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03.辺境伯家の侍女

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「……はぁ……」

 馬車の中で、ヘスティアはため息をついた。
 辺境の地へと向かう馬車の中は、お世辞にも乗り心地が良いとは言えない。
 ガタガタと揺れ続けるせいでお尻が痛くなってくるし、いつまでたっても目的地に着かない。
 もう何日も乗っているせいで、身体もあちこち痛くなっているし、気分も滅入ってくる。
 それでも、ヘスティアは文句一つ言うことはなかった。

「……私が一生懸命お世話して役に立てば、きっと受け入れてもらえるわよね……」

 ヘスティアは自分に言い聞かせるように、そう呟いた。
 いじめられるのは慣れている。それでも誠心誠意尽くせば、きっと見捨てられることはないはずだ。
 いずれ追い出される時に、もしかしたら当分の生活費くらいは持たせてもらえるかもしれない。
 その後は町で慎ましく暮らすことを許してくれるくらい、辺境伯家の人たちが心優しいことを願う。

「頑張ろう……」

 決意を固めながら、ヘスティアは窓の外を眺める。
 遠くには、大きな山が見えていた。白煙が立ち昇り、もくもくと動いている。

「火の精霊に愛されている山……か」

 ヘスティアは、かつて母から聞いた物語を思い出していた。
 精霊に愛された一族が治める辺境の地には、大きな火山があり、幻獣が住んでいるという。
 かつて精霊との混血だったと言われる一族が、その昔幻獣を従えていたとか。
 そんな伝説が残る土地に、辺境伯は居を構えているという。

「そういえば、お母さまのご先祖には、辺境から嫁いで来た方もいらっしゃるのよね……」

 昔、まだ母が健在だった頃、そんな話を聞いたことがあった。
 両親と違う赤髪のヘスティアは、先祖の血かもしれないと、母は優しく笑っていた。

「お母さま……私はちゃんと、嫁ぎ先で役に立てるでしょうか……?」

 そう呟いて、ヘスティアはまたため息をついた。
 王都での惨めな生活から抜け出せたのは嬉しいが、やはり不安は尽きなかった。
 しばらくすると、馬車はようやく目的地へと着いた。

「ここが……辺境伯領……」

 想像以上に活気に溢れている。
 王都にいるときは、辺境の地など、魔物や幻獣の住まう危険な場所というイメージしかなかった。
 だが、目の前の光景はそんな印象を払拭するのに十分だった。
 大きなレンガ造りの建物が並び、活気に溢れた人々の声が聞こえてくる。
 多くの商人が行き交い、人が溢れている。子供たちも楽しそうに笑っている。

「こんな場所があるのね……王都と全然違う……」

 馬車から降りたヘスティアは、ぽかんと口を開けてその景色に見入ってしまった。
 自分が生まれ育った王都とは全然違う世界が広がっている。

「さあ、こちらへどうぞ」

 そんなヘスティアを現実に引き戻したのは、辺境伯家の執事だった。
 馬車から降りたヘスティアの荷物を持った壮年の執事は、前を歩いて行く。

「旦那様がお待ちです」

「……っ、はい……」

 緊張しながら、ヘスティアは頷いた。
 大きなお屋敷の中へと案内され、豪奢な調度品で飾られた応接間に通される。

「……まさか、本当に来るとは思わなかった」

 部屋に入ったヘスティアを眺めながら、黒髪の青年が呟いた。

「……っ」

 ヘスティアは、その姿を見て息をのんだ。
 流れるような漆黒の髪と、神秘的な金色の瞳が印象的な青年だった。整った顔立ちとすらりとした立ち姿は、貴族の中でも目立つだろう。
 彼が辺境伯だろうと、すぐにわかった。
 ヘスティアは、慌てて深々と礼をした。

