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第3章 ハルシュタイン将軍とサリヴァンの娘
51 外出と不安
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街に行く準備の為、クラウスは一旦馬車に戻ると言うので、アリシアも着替える事にした。今着ているコバルトブルーのワンピースはエレオノーラからの借り物だ。街に着ていく訳にはいかない。
寝室を通り衣装部屋に行くと、エレオノーラが貸してくれた侍女アストリット=デュカーがいた。アリシアの服を既に出し終え、日用品の整理をしてくれている。
「もう終わったんですか?ありがとうございます。お手数おかけしてしまって・・・」
今回滞在期間が決まっていないので、神聖ルアンキリの実家に立ち寄り、秋冬服のほとんどを持ってきた。その為量はかなり多くなったのだが、既に全てハンガー等に掛けられている。
アリシアが声を掛けると、振り向いたデュカーは笑みを浮かべた。
「何を仰っしゃるんですか。確かに前は同僚でしたが、今は魔王様のお客様です。何も遠慮することはありませんよ。それに・・・フフッ!私も役得ですから」
楽しそうにしている彼女は、以前リーゼが言っていたクラウスの恋応援隊の一人だったらしい。
(・・・さっきの見られてないわよね)
視線を泳がせつつ、荷解きがここまで済んでいるならそれは無いだろう、とアリシアは思う。しかしなんとなく恥ずかしい。
「・・・もしかして、何かありました?」
アリシアの態度に気付き、口元に手を当ててニヤニヤとするデュカーは、完全にリーゼと同じだ。相変わらず王宮の女性使用人は恋の話が好きらしい。
(でも、そういう反応をするという事は、やっぱり見られてないわね)
アリシアはホッとすると、笑みを浮かべた。何もなかったように装ってサラッと流すに限る。
「特に何も。それよりハルシュタイン将軍と街に出ることになりました。着替えたいのですが・・・」
言いながら、整理された服を眺める。どの服にしようか。
「あら!いいですわね。ではこちらの服はいかがですか?先程今日の天気と気温にピッタリで、ちょうど今の季節に合うお色だと思っていたのです」
そう言って手に取った服の組み合わせを見て、アリシアも頷いた。彼女が言う通りちょうど良さそうだ。クラウスをあまり待たせても申し訳ないし、ササッと着替えてしまおう。
「ありがとうございます。さすがエレオノーラ様の侍女をされる方ですね。そちらに着替えます」
「かしこまりました」
嬉しそうな顔で頷くデュカーから、アリシアは服を受け取った。
* * *
アリシアが着替えを済ませて居間に戻ると、既にクラウスはソファに座っていた。
「お待たせしました」
「いや、俺も今さっき戻ってきた。・・・それはあちらの服か?可愛いな」
クラウスはアリシアの全身を眺めて言う。アリシアは笑みを浮かべた。アリシアもこの組み合わせは可愛くて好きなのだ。
「ルアンキリのです。ティナドランの服も可愛いですが、あちらにも可愛い服が多くて。新都は王都バルロスと違って、あまり寒くないのですね。お陰でまだ秋服が着れて嬉しいです」
「いや、もちろん服も可愛いが、俺が言ったのはアリシアの事だ」
「・・・・・・」
カーッと顔が熱くなる。ルンルン気分で答えた分、勘違いでより恥ずかしさが増す。どう答えていいか分からず、アリシアは固まる。しかし何か応えなければと、消え入りそうな声で「ありがとうございます」とだけ言った。
そんなアリシアを見て、クラウスはクククと笑って立ち上がる。
「行こうか。今日は王宮近辺を歩こう」
「あ、はい」
アリシアが小さい声で答えると、クラウスは何か長い物を手にとって立ち上がった。アリシアは視線を向けると、それが長剣である事に気付いた。立ち上がったクラウスは腰に剣帯を着けていて、そこに長剣を差し込んでいる。
アリシアの視線に気付いたクラウスは微笑んでから口を開いた。
「馬車にこれを取りに行ってたんだ。アリシアの容姿はこの国じゃ目立つ。一応ギルベルトが大使の訪問を公示で伝えてはいるが、何があるか分からないからな。だからあえて服もこのままだ。良い牽制になる」
言われてアリシアも気付く。以前共に街を歩いた時は、目立つからと将軍服を脱いでいた。今日は将軍服のままだ。その上で帯剣しているのだから、これ以上の牽制はない。
