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29.精霊の愛し子

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「ヘスティアっ!」

 レイモンドは絶叫し、手を伸ばす。しかし、その手は空を切っただけだった。

「そんな……っ」

 己の手の先を眺めながら、レイモンドは呆然と呟く。

「ちっくしょう! ポーラめ! 何をしやがるんだ! ふざけるな!」

 そこに突然タイロンが現れ、喚き始めた。

「タイロン……!」

 レイモンドは怒りの形相で振り返る。八つ当たりのように、タイロンに殴りかかった。

「ぐはっ!」

 タイロンは避けることもできずに殴られる。地面に倒れ込み、懐から卵が転がり落ちた。

「レイモンド、何をしておる! タイロンを捕らえるのだ!」

 グレアムは叱責するように叫ぶが、レイモンドの耳には届かない。
 彼は地面に倒れたタイロンの胸ぐらを掴むと、強引に引き起こす。そして、何度も殴りつけた。

「やめろ! レイモンド!」

 グレアムは慌てて止めに入るが、間に合わない。

「離せっ! こいつのせいでヘスティアが……! 殺してやる!」

 レイモンドは怒りに我を忘れているようで、グレアムの制止も耳に入らない様子だ。
 それを見て、ポーラがガクガクと震えている。

「わ、私は悪くないわ! だって、あの女が悪いのよ!」

 ポーラは言い訳をするように叫んだ。

「うるさい! 黙れっ! お前も覚悟しておけ!」

 レイモンドはポーラにも怒声を浴びせる。

「ひっ……!」

 ポーラは小さく悲鳴を上げて縮こまった。

「やめろ、レイモンド! それよりも、ヘスティアを探すのが先決だ!」

 グレアムはレイモンドの腕を掴み、諭すように言う。

「は、はい……」

 ヘスティアの名を聞いたレイモンドは我に返り、タイロンを離す。

「タイロンとポーラを捕縛せよ!」

 グレアムの号令で護衛たちが動き、タイロンとポーラを拘束した。
 気を失っているタイロンは護衛たちに担がれ、ポーラは両脇を掴まれて立たされる。

「離せっ! 私は悪くないわ!」

 ポーラは泣きながら喚き散らすが、護衛たちは構わず連行していく。
 そちらを見ようともせず、レイモンドはのろのろと手を伸ばして、地面に落ちている卵を拾おうとする。
 しかし、卵はまるで意思を持っているかのように転がり、火口へと落ちていく。

「くそっ……!」

 レイモンドは再び火口に向かって駆け出した。
 しかし、もう遅かったようだ。卵の姿は火口の中に消えてしまった。

「そんな……」

 レイモンドはがっくりと膝をつき、地面に手をつく。

「俺は……どうすればいいんだ……ヘスティア……」

 絶望に満ちた声で呟き、レイモンドは火口へと手を伸ばした。

「レイモンド! しっかりしろ!」

 グレアムが呼びかけるが、レイモンドには聞こえていないようだ。彼は呆然としたまま火口を見つめていた。
 そのとき、火口から火柱が立ち上った。

「なんだ……!?」

 レイモンドは驚きの声を上げる。他の人々も同じで、皆火柱を見つめた。
 火柱は高く燃え上がり、その中に人の姿が浮かび上がる。

「ヘスティア……?」

 レイモンドは呆然としながら呟く。
 火柱の中に浮かび上がったのは、ヘスティアの姿だった。その背には炎の翼が生えている。

「そんな……っ!?」

 レイモンドは信じられないという表情で呟いた。
 他の人々も同じ気持ちなのだろう、誰もが言葉を失っているようだった。
 ヘスティアはゆっくりと翼を広げ、火口から飛び立つ。そして、空高く舞い上がった。
 その翼は炎が揺らめくようで、神々しいほどに美しく、見る者を圧倒する。

「美しい……」

 誰かが呟いた。その言葉は、その場の全員の気持ちを表していただろう。

「あれが……ヘスティアなのか……?」

 レイモンドは呆然としたまま呟く。

「炎の乙女……精霊の愛し子……」

 グレアムも圧倒されたように呟いた。
 炎を纏った翼を広げたヘスティアは、やがてゆっくりと降りてくると、レイモンドの前に降り立った。

「ヘスティア……」

 レイモンドは震える声で呼びかける。
 ヘスティアは何も答えず、ぼんやりとした瞳でレイモンドを見つめていた。
 その背から生えていた炎の翼が、離れるように消えていく。

