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第3章 ハルシュタイン将軍とサリヴァンの娘
66 軍事交流
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翌日。この日の午後は軍事交流として、兄エンジュとクラウスの試合が予定されている。
本来、まだ戦争が終わったばかりの国同士で軍事交流も何も無い。万が一を考えて互いに自分達の手の内を見せることは出来ない。しかしユウヤが魔国ティナドランからの帰り道で、魔人の兵士からクラウスとバルツァーの試合の話を聞いて以降、『ハルシュタイン将軍とルアンキリの誰かで、試合してるとこ見てみたいよな!』とずっと主張していた。そしてアリシアの帰国後に話を聞いたエンジュが立候補したのだ。
神聖ルアンキリ国軍訓練場に隣接している競技場、その特別席に座るアリシアは、その話を思い出して隣に座るダーマットへ口を開く。
「対戦相手に立候補ってとこが、兄さんらしいわね」
「うん。やっぱり兄さんは筋肉馬鹿だよね」
「・・・ダーマットもそう思う?」
「普段の兄さん見てるとね・・・」
「そうよね・・・」
エンジュは戦場に出れば、父仕込みの戦術で圧倒する手腕を持っているが、少々戦闘狂の嫌いがある。そこも父譲り、というより歴代サリヴァン家当主の特徴なのだ。
アリシアは視線を落としてグラウンドを眺める。クラウスとエンジュの試合に合わせ、その前に何試合か行われている。今も目の前でルアンキリ国軍の兵士達が試合を行っている。観客も国の首脳陣、軍関係者、兵士の家族以外にも、一般人席が設けてある。その為、既に競技場は熱気が立ち込めていた。
アリシアが試合を眺めていると、ダーマットが笑みを浮かべた。
「それにしても、今日の試合に間にあって良かったよ。ハルシュタイン将軍も喜んでたでしょ?」
「そうね。喜ぶ、というよりは安心したみたい」
「そりゃそうだよ。ずっと気にしてたから」
アリシアもダーマットに顔を向けると、照れ臭さを誤魔化すように微笑んだ。
「ダーマットにも心配かけてごめんね」
「本当だよ。今度何かお礼してもらわないと」
「ちゃっかりしてるんだから」
「末っ子だからね」
へへッと笑うと、ダーマットは試合へと視線を移す。アリシアも再び試合を眺めた。
昨晩アリシアはクラウスへ手紙を書いた。詳しく書くと何かに引っ掛かる可能性を考えて『ダーマットからヒントをもらいました。答え合わせが出来ないので正解してるかは分かりませんが、今のクラウスの状態を大体理解しました。きっと先程はクラウスを傷つけてしまいましたよね。ごめんなさい。私も会って伝えると触れたくなってしまうので、手紙で伝えます。クラウスが好きです』という内容を書いて送った。
すぐに返信が届き、『気付いてくれて良かった。ダーマットに感謝しなくては。こちらこそ君を傷付けて申し訳ないと思っている。君の事を愛しているこの気持ちだけは信じてくれ』という内容だった。
(どうやって特殊能力を無効化するか、という問題が解決してないけど、今は考えないでおこう)
クヨクヨしたところで何も変わらない。ならば現状を受け入れてこれからどう行動するかの方が大事だろう。
ダーマットが言う通り、試合前にクラウスの憂いを取り除けて良かった。今はそれだけでいい。
そこまで考えて、アリシアは今になって大事なことに気付いた。
「ちょっと待って。ダーマット、いくら剣の試合って言っても、体が触れる事もあるわよね。クラウスが触れたら兄さんは・・・」
