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第2章 クラウスと国家動乱
38 エルフの里と精霊神ハヤト(アリシアside)
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アリシアは魔国ティナドラン王都から帰還の術を使い、1年ぶりにエルフの里へ足を踏み入れた。
辺りは日が沈んで既に真っ暗だ。赤道を跨いで移動したので、こちらはこれから夏に向う。初夏に向け鬱蒼と茂る森の中の小道では、足元もよく見えない。アリシアは精霊術で火の精霊に呼びかけ、小さい火の玉を作る。途端、辺りが照らされて見えるようになった。
「帰ってきた・・・」
しっとりとした空気に森の香り。高山のため少し肌寒い。自然豊かであるため、あちこちに精霊を感じる。本当に帰ってきたのだと、実感と共にまた涙が溢れてきた。
帰ってきてしまった。引き止められたが、何も言わずに去ってきた。もう二度と彼と会うことは無い。
(・・・里に行かなきゃ)
重たい足を動かし、里の入口へと進む。ポタポタと落ちていく涙はそのままに、しばらく歩くと人影が見えてきた。
「おかえり。辛い想いをしたようだね」
「精霊神様・・・」
帰還の術を感知したのだろう。里の入口で精霊神ハヤトが待っていてくれた。優しい声でアリシアを労うように声をかけられる。
里には灯りがあちこちにあり、明るく保たれている。アリシアは火の玉を消すと頭を下げた。
「お久しぶりです。ただいま帰還しました。こんなに早く戻ることになり、大変申し訳ありません。クラウス=ハルシュタインに諜報員だと知られました。ですが、私の身元が知られた訳ではなく、必ずしも帰ってくる必要もなく・・・ただ、私があの場に居ることが」
急ぎ状況を報告しようと、涙を手で拭いながら、時々涙声になりつつも説明する。精霊神はそんなアリシアに近寄ると、頭を撫でた。その優しい感触に、つい言葉が止まる。
「今はそんな事を気にしなくて良い。随分と精神が疲弊している。先に休んだ方が良いね。詳しくは明日以降でも構わないよ」
「・・・ありがとうございます」
「さ、行こう。アリシアに会ったら、あの二人も喜ぶ」
そう言いながら、そっとアリシアの背中に手を添え、歩くように勧める。
「はい。皆さん変わりなくお元気でしたか?精霊神様も」
アリシアは頷くと、里の中へと足を勧める。変らない里の風景を見て、エルフ達の顔が頭に浮かんだ。
「私は相変わらずだね。エルフも1年でどうこうなるほどヤワじゃないのは、アリシアだって分かってるでしょ?」
ふふっと笑う精霊神に、アリシアも微笑む。
涙が止まり、ようやく笑みを見せたアリシアに、精霊神は言葉を続ける。
「長家族も相変わらずでね。この前コウキが・・・」
エルフの長コウキの名前を出し、アリシアが魔国ティナドランに潜入していた間の話を教えてくれる。アリシアも小さく笑いながら、「長も相変わらずですね」と相づちを打った。
馴染みある家の前に辿り着くと、精霊神はチャイムを鳴らす。すぐに「はーい」と声が聞こえて、懐かしい顔が現れた。エルフらしい金髪碧眼に白い肌。耳は長く容姿端麗。見た目は若々しい20代の女性だ。
「あら、ハヤト様・・・えっ!?アリシアじゃない!帰ってきたの!?」
「詳しい話は明日以降聞くことにしてる。随分と疲れているから、今は何も聞かず、ゆっくりと休ませてあげて」
「あらあらあら!それはもちろん!」
声を上げてアリシアに近付くと、そっと抱きしめた。
「アリシア、おかえりなさい。無事で本当に良かったわ」
「ミヤちゃん・・・ただいま」
久々な祖母ミヤビ=クロスの抱擁に、アリシアもホッとする。それをにこやかに精霊神が眺めている。
「アリシアが帰ってきたって!?」
ドタバタと慌てた音を立てて、もう一人顔を出した。そちらも典型的なエルフの容姿をもつ男性。やはり20代に見える。
「アリシア!無事だったか!」
「イッキ君・・・ただいま。久しぶり」
「おうおう!おかえり!うん。変わりないな」
祖父イツキ=クロスが出てきたことで、ミヤビが体を離す。アリシアがイツキに顔を向けると、イツキはアリシアの頭をワシワシと撫でた。
「ちょっと!アリシアは女の子なんだから、そんなに強く撫でちゃだめよ!」
「あ。スマン。嬉しくてつい」
ミヤビに怒られ、イツキは気恥ずかしそうに自分の頭に手をやる。すぐにボサボサになったアリシアの髪を直しながら、イツキは精霊神に顔を向けた。
「ハヤト様。アリシアはうちでいいのかい?」
「うん。しばらくイツキの家で。アリシアが落ち着いてから話を聞きたいから、それまでゆっくり休ませてあげて欲しい」
「そりゃもちろん」
頷くイツキを微笑ましく見た後、精霊神はアリシアに近寄って手を横へ振った。
