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第3章 ハルシュタイン将軍とサリヴァンの娘

72 移動

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 アリシアはクラウスが帰国してからのこの一ヶ月の間、あまり外に出ないように過ごしていた。
 エルフの里の長、コウキ=ヒノハラの声明でアリシアの本籍がエルフの里へ移された後、婚約騒動はひとまず落ち着いた。多少の買い物や気分転換で外出することもあったが、不穏な話をエンジュに聞いてからは外出を控えている。

 そしてここ数日家に帰って来なかったエンジュがようやく帰って来た。アリシアは玄関で出迎えて声を掛ける。

「兄さん、例のエファンカラ国の件、どうなった?」
「犯人の事はまだ何とも言えないな。そもそもエファンカラ国が遠いせいで、情報がエルフ以外から入りにくいんだよ」

 晩秋の季節となり、朝晩は冷え込むようになってきた。エンジュは上着を脱ぎながら困ったように眉を寄せて言う。

 神聖ルアンキリ国はこの大陸ストロフィアの南にある。最南端の国が今から33年前に戦争で滅び、今は神聖ルアンキリが最南端の国だ。
 そしてストロフィア大陸の中で北の海に面している国々の中にエファンカラという国がある。王侯貴族が治める国なのだが、その教会にいるエルフから連絡があったのだ。アリシアを巡る不穏な動きがあると。

 元々アリシアは婚約発表後、各国の反応や状況を考慮して魔国ティナドランへ向かう日を決める予定だった。
 現在落ち着いてはいるが、それでもアリシアを攫おうと企む者や脅迫が後を絶たない。人類連合にいる限り続くだろうという事で、アリシアの荷造りが終わり次第、魔国ティナドランのハルシュタイン邸へ引っ越しする事になった。
 婚約発表から2週目で騒動が落ち着き、3週目になって移動の段取りをしているところに、エファンカラのエルフから「アリシアを強奪しようと話している貴族がいる」と連絡があったのだ。

 アリシアの荷造りは終わっている。友人達には直接会えないことを詫びた手紙を送り、お別れも伝えてある。魔国側の受け入れ体制も出来ているし、ルアンキリ側の出発体制も準備が出来ている。しかしこの不穏な情報のせいで出発出来ないでいた。
 相手は貴族だ。神聖ルアンキリ・魔国ティナドランVSエファンカラの構図で国家間問題に発展するかもしれない。周りにも飛び火でもしたら、再び戦争に発展する可能性も捨てきれない。その為現在情報を集めている状態だった。

「アリシア。着替えたら居間に行くから、そこで話がある。母さんとダーマットにも」
「分かったわ。ダーマットは部屋だから、兄さんが声かけて」
「ああ」

 話がある、という事は何かしら進展があったのだろう。アリシアはキッチンにいるカエデに声を掛けて、二人で居間に移動した。

 着替えたエンジュがダーマットと共に居間に入ってくると、ソファに座る。すぐにエンジュが口を開いた。

「アリシア、魔国には明後日出発する」
「・・・ということは、何か分かったの?」
「エファンカラ王家から回答が来たんだ。エファンカラ国はエルフの里に従うつもりだってな。エファンカラ王家が協力を確約してくれた。あちらでも調査して詳細が分かり次第、対象者を拘束してくれる」
「その代わり、魔国ティナドランからの品物の融通をよろしく、だってさ」

 苦笑しながら肩を竦めるダーマットに、アリシアも苦笑を返した。

「あの騒動は周りに乗せられてた国もあるでしょ。国のトップが冷静に見極められなかったのは残念だけど、エファンカラは早めに取り下げてくれた国の一つだし。そもそも王侯貴族制度の国は見栄や権力が物を言う文化だから、王家が抑えきれない国もあったんじゃない?」
「まあな。ま、その辺もエルフの里が把握してるから、あっちに任せればいい。俺達は国家間問題にならなければそれでいいんだよ」
「筋肉馬鹿ね」
「筋肉馬鹿だな」
「やかましいわ。ハルシュタイン将軍と違って俺は純粋な軍人だからいいんだよ」

 アリシアとダーマットが同時に言ったので、エンジュがジロリと睨んだ。その様子を見て、カエデだけがクスクスと笑っている。

「そもそも軍人なんて全員筋肉馬鹿なんだよ。魔国のハルシュタイン将軍とリーネルト将軍がおかしいんだ。普通政務まで手が回らないぞ」
「そうなんだよね。でもそれであの強さなんだから凄いよな」
「まあな。・・・今は互角だけど、近いうちに必ず追い抜く」