「・・・気を使わせてしまってすみません」
「何がだ。俺はアリシアを堂々と周りに自慢できるからいいんだ」
「・・・・・・」
これはどう受け取れば良いのだろうか。本気なのか、冗談なのか。相手がクラウスなので、アリシアには本気で分からなかった。そもそも自慢して一体何になるのだろう。護衛兼接待で共に歩くだけなのに、誰がそういう意味で見ると言うのだろうか。
戸惑いや呆れに加えて謎が深まり、黄昏れたような顔をしているアリシアに、クラウスは手招きしてドアを開ける。
「ほら、行くぞ」
アリシアの反応を見てその心境まで察したのか、ニヤニヤとした顔でクラウスはアリシアを促した。
* * *
「意外と場所は変わってませんね。どのお店も大体同じような場所にあるような・・・」
「遷都の移動は王宮周辺から開始させたからな」
王宮の門を出てしばらく歩くと本屋があった。アリシアが良く通っていたお店だ。新都フェルシュタットの街歩きマップがあったので購入し、時折広げて道を確認しつつ足を進める。
街並みはどこもかしこも真新しく、しかしどの店も前からある店ばかりだ。看板は真新しくないので、王都バルロスから持ってきたのだろう。そして前と同じ様な場所にある。
「なんだか混乱しそうです」
「・・・王宮と同じか」
「王宮、ですか?」
「街と同じで、違和感が凄かったんだ」
「ああ、なるほど。それは私も思いました」
アリシアは苦笑する。皆まで言わずとも分かった。アリシアもずっとアベコベ感を感じていたのだ。
「しかもこれは道に迷いそうですね。一軒一軒の造りは違いますが、全て真新しいので覚えにくいというか」
「・・・確かにな」
頷きながらクラウスも街を見渡す。
「あ!アレが大使か!スゲー白いなー!」
少し離れた場所から声が聞こえる。先程から時折こういう声やコソコソ声が聞こえては、クラウスが視線を向ける。敵意があるかを確認しているようで、今回もチラッと見ただけだ。
アリシアはクラウスの反応を見て問題ない事を確認しつつ、足を進める。
「今のような人ばかりで、王都は平和ですね」
「基本的に温厚だからな。それでも一部過激な奴もいる」
「何も無いのはハルシュタイン将軍がいるから、というのもあるでしょうね。クラウスの顔を知らないとしても、第1軍の濃紺色の将軍服を着ていればすぐに分かりますし。そういう意味ではクラウスもあちこちから見られてますね」
「まあな」
「あ・・・違う意味の方も、見てますね」
前方から歩いてきた女性数人がクラウスに気付き、小さくキャアキャア言っているのが聞こえた。やっぱりモテるわね、と思ってアリシアはその女性達を眺めた。
「・・・興味ないな。というか、アレはダメだ」
言葉通り、興味なさそうな声で反応が返ってくる。相変わらずだとは思うが、彼女たちの何がダメなのだろうか。アリシアは隣を歩くクラウスを見上げる。するとジロリと女性達を睨みつけた。
(・・・え?)
驚いて前方にいる女性達を見ると、急に静かになって驚いた顔をした後に、目を逸らした。顔色も悪いようだ。
「・・・」
もう一度クラウスを見上げると、何事もなかった様に、常時に戻っている。
「気にするな」
「・・・・・・気にならないと思いますか?」
「・・・無理か」
チラリとアリシアを見た後、クラウスは小さく息をついた。さっと街を眺めると、「ああ」と声を上げた。
「だいぶ歩いたしちょうど良い。アリシア」
目であちらを見ろと言われている。アリシアもクラウスの言う方角を見る。そしてアリシアも「あ」と声を上げた。
「ヘットナーズカフェ、あそこに入ったんですね」
「君と待ち合わせした時は何も頼まずに出たが、あそこも美味い」
「そうですね。少し肌寒いですし、温かいものでも飲みましょう」
アリシアはクラウスと共にヘットナーズカフェに入る。店主はクラウスを見て『お、将軍が来た』という顔をしたが、その後ろにいる金髪碧眼のアリシアに気付いた瞬間驚いた顔をした。しかしすぐに嬉しそうに微笑んで「いらっしゃいませ」と声をかけてきた。『公示の大使が来店した!』と言わんばかりの顔だ。前に魔人として来店したアリシアと同一視はされていないようで、アリシアはホッとした。
体を温めたいアリシアはホットカフェオレを、クラウスはホットコーヒーを店主に頼む。今回は人目につかないように店の奥の4人席に座った。