「さ、色素変化を解いたよ。アリシア、よく頑張ってきたね。後のことは気にしなくて良い。まずはゆっくり休む事が、今のアリシアの仕事だよ」
「はい」
優しい言葉に、また涙が零れる。その様子を精霊神は笑顔で見ると、「じゃあね。おやすみなさい」といって手を上げながら去っていった。
「私達も入りましょ。アリシア、夕飯はどうする?」
「・・・今は食欲ないからいいかな。明日の朝はちゃんと食べるから」
「腹空いたら遠慮すんなよ?」
「うん。ありがとうイッキ君」
「いやーその『イッキ君』って聞くと、本当にアリシアが帰ってきたって実感するな!」
「私もよ。アリシアから『ミヤちゃん』って呼ばれるの好きだもの」
ふふっと笑いながら、涙を拭うアリシアと共に家へと入った。
* * *
「うーん・・・ちょっと腫れたかな」
翌朝、アリシアは部屋の姿見を見つめてため息をついた。あんなに泣いたのは初めてかもしれない。昨晩もベッドに入ると、色々と思い出して泣いてしまった。目元は腫れにくい体質だが、さすがに泣きすぎた。まぶたが腫れぼったい。
金髪が視界に入り、ふと思い立って姿見の前で自分の姿を眺める。赤みがかったストレートな金髪にコバルトブルーの瞳、肌は透き通るほどに白い。アリシア本来の色素だ。
(この姿も久々ね)
魔人カラーを1年続けていたのだ。本来の姿に戻ってホッとする。
昨日のうちに荷ほどきはしておいたので、クローゼットから服を取り出して着替える。1階に降りようとして、ふと動きを止めた。書き物机の上に置いていた、グリーンガーネットのネックレスへ目を向ける。
アリシアはネックレスを手に取ると、金具を外して胸元に当てる。
(偶然なんだろうけど・・・私に合う色)
クラウスがアリシアの元の姿を知っているとは思わない。しかし姿見で自分の姿を眺めていると、何故かとてもしっくりくる。
(防御術がかけてあるって言ってたし、着けとこうかな)
エルフの里の中で危険な目に会うことはないが、折角だ。留め具を留めて、そのまま首にかけた。
アリシアは胸元のグリーンガーネットに指先で触れる。間近で告白してきたクラウスの真剣な顔が思い浮かぶ。
(やっぱり、好き)
思い出しただけで、胸がギュッと締め付けられる。
(こんなに好きだったんだ)
グリーンガーネットから手を離して、鏡の中の自分と目を合わせる。
どうしてこんなに苦しいのかと、昨晩ベッドに入って考えた。そして朝起きた時に気付いたのだ。諦めなければいけないと思い込んでいたから、あんなに苦しかったのだと。
(自然と忘れられるまで、好きでいても・・・いいよね)
今後一切、彼の姿を見ることも、会う事もない。それなら、いつかきっと忘れられる。クラウスも同じだ。きっといつか忘れてくれる。だからやはり、自分は帰ってきて良かったのだ。
胸はやっぱり痛い。でも、これで良かったのだと自分に言い聞かせた。
「ハルシュタイン将軍」
言い慣れた名前を小さく口にする。それだけで彼の顔を思い出し、胸が暖かくなると同時に、切なさも感じる。
「クラウス、あなたが好きでした」
本人には言えなかった言葉を、小さく、囁やくように音にした。
* * *
「あれ?アリシアじゃない!戻ってきたの!?」
「本当だ!無事で良かった!心配してたんだぞ!」
「そうよ。だって魔国の王宮でしょ?怖い思いしなかった?」
朝食を終えて外に出ると、アリシアに気付いたエルフ達が次々と声をかけてきた。
一つ一つに答えて、手を振って別れる。アリシアはこれから精霊神に報告しなければならないのだ。長話にならないうちに、そう言って断りを入れては別れて、を繰り返した。
「気が向いたらうちの息子の嫁に来てもいいんだからな」
などと軽口を叩くエルフも相変わらずだ。彼の息子はまだ5歳なのはアリシアだって知っている。適当に受け流し、変らないエルフ達に安堵しながら里の中心へと向う。そして一軒の家の前に立ち止まった。
(変わりないわね)
神が住むには随分と小さい家だ。その隣の長の家の方が大きく、たまに間違えて訪ねる客もいる。
エルフの里は大半が木造二階建て。精霊神曰く『これぞ日本家屋だね!』らしいが日本が何なのか、アリシアはよく知らない。精霊神がこの世界に来る前に居た世界の国名らしいが、詳しく聞いたことはない。人類連合をまとめる精霊神はとても忙しい。アリシア個人があまり時間を取って良いはずがない。
けれど、精霊神の言うこの日本式の生活は、アリシアも気に入っている。何より食事が美味しいのだ。今朝もミヤビの和食を堪能してきた。
アリシアは精霊神の家のチャイムを鳴らす。すると中から精霊神の応える声が聞こえた。
「もう来たの?一週間くらいゆっくりしてて良かったのに」
「早めに報告しておきたかったので・・・」