エンジュの身が一番心配だが、こんな衆目の多い場でそんな事が起きてしまえば、それこそ戦争に発展するのではないだろうか。
アリシアが慌てて聞くと、ダーマットは笑みを浮かべた。
「大丈夫。俺と同じタイミングで試したけど、兄さんは何ともなかった」
「・・・そう。父さんの血が濃いからかしら」
「そうみたい。人類神アラナンが兄さんは問題ないって言ってたって、ユウヤ様から聞いた」
「なら、間違いなく大丈夫ね」
エンジュの安全を知り、アリシアはホッとした。そして今のダーマットとの会話によって、昨日アリシアが推測した内容は一部正しいのだと確信した。やはりエルフの血に反応するのだ。
ダーマットは「ああ、そうだ」と声を上げた。
「今朝兄さんから連絡来たんだけど、例のアレ、今晩実行するみたい」
「え。今晩?急すぎない?」
「んー・・・なんか、今晩が一番都合良いらしいよ。兄さんも居るから大丈夫でしょ」
「そうかもしれないけど・・・」
エンジュが準備を進めているから大丈夫だとは思うが、当日に言われたら誰だって驚くだろう。
例のアレとは、毎晩クラウスの所に来る暗殺者の捕縛計画の事だ。
神聖ルアンキリに来た日から、毎夜迎賓館のクラウスの元に暗殺者が現れる。その事をクラウスから聞いていると思っていたエンジュが、アリシアに漏らしたのだ。
初めてアリシアがその話を聞いた時、既に数日経過していた。心配してクラウスに問い質すと、彼は「鍛錬代わりの日課」だと笑っていた。
毎回クラウスが暗殺者を圧倒しているので、アリシアが心配しているような事は起こり得ないとエンジュも話していた。
しかし中々捕まえる事ができない。毎回あと少しで捕まえられる、というところで逃げられる。そして不自然なほど痕跡を残さず消えてしまう。内通者がいるのだ。そうであれば迎賓館で捕らえる事は難しい。だから今晩、サリヴァン邸にクラウスが一泊することでおびき寄せて捕らえるという計画だ。
(文官長達の方には暗殺者が出ないのよね)
戦争推進派や魔国ティナドランへ憎しみを持った誰かの犯行なら、文官長達を狙った方が確実だろう。しかしそうでないなら、クラウスに個人的な恨みがあるのだ。軍関係者かとエンジュが調べているが、まだ分からないらしい。
(クラウスの剣の腕だけ見ても、暗殺なんて到底無理でしょう)
魔国ティナドランに滞在している時に見た、クラウスとバルツァーの試合を思い出す。クラウスの圧倒的な強さを思い出したアリシアは、ダーマットの言う通りだと頷いた。
「そうね。クラウスと兄さんが揃ってるなら、大丈夫」
「うん。姉さん、ハルシュタイン将軍の剣術、凄いって言ってたもんね。今日これから見れるのが本当楽しみでさ」
「きっと驚くわよ」
驚くダーマットを想像して、アリシアはフフッと笑う。
「それで、ダーマットも今晩家に帰るの?」
クラウスはこの機会に母カエデに挨拶したいと言っていた。アリシアにも立ち会って欲しいと言われているので、今晩は実家に戻る事になる。昨日はすれ違いが起こったが、それまでアリシアはクラウスと会話は普通にしていたのだ。
ダーマットも家に帰るかどうかは、その時の状況で決めると言っていた。なのでどうするのか予定を確認しておく。
「帰るよ。俺ハルシュタイン将軍ともっと話してみたいんだけど、俺が話せるのって視察の時だけでしょ?突っ込んだ話は視察の時には出来ないし、周りの目もある。かといって姉さんみたいに訪ねる程親しくないしさ。今晩丁度いい機会だから色々聞いてみたいことあるんだ」
「・・・ユウヤ様といい、クラウスはモテモテね」
「姉さんだってそうじゃん」
「・・・・・・」