クラウスは店内を見渡す。アリシアもそれに倣って見渡すが、今はそれ程客もいないので、声を落として話せば大丈夫そうだ。
「さっきの話だが、あの女達は俺を見て騒ぎながら、君を睨んで内緒話をしていた。ギルベルトの公示で大使だとわかっているはずなのに、だ。俺の今までの経験の話になるが、あのタイプは物事を深く考えずに良くない噂を流したり嫌がらせをして相手を貶める。魔国ティナドランとしても、人類連合側の誹謗中傷が広まるのは好ましくない。何より君はこの国の王であるギルベルトの客人だ。そこを分かっていないようだから伝達魔術で釘を刺しておいた」
「あ、伝達魔術・・・」
何故睨まれただけで顔色を悪くしたのかと思ったが、言われてみれば何か術が動いた気配はしていた。伝達魔術は声を出す必要があるが、街中の喧騒で全然気付かなかった。
「今何かあれば再び戦争が起こる。それは避けないとな」
「・・・そうですね」
アリシアもそれだけは嫌だ。やっと夢見た平和への第一歩を今、歩いている。半月後に人類連合の代表達が来る前に、おかしな状態になってしまったら目も当てられない。
(あのお姉さん達には少し申し訳ないけど、仕方ないか)
確かに睨まれたしコソコソと何かを話していた。しかしあの程度の事なら、アリシアにとって神聖ルアンキリでは日常茶飯事だ。いつもの事で気に留めてなかった。しかしクラウスの言う通り、再び戦争へと繋がる可能性は確かにある。小さな火種でも、時には大きくなり国を巻き込む。なんせ500年続いた戦争なのだ。人類連合と魔国ティナドランの間には、まだ埋める事のできない深い溝がある。そこに火を投げ入れることは避けなければならない。
「和平協定もまだなので、本当の平和はこれからなのは分かっています。先程の様な方も居ますが、それもまだ可愛いレベルですし。思っていたより好意的に受け止められている様で、少し安心しました」
微笑んで言うと、正面に座るクラウスはふっと笑った。
「君が美人で雰囲気も柔らかい、というのもあるな。男女問わず見惚れてる奴が多い。ピリピリしてると反感を持たれやすくなる」
「・・・」
それは確かにあるかもしれない。しかし面と向かって好きな人に褒められ、嬉しいものの反応に困って下を向いた。
(笑ってお礼を言えばいいのは分かるんだけど、笑える余裕がないわ・・・)
もう会えないと去った後、二ヶ月程離れていたのだ。今日再会したばかりで、クラウスの甘い言動にそんなすぐに慣れる事は出来ない。早く照れを落ち着かせようと小さく息をついたところで、店主がコーヒーを持ってきた。今回もアリシアにはクッキーが出される。
「こちらは女性限定のサービスでございます」
「ありがとうございます」
微笑んでお礼を言うと、一瞬『おや?』と不思議そうな顔をした後、「ごゆっくりどうぞ」と笑みを向けられた。
(・・・気付かれたかな?)
少し心配になってカウンターに戻る店主を眺める。しかし視線を感じて正面を向くと、少しムスッとしたクラウスがこちらを見ていた。
アリシアは既視感を感じた。
「クラウス・・・違いますから」
「何が」
アリシアが呆れた顔で言うと、むくれた顔でクラウスはコーヒーを飲む。
「前にここでクラウスと待ち合わせをした時も、店主とは先程と同じ会話をしたんです。店主が私の顔を見て一瞬不思議そうにしたので、私の正体に気付いたのかと心配していただけです」
そこまで説明して、アリシアもカフェオレを口に運ぶ。コーヒーの良い香りに甘いミルクの味わい。美味しい、とアリシアは顔を綻ばせた。
向かいを見ると、クラウスは頬杖をついて横を見ていた。
「・・・余裕がないんだ」
「え?」
突然なんの話かと、アリシアは問い返す。
「やっと君に会えたと思ったら、本来の君の姿は俺が想像していた以上に美しいし、こうして街を歩くと男達はこぞって振り返る。君が俺のものだと分かるようにしてやりたいが、今それをしたら変な噂が流れる。表向きでは、君はこの国に初めて来たことになっているからな。人類連合との軋轢を生むわけにはいかない」
顔から手を離してはー、と大きくため息をつくと、椅子の背もたれに体重を預けて腕を組んだ。顔は変わらず横を向けている。
「単なる俺の我が儘だな」
そう言うと下を向いてしまったので、アリシアからは表情が見えない。
(・・・クラウスも不安、ということね)