扉を開けた精霊神は、アリシアの顔を見て驚いた顔をしている。しかしアリシアもつい精霊神の頭を凝視してしまう。
「あ!ごめんね。昨晩遅くなって、さっき降りたら寝癖ついててねー」
アリシアの視線に気付いて、精霊神はあははと笑った。
この世で唯一の美しい銀髪を持つ精霊神の体。ハイエルフというエルフより高い次元の体であり、この体でないと神の魂が宿れないとか。ハイエルフの体は精霊神が現世に降りるためのもので、しょっちゅう神界と行き来している。
そんな精霊神の銀髪は全体がショートカットだが、真後ろだけロングのストレートだ。本当は短髪にしたいが、それだと威厳がなくなると長コウキに言われ、折衷案としてそんな髪型にしているらしい。精霊神は『これはこれでオシャンティだね!』と気に入っているようだ。
そんなご自慢の銀髪の左側、横の短い辺りが重力に逆らっている。
「獣人の耳に見えますね」
「そうなんだよ。だから直すか迷っててね。いっそ両方立たせるかって考えてたら、アリシアが来たんだ」
精霊神はそう言って笑うと、術で髪を直した。
「ま、それはまた今度の機会にするよ。このままじゃアリシアも気になるだろうから」
その言葉にアリシアも笑う。確かにそのままでは気になって話に集中出来ない。
「相変わらずお忙しそうですね。これからお時間大丈夫でしょうか?」
「やるべき事は昨晩のうちに片付いたから大丈夫だよ。さ、入って入って」
精霊神はアリシアを家に上げると、応接室にしている部屋へ通した。
「いつもの椅子に座ってて。お茶淹れるから」
「精霊神様。お茶なら私が淹れます」
一応パーラーとして半年近く働いて来たのだ。神にお茶を淹れさせるなんて・・・と思って申し入れたが、精霊神は手をヒラヒラと振った。
「いいのいいの。俺がやりたいだけだから。いやぁ、緑茶って奥深いんだよ。入れる温度で味が変わるけど、どの味もそれぞれいい。今日は低温でいれるかな」
精霊神なら術を使えばあっという間に準備出来るはずなのに、あえて道具を使ってお湯を沸かしている。昔何故かと聞いたら、『こういう行程も楽しいものなんだよ』と言っていた。アリシアには正直今でもよく分からない。
「こっちは勝手にお茶淹れてるから、アリシアから何か話したいことあったらいつでもどうぞ」
「あ、はい。・・・では、最終日の話を」
精霊神のお言葉に甘えて、アリシアは椅子に腰かけ、前置きしてアリシアは語った。
前日にクラウスから手紙で翌日に会いたいと伝えられた事。翌朝に王宮からクラウスと共に馬車に乗ったこと。途中で大型書店に寄って、欲しかった『魔獣育成学』という本を買った事。その本にはブリフィタやシュヴィート等の魔獣の育て方や使役の仕方が書かれていて、とても興味深かった事。他にも魔国ならではの本があり、クラウスと見て回ったこと。そしてクラウスの屋敷について、魔王からの褒章をもらった事。
「一応、精霊神様にお見せしようと持ってきました」
アリシアはバッグから黒いケースを取り出し、パカリと開けて精霊神に見えるようにテーブルに置いた。
急須にお湯を入れ、湯呑を二つ出してアリシアの対面に座った精霊神は「ほほー」と言いながらコインを眺めていた。
「プラチナだね。大きいし分厚い。確かにこれなら、一枚で神聖ルアンキリでも、王宮使用人の年収と同じくらいかな」
「・・・やっぱりこちらでもそんなに高価なものなんですね」
「記念硬貨、って扱いになるのかな。あの魔国の魔王からの褒章っていう付加価値だけで、こっちじゃそれ以上の、物凄い値段が付きそうだねー。でもこれはアリシアが魔国の平和を願って頑張った結果なんだから、大事に持っておきなよ」
「はい。そうします」
人類連合側で唯一の魔王のコイン。その事実を言われ、なんだかアリシアはおかしくなった。ふふっと笑いながら、ケースを再びバッグへとしまう。
「それから・・・」
アリシアは視線を下げて、テーブルを眺める。ここからどう説明すればいいのか分からず、言葉を詰まらせた。つい胸元にあるグリーンガーネットを触る。
「・・・それはまた、凄いものを持っているね。グリーンガーネットか」
「これは・・・ハルシュタイン将軍から頂きました」
「術がかかってる。防御と・・・位置特定か」
ジッとグリーンガーネットを見つめて、精霊神が言い当てる。アリシアは「えっ」と声を上げた。
「防御術は聞いてましたが・・・位置特定ですか?」
「うん。ものすごーく微弱だから、魔人でも気付かないだろうね。そのグリーンガーネットから魔力が発信されるんじゃなくて、術を放ったら反応するようになってる。エルフの里までは届かないから安心して。・・・ハルシュタイン将軍はアリシアを守りつつ、手放したくなかったんだね」
精霊神の言葉に、アリシアの目にあっという間に涙が溜まり、零れ落ちて行った。
「あっ・・・」
(精霊神様の前で・・・!)
