか、素朴な幸福を求めるか。
 つまらない、ちっぽけな存在から抜け出すチャンスなのだ。自分の力だけでは得られないであろう、貴重な機会が訪れている。
 華やかな世界への扉は、目の前で開きかけているのだ。

「……実は、その箱は──」

 迷った末、クロエは決断すると、静かに口を開いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私、悪役令嬢ですが聖女に婚約者を取られそうなので自らを殺すことにしました

蓮恭
恋愛
 私カトリーヌは、周囲が言うには所謂悪役令嬢というものらしいです。  私の実家は新興貴族で、元はただの商家でした。    私が発案し開発した独創的な商品が当たりに当たった結果、国王陛下から子爵の位を賜ったと同時に王子殿下との婚約を打診されました。  この国の第二王子であり、名誉ある王国騎士団を率いる騎士団長ダミアン様が私の婚約者です。  それなのに、先般異世界から召喚してきた聖女麻里《まり》はその立場を利用して、ダミアン様を籠絡しようとしています。  ダミアン様は私の最も愛する方。    麻里を討ち果たし、婚約者の心を自分のものにすることにします。 *初めての読み切り短編です❀.(*´◡`*)❀. 『小説家になろう』様、『カクヨム』様にも掲載中です。

その聖女、娼婦につき ~何もかもが遅すぎた~

ノ木瀬 優
恋愛
 卒業パーティーにて、ライル王太子は、レイチェルに婚約破棄を突き付ける。それを受けたレイチェルは……。 「――あー、はい。もう、そういうのいいです。もうどうしようもないので」  あっけらかんとそう言い放った。実は、この国の聖女システムには、ある秘密が隠されていたのだ。  思い付きで書いてみました。全2話、本日中に完結予定です。  設定ガバガバなところもありますが、気楽に楽しんで頂けたら幸いです。    R15は保険ですので、安心してお楽しみ下さい。

夫の様子がおかしいです

ララ
恋愛
夫の様子がおかしいです。

私とは婚約破棄して妹と婚約するんですか?でも私、転生聖女なんですけど?

tartan321
恋愛
婚約破棄は勝手ですが、事情を分からずにすると、大変なことが起きるかも? 3部構成です。

【完結】私を断罪するのが神のお告げですって?なら、本人を呼んでみましょうか

あーもんど
恋愛
聖女のオリアナが神に祈りを捧げている最中、ある女性が現れ、こう言う。 「貴方には、これから裁きを受けてもらうわ!」 突然の宣言に驚きつつも、オリアナはワケを聞く。 すると、出てくるのはただの言い掛かりに過ぎない言い分ばかり。 オリアナは何とか理解してもらおうとするものの、相手は聞く耳持たずで……? 最終的には「神のお告げよ!」とまで言われ、さすがのオリアナも反抗を決意! 「私を断罪するのが神のお告げですって?なら、本人を呼んでみましょうか」 さて、聖女オリアナを怒らせた彼らの末路は? ◆小説家になろう様でも掲載中◆ →短編形式で投稿したため、こちらなら一気に最後まで読めます

自業自得って言葉、知ってますか? 私をいじめていたのはあなたですよね?

長岡更紗
恋愛
庶民聖女の私をいじめてくる、貴族聖女のニコレット。 王子の婚約者を決める舞踏会に出ると、 「卑しい庶民聖女ね。王子妃になりたいがためにそのドレスも盗んできたそうじゃないの」 あることないこと言われて、我慢の限界! 絶対にあなたなんかに王子様は渡さない! これは一生懸命生きる人が報われ、悪さをする人は報いを受ける、勧善懲悪のシンデレラストーリー! *旧タイトルは『灰かぶり聖女は冷徹王子のお気に入り 〜自業自得って言葉、知ってますか? 私をいじめていたのは公爵令嬢、あなたですよ〜』です。 *小説家になろうでも掲載しています。

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

護国の聖女、婚約破棄の上、国外追放される。〜もう護らなくていいんですね〜

ココちゃん
恋愛
平民出身と蔑まれつつも、聖女として10年間一人で護国の大結界を維持してきたジルヴァラは、学園の卒業式で、冤罪を理由に第一王子に婚約を破棄され、国外追放されてしまう。 護国の大結界は、聖女が結界の外に出た瞬間、消滅してしまうけれど、王子の新しい婚約者さんが次の聖女だっていうし大丈夫だよね。 がんばれ。 …テンプレ聖女モノです。

処理中です...