アリシアがエルフの里にいる間にもらった手紙には、不安な様子は見られなかった。だから気にしていなかったが、ちゃんと考えれば、不安にならない訳がなかった。
(時々変だけど、普段は飄々とした、動じないクラウスばかり見てたから・・・)
どんなに切れ者でも、表面を取り繕っても、女性を虜にする男らしい容姿をしていても、11も年上だとしても。クラウスも一人の男性なのだ。アリシアはまだ一度しか気持ちを伝えていない。だからこその不安なのかもしれない。
アリシアは少し考えて、精霊に心の中で呼びかけた。
「クラウス。魔術だと周りに気付かれるので、精霊術で防音結界を真似たものを張ります」
先に簡単に説明してから呪文を唱える。精霊に呪文を通してアリシアの要望を伝える。アリシア達の席の周りに空気の振動を遮断する壁を作り、そこに更に効果を付与する。
精霊に心の中で語り掛けると、成功したと言いたげにサワサワと笑い声をあげている。アリシアは笑みを浮かべてクラウスへ視線を向けた。
「上手く行ったみたいですね。防音結界に、幻影を見せる効果を付与しました。今、外からはこうして対面で座って話し合っているように見えるはずです」
アリシアは椅子から立ち、結界を出ないように気を付けてクラウスの隣に座った。顔が赤い自覚はあるが、今はクラウスの気持ちを優先する時だ。恥ずかしい気持ちに蓋をして、クラウスに横から抱き着いた。
「・・・っ!アリシア?」
驚いたのか、体を小さく震わせてクラウスは顔を上げる。しかしアリシアは顔をクラウスの腕に押し付けたまま口を開く。
「私もクラウスが好きです。クラウスと同じくらいの気持ちかは分かりませんが、凄く好きです。エルフの里に帰ってからも、忘れようと思ってましたが、ずっと忘れられなかった」
「・・・」
「私も不安に思う時はあります。でもこうしてまた会えた。これからだってきっと何度でも会えます」
アリシアは顔を上げてクラウスを見上げる。驚いた顔をしているのがちょっとおかしくて、小さく笑った。
「私はクラウスだけで良いんです。そもそも他の男の人の視線も気付きませんし・・・クラウスが不安に思うくらいなら、このまま気付かなくていいです」
腹をくくって言えば、それほど顔も熱くならなかった。ちょっとした発見だなと思いながら、アリシアはクラウスへニコニコと笑みを向ける。
「・・・外からは今、見えないのか」
「幻を見せているので、気付かれていません」
そう言って店内を見渡す。誰もこちらを気にしていない。ちゃんと術の効果が表れているのだ。
「アリシア」
クラウスがアリシアへ体の向きを変えたので、アリシアは腕から力を抜いた。クラウスはアリシアを抱きしめて、アリシアの肩に顔を埋める。
「好きだ。正直国の行く末なんてどうでも良い。君がいてくれれば、俺はそれでいい」
「はい」
「帰したくない。このまま家に連れて帰ってしまいたい」
「・・・それはちょっと・・・・・・・・・嬉しいですけど・・・周りに心配をかけてしまいます・・・」
「・・・・・・」
さすがに『家に連れて帰りたい』発言にアリシアは赤面した。しかしそれだけクラウスから望まれているのだと、胸の中はジワリと喜びが支配する。
クラウスはもう一度店内を見渡す。術の効果が出ている事を確認してから、アリシアの体を少し離した。
「アリシア、愛してる」
「・・・私も・・・」
クラウスに口を塞がれて最後まで言えないが、構わない。アリシアはクラウスの背中に手を回した。
クラウスは触れるだけのキスに留め、体を離してマジマジとアリシアを眺める。
「本当に、なんでそんなに綺麗なんだ。君はハーフエルフなんだろう?しかもあのサリヴァン将軍の娘なのに・・・戦場でしか会った事がないせいか、あの厳つい男と似てるところが分からん。クソ・・・可愛い。やっぱり連れて帰りたい」
ジッと濃い紫色の瞳に見つめられてアリシアはドキドキするが、ここで引っこんでは駄目だと自分に言い聞かせた。
「私は母に似たんです。クラウスだって・・・将軍という地位だけでも人は寄ってくるのに、男らしいし、見た目も中身も格好良すぎて私だって不安になります。私にだけ微笑んでくれればいいって思ってますし・・・その・・・・・・・・・こうしてずっと一緒にいたいです。でも、連れて帰られるのは困ります」
クラウスには今こういう言葉が必要なのだと思い、アリシアは顔が真っ赤になっても、構わず言い切った。ドキドキする胸を落ち着かせようと、はー、と小さく息を吐いた。