何言ってんの?と言いたげにダーマットが言う。アリシアはぐうの音も出ずに前を向いた。
グラウンドでは進行役がこれから試合を行う兵士の紹介をしている。名前が告げられると、親族だろうか。「がんばってー」と応援する声が聞こえた。
「ああ、この次だよ。この試合が終わったら兄さんとハルシュタイン将軍の試合が始まる」
兵士の名前を聞いて、ダーマットがアリシアに声を掛けた。いよいよか、とアリシアもワクワクしながら、目の前の2人の試合を眺める。
そして彼らの試合が終わった後、進行役がクラウスの紹介と、エンジュの名前を読み上げた。途端、物凄い歓声が沸く。その全てがエンジュへ向けられたものだ。サリヴァンの名があちこちから聞こえる。
「・・・この国の、父さんの影響力はいまだ健在ね」
「ま、一応名家サリヴァンだし、今は兄さんも有名だから」
歓声が凄いので、アリシアが伝達魔術でダーマットに言うと、ダーマットも伝達魔術で返してきた。クラウスに習ったらしい。
「・・・姉さん。こんな状態で、ハルシュタイン将軍大丈夫なの?完全にアウェーだよ」
心配したダーマットが再び伝達魔術で聞いてくるので、アリシアは苦笑した。
「大丈夫。元々敵対してたんたから、クラウスはこうなる事も予測してたはずよ。それにこの程度じゃクラウスは気にしないわ」
「え!そうなの?・・・さすが若くして将軍になっただけあるなぁ」
感心したダーマットはグラウンドへ視線を戻す。アリシアもダーマットの反応に小さく笑いながら前を向いた。
ちょうどそのタイミングでエンジュとクラウスがグラウンドに出てきた。より一層のサリヴァンコールが響き渡る。
エンジュはいつもの鎧を腕と肩、胸部、脛に着けている。クラウスは青い模様が刻まれた綺麗な鎧を、同じ部分に着けている。恐らく互いに合わせたのだろう。
(クラウスのあの鎧、第1軍の支度室にあった物だわ。持ってきたのね)
やっぱり鎧姿のクラウスも格好いい。アリシアはつい見惚れてしまう。
凄まじい歓声で進行役の声まで全く聞こえないが、仕草で指示をしているようだ。二人共剣を抜いて構える。
進行役の手が振り下ろされた瞬間、クラウスが本気のスピードで駆け出した。クラウスの本気であろう一撃を危なげなく受けるエンジュは、隙を見て攻撃へ移る。クラウスも危なげなく受け、再び攻撃へと移る。
あまりにも早い攻防と、剣を合わせる度に鳴る凄まじい音に、会場は徐々に静かになっていく。完全な静寂にはならなかったが、それでも皆息を詰めて観戦している。競技場全体が緊張感に溢れているのが、アリシアにも分かった。
「凄い」
歓声が落ち着いたので、ダーマットが小さく呟いているのがアリシアの耳に届いた。
(本当に凄い。兄さんも腕が上がってる)
しばらく攻防が続くが、どちらも勢いは変わらない。
「互角ね」
「うん。本気の兄さんに、ここまで長く打ち合えるなんて・・・。初めて見た」
アリシアは頷いて、ふと気付く。
「・・・・・・ねぇダーマット。兄さんの顔見える?凄く楽しそうに笑ってるんだけど。やっぱり筋肉馬鹿だわ」
「姉さん。ハルシュタイン将軍も楽しそうな顔してるから、それで言うとハルシュタイン将軍も筋肉馬鹿だよ」
「・・・・・・そうね」
クラウスは自らを『むさくるしい奴』と分類していたので、『筋肉馬鹿』の称号が一つ増えたところで、大して気にしないかもしれない。
(やっぱり普段は抑えてるだけで、クラウスも戦闘狂ね・・・)
魔国ティナドランで魔王ギルベルトに揶揄われて殴りつけていた時のことを思い出す。強い相手を見るとすぐに「手合わせしたい!」と言い出すエンジュとは、やはり同種なのだろう。しかし何故だろうか。エンジュには呆れの感情が沸き上がるが、クラウスはそんな所も格好良いと思えてしまう。