慌てて涙を手で拭っていると、精霊神は立ち上がり、別の部屋へ行ってしまった。
(早く泣き止まないと)
しかし精霊神の言葉がアリシアの脳内を木霊し、その度に胸が痛む。涙が次々と落ちていき、指で拭いきれなくなってきた。
「ほら、これを使って。手でこすったらだめだよ。折角の可愛い顔が腫れてしまう」
アリシアが顔を上げると、精霊神が小さいタオルを差し出していた。タオルを取りに行っていたのかと、アリシアは申し訳ない気持ちになる。しかし涙は止まらない。アリシアはタオルを受け取った。
「すみません。お借りします」
「うん。遠慮せずちゃんと使って」
「はい」
顔を下に向けて、タオルを目に当てると、熱い涙が目から出ていく感覚が増した。
待っていても涙は止まらなさそうだ。アリシアは精霊神に続きを話そうと、涙に構わず口を開いた。
「その・・・このネックレスを贈られて、ハルシュタイン将軍から告白されました」
「うん。そうだろうね」
(『そうだろうね』・・・?)
どういう意味かと、アリシアはタオルを下にずらして精霊神へ目を向ける。精霊神はそんなアリシアを見て苦笑していた。
「アリシアからの報告を読んでたら分かるよ。ハルシュタイン将軍はアリシアを好きだって言動をしてたし。周りも気付いてたんじゃない?アリシアは気付かなかった?」
「・・・・・・」
うっと言葉に詰まる。どう答えようかと逡巡した後、ふとリーゼが浮かんだ。
「その・・・同僚のパーラーからは『おニブさん』って言われました・・・」
アリシアのその言葉に、精霊神はぶはっと吹き出した。
「ハッキリ言うねその子は!あはは!」
神にまで笑われるなんて。恥ずかしくなったアリシアは、タオルで赤くなった顔を隠した。
「しかしなるほど。それで戻ってきたんだね」
精霊神の声に優しさを感じて、再びタオルを下げて目を向ける。精霊神は穏やかで慈悲深さを感じさせる目でアリシアを見ていた。その瞳は全てを許すと語っているように感じ、アリシアは大きな安心感を得た。実際に精霊神は真心で伝えれば、その慈悲をもって接してくれる相手だ。
この気持ちを言うのは、とても気が重かったのだ。しかし精霊神の瞳を見ていたら口を開くことが出来た。
「・・・私も、ハルシュタイン将軍の事を好きだと、その時に自覚しました。でも応えられるわけがなくて・・・。諜報員だと突き付けられましたが、それも黙っているからいなくなるなと言われて。余計に・・・あの国にいられなくて・・・」
小康状態になっていた涙は、話すうちに再びボロボロと勢いよく溢れてくる。彼を思い出して胸が痛い。アリシアはタオルを目に当て直した。
「うん。そうだね・・・それはとてもつらかったね」
優しい声音でアリシアを肯定しながら、精霊神は緑茶を湯呑に注いでいく。
「敵国の将軍を好きになるなんて・・・申し訳ありません」
「アリシア」
アリシアの言葉を遮るように、やや強い声音で名前を呼ばれる。続けてコトと音がした。タオルから目を出すと、精霊神が湯呑をアリシアの前に置いていた。
「何故、謝るんだい?人を愛する気持ちは何ものにも変え難い。我々神は人々に愛を知ってほしいと願っているんだ。君は可能な限り仕事を全うした。そしてこんなに涙が溢れるほど、深く人を愛した。一体それの何が悪いんだ?」
「・・・・・・」
優しい声音で言われ、アリシアは言葉を失う。
「俺はね。こういう事も起こり得ると思っていた。もし諜報を放棄して魔国に残る事を選択しても、全然構わなかったんだよ」
「・・・!」
驚いてアリシアは息を呑んだ。確かにアリシアもそれは考えた。しかしそれはアリシア一人に限ったことではない。そういう選択をする諜報員が他に出てきてもおかしくないのだ。
「でも君は戻ってきた。辛い思いをすると分かっていても、君は人類連合を選択した。そんな君を誰が責めるんだ?」
「精霊神様・・・」
今度は違う涙が溢れる。
これは今朝アリシアが気付いたことの一つでもあった。何故この気持ちを諦めなければいけないと思い込んでいたのか。それは人類連合を始めとした、家族や友達、国、そして何より精霊神への裏切りだと思っていたからだ。その枷が完全に外れ、アリシアは涙が止まらなかった。
「ありがとうございます・・・」
「うん。ほら、折角お茶も淹れたし、そんなに泣いたら干からびちゃうよ。水分補給もしないと」
「はい」
アリシアは精霊神の言葉に小さく笑い、一旦タオルを外してお茶を頂く。その間も涙は零れるが、精霊神の言う通り、折角美味しいお茶があるのだ。それに随分気持ちも軽くなった。
「美味しいです」
「そう?良かった。・・・・・・ああ、もしアリシアを責める奴がいたら、ちゃんと言うんだよ。ボッコボコにしてやるから」
「・・・・・・・・・」
爽やかに軽い口調で恐ろしい事を言った精霊神に、アリシアは固まる。
(神の言う『ボッコボコ』って・・・生きていられるのかな)
実際に誰かから責められても、本当に言っていいものなのか。これはちゃんと事前に考えておかないと危険な気がする。イツキとミヤビにも相談した方が良いかもしれない。