「可愛い」
嬉しそうに笑みを浮かべて一言だけ言うと、クラウスは再びアリシアをぎゅっと抱きしめた。
寝室を通り衣装部屋に行くと、エレオノーラが貸してくれた侍女アストリット=デュカーがいた。アリシアの服を既に出し終え、日用品の整理をしてくれている。
「もう終わったんですか?ありがとうございます。お手数おかけしてしまって・・・」
今回滞在期間が決まっていないので、神聖ルアンキリの実家に立ち寄り、秋冬服のほとんどを持ってきた。その為量はかなり多くなったのだが、既に全てハンガー等に掛けられている。
アリシアが声を掛けると、振り向いたデュカーは笑みを浮かべた。
「何を仰っしゃるんですか。確かに前は同僚でしたが、今は魔王様のお客様です。何も遠慮することはありませんよ。それに・・・フフッ!私も役得ですから」
楽しそうにしている彼女は、以前リーゼが言っていたクラウスの恋応援隊の一人だったらしい。
(・・・さっきの見られてないわよね)
視線を泳がせつつ、荷解きがここまで済んでいるならそれは無いだろう、とアリシアは思う。しかしなんとなく恥ずかしい。
「・・・もしかして、何かありました?」
アリシアの態度に気付き、口元に手を当ててニヤニヤとするデュカーは、完全にリーゼと同じだ。相変わらず王宮の女性使用人は恋の話が好きらしい。
(でも、そういう反応をするという事は、やっぱり見られてないわね)
アリシアはホッとすると、笑みを浮かべた。何もなかったように装ってサラッと流すに限る。
「特に何も。それよりハルシュタイン将軍と街に出ることになりました。着替えたいのですが・・・」
言いながら、整理された服を眺める。どの服にしようか。
「あら!いいですわね。ではこちらの服はいかがですか?先程今日の天気と気温にピッタリで、ちょうど今の季節に合うお色だと思っていたのです」
そう言って手に取った服の組み合わせを見て、アリシアも頷いた。彼女が言う通りちょうど良さそうだ。クラウスをあまり待たせても申し訳ないし、ササッと着替えてしまおう。
「ありがとうございます。さすがエレオノーラ様の侍女をされる方ですね。そちらに着替えます」
「かしこまりました」
嬉しそうな顔で頷くデュカーから、アリシアは服を受け取った。
* * *
アリシアが着替えを済ませて居間に戻ると、既にクラウスはソファに座っていた。
「お待たせしました」
「いや、俺も今さっき戻ってきた。・・・それはあちらの服か?可愛いな」
クラウスはアリシアの全身を眺めて言う。アリシアは笑みを浮かべた。アリシアもこの組み合わせは可愛くて好きなのだ。
「ルアンキリのです。ティナドランの服も可愛いですが、あちらにも可愛い服が多くて。新都は王都バルロスと違って、あまり寒くないのですね。お陰でまだ秋服が着れて嬉しいです」
「いや、もちろん服も可愛いが、俺が言ったのはアリシアの事だ」
「・・・・・・」
カーッと顔が熱くなる。ルンルン気分で答えた分、勘違いでより恥ずかしさが増す。どう答えていいか分からず、アリシアは固まる。しかし何か応えなければと、消え入りそうな声で「ありがとうございます」とだけ言った。
そんなアリシアを見て、クラウスはクククと笑って立ち上がる。
「行こうか。今日は王宮近辺を歩こう」
「あ、はい」
アリシアが小さい声で答えると、クラウスは何か長い物を手にとって立ち上がった。アリシアは視線を向けると、それが長剣である事に気付いた。立ち上がったクラウスは腰に剣帯を着けていて、そこに長剣を差し込んでいる。
アリシアの視線に気付いたクラウスは微笑んでから口を開いた。
「馬車にこれを取りに行ってたんだ。アリシアの容姿はこの国じゃ目立つ。一応ギルベルトが大使の訪問を公示で伝えてはいるが、何があるか分からないからな。だからあえて服もこのままだ。良い牽制になる」
言われてアリシアも気付く。以前共に街を歩いた時は、目立つからと将軍服を脱いでいた。今日は将軍服のままだ。その上で帯剣しているのだから、これ以上の牽制はない。
「・・・気を使わせてしまってすみません」
「何がだ。俺はアリシアを堂々と周りに自慢できるからいいんだ」
「・・・・・・」