(恋は盲目、か)
自分でちょっと恥ずかしい。アリシアは意識を目の前の試合に集中した。
ギィンと一際大きな音を響かせると、クラウスとエンジュの距離が離れる。そのままエンジュが後ろへと跳躍し、互いに睨み合って対峙する。やはり二人とも楽しそうに笑みを浮かべているのが見えた。
(筋肉馬鹿は置いておいて、真面目な話、あそこまで実力が拮抗していたら楽しいでしょうね)
ここまで凄い試合はなかなか見れない。アリシアも興奮気味に試合を見つめる。
二人はしばし睨み合った後、今度はエンジュが駆けていき、再び剣を合わせる。
これだけ拮抗していては、どちらが勝つのか予測すら立たない。皆瞬きもせずに見つめる中、一瞬剣の動きを鈍らせたクラウスの脇腹の手前で、エンジュが剣を止めた。
その瞬間、また競技場が歓声で沸き上がる。再びサリヴァンコールが響き始めた。
元々1本の予定だったのだろう。しかしその1本が非常に長かった。二人とも礼をして裏へ戻っていく。
「・・・これは、戦場だったら兄さんが負けてたな」
伝達魔術でそう伝えてくるダーマットに、アリシアは隣を見る。
「なんでそう思うの?」
「ハルシュタイン将軍が一瞬動きを鈍らせたでしょ?あれはワザとだ」
「ワザと・・・」
「決着がつかなくて試合が長引いた。ここは神聖ルアンキリ。ハルシュタイン将軍は兄さんに花を持たせてくれたんだ。ただ決着がついた瞬間、兄さんの方が呼吸が荒くなってた。スタミナの問題だね」
「ああ・・・確かに」
それはアリシアも気付いた。エンジュは呼吸の度にやや肩が上がっていた。クラウスはまだ余裕があったのだ。
「それにしても、本当に面白いものが見れたね。これは中々見れない試合だ」
「そうね」
嬉しそうに言うダーマットに頷くと、彼は「裏に行こう姉さん」と立ち上がった。
本来、まだ戦争が終わったばかりの国同士で軍事交流も何も無い。万が一を考えて互いに自分達の手の内を見せることは出来ない。しかしユウヤが魔国ティナドランからの帰り道で、魔人の兵士からクラウスとバルツァーの試合の話を聞いて以降、『ハルシュタイン将軍とルアンキリの誰かで、試合してるとこ見てみたいよな!』とずっと主張していた。そしてアリシアの帰国後に話を聞いたエンジュが立候補したのだ。
神聖ルアンキリ国軍訓練場に隣接している競技場、その特別席に座るアリシアは、その話を思い出して隣に座るダーマットへ口を開く。
「対戦相手に立候補ってとこが、兄さんらしいわね」
「うん。やっぱり兄さんは筋肉馬鹿だよね」
「・・・ダーマットもそう思う?」
「普段の兄さん見てるとね・・・」
「そうよね・・・」
エンジュは戦場に出れば、父仕込みの戦術で圧倒する手腕を持っているが、少々戦闘狂の嫌いがある。そこも父譲り、というより歴代サリヴァン家当主の特徴なのだ。
アリシアは視線を落としてグラウンドを眺める。クラウスとエンジュの試合に合わせ、その前に何試合か行われている。今も目の前でルアンキリ国軍の兵士達が試合を行っている。観客も国の首脳陣、軍関係者、兵士の家族以外にも、一般人席が設けてある。その為、既に競技場は熱気が立ち込めていた。
アリシアが試合を眺めていると、ダーマットが笑みを浮かべた。
「それにしても、今日の試合に間にあって良かったよ。ハルシュタイン将軍も喜んでたでしょ?」
「そうね。喜ぶ、というよりは安心したみたい」
「そりゃそうだよ。ずっと気にしてたから」
アリシアもダーマットに顔を向けると、照れ臭さを誤魔化すように微笑んだ。
