上 下
8 / 37

08.理解できない感情

しおりを挟む
 辺境の屋敷に戻ったレイモンドを待っていたのは、祖父の後添えとなる令嬢がやって来るとの知らせだった。

「レイモンド、あなたはいったい何をやらかしたのかしら?」

 叔母であるアマーリアが呆れたように尋ねてくる。
 彼女は父の妹で、分家の男を夫にしていた。レイモンドにとっては、もう一人の母のような存在である。
 母と仲が良く、存命時は二人で辺境伯家を切り盛りしていたのだ。今は、一人で女主人としての役割を果たしている。
 レイモンドの従兄となる三人の息子もいる。彼らとは兄弟のように育ち、レイモンドの大切な家族だった。

「いえ、叔母上……その、俺は……」

 言い淀むレイモンドを冷たく一瞥すると、アマーリアはため息をついて告げた。

「お父さまは元気に魔物討伐に明け暮れているでしょう? なのに、おぼつかないくせに色ボケの老人だなんて……。後添えとなって甲斐甲斐しく世話してくれる令嬢はいないものか、ですって? よく言えたわね」

 アマーリアの言葉に、レイモンドは俯くしかない。

「その……本当に来るとは思わなくて……つい……」

「まあ、なんて馬鹿なことをしたのかしら。それでなくても、幻獣を狙っている輩への対策で忙しいのに……」

 辺境伯領にある火凰峰は、火の精霊の加護を強く受けた山だ。
 そこに棲む幻獣は、今は眠りについている。そのため、眠っているうちに幻獣を捕獲してしまおうとする輩が現れるのだ。
 そういった盗人には、レイモンドたちも頭を悩ませていた。

「申し訳ありません……やって来るという令嬢には、十分な慰謝料を支払ってお帰りいただいて……」

「それで済むかしらね。おぼつかないくせに色ボケの老人の後添えにやって来るのよ。そんなの、密偵か、親に無理やり送り込まれたに決まっているわ」

 アマーリアの言葉に、レイモンドは頷くしかなかった。

「そうですね……申し訳ありません」

「最近は幻獣を狙っている輩が、おかしな動きをしているらしいの。この令嬢が、辺境伯家の内部を探るために送り込まれた密偵だったらどうするの?」

「それは……」

 レイモンドは言葉に詰まる。

「まあ、いいわ。令嬢が帰ってくれるのなら、それでよし。そうでなければ、私の侍女として側に置きましょう。密偵ならば、近くで見張っていたほうがよいでしょうからね」

「はい……叔母上、ありがとうございます。それで……もし、令嬢が密偵ではなく、親に無理やり送り込まれただけだった場合は、どうなさいますか?」

 レイモンドが問いかけると、アマーリアは痛ましそうな表情をした。

「その時は、普通に侍女として面倒を見るわ。帰る場所なんて、どうせないでしょうから」

「わかりました。ありがとうございます」

 アマーリアの答えを聞いて、レイモンドはほっと胸をなで下ろす。そんなレイモンドを見て、アマーリアは困ったように笑った。

「……こんなことになるとは思っていなかったわ。あなたも恋の一つでもしておくべきだったわね」

 そう言って部屋を出て行くアマーリアを見送ったあと、レイモンドは再び深いため息をつく。

「恋、か……」

 辺境伯家の跡取りとして、いずれ妻を娶ることはわかっていたが、まだ実感がなかった。
 早く一人前になるべく、鍛錬に明け暮れる日々だったからだ。
 これまで女性に興味を持ったことはなかったが、これからはそうもいかないのだろう。

「ああ、面倒だな……」

 レイモンドはぼそりと呟いた。
 心惹かれる相手など、想像もつかない。しかし、いつか現れるのだろうか。
 そんなことを考えながら、レイモンドは窓の外を見つめた。



 祖父の後添えとしてやって来たのは、十六歳のヘスティア・ロウリーという令嬢だった。
 裕福な男爵家の娘と聞いていたが、やせ細って顔色も悪い。
 しかし、燃えるような赤毛が際立って美しく、レイモンドは目を見張った。

 不安と緊張に震える彼女を見て、レイモンドはなるべく優しく接しようと心がける。
 謝罪して、慰謝料を払うので帰って欲しいと伝えたのだが、彼女は愕然としてレイモンドの足下に跪いた。