「しかしまだルアンキリには帰らない方がいいだろう。今帰ったらルアンキリ王家からの呼び出しがあるかもしれない。しばらく里にいるといい。黒須の二人も喜ぶだろうしね。あ、このまま一生居てもいいんだよ?」
王家の呼び出しとは一体何事だろうか。俄かに緊張したが、精霊神の最後の言葉にアリシアは笑ってしまった。
辺りは日が沈んで既に真っ暗だ。赤道を跨いで移動したので、こちらはこれから夏に向う。初夏に向け鬱蒼と茂る森の中の小道では、足元もよく見えない。アリシアは精霊術で火の精霊に呼びかけ、小さい火の玉を作る。途端、辺りが照らされて見えるようになった。
「帰ってきた・・・」
しっとりとした空気に森の香り。高山のため少し肌寒い。自然豊かであるため、あちこちに精霊を感じる。本当に帰ってきたのだと、実感と共にまた涙が溢れてきた。
帰ってきてしまった。引き止められたが、何も言わずに去ってきた。もう二度と彼と会うことは無い。
(・・・里に行かなきゃ)
重たい足を動かし、里の入口へと進む。ポタポタと落ちていく涙はそのままに、しばらく歩くと人影が見えてきた。
「おかえり。辛い想いをしたようだね」
「精霊神様・・・」
帰還の術を感知したのだろう。里の入口で精霊神ハヤトが待っていてくれた。優しい声でアリシアを労うように声をかけられる。
里には灯りがあちこちにあり、明るく保たれている。アリシアは火の玉を消すと頭を下げた。
「お久しぶりです。ただいま帰還しました。こんなに早く戻ることになり、大変申し訳ありません。クラウス=ハルシュタインに諜報員だと知られました。ですが、私の身元が知られた訳ではなく、必ずしも帰ってくる必要もなく・・・ただ、私があの場に居ることが」
急ぎ状況を報告しようと、涙を手で拭いながら、時々涙声になりつつも説明する。精霊神はそんなアリシアに近寄ると、頭を撫でた。その優しい感触に、つい言葉が止まる。
「今はそんな事を気にしなくて良い。随分と精神が疲弊している。先に休んだ方が良いね。詳しくは明日以降でも構わないよ」
「・・・ありがとうございます」
「さ、行こう。アリシアに会ったら、あの二人も喜ぶ」
そう言いながら、そっとアリシアの背中に手を添え、歩くように勧める。
「はい。皆さん変わりなくお元気でしたか?精霊神様も」
アリシアは頷くと、里の中へと足を勧める。変らない里の風景を見て、エルフ達の顔が頭に浮かんだ。
「私は相変わらずだね。エルフも1年でどうこうなるほどヤワじゃないのは、アリシアだって分かってるでしょ?」
ふふっと笑う精霊神に、アリシアも微笑む。
涙が止まり、ようやく笑みを見せたアリシアに、精霊神は言葉を続ける。
「長家族も相変わらずでね。この前コウキが・・・」
エルフの長コウキの名前を出し、アリシアが魔国ティナドランに潜入していた間の話を教えてくれる。アリシアも小さく笑いながら、「長も相変わらずですね」と相づちを打った。
馴染みある家の前に辿り着くと、精霊神はチャイムを鳴らす。すぐに「はーい」と声が聞こえて、懐かしい顔が現れた。エルフらしい金髪碧眼に白い肌。耳は長く容姿端麗。見た目は若々しい20代の女性だ。
「あら、ハヤト様・・・えっ!?アリシアじゃない!帰ってきたの!?」
「詳しい話は明日以降聞くことにしてる。随分と疲れているから、今は何も聞かず、ゆっくりと休ませてあげて」
「あらあらあら!それはもちろん!」
声を上げてアリシアに近付くと、そっと抱きしめた。
「アリシア、おかえりなさい。無事で本当に良かったわ」
「ミヤちゃん・・・ただいま」
久々な祖母ミヤビ=クロスの抱擁に、アリシアもホッとする。それをにこやかに精霊神が眺めている。
「アリシアが帰ってきたって!?」
ドタバタと慌てた音を立てて、もう一人顔を出した。そちらも典型的なエルフの容姿をもつ男性。やはり20代に見える。
「アリシア!無事だったか!」
「イッキ君・・・ただいま。久しぶり」
「おうおう!おかえり!うん。変わりないな」
祖父イツキ=クロスが出てきたことで、ミヤビが体を離す。アリシアがイツキに顔を向けると、イツキはアリシアの頭をワシワシと撫でた。
「ちょっと!アリシアは女の子なんだから、そんなに強く撫でちゃだめよ!」
「あ。スマン。嬉しくてつい」
ミヤビに怒られ、イツキは気恥ずかしそうに自分の頭に手をやる。すぐにボサボサになったアリシアの髪を直しながら、イツキは精霊神に顔を向けた。
「ハヤト様。アリシアはうちでいいのかい?」
「うん。しばらくイツキの家で。アリシアが落ち着いてから話を聞きたいから、それまでゆっくり休ませてあげて欲しい」
「そりゃもちろん」
頷くイツキを微笑ましく見た後、精霊神はアリシアに近寄って手を横へ振った。
「さ、色素変化を解いたよ。アリシア、よく頑張ってきたね。後のことは気にしなくて良い。まずはゆっくり休む事が、今のアリシアの仕事だよ」
「はい」
優しい言葉に、また涙が零れる。その様子を精霊神は笑顔で見ると、「じゃあね。おやすみなさい」といって手を上げながら去っていった。
「私達も入りましょ。アリシア、夕飯はどうする?」