これはどう受け取れば良いのだろうか。本気なのか、冗談なのか。相手がクラウスなので、アリシアには本気で分からなかった。そもそも自慢して一体何になるのだろう。護衛兼接待で共に歩くだけなのに、誰がそういう意味で見ると言うのだろうか。
戸惑いや呆れに加えて謎が深まり、黄昏れたような顔をしているアリシアに、クラウスは手招きしてドアを開ける。
「ほら、行くぞ」
アリシアの反応を見てその心境まで察したのか、ニヤニヤとした顔でクラウスはアリシアを促した。
* * *
「意外と場所は変わってませんね。どのお店も大体同じような場所にあるような・・・」
「遷都の移動は王宮周辺から開始させたからな」
王宮の門を出てしばらく歩くと本屋があった。アリシアが良く通っていたお店だ。新都フェルシュタットの街歩きマップがあったので購入し、時折広げて道を確認しつつ足を進める。
街並みはどこもかしこも真新しく、しかしどの店も前からある店ばかりだ。看板は真新しくないので、王都バルロスから持ってきたのだろう。そして前と同じ様な場所にある。
「なんだか混乱しそうです」
「・・・王宮と同じか」
「王宮、ですか?」
「街と同じで、違和感が凄かったんだ」
「ああ、なるほど。それは私も思いました」
アリシアは苦笑する。皆まで言わずとも分かった。アリシアもずっとアベコベ感を感じていたのだ。
「しかもこれは道に迷いそうですね。一軒一軒の造りは違いますが、全て真新しいので覚えにくいというか」
「・・・確かにな」
頷きながらクラウスも街を見渡す。
「あ!アレが大使か!スゲー白いなー!」
少し離れた場所から声が聞こえる。先程から時折こういう声やコソコソ声が聞こえては、クラウスが視線を向ける。敵意があるかを確認しているようで、今回もチラッと見ただけだ。
アリシアはクラウスの反応を見て問題ない事を確認しつつ、足を進める。
「今のような人ばかりで、王都は平和ですね」
「基本的に温厚だからな。それでも一部過激な奴もいる」
「何も無いのはハルシュタイン将軍がいるから、というのもあるでしょうね。クラウスの顔を知らないとしても、第1軍の濃紺色の将軍服を着ていればすぐに分かりますし。そういう意味ではクラウスもあちこちから見られてますね」
「まあな」
「あ・・・違う意味の方も、見てますね」
前方から歩いてきた女性数人がクラウスに気付き、小さくキャアキャア言っているのが聞こえた。やっぱりモテるわね、と思ってアリシアはその女性達を眺めた。
「・・・興味ないな。というか、アレはダメだ」
言葉通り、興味なさそうな声で反応が返ってくる。相変わらずだとは思うが、彼女たちの何がダメなのだろうか。アリシアは隣を歩くクラウスを見上げる。するとジロリと女性達を睨みつけた。
(・・・え?)
驚いて前方にいる女性達を見ると、急に静かになって驚いた顔をした後に、目を逸らした。顔色も悪いようだ。
「・・・」
もう一度クラウスを見上げると、何事もなかった様に、常時に戻っている。
「気にするな」
「・・・・・・気にならないと思いますか?」
「・・・無理か」
チラリとアリシアを見た後、クラウスは小さく息をついた。さっと街を眺めると、「ああ」と声を上げた。
「だいぶ歩いたしちょうど良い。アリシア」
目であちらを見ろと言われている。アリシアもクラウスの言う方角を見る。そしてアリシアも「あ」と声を上げた。
「ヘットナーズカフェ、あそこに入ったんですね」
「君と待ち合わせした時は何も頼まずに出たが、あそこも美味い」
「そうですね。少し肌寒いですし、温かいものでも飲みましょう」
アリシアはクラウスと共にヘットナーズカフェに入る。店主はクラウスを見て『お、将軍が来た』という顔をしたが、その後ろにいる金髪碧眼のアリシアに気付いた瞬間驚いた顔をした。しかしすぐに嬉しそうに微笑んで「いらっしゃいませ」と声をかけてきた。『公示の大使が来店した!』と言わんばかりの顔だ。前に魔人として来店したアリシアと同一視はされていないようで、アリシアはホッとした。
体を温めたいアリシアはホットカフェオレを、クラウスはホットコーヒーを店主に頼む。今回は人目につかないように店の奥の4人席に座った。
クラウスは店内を見渡す。アリシアもそれに倣って見渡すが、今はそれ程客もいないので、声を落として話せば大丈夫そうだ。