「私は、帰る場所などありません! どうか、ここに置いていただけませんか!?」

 彼女は悲痛な叫び声を上げる。
 困惑するレイモンドだったが、彼女がさらに続けた言葉に衝撃を受けた。

「下働きで構いません! 身体の頑丈さには自信があります! 真冬に水をかけられて庭に放置されても、風邪を引きませんでした!」

 彼女の言葉に、レイモンドは絶句した。
 まさか、そんな仕打ちをされていたとは思いもよらなかった。
 彼女の境遇を思い、胸が痛む。
 もう断ることはできなかった。部屋の外で待機しているはずの叔母を呼ぶ。

「あなたさえよければ、私の侍女として働いてもらおうと思っておりますが、いかがでしょう?」

 叔母は予定どおり、ヘスティアを侍女として受け入れた。

 彼女は喜んで働き始め、その働きぶりには目を見張るものがあった。
 ヘスティアは真面目に仕事をこなし、決して手を抜くことはない。
 誰かが口を開く前に、いつの間にか先回りして業務を終わらせているのだ。
 使用人たちも、そんな彼女の態度には感心している様子だった。
 しかし、彼女にはまだ遠慮があるらしい。周囲にどう接していいか戸惑っているようだった。

 レイモンドは気が付けば彼女を目で追うようになっていた。
 どうしてなのか不思議に思ったが、自分の失態で彼女が後添えとしてやってきたことに負い目を感じているのだろうと納得する。
 決して彼女の美しさに魅せられたわけではない。そのような邪な理由ではなく、彼女の境遇に同情しているのだ。
 そう自分に言い聞かせるものの、ひたむきな姿を見れば眩しいと思ってしまう。たまに見せる笑顔が美しく、つい見惚れてしまうのだ。

「叔母上、ヘスティアは密偵だと思いますか?」

 あるとき、レイモンドはアマーリアに問いかけた。

「おそらく違うでしょう。彼女の生い立ちも調べたけれど、かなり冷遇されていたようね。密偵ならもっとうまく立ち回るはずだわ」

「そうですか……それなら安心ですが……」

 アマーリアの答えを聞いて、レイモンドは安堵した。
 レイモンドも、ヘスティアが密偵だとは思えなかった。一生懸命に働く彼女からは、何かを企んでいるような気配はない。
 それに、彼女からはどこか懐かしい感じがするのだ。彼女を見ていると、妙に心がざわついた。

「ただ、彼女自身には問題はないと思うけれど、その家族たちには注意が必要ね。彼女が後妻に出される原因となった、子爵家の次男がうさん臭いのよね」

「と、いうと?」

「その男は、元はヘスティアの婚約者だったらしいの。でも、妹に乗り換えているわ。まあ、そこは本筋ではないのだけれど……。どうやら、隣国と繋がりがあるらしいの。辺境伯家に入り込むために、ヘスティアを後添えに送り込んだ可能性もあるわ」

「それは厄介ですね」

 アマーリアの言葉に、レイモンドは顔をしかめた。

「ええ、だから彼女の周辺のことは注意深く観察しておいてちょうだい。念のためよ?」

「わかりました」

 アマーリアの言葉に頷きつつ、レイモンドはヘスティアのことを思い浮かべる。
 屋敷にやって来た時よりも、少しふっくらと肉付きもよくなってきた。
 表情も明るくなり、自然な笑みを浮かべることも増えてきたように思える。
 それだけ、彼女がここでの生活に慣れてきたということだろう。

 しかし、時折見せる悲しげな表情が気になってはいた。
 その陰りのある表情を見るたびに、胸が締め付けられるような感覚に襲われるのだ。
 理由はわからない。ただ、彼女がそのような表情をするたびに心配になり、思わず手を差し伸べたくなるのだ。