「・・・今は食欲ないからいいかな。明日の朝はちゃんと食べるから」
「腹空いたら遠慮すんなよ?」
「うん。ありがとうイッキ君」
「いやーその『イッキ君』って聞くと、本当にアリシアが帰ってきたって実感するな!」
「私もよ。アリシアから『ミヤちゃん』って呼ばれるの好きだもの」
ふふっと笑いながら、涙を拭うアリシアと共に家へと入った。
* * *
「うーん・・・ちょっと腫れたかな」
翌朝、アリシアは部屋の姿見を見つめてため息をついた。あんなに泣いたのは初めてかもしれない。昨晩もベッドに入ると、色々と思い出して泣いてしまった。目元は腫れにくい体質だが、さすがに泣きすぎた。まぶたが腫れぼったい。
金髪が視界に入り、ふと思い立って姿見の前で自分の姿を眺める。赤みがかったストレートな金髪にコバルトブルーの瞳、肌は透き通るほどに白い。アリシア本来の色素だ。
(この姿も久々ね)
魔人カラーを1年続けていたのだ。本来の姿に戻ってホッとする。
昨日のうちに荷ほどきはしておいたので、クローゼットから服を取り出して着替える。1階に降りようとして、ふと動きを止めた。書き物机の上に置いていた、グリーンガーネットのネックレスへ目を向ける。
アリシアはネックレスを手に取ると、金具を外して胸元に当てる。
(偶然なんだろうけど・・・私に合う色)
クラウスがアリシアの元の姿を知っているとは思わない。しかし姿見で自分の姿を眺めていると、何故かとてもしっくりくる。
(防御術がかけてあるって言ってたし、着けとこうかな)
エルフの里の中で危険な目に会うことはないが、折角だ。留め具を留めて、そのまま首にかけた。
アリシアは胸元のグリーンガーネットに指先で触れる。間近で告白してきたクラウスの真剣な顔が思い浮かぶ。
(やっぱり、好き)
思い出しただけで、胸がギュッと締め付けられる。
(こんなに好きだったんだ)
グリーンガーネットから手を離して、鏡の中の自分と目を合わせる。
どうしてこんなに苦しいのかと、昨晩ベッドに入って考えた。そして朝起きた時に気付いたのだ。諦めなければいけないと思い込んでいたから、あんなに苦しかったのだと。
(自然と忘れられるまで、好きでいても・・・いいよね)
今後一切、彼の姿を見ることも、会う事もない。それなら、いつかきっと忘れられる。クラウスも同じだ。きっといつか忘れてくれる。だからやはり、自分は帰ってきて良かったのだ。
胸はやっぱり痛い。でも、これで良かったのだと自分に言い聞かせた。
「ハルシュタイン将軍」
言い慣れた名前を小さく口にする。それだけで彼の顔を思い出し、胸が暖かくなると同時に、切なさも感じる。
「クラウス、あなたが好きでした」
本人には言えなかった言葉を、小さく、囁やくように音にした。
* * *
「あれ?アリシアじゃない!戻ってきたの!?」
「本当だ!無事で良かった!心配してたんだぞ!」
「そうよ。だって魔国の王宮でしょ?怖い思いしなかった?」
朝食を終えて外に出ると、アリシアに気付いたエルフ達が次々と声をかけてきた。
一つ一つに答えて、手を振って別れる。アリシアはこれから精霊神に報告しなければならないのだ。長話にならないうちに、そう言って断りを入れては別れて、を繰り返した。
「気が向いたらうちの息子の嫁に来てもいいんだからな」
などと軽口を叩くエルフも相変わらずだ。彼の息子はまだ5歳なのはアリシアだって知っている。適当に受け流し、変らないエルフ達に安堵しながら里の中心へと向う。そして一軒の家の前に立ち止まった。
(変わりないわね)
神が住むには随分と小さい家だ。その隣の長の家の方が大きく、たまに間違えて訪ねる客もいる。
エルフの里は大半が木造二階建て。精霊神曰く『これぞ日本家屋だね!』らしいが日本が何なのか、アリシアはよく知らない。精霊神がこの世界に来る前に居た世界の国名らしいが、詳しく聞いたことはない。人類連合をまとめる精霊神はとても忙しい。アリシア個人があまり時間を取って良いはずがない。
けれど、精霊神の言うこの日本式の生活は、アリシアも気に入っている。何より食事が美味しいのだ。今朝もミヤビの和食を堪能してきた。
アリシアは精霊神の家のチャイムを鳴らす。すると中から精霊神の応える声が聞こえた。
「もう来たの?一週間くらいゆっくりしてて良かったのに」
「早めに報告しておきたかったので・・・」
扉を開けた精霊神は、アリシアの顔を見て驚いた顔をしている。しかしアリシアもつい精霊神の頭を凝視してしまう。
「あ!ごめんね。昨晩遅くなって、さっき降りたら寝癖ついててねー」
アリシアの視線に気付いて、精霊神はあははと笑った。
この世で唯一の美しい銀髪を持つ精霊神の体。ハイエルフというエルフより高い次元の体であり、この体でないと神の魂が宿れないとか。ハイエルフの体は精霊神が現世に降りるためのもので、しょっちゅう神界と行き来している。
そんな精霊神の銀髪は全体がショートカットだが、真後ろだけロングのストレートだ。本当は短髪にしたいが、それだと威厳がなくなると長コウキに言われ、折衷案としてそんな髪型にしているらしい。精霊神は『これはこれでオシャンティだね!』と気に入っているようだ。