「ダーマットにも心配かけてごめんね」
「本当だよ。今度何かお礼してもらわないと」
「ちゃっかりしてるんだから」
「末っ子だからね」
へへッと笑うと、ダーマットは試合へと視線を移す。アリシアも再び試合を眺めた。
昨晩アリシアはクラウスへ手紙を書いた。詳しく書くと何かに引っ掛かる可能性を考えて『ダーマットからヒントをもらいました。答え合わせが出来ないので正解してるかは分かりませんが、今のクラウスの状態を大体理解しました。きっと先程はクラウスを傷つけてしまいましたよね。ごめんなさい。私も会って伝えると触れたくなってしまうので、手紙で伝えます。クラウスが好きです』という内容を書いて送った。
すぐに返信が届き、『気付いてくれて良かった。ダーマットに感謝しなくては。こちらこそ君を傷付けて申し訳ないと思っている。君の事を愛しているこの気持ちだけは信じてくれ』という内容だった。
(どうやって特殊能力を無効化するか、という問題が解決してないけど、今は考えないでおこう)
クヨクヨしたところで何も変わらない。ならば現状を受け入れてこれからどう行動するかの方が大事だろう。
ダーマットが言う通り、試合前にクラウスの憂いを取り除けて良かった。今はそれだけでいい。
そこまで考えて、アリシアは今になって大事なことに気付いた。
「ちょっと待って。ダーマット、いくら剣の試合って言っても、体が触れる事もあるわよね。クラウスが触れたら兄さんは・・・」
エンジュの身が一番心配だが、こんな衆目の多い場でそんな事が起きてしまえば、それこそ戦争に発展するのではないだろうか。
アリシアが慌てて聞くと、ダーマットは笑みを浮かべた。
「大丈夫。俺と同じタイミングで試したけど、兄さんは何ともなかった」
「・・・そう。父さんの血が濃いからかしら」
「そうみたい。人類神アラナンが兄さんは問題ないって言ってたって、ユウヤ様から聞いた」
「なら、間違いなく大丈夫ね」
エンジュの安全を知り、アリシアはホッとした。そして今のダーマットとの会話によって、昨日アリシアが推測した内容は一部正しいのだと確信した。やはりエルフの血に反応するのだ。
ダーマットは「ああ、そうだ」と声を上げた。
「今朝兄さんから連絡来たんだけど、例のアレ、今晩実行するみたい」
「え。今晩?急すぎない?」
「んー・・・なんか、今晩が一番都合良いらしいよ。兄さんも居るから大丈夫でしょ」
「そうかもしれないけど・・・」
エンジュが準備を進めているから大丈夫だとは思うが、当日に言われたら誰だって驚くだろう。
例のアレとは、毎晩クラウスの所に来る暗殺者の捕縛計画の事だ。
神聖ルアンキリに来た日から、毎夜迎賓館のクラウスの元に暗殺者が現れる。その事をクラウスから聞いていると思っていたエンジュが、アリシアに漏らしたのだ。
初めてアリシアがその話を聞いた時、既に数日経過していた。心配してクラウスに問い質すと、彼は「鍛錬代わりの日課」だと笑っていた。
毎回クラウスが暗殺者を圧倒しているので、アリシアが心配しているような事は起こり得ないとエンジュも話していた。
しかし中々捕まえる事ができない。毎回あと少しで捕まえられる、というところで逃げられる。そして不自然なほど痕跡を残さず消えてしまう。内通者がいるのだ。そうであれば迎賓館で捕らえる事は難しい。だから今晩、サリヴァン邸にクラウスが一泊することでおびき寄せて捕らえるという計画だ。
(文官長達の方には暗殺者が出ないのよね)