「俺は、どうかしてしまったのだろうか……」

 レイモンドは自分自身の感情が理解できず、困惑した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

元アラサー転生令嬢と拗らせた貴公子たち

せいめ
恋愛
 侯爵令嬢のアンネマリーは流行り病で生死を彷徨った際に、前世の記憶を思い出す。前世では地球の日本という国で、婚活に勤しむアラサー女子の杏奈であった自分を。  病から回復し、今まで家や家族の為に我慢し、貴族令嬢らしく過ごしてきたことがバカらしくなる。  また、自分を蔑ろにする婚約者の存在を疑問に感じる。 「あんな奴と結婚なんて無理だわー。」  無事に婚約を解消し、自分らしく生きていこうとしたところであったが、不慮の事故で亡くなってしまう。  そして、死んだはずのアンネマリーは、また違う人物にまた生まれ変わる。アンネマリーの記憶は殆ど無く、杏奈の記憶が強く残った状態で。  生まれ変わったのは、アンネマリーが亡くなってすぐ、アンネマリーの従姉妹のマリーベルとしてだった。  マリーベルはアンネマリーの記憶がほぼ無いので気付かないが、見た目だけでなく言動や所作がアンネマリーにとても似ていることで、かつての家族や親族、友人が興味を持つようになる。 「従姉妹だし、多少は似ていたっておかしくないじゃない。」  三度目の人生はどうなる⁈  まずはアンネマリー編から。 誤字脱字、お許しください。 素人のご都合主義の小説です。申し訳ありません。

お姉様優先な我が家は、このままでは破産です

編端みどり
恋愛
我が家では、なんでも姉が優先。 経費を全て公開しないといけない国で良かったわ。なんとか体裁を保てる予算をわたくしにも回して貰える。 だけどお姉様、どうしてそんな地雷男を選ぶんですか?! 結婚前から愛人ですって?!  愛人の予算もうちが出すのよ?! わかってる?! このままでは更にわたくしの予算は減ってしまうわ。そもそも愛人5人いる男と同居なんて無理! 姉の結婚までにこの家から逃げたい! 相談した親友にセッティングされた辺境伯とのお見合いは、理想の殿方との出会いだった。

【完結】ポチャッ娘令嬢の恋愛事情

かのん
恋愛
 侯爵家令嬢のアマリー・レイスタンは舞踏会の隅っこで静かに婚約破棄をされた。  誰も見ていないし、誰も興味なさそうではあったが、アマリーはやはりショックで涙を流す。  これは、ポチャッ娘令嬢のアマリーが、ありのままの自分を愛してくれる人を見つけるまでの物語。

断罪されてムカついたので、その場の勢いで騎士様にプロポーズかましたら、逃げれんようなった…

甘寧
恋愛
主人公リーゼは、婚約者であるロドルフ殿下に婚約破棄を告げられた。その傍らには、アリアナと言う子爵令嬢が勝ち誇った様にほくそ笑んでいた。 身に覚えのない罪を着せられ断罪され、頭に来たリーゼはロドルフの叔父にあたる騎士団長のウィルフレッドとその場の勢いだけで婚約してしまう。 だが、それはウィルフレッドもその場の勢いだと分かってのこと。すぐにでも婚約は撤回するつもりでいたのに、ウィルフレッドはそれを許してくれなくて…!? 利用した人物は、ドSで自分勝手で最低な団長様だったと後悔するリーゼだったが、傍から見れば過保護で執着心の強い団長様と言う印象。 周りは生暖かい目で二人を応援しているが、どうにも面白くないと思う者もいて…

記憶喪失の令嬢は無自覚のうちに周囲をタラシ込む。

ゆらゆらぎ
恋愛
王国の筆頭公爵家であるヴェルガム家の長女であるティアルーナは食事に混ぜられていた遅延性の毒に苦しめられ、生死を彷徨い…そして目覚めた時には何もかもをキレイさっぱり忘れていた。 毒によって記憶を失った令嬢が使用人や両親、婚約者や兄を無自覚のうちにタラシ込むお話です。

異世界に召喚されたけど、従姉妹に嵌められて即森に捨てられました。

バナナマヨネーズ
恋愛
香澄静弥は、幼馴染で従姉妹の千歌子に嵌められて、異世界召喚されてすぐに魔の森に捨てられてしまった。しかし、静弥は森に捨てられたことを逆に人生をやり直すチャンスだと考え直した。誰も自分を知らない場所で気ままに生きると決めた静弥は、異世界召喚の際に与えられた力をフル活用して異世界生活を楽しみだした。そんなある日のことだ、魔の森に来訪者がやってきた。それから、静弥の異世界ライフはちょっとだけ騒がしくて、楽しいものへと変わっていくのだった。 全123話 ※小説家になろう様にも掲載しています。

公爵令嬢 メアリの逆襲 ~魔の森に作った湯船が 王子 で溢れて困ってます~

薄味メロン
恋愛
 HOTランキング 1位 (2019.9.18)  お気に入り4000人突破しました。  次世代の王妃と言われていたメアリは、その日、すべての地位を奪われた。  だが、誰も知らなかった。 「荷物よし。魔力よし。決意、よし!」 「出発するわ! 目指すは源泉掛け流し!」  メアリが、追放の準備を整えていたことに。

処理中です...