そんなご自慢の銀髪の左側、横の短い辺りが重力に逆らっている。
「獣人の耳に見えますね」
「そうなんだよ。だから直すか迷っててね。いっそ両方立たせるかって考えてたら、アリシアが来たんだ」
精霊神はそう言って笑うと、術で髪を直した。
「ま、それはまた今度の機会にするよ。このままじゃアリシアも気になるだろうから」
その言葉にアリシアも笑う。確かにそのままでは気になって話に集中出来ない。
「相変わらずお忙しそうですね。これからお時間大丈夫でしょうか?」
「やるべき事は昨晩のうちに片付いたから大丈夫だよ。さ、入って入って」
精霊神はアリシアを家に上げると、応接室にしている部屋へ通した。
「いつもの椅子に座ってて。お茶淹れるから」
「精霊神様。お茶なら私が淹れます」
一応パーラーとして半年近く働いて来たのだ。神にお茶を淹れさせるなんて・・・と思って申し入れたが、精霊神は手をヒラヒラと振った。
「いいのいいの。俺がやりたいだけだから。いやぁ、緑茶って奥深いんだよ。入れる温度で味が変わるけど、どの味もそれぞれいい。今日は低温でいれるかな」
精霊神なら術を使えばあっという間に準備出来るはずなのに、あえて道具を使ってお湯を沸かしている。昔何故かと聞いたら、『こういう行程も楽しいものなんだよ』と言っていた。アリシアには正直今でもよく分からない。
「こっちは勝手にお茶淹れてるから、アリシアから何か話したいことあったらいつでもどうぞ」
「あ、はい。・・・では、最終日の話を」
精霊神のお言葉に甘えて、アリシアは椅子に腰かけ、前置きしてアリシアは語った。
前日にクラウスから手紙で翌日に会いたいと伝えられた事。翌朝に王宮からクラウスと共に馬車に乗ったこと。途中で大型書店に寄って、欲しかった『魔獣育成学』という本を買った事。その本にはブリフィタやシュヴィート等の魔獣の育て方や使役の仕方が書かれていて、とても興味深かった事。他にも魔国ならではの本があり、クラウスと見て回ったこと。そしてクラウスの屋敷について、魔王からの褒章をもらった事。
「一応、精霊神様にお見せしようと持ってきました」
アリシアはバッグから黒いケースを取り出し、パカリと開けて精霊神に見えるようにテーブルに置いた。
急須にお湯を入れ、湯呑を二つ出してアリシアの対面に座った精霊神は「ほほー」と言いながらコインを眺めていた。
「プラチナだね。大きいし分厚い。確かにこれなら、一枚で神聖ルアンキリでも、王宮使用人の年収と同じくらいかな」
「・・・やっぱりこちらでもそんなに高価なものなんですね」
「記念硬貨、って扱いになるのかな。あの魔国の魔王からの褒章っていう付加価値だけで、こっちじゃそれ以上の、物凄い値段が付きそうだねー。でもこれはアリシアが魔国の平和を願って頑張った結果なんだから、大事に持っておきなよ」
「はい。そうします」
人類連合側で唯一の魔王のコイン。その事実を言われ、なんだかアリシアはおかしくなった。ふふっと笑いながら、ケースを再びバッグへとしまう。
「それから・・・」
アリシアは視線を下げて、テーブルを眺める。ここからどう説明すればいいのか分からず、言葉を詰まらせた。つい胸元にあるグリーンガーネットを触る。
「・・・それはまた、凄いものを持っているね。グリーンガーネットか」
「これは・・・ハルシュタイン将軍から頂きました」
「術がかかってる。防御と・・・位置特定か」
ジッとグリーンガーネットを見つめて、精霊神が言い当てる。アリシアは「えっ」と声を上げた。
「防御術は聞いてましたが・・・位置特定ですか?」
「うん。ものすごーく微弱だから、魔人でも気付かないだろうね。そのグリーンガーネットから魔力が発信されるんじゃなくて、術を放ったら反応するようになってる。エルフの里までは届かないから安心して。・・・ハルシュタイン将軍はアリシアを守りつつ、手放したくなかったんだね」
精霊神の言葉に、アリシアの目にあっという間に涙が溜まり、零れ落ちて行った。
「あっ・・・」
(精霊神様の前で・・・!)
慌てて涙を手で拭っていると、精霊神は立ち上がり、別の部屋へ行ってしまった。
(早く泣き止まないと)
しかし精霊神の言葉がアリシアの脳内を木霊し、その度に胸が痛む。涙が次々と落ちていき、指で拭いきれなくなってきた。
「ほら、これを使って。手でこすったらだめだよ。折角の可愛い顔が腫れてしまう」
アリシアが顔を上げると、精霊神が小さいタオルを差し出していた。タオルを取りに行っていたのかと、アリシアは申し訳ない気持ちになる。しかし涙は止まらない。アリシアはタオルを受け取った。
「すみません。お借りします」
「うん。遠慮せずちゃんと使って」
「はい」
顔を下に向けて、タオルを目に当てると、熱い涙が目から出ていく感覚が増した。
待っていても涙は止まらなさそうだ。アリシアは精霊神に続きを話そうと、涙に構わず口を開いた。
「その・・・このネックレスを贈られて、ハルシュタイン将軍から告白されました」
「うん。そうだろうね」
(『そうだろうね』・・・?)