 クラウスとの試合を思い出したのだろう。エンジュは好戦的な笑みを浮かべた。

(そういう所は父さんにそっくりよね)

 そんなエンジュを見てアリシアは笑みを浮かべる。いくつになってもどんな地位を得ても向上心を持ち続けた父オーウィンを思い出した。カエデもそう思ったのか、楽しそうにフフッと笑っている。

「ま、今はその話は置いといて。アリシアを狙ってる奴らは既にルアンキリに潜んでるかもしれない。エファンカラで話してた奴らと実行犯は別行動してると俺達は見てる。あの国からここまで、どんなに急いでも一ヶ月半だからな」

 笑みを引っ込めたエンジュは腕を組んで視線を上に向ける。アリシアは頷いて続けた。

「もしエルフから連絡を受けた時にエファンカラを出発したなら、まだルアンキリまで来ていない。でも私がいつ出発するか分からないのだから、それでは間に合わない。だから実行犯は既にルアンキリに潜伏してるとみてる、って事ね」
「そういう事。ならいつ出発しても変わらない。もしそいつらがルアンキリに到着してないなら、それこそさっさと出発した方が良い。今はおさの声明のお陰で落ち着いてるしな。ただ戦線でハルシュタイン将軍にお前を引き渡すまでは心配だから、俺もついて行く」
「えっ本当?」

 エンジュが付いてきてくれるなら安心だ。アリシアは笑みを浮かべる。

「何かあったら神聖ルアンキリ国としてのメンツが潰れんだよ。お前の婚姻は人類連合と魔国、つまり全世界に知らされてんだ。だから俺の同行もすぐに許可が下りた」
「兄さんがいるなら牽制にもなるな」
「そうね。アリシアにヴァルター様が付いてるとは言え、精霊術を使えばそれで精霊王との契約者ってバレちゃうもの。それにいくら護身術があっても、やっぱりアリシアは女の子だから。私も心配してたのよ。でもエンジュがいるなら安心だわ」
「俺もハルシュタイン将軍に挨拶出来るしな」
「それはいいけど、いきなり試合だーとか言わないでよ?」

 念の為にアリシアが釘を刺す。

「さすがにそんな事しねーよ」

 呆れた顔で応えるエンジュに、アリシアとダーマットは『どうだか』と顔を見合わせた。



* * *



 2日後。
 結局ダーマットもついてくることになり、家にはカエデが残る事になった。アリシアはカエデと抱き合って別れを惜しんだ後、馬車に乗って出発した。
 馬車の中にはダーマットが、馬車の近くにはエンジュがいる。アリシアにとってこれほど安心出来る環境はないだろう。旅路も順調に進み、予定通り戦線を越えられるだろうと考えていた。しかし3日目の朝、野営のテントの外でエンジュとダーマットが深刻な顔で話し合っているのに気付いた。

「兄さん、ダーマット。どうしたの?何かあった?」

 アリシアに気付いた二人は一度顔を見合わせてからアリシアに近寄って来た。

「アリシア。今日の移動は急ぐぞ」
「念のため囮を出してたでしょ。そっちに襲撃があったって、さっき連絡が来たんだ」
「嘘・・・本当にあったの?」

 エンジュとダーマットの言葉に、アリシアは眉を顰めた。

 魔国ティナドランへの道は、これまで人類連合軍が使っていた移動拠点を使うのが安全な道のりだ。所々ところどころに簡易宿泊所があり、道も整備されている。しかしそれは周知の事実だ。万が一を考え、アリシア達はそこから外れたルートで向かっている。そしてダーマットの案で囮の馬車を用意した。もちろん護衛もつけて、移動拠点を辿る正規ルートを進ませる。何事も無ければ戦線で合流することになっていた。

「昨晩泊まった簡易宿泊所で襲撃を受けたってな。でも襲ってきたのは素人に近かったって話だ。あっちは全員俺の隊の精鋭だから、誰も死んでない。怪我もなかったって報告だから、心配すんな」
「そう」