「ヘスティア!」

 レイモンドは急いで立ち上がり、ヘスティアに駆け寄る。
 彼女はぐったりとしており、今にも倒れてしまいそうだ。

「大丈夫か!? しっかりしろ!」

 レイモンドはヘスティアの体を支えながら、必死に呼びかける。

「レイモンドさま……?」

 消え入りそうなほどの声で、ヘスティアは呟いた。

「ああ、そうだ。俺だ、レイモンドだ!わかるか!?」

「はい……わかります……。私は大丈夫です……ちょっと疲れてしまっただけです……」

 ヘスティアは弱々しく微笑む。

「そうか……よかった……」

 レイモンドは安堵の息をつく。
 そしてヘスティアの背中をさすろうとして、彼女のケープが燃え落ちていることに気づいた。

「あっ……」

 レイモンドは慌てて自分の上着を脱いでヘスティアに羽織らせようとする。

「こ、これは……!」

 しかし、露わになったヘスティアの背中を見て、レイモンドは言葉を失った。

「あ……火傷の痕……申し訳ありません……こんな醜い背中をお見せしてしまって……」

 いたたまれなくなりながら、ヘスティアは詫びる。
 これでレイモンドに嫌われてしまったのではないかと、不安になってしまう。

「違う……これは、精霊紋じゃないか……! こんな、こんな美しいもの、見たことがない……!」

 レイモンドは興奮を抑えきれない様子で言った。その目は大きく見開かれている。

「え……!?」

 その言葉に驚いたのは、他でもないヘスティアだった。
 精霊紋とは何だろうか。自分の背中にあるのは、火傷の痕ではなかったのか。

「精霊紋は、精霊が愛し子にだけ刻むという紋章だ。火傷の痕などではない。これは、精霊の祝福だ。きみは、火の精霊に愛されているんだよ……!」

 レイモンドは目を輝かせて語る。

「私が……精霊の愛し子……?」

 ヘスティアは信じられない気持ちで呟いた。
 すると、その言葉に応えるように、炎の鳥が舞い上がる。小鳥くらいの大きさで、可愛らしい。

「ピィーッ!」

 炎の鳥はヘスティアの肩に止まると、頬にすり寄ってきた。

「これって……卵から孵った幻獣……?」

 炎の鳥を撫でながら、ヘスティアは呟いた。

「そう……そのようだな……」

 レイモンドは呆然としたまま答える。

「良かった……本当に……。この子が無事でよかったです……」

 ほっとしながら、ヘスティアは炎の鳥を撫で続ける。

「ああ……」

 レイモンドも嬉しそうに微笑む。

「ピィッ!」

 炎の鳥は返事をするように、大きく鳴いた。

「いやはや、驚いたな。まさかこんなことが起こるとは……」

 グレアムも近づいてきて、感心したように言う。

「はい……私も驚いています……」

 ヘスティアも呆然として答えた。

「そうだな。だが、喜ばしいことだ。……そうだ、こうしてはおれん。花火を打ち上げろ! 炎煌祭が無事に終わったことを知らせるのだ!」

 グレアムは思い出したように手を打つと、護衛たちに指示をする。

「はっ! ただちに!」

 護衛たちは慌てて動き始める。

「さて、儂らも皆の元に戻るか。レイモンド、ヘスティアを運んでやってくれ」

 グレアムは言うと、レイモンドの肩を叩いた。

「はい」

 レイモンドは素直に頷いて、ヘスティアを横抱きに抱える。

「きゃっ……!」

 小さく悲鳴を上げ、ヘスティアは頬を赤く染める。

「大丈夫か?」

「はい……ありがとうございます……」

 レイモンドの腕に抱かれたまま、ヘスティアは礼を言う。

「いや、礼など必要ない。当然の事だよ。しっかり掴まっていてくれ」

 レイモンドは優しい笑みを浮かべて言った。

「はい……」

 ヘスティアは恥ずかしくなりながら小さな声で答え、おずおずとレイモンドの首に腕を回す。

「よし、行こう」

 レイモンドは頷き、歩き始める。
 炎の鳥もヘスティアの後をついてくるように羽ばたいた。
 観客たちの歓声と拍手が聞こえる中、二人はゆっくりと進んでいく。
 やがて、花火の打ち上げが始まり、夜空に大輪の花が咲いた。

「わぁ……綺麗……」

 ヘスティアはうっとりとした表情で呟いた。

「ああ、綺麗だ」

 レイモンドも同意するように呟く。

「はい……」

 ヘスティアはゆっくりと目を閉じた。
 花火の音と人々の歓声が遠ざかっていくのを感じながら、眠りへと落ちていった。
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