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09.居場所

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 クッキーを包んだ袋を手に、ヘスティアは自室へと戻った。
 実家での狭く暗い部屋とは違い、日当たりの良い広い部屋には清潔なベッドとテーブルが置いてある。
 温かい食事に、ふかふかのベッド。どれも、実家では得られなかったものだ。
 今はなんと恵まれているのかと、ヘスティアは幸せを噛みしめる。

「あら?」

 ヘスティアはテーブルの上にクッキーの袋を置こうとして、ふと手を止めた。
 そこには、手紙が置いてある。差出人は、実家の男爵家だった。

「……」

 幸福に水を差されたような気分になり、ヘスティアはため息をつく。
 しかし、捨てるわけにもいかないだろうと、封を開けて中身を読む。
 そこには、ヘスティアの近況を尋ねる内容が書かれていた。
 後添えとしてきちんと尽くしているか、信用は得られたのか、など。
 丁寧な言葉で書かれているが、その実は心配している様子は微塵もない。
 あくまでも後妻としてうまくやっているか、という問いに終始している。

「……後妻にはなっていないのよね。アマーリアさまの侍女にしていただいて幸せだけれど……あの人たちが聞きたいのは、そんなことじゃないでしょうし……」

 そう呟いて、ヘスティアは手紙から視線を逸らした。
 彼らは、ヘスティアの幸福など、どうでもよいだろう。辺境伯家との繋がりが欲しいだけなのだ。
 そのために、ヘスティアが信用を得られたかどうかを気にしている。

「でも……そういえば、大旦那さまってまだお見かけしていないのよね……」

 レイモンドの祖父である先々代は、大旦那さまと呼ばれている。
 ヘスティアは本来、後添えとしてやって来たというのに、まだ一度も彼の姿を見たことがないのだ。
 聞くところによると、魔物討伐に明け暮れているそうで、滅多に屋敷には戻らないという。

「……大旦那さまにはお会いしたことすらなく、侍女として幸せに暮らしています、と書いたらどうなるのかしら」

 ヘスティアは意地悪な気分になって、そんなことを考える。

「いやいや、ダメよ。そんなこと書いたら、乗り込んでくるかもしれないわ」

 頭を振って、ヘスティアは手紙の返事を書き始める。
 手紙には、心配する必要はない、幸せに暮らしていると書いた。
 聞きたいのはそこではないだろうとわかってはいたが、気が付かない振りをする。

「これでよし」

 手紙を書き終えると、ヘスティアは丁寧に封をした。
 そして、テーブルの上に置いたままのクッキーを見つめる。

「……まだ、お帰りになっていないわよね。いつ渡せるかしら……」

 レイモンドは、まだ帰っていないはずだ。
 しかし、いつ帰るかわからない。
 できれば出来立てを食べてほしかったが、それは無理だろう。
 クッキーは日持ちがするとはいえ、なるべく早く食べてもらいたい。

「ううん、それは私の身勝手ね……。でも、食べてもらいたいな……」

 生まれて初めて作ったクッキーなのだ。誰に食べてもらいたいかと考えたとき、思い浮かんだのはレイモンドの顔だった。
 あの優しい声で、美味しいと言ってくれるだろうか。
 もしそうだったら、どんなに嬉しいだろう。
 想像するだけで心が躍る。しかし、同時に不安にもなるのだった。

「私なんかの作ったお菓子を、召し上がってくださるかしら?」

 そんなことを考えているうちにも、時間は過ぎていく。そろそろ夕食の時間だ。
 ヘスティアはテーブルの上を片付けると、部屋を出て食堂へと向かうことにした。



 レイモンドが帰宅したのは、二日後のことだった。
 待ちわびていたヘスティアは、玄関まで駆けて行く。

「お、お帰りなさいませ……! 旦那さま」

 出迎えたヘスティアを見て、レイモンドは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔になる。

「ああ、ただいま。待っていてくれたのか」

「はい……あの……」

 ヘスティアはおずおずと、クッキーの入った袋を差し出した。

「これは?」

「その……クッキーです。初めて作ったのでお口に合うかわかりませんが……」

 そう言って、恥ずかしそうに目を伏せる。
 レイモンドはその袋を大切そうに受け取ると、嬉しそうに微笑んだ。

「そうか! ありがとう!」

 その笑顔に、思わず見とれてしまう。胸が高鳴り、顔が熱くなるのを感じた。
 そんなヘスティアの様子を見て、レイモンドは首を傾げる。

「どうかしたのか?」

「い、いえ……なんでもありません。あの、どうぞお召し上がりください」

 そう言うと、レイモンドは頷きながら中を覗き込んだ。
 そして、一枚取り出すと口に運ぶ。サクッという小さな音と共にクッキーが割れると、甘い香りが周囲に広がった。

「これは……素晴らしいな」

「ほ、本当ですか?」

 思わず聞き返すと、レイモンドは笑顔で頷く。

「ああ、本当だとも。こんなに美味しいクッキーを食べたのは初めてだ」

 その言葉に、ヘスティアの胸が熱くなる。喜びが胸いっぱいに広がった。

「ありがとうございます……!」

 感極まって涙目になっていると、レイモンドが慌てた様子でハンカチを差し出してきた。

「す、すまない! 泣かせるつもりはなかったんだ……」

「いえ……違うんです……その……嬉しくて……」

 そう言いながらハンカチを受け取ると、目元を押さえる。

「私、お役に立っているでしょうか?」

「もちろんだとも。きみが来てくれて、本当によかったと思っている」

 レイモンドの言葉に、ヘスティアは心が満たされていくのを感じる。
 自分はここにいてもよいのだと、居場所があるのだと言われている気がした。

「ありがとうございます。これからも頑張りますね」

 涙を拭き取りながら微笑むと、レイモンドは照れたように視線を逸らした。
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