戦争推進派や魔国ティナドランへ憎しみを持った誰かの犯行なら、文官長達を狙った方が確実だろう。しかしそうでないなら、クラウスに個人的な恨みがあるのだ。軍関係者かとエンジュが調べているが、まだ分からないらしい。
(クラウスの剣の腕だけ見ても、暗殺なんて到底無理でしょう)
魔国ティナドランに滞在している時に見た、クラウスとバルツァーの試合を思い出す。クラウスの圧倒的な強さを思い出したアリシアは、ダーマットの言う通りだと頷いた。
「そうね。クラウスと兄さんが揃ってるなら、大丈夫」
「うん。姉さん、ハルシュタイン将軍の剣術、凄いって言ってたもんね。今日これから見れるのが本当楽しみでさ」
「きっと驚くわよ」
驚くダーマットを想像して、アリシアはフフッと笑う。
「それで、ダーマットも今晩家に帰るの?」
クラウスはこの機会に母カエデに挨拶したいと言っていた。アリシアにも立ち会って欲しいと言われているので、今晩は実家に戻る事になる。昨日はすれ違いが起こったが、それまでアリシアはクラウスと会話は普通にしていたのだ。
ダーマットも家に帰るかどうかは、その時の状況で決めると言っていた。なのでどうするのか予定を確認しておく。
「帰るよ。俺ハルシュタイン将軍ともっと話してみたいんだけど、俺が話せるのって視察の時だけでしょ?突っ込んだ話は視察の時には出来ないし、周りの目もある。かといって姉さんみたいに訪ねる程親しくないしさ。今晩丁度いい機会だから色々聞いてみたいことあるんだ」
「・・・ユウヤ様といい、クラウスはモテモテね」
「姉さんだってそうじゃん」
「・・・・・・」
何言ってんの?と言いたげにダーマットが言う。アリシアはぐうの音も出ずに前を向いた。
グラウンドでは進行役がこれから試合を行う兵士の紹介をしている。名前が告げられると、親族だろうか。「がんばってー」と応援する声が聞こえた。
「ああ、この次だよ。この試合が終わったら兄さんとハルシュタイン将軍の試合が始まる」
兵士の名前を聞いて、ダーマットがアリシアに声を掛けた。いよいよか、とアリシアもワクワクしながら、目の前の2人の試合を眺める。
そして彼らの試合が終わった後、進行役がクラウスの紹介と、エンジュの名前を読み上げた。途端、物凄い歓声が沸く。その全てがエンジュへ向けられたものだ。サリヴァンの名があちこちから聞こえる。
「・・・この国の、父さんの影響力はいまだ健在ね」
「ま、一応名家サリヴァンだし、今は兄さんも有名だから」
歓声が凄いので、アリシアが伝達魔術でダーマットに言うと、ダーマットも伝達魔術で返してきた。クラウスに習ったらしい。
「・・・姉さん。こんな状態で、ハルシュタイン将軍大丈夫なの?完全にアウェーだよ」
心配したダーマットが再び伝達魔術で聞いてくるので、アリシアは苦笑した。
「大丈夫。元々敵対してたんたから、クラウスはこうなる事も予測してたはずよ。それにこの程度じゃクラウスは気にしないわ」
「え!そうなの?・・・さすが若くして将軍になっただけあるなぁ」
感心したダーマットはグラウンドへ視線を戻す。アリシアもダーマットの反応に小さく笑いながら前を向いた。
ちょうどそのタイミングでエンジュとクラウスがグラウンドに出てきた。より一層のサリヴァンコールが響き渡る。
エンジュはいつもの鎧を腕と肩、胸部、脛に着けている。クラウスは青い模様が刻まれた綺麗な鎧を、同じ部分に着けている。恐らく互いに合わせたのだろう。
(クラウスのあの鎧、第1軍の支度室にあった物だわ。持ってきたのね)
やっぱり鎧姿のクラウスも格好いい。アリシアはつい見惚れてしまう。
凄まじい歓声で進行役の声まで全く聞こえないが、仕草で指示をしているようだ。二人共剣を抜いて構える。