 ホッとするアリシアの頭に、エンジュが手を置いた。

「お前がテント泊でも気にしないたちで良かった。じゃなきゃ昨晩俺達が襲撃を受けてたな」
「もし襲撃を受けてたとしても、兄さんが全員捕まえてたでしょ」

 アリシアが苦笑しながら言うと、エンジュはアリシアの頭から手を降ろして自信満々に頷いた。

「当然だろ。でもまあ念の為、こっちも急ぐぞ。掛けられる術は全部かけて馬を走らせる」
「急ぐなら、私も兵士の格好して、馬で駆けようか?」
「・・・お前、一応嫁に行くんだぞ」
「・・・・・・・・・そうよね。そんな格好で会ったら、クラウスに呆れられちゃうか・・・」

 呆れた顔で言うエンジュに、確かに、と口元に手を当ててアリシアは考え込む。アリシアが男の格好をして馬を駆けさせている所を見たら、クラウスはどういう反応をするだろうか。

「ハルシュタイン将軍なら気にしないんじゃない?それより早く無事に姉さんに会える事の方が大事そう」
「・・・マジで?」

 更に呆れた顔になったエンジュはダーマットを見やる。アリシアもダーマットへ顔を向けた。

「そう思う?大丈夫かな」
「むしろ姉さんの男装見て、可愛いって喜ぶんじゃない?」
「・・・」

 そうだろうか。それはそれで恥ずかしい。照れながらうーんと考えていると、エンジュが再び「・・・マジで?」と呟いた。
 アリシアは口元に当てていた手を降ろし、エンジュへ顔を向ける。

「ダーマットの言う通り、気にしなさそうな気がする。私も馬に乗るわ。その方が早く着くでしょ」
「・・・マジで?」
「兄さん、マジでマジで言ってないで、支度するように命令して。朝食も馬の上で保存食。いいよね、姉さん」
「構わないわ」
「・・・マジか」

 呆れた顔でダーマットを眺めているエンジュを横目に、アリシアはダーマットに確認する。

「ダーマットの馬は連れてきてるけど、私が乗る馬は・・・馬車から一頭外せばいいわよね。真ん中の子でいいかな」
「うん。良いと思う。馬車は無人になるし、軽量化の術を掛けるから2頭でも大丈夫でしょ」
「いや待て。荷物は壊れ物も入ってる。隊を二つに分けた方が良い。そうだな・・・」

 口に拳を当てて少しの間下を向いて考え込むと、エンジュは顔を上げた。

「先行隊として、俺とアリシア、ダーマット、あと二人連れてく。俺らは全速力で駆ける。俺とダーマットは護衛の為に術を温存する必要があるから、アリシアが術を掛けてくれ。だけど絶対にあの方を見られるなよ。アリシアが乗る馬は馬車の馬じゃない方が良い。鞍の用意もないから、誰かのを借りよう。馬が足りなきゃそいつが馬車に乗ればいい。残りの奴は全員馬車と荷物の護衛だ。そっちは今までより少しだけペースを上げさせる。戦線にはハルシュタイン将軍が小隊を連れて待機してるって話だから、そこで落ち合えばいい」
「分かった。こっちの馬車も囮に使うんだね」

 エンジュの思惑に気付いたダーマットが、頷いて確認する。エンジュも頷いて続ける。

「念の為な。襲撃犯は昨晩あっちに襲撃をかけた。だがこちらに気付かないとは限らねえし、別の襲撃犯も存在しないとは言い切れない。もし5人になった俺達を襲ってきたら、それはそれで都合が良い。俺と連れてく二人で対応する。ま、そもそもアリシアが馬に乗れて、しかも最速のギャロップで行けるなんて思わないだろ」
「うーん・・・知ってたとしても、こっちのスピードには付いてこれないんじゃないかな。こっちは兄さんと俺で不得意属性以外の契約は全て上級精霊とだし、姉さんに至っては、ねえ」

 エンジュとダーマットの話を聞いて、確かに、とアリシアも頷く。

「なら、戦線までの道で私達を妨害する人が現れたら、精霊術を扱えないように出来ないかって聞いてみる。一旦テントに戻るわ。着替えもしてくる。ダーマット、着替え借りるわよ。あとクラウスにも手紙で連絡しておくから」
「お、そうしてくれるか。ハルシュタイン将軍には、俺達先行隊は今日の夕方頃に着くと伝えてくれ。アリシアの荷物は明日の着替えと今日の朝食、昼食分の携帯食だけで良い。後はハルシュタイン将軍が何とかしてくれるだろ。俺は指示を出してくる」
「俺は支度の手伝いかな」

 エンジュとダーマットはアリシアに頷くと、兵士達に集合をかけていく。アリシアは急いでテントに戻った。

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