「お初にお目にかかります。私はヘスティア・ロウリーと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

 緊張と不安で、声が震えそうになる。それでも、必死に平静を装う。

「ああ、そんなかしこまらずともよい。顔を上げてくれないか?」

 辺境伯はそう言うと、ソファへと促した。ヘスティアがソファに座ると、その向かいに腰かける。

「俺は、レイモンド・オースティンという。この辺境の地を治める辺境伯だ」

「はい……」

 緊張で声が震えそうになるのを必死に抑えながら、ヘスティアは頷いた。

「せっかく来てもらったのに悪いんだが……祖父に後添えが必要というのは、嘘なんだ」

「え……?」

 レイモンドの言葉に、ヘスティアは驚いて顔を上げた。

「すまない。先代の喪中だというのに王都で令嬢たちに言い寄られ、辟易していたんだ。それで、耄碌した祖父の後添えならば空いていると言えば逃げるだろうと、そんな浅はかな考えだったんだが……」

 レイモンドは、本当にすまなそうにそう言った。

「そう……だったんですね……」

 ヘスティアは、呆然とする。
 自分は必要ないというのか。ならば、どうなるのだろうか。今さら帰ったところで、受け入れてもらえるはずがない。
 不安がヘスティアを襲う。

「きみには本当に申し訳ないことをした。慰謝料はきちんと支払うので、王都に帰ってくれて構わない」

「そ、そんな……」

 愕然としたヘスティアは、ソファから転げ落ちるようにして、レイモンドの足下に跪いた。

「私は、帰る場所などありません! どうか、ここに置いていただけませんか!?」

「だが……」

 戸惑うレイモンドに、ヘスティアは必死に言い募る。

「下働きで構いません! 身体の頑丈さには自信があります! 真冬に水をかけられて庭に放置されても、風邪を引きませんでした!」

「なっ……」

 驚いて息をのむレイモンドだが、ヘスティアはなおも言い募る。

「お願いします! きっとお役に立ってみせます! だからどうか……」

「わかった! わかったから、立ってくれ!」

 レイモンドは慌ててヘスティアの身体を起こすと、ソファに座らせた。

「きみは……そんな扱いを受けていたのか……」

 レイモンドの金色の瞳が、驚愕で揺れている。そして彼は、部屋の外に声をかけた。

「叔母上、いますよね?」

「ええ」

 すぐに返事があって、ドアが静かに開く。そこには、赤毛の美しい女性が佇んでいた。

「初めまして。私は、この辺境伯家の先代の妹、アマーリアと申します」

 そう言って、彼女は優雅に一礼した。

「わっ、私は、ヘスティア・ロウリーと申します。この度は……」

 慌てて立ち上がって自己紹介をするヘスティアを、アマーリアは手で制し、首を横に振ってみせた。

「事情は聞きましたわ。レイモンドの浅慮な振る舞いのせいで、あなたにはご迷惑をかけてしまったようですね」

 そう言って、アマーリアは痛ましそうにヘスティアを見つめた。

「いえ……そんな……」

 恐縮するヘスティアに、アマーリアは優しく微笑んだ。

「あなたさえよければ、私の侍女として働いてもらおうと思っておりますが、いかがでしょう?」

 アマーリアの申し出に、ヘスティアは驚きで目を丸くした。

「え……? 侍女として働かせていただけるのですか……?」

 侍女と言えば、下働きとは違う。貴族の令嬢が行儀見習いのために、より上位の貴族の屋敷で働かせてもらうことだ。
 男爵家の娘が辺境伯家の侍女となるのは、おかしなことではない。
 しかし、これまでまともな扱いを受けてこなかったヘスティアには、思いもよらない提案だった。

「ええ。ちょうど私の身の回りの世話をしてくれる者を探していたんです。お給金もきちんとお支払いしましょう。いかがですか?」

 そう言って、アマーリアはヘスティアに手を差し出す。

「あ、ありがとうございます!」

 ヘスティアはその手を握り返し、深く頭を下げる。
 涙が溢れてきて止まらなかった。

「本当に……本当に、ありがとうございます……」

 しっかり働いて、役に立とう。そして、このお屋敷で認めてもらおう。ヘスティアは、そう心に誓った。

「ええ、よろしくお願いしますね」

 そんなヘスティアを優しく見つめて、アマーリアは微笑んだ。
 こうして、ヘスティアは辺境伯家の侍女として、働くことになったのだった。
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