「さっきの話だが、あの女達は俺を見て騒ぎながら、君を睨んで内緒話をしていた。ギルベルトの公示で大使だとわかっているはずなのに、だ。俺の今までの経験の話になるが、あのタイプは物事を深く考えずに良くない噂を流したり嫌がらせをして相手を貶める。魔国ティナドランとしても、人類連合側の誹謗中傷が広まるのは好ましくない。何より君はこの国の王であるギルベルトの客人だ。そこを分かっていないようだから伝達魔術で釘を刺しておいた」
「あ、伝達魔術・・・」
何故睨まれただけで顔色を悪くしたのかと思ったが、言われてみれば何か術が動いた気配はしていた。伝達魔術は声を出す必要があるが、街中の喧騒で全然気付かなかった。
「今何かあれば再び戦争が起こる。それは避けないとな」
「・・・そうですね」
アリシアもそれだけは嫌だ。やっと夢見た平和への第一歩を今、歩いている。半月後に人類連合の代表達が来る前に、おかしな状態になってしまったら目も当てられない。
(あのお姉さん達には少し申し訳ないけど、仕方ないか)
確かに睨まれたしコソコソと何かを話していた。しかしあの程度の事なら、アリシアにとって神聖ルアンキリでは日常茶飯事だ。いつもの事で気に留めてなかった。しかしクラウスの言う通り、再び戦争へと繋がる可能性は確かにある。小さな火種でも、時には大きくなり国を巻き込む。なんせ500年続いた戦争なのだ。人類連合と魔国ティナドランの間には、まだ埋める事のできない深い溝がある。そこに火を投げ入れることは避けなければならない。
「和平協定もまだなので、本当の平和はこれからなのは分かっています。先程の様な方も居ますが、それもまだ可愛いレベルですし。思っていたより好意的に受け止められている様で、少し安心しました」
微笑んで言うと、正面に座るクラウスはふっと笑った。
「君が美人で雰囲気も柔らかい、というのもあるな。男女問わず見惚れてる奴が多い。ピリピリしてると反感を持たれやすくなる」
「・・・」
それは確かにあるかもしれない。しかし面と向かって好きな人に褒められ、嬉しいものの反応に困って下を向いた。
(笑ってお礼を言えばいいのは分かるんだけど、笑える余裕がないわ・・・)
もう会えないと去った後、二ヶ月程離れていたのだ。今日再会したばかりで、クラウスの甘い言動にそんなすぐに慣れる事は出来ない。早く照れを落ち着かせようと小さく息をついたところで、店主がコーヒーを持ってきた。今回もアリシアにはクッキーが出される。
「こちらは女性限定のサービスでございます」
「ありがとうございます」
微笑んでお礼を言うと、一瞬『おや?』と不思議そうな顔をした後、「ごゆっくりどうぞ」と笑みを向けられた。
(・・・気付かれたかな?)
少し心配になってカウンターに戻る店主を眺める。しかし視線を感じて正面を向くと、少しムスッとしたクラウスがこちらを見ていた。
アリシアは既視感を感じた。
「クラウス・・・違いますから」
「何が」
アリシアが呆れた顔で言うと、むくれた顔でクラウスはコーヒーを飲む。
「前にここでクラウスと待ち合わせをした時も、店主とは先程と同じ会話をしたんです。店主が私の顔を見て一瞬不思議そうにしたので、私の正体に気付いたのかと心配していただけです」
そこまで説明して、アリシアもカフェオレを口に運ぶ。コーヒーの良い香りに甘いミルクの味わい。美味しい、とアリシアは顔を綻ばせた。
向かいを見ると、クラウスは頬杖をついて横を見ていた。
「・・・余裕がないんだ」
「え?」
突然なんの話かと、アリシアは問い返す。
「やっと君に会えたと思ったら、本来の君の姿は俺が想像していた以上に美しいし、こうして街を歩くと男達はこぞって振り返る。君が俺のものだと分かるようにしてやりたいが、今それをしたら変な噂が流れる。表向きでは、君はこの国に初めて来たことになっているからな。人類連合との軋轢を生むわけにはいかない」
顔から手を離してはー、と大きくため息をつくと、椅子の背もたれに体重を預けて腕を組んだ。顔は変わらず横を向けている。
「単なる俺の我が儘だな」
そう言うと下を向いてしまったので、アリシアからは表情が見えない。
(・・・クラウスも不安、ということね)
アリシアがエルフの里にいる間にもらった手紙には、不安な様子は見られなかった。だから気にしていなかったが、ちゃんと考えれば、不安にならない訳がなかった。
(時々変だけど、普段は飄々とした、動じないクラウスばかり見てたから・・・)