どういう意味かと、アリシアはタオルを下にずらして精霊神へ目を向ける。精霊神はそんなアリシアを見て苦笑していた。
「アリシアからの報告を読んでたら分かるよ。ハルシュタイン将軍はアリシアを好きだって言動をしてたし。周りも気付いてたんじゃない?アリシアは気付かなかった?」
「・・・・・・」
うっと言葉に詰まる。どう答えようかと逡巡した後、ふとリーゼが浮かんだ。
「その・・・同僚のパーラーからは『おニブさん』って言われました・・・」
アリシアのその言葉に、精霊神はぶはっと吹き出した。
「ハッキリ言うねその子は!あはは!」
神にまで笑われるなんて。恥ずかしくなったアリシアは、タオルで赤くなった顔を隠した。
「しかしなるほど。それで戻ってきたんだね」
精霊神の声に優しさを感じて、再びタオルを下げて目を向ける。精霊神は穏やかで慈悲深さを感じさせる目でアリシアを見ていた。その瞳は全てを許すと語っているように感じ、アリシアは大きな安心感を得た。実際に精霊神は真心で伝えれば、その慈悲をもって接してくれる相手だ。
この気持ちを言うのは、とても気が重かったのだ。しかし精霊神の瞳を見ていたら口を開くことが出来た。
「・・・私も、ハルシュタイン将軍の事を好きだと、その時に自覚しました。でも応えられるわけがなくて・・・。諜報員だと突き付けられましたが、それも黙っているからいなくなるなと言われて。余計に・・・あの国にいられなくて・・・」
小康状態になっていた涙は、話すうちに再びボロボロと勢いよく溢れてくる。彼を思い出して胸が痛い。アリシアはタオルを目に当て直した。
「うん。そうだね・・・それはとてもつらかったね」
優しい声音でアリシアを肯定しながら、精霊神は緑茶を湯呑に注いでいく。
「敵国の将軍を好きになるなんて・・・申し訳ありません」
「アリシア」
アリシアの言葉を遮るように、やや強い声音で名前を呼ばれる。続けてコトと音がした。タオルから目を出すと、精霊神が湯呑をアリシアの前に置いていた。
「何故、謝るんだい?人を愛する気持ちは何ものにも変え難い。我々神は人々に愛を知ってほしいと願っているんだ。君は可能な限り仕事を全うした。そしてこんなに涙が溢れるほど、深く人を愛した。一体それの何が悪いんだ?」
「・・・・・・」
優しい声音で言われ、アリシアは言葉を失う。
「俺はね。こういう事も起こり得ると思っていた。もし諜報を放棄して魔国に残る事を選択しても、全然構わなかったんだよ」
「・・・!」
驚いてアリシアは息を呑んだ。確かにアリシアもそれは考えた。しかしそれはアリシア一人に限ったことではない。そういう選択をする諜報員が他に出てきてもおかしくないのだ。
「でも君は戻ってきた。辛い思いをすると分かっていても、君は人類連合を選択した。そんな君を誰が責めるんだ?」
「精霊神様・・・」
今度は違う涙が溢れる。
これは今朝アリシアが気付いたことの一つでもあった。何故この気持ちを諦めなければいけないと思い込んでいたのか。それは人類連合を始めとした、家族や友達、国、そして何より精霊神への裏切りだと思っていたからだ。その枷が完全に外れ、アリシアは涙が止まらなかった。
「ありがとうございます・・・」
「うん。ほら、折角お茶も淹れたし、そんなに泣いたら干からびちゃうよ。水分補給もしないと」
「はい」
アリシアは精霊神の言葉に小さく笑い、一旦タオルを外してお茶を頂く。その間も涙は零れるが、精霊神の言う通り、折角美味しいお茶があるのだ。それに随分気持ちも軽くなった。
「美味しいです」
「そう?良かった。・・・・・・ああ、もしアリシアを責める奴がいたら、ちゃんと言うんだよ。ボッコボコにしてやるから」
「・・・・・・・・・」
爽やかに軽い口調で恐ろしい事を言った精霊神に、アリシアは固まる。
(神の言う『ボッコボコ』って・・・生きていられるのかな)
実際に誰かから責められても、本当に言っていいものなのか。これはちゃんと事前に考えておかないと危険な気がする。イツキとミヤビにも相談した方が良いかもしれない。
「しかしまだルアンキリには帰らない方がいいだろう。今帰ったらルアンキリ王家からの呼び出しがあるかもしれない。しばらく里にいるといい。黒須の二人も喜ぶだろうしね。あ、このまま一生居てもいいんだよ?」
王家の呼び出しとは一体何事だろうか。俄かに緊張したが、精霊神の最後の言葉にアリシアは笑ってしまった。
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