進行役の手が振り下ろされた瞬間、クラウスが本気のスピードで駆け出した。クラウスの本気であろう一撃を危なげなく受けるエンジュは、隙を見て攻撃へ移る。クラウスも危なげなく受け、再び攻撃へと移る。
あまりにも早い攻防と、剣を合わせる度に鳴る凄まじい音に、会場は徐々に静かになっていく。完全な静寂にはならなかったが、それでも皆息を詰めて観戦している。競技場全体が緊張感に溢れているのが、アリシアにも分かった。
「凄い」
歓声が落ち着いたので、ダーマットが小さく呟いているのがアリシアの耳に届いた。
(本当に凄い。兄さんも腕が上がってる)
しばらく攻防が続くが、どちらも勢いは変わらない。
「互角ね」
「うん。本気の兄さんに、ここまで長く打ち合えるなんて・・・。初めて見た」
アリシアは頷いて、ふと気付く。
「・・・・・・ねぇダーマット。兄さんの顔見える?凄く楽しそうに笑ってるんだけど。やっぱり筋肉馬鹿だわ」
「姉さん。ハルシュタイン将軍も楽しそうな顔してるから、それで言うとハルシュタイン将軍も筋肉馬鹿だよ」
「・・・・・・そうね」
クラウスは自らを『むさくるしい奴』と分類していたので、『筋肉馬鹿』の称号が一つ増えたところで、大して気にしないかもしれない。
(やっぱり普段は抑えてるだけで、クラウスも戦闘狂ね・・・)
魔国ティナドランで魔王ギルベルトに揶揄われて殴りつけていた時のことを思い出す。強い相手を見るとすぐに「手合わせしたい!」と言い出すエンジュとは、やはり同種なのだろう。しかし何故だろうか。エンジュには呆れの感情が沸き上がるが、クラウスはそんな所も格好良いと思えてしまう。
(恋は盲目、か)
自分でちょっと恥ずかしい。アリシアは意識を目の前の試合に集中した。
ギィンと一際大きな音を響かせると、クラウスとエンジュの距離が離れる。そのままエンジュが後ろへと跳躍し、互いに睨み合って対峙する。やはり二人とも楽しそうに笑みを浮かべているのが見えた。
(筋肉馬鹿は置いておいて、真面目な話、あそこまで実力が拮抗していたら楽しいでしょうね)
ここまで凄い試合はなかなか見れない。アリシアも興奮気味に試合を見つめる。
二人はしばし睨み合った後、今度はエンジュが駆けていき、再び剣を合わせる。
これだけ拮抗していては、どちらが勝つのか予測すら立たない。皆瞬きもせずに見つめる中、一瞬剣の動きを鈍らせたクラウスの脇腹の手前で、エンジュが剣を止めた。
その瞬間、また競技場が歓声で沸き上がる。再びサリヴァンコールが響き始めた。
元々1本の予定だったのだろう。しかしその1本が非常に長かった。二人とも礼をして裏へ戻っていく。
「・・・これは、戦場だったら兄さんが負けてたな」
伝達魔術でそう伝えてくるダーマットに、アリシアは隣を見る。
「なんでそう思うの?」
「ハルシュタイン将軍が一瞬動きを鈍らせたでしょ?あれはワザとだ」
「ワザと・・・」
「決着がつかなくて試合が長引いた。ここは神聖ルアンキリ。ハルシュタイン将軍は兄さんに花を持たせてくれたんだ。ただ決着がついた瞬間、兄さんの方が呼吸が荒くなってた。スタミナの問題だね」
「ああ・・・確かに」
それはアリシアも気付いた。エンジュは呼吸の度にやや肩が上がっていた。クラウスはまだ余裕があったのだ。
「それにしても、本当に面白いものが見れたね。これは中々見れない試合だ」
「そうね」
嬉しそうに言うダーマットに頷くと、彼は「裏に行こう姉さん」と立ち上がった。
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