どんなに切れ者でも、表面を取り繕っても、女性を虜にする男らしい容姿をしていても、11も年上だとしても。クラウスも一人の男性なのだ。アリシアはまだ一度しか気持ちを伝えていない。だからこその不安なのかもしれない。
アリシアは少し考えて、精霊に心の中で呼びかけた。
「クラウス。魔術だと周りに気付かれるので、精霊術で防音結界を真似たものを張ります」
先に簡単に説明してから呪文を唱える。精霊に呪文を通してアリシアの要望を伝える。アリシア達の席の周りに空気の振動を遮断する壁を作り、そこに更に効果を付与する。
精霊に心の中で語り掛けると、成功したと言いたげにサワサワと笑い声をあげている。アリシアは笑みを浮かべてクラウスへ視線を向けた。
「上手く行ったみたいですね。防音結界に、幻影を見せる効果を付与しました。今、外からはこうして対面で座って話し合っているように見えるはずです」
アリシアは椅子から立ち、結界を出ないように気を付けてクラウスの隣に座った。顔が赤い自覚はあるが、今はクラウスの気持ちを優先する時だ。恥ずかしい気持ちに蓋をして、クラウスに横から抱き着いた。
「・・・っ!アリシア?」
驚いたのか、体を小さく震わせてクラウスは顔を上げる。しかしアリシアは顔をクラウスの腕に押し付けたまま口を開く。
「私もクラウスが好きです。クラウスと同じくらいの気持ちかは分かりませんが、凄く好きです。エルフの里に帰ってからも、忘れようと思ってましたが、ずっと忘れられなかった」
「・・・」
「私も不安に思う時はあります。でもこうしてまた会えた。これからだってきっと何度でも会えます」
アリシアは顔を上げてクラウスを見上げる。驚いた顔をしているのがちょっとおかしくて、小さく笑った。
「私はクラウスだけで良いんです。そもそも他の男の人の視線も気付きませんし・・・クラウスが不安に思うくらいなら、このまま気付かなくていいです」
腹をくくって言えば、それほど顔も熱くならなかった。ちょっとした発見だなと思いながら、アリシアはクラウスへニコニコと笑みを向ける。
「・・・外からは今、見えないのか」
「幻を見せているので、気付かれていません」
そう言って店内を見渡す。誰もこちらを気にしていない。ちゃんと術の効果が表れているのだ。
「アリシア」
クラウスがアリシアへ体の向きを変えたので、アリシアは腕から力を抜いた。クラウスはアリシアを抱きしめて、アリシアの肩に顔を埋める。
「好きだ。正直国の行く末なんてどうでも良い。君がいてくれれば、俺はそれでいい」
「はい」
「帰したくない。このまま家に連れて帰ってしまいたい」
「・・・それはちょっと・・・・・・・・・嬉しいですけど・・・周りに心配をかけてしまいます・・・」
「・・・・・・」
さすがに『家に連れて帰りたい』発言にアリシアは赤面した。しかしそれだけクラウスから望まれているのだと、胸の中はジワリと喜びが支配する。
クラウスはもう一度店内を見渡す。術の効果が出ている事を確認してから、アリシアの体を少し離した。
「アリシア、愛してる」
「・・・私も・・・」
クラウスに口を塞がれて最後まで言えないが、構わない。アリシアはクラウスの背中に手を回した。
クラウスは触れるだけのキスに留め、体を離してマジマジとアリシアを眺める。
「本当に、なんでそんなに綺麗なんだ。君はハーフエルフなんだろう?しかもあのサリヴァン将軍の娘なのに・・・戦場でしか会った事がないせいか、あの厳つい男と似てるところが分からん。クソ・・・可愛い。やっぱり連れて帰りたい」
ジッと濃い紫色の瞳に見つめられてアリシアはドキドキするが、ここで引っこんでは駄目だと自分に言い聞かせた。
「私は母に似たんです。クラウスだって・・・将軍という地位だけでも人は寄ってくるのに、男らしいし、見た目も中身も格好良すぎて私だって不安になります。私にだけ微笑んでくれればいいって思ってますし・・・その・・・・・・・・・こうしてずっと一緒にいたいです。でも、連れて帰られるのは困ります」
クラウスには今こういう言葉が必要なのだと思い、アリシアは顔が真っ赤になっても、構わず言い切った。ドキドキする胸を落ち着かせようと、はー、と小さく息を吐いた。
「可愛い」
嬉しそうに笑みを浮かべて一言だけ言うと、クラウスは再びアリシアをぎゅっと抱きしめた。
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