ハーフエルフと魔国動乱~敵国で諜報活動してたら、敵国将軍に気に入られてしまいました~

木々野コトネ

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第1章 アリシアの諜報活動

33 心の真実

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 ――君は誰の諜報員だ。

 アリシアの頭の中で、ハルシュタイン将軍の言葉が繰り返される。

「少なくともヴュンシュマンじゃない。君は魔王暗殺計画の阻止に協力してくれた。ギルベルトと王宮、俺に対しても害意は全くないだろう。君の身元保証人は第3軍の兵士だった。だがアレクシスが王宮に諜報を放つ意味もない。今戦線にいる将軍も、諜報を放つようなタイプではない。あのジジィ共は脳筋だからな。第5軍の副将も違う。彼はヴュンシュマンを抑えて第5軍の取りまとめでこれまで手一杯だった。つまり、軍部じゃない」

 ハルシュタイン将軍はアリシアの様子を伺いながら続ける。

「君の身元保証人は昨年の戦線引き上げの前に行方不明になっている。そのせいで、いくら調べても、君がどこから来たのか全く掴めない。君の本当の名前も」

 アリシアの身元保証人は、ハルシュタイン将軍が言った通りだ。昨年捕虜になった兵士のうち、条件に合う家族か親戚がいる魔人に、身元保証書を作らせた。
 アリシアが魔国ティナドラン国内に入国した方法も、精霊神の術により、エルフの里から転移で移動した。この国にとって、まさにアリシアは降って湧いて現れた。いくら探っても、アリシアの本当の情報は何一つ出てこない。

 しかしアリシアの頭の中は、そんな事を考えられないほど、真っ白になっていた。

(知られた・・・)

 あれ程注意しなければと言動に気を使っていたのに。最も警戒すべき、本職である諜報員としての能力を隠さなければならなかったのに、不穏な計画の行く末を心配しすぎてすっかり失念していた。つい、『データベース』に報告するついでに、あまりにも詳細に情報を伝えてしまった。

 ハルシュタイン将軍は確信を持って、アリシアに話している。先程からアリシアの逃げ道を塞いで、誤魔化せないようにしているのがその証拠だ。

 王宮に諜報員が紛れていた。それが発覚した場合、捕縛後に尋問を受けるだろう。アリシアも例外ではない。

「私を、拘束しますか・・・?」

 ハルシュタイン将軍がすぐにでもアリシアを拘束するなら、アリシアには抵抗できない。彼に護身術で適うわけがない。しかしアリシアが人類連合側だと知られるわけにもいかない。先に潜入している先輩達が危険に晒される。

(拘束されてから、隙を見て帰還の術を使うか、精霊神様から授かった術を使うか・・・ああ、アレは使ったらすぐに気付かれるわ)

 とにかく、隙を探すしかない。そう覚悟を決めて、アリシアはハルシュタイン将軍の答えを待つ。彼は変わらずアリシアを見つめ続けている。

「・・・そんな事はしない」
「・・・・・・・・・え?」

 聞き間違えだろうか。信じられずにアリシアは聞き返す。ハルシュタイン将軍はアリシアからようやく視線を外し、横を向いてため息をついた。

「・・・俺もヴュンシュマンの事をとやかく言えないな。君を拘束するつもりはない。拘束してしまえば、君とはもう会えなくなる」
「・・・・・・」

 切なそうに言うハルシュタイン将軍に、アリシアは再び顔が熱くなった。何も言えずに、ただハルシュタイン将軍を眺める。

「諜報員は気付かれたら身を隠すのが鉄則だ。君が居なくなるくらいなら、俺の心の中だけに留めておく。諜報員としての君の目的は、誰かを貶めたり、破滅させたりするものではないだろう?」
「それは・・・その通りですが・・・」

 将軍あるまじき発言に、アリシアは困惑する。覚悟を決めたのに、暴いてきた当の本人が覆してきたのだ。しかも理由が、アリシアと会えなくなるから、だ。

 ハルシュタイン将軍はアリシアへ視線を戻す。

「俺は君の事が知りたい。本心を言えば、君がどこの誰なのか、どういう目的で諜報をしているのか、全て知りたい。だが全て暴けば、君は居なくなる。だから・・・」

 ハルシュタイン将軍はアリシアを見つめる目に熱を込める。

「君の、本当の名前が知りたい。アメリア=レッツェルは偽名だろ?本当の名前を、呼ばせて欲しい」
「・・・・・・」

 アリシアの心は揺れた。しかしハルシュタイン将軍の求めるままに、『アリシア=クロス=サリヴァン』とフルネームを口にしては、アリシアがあのサリヴァン将軍の家族だと知られる。ミドルネームもエルフである母の姓だ。魔国ティナドランに捕まっている捕虜から、母について聞き出しているかもしれない。更には兄エンジュ、アリシア、弟ダーマットの事も。それ程までに、この国にとって『サリヴァン将軍』は脅威であり、その分情報も欲している。

 言えない、とアリシアは思う。そう思うのに、ハルシュタイン将軍の熱の籠もった目を見ていたら「アリシア」と口に出していた。

「アリシアか。なるほど。似た名前にしていたんだな」

 嬉しそうに微笑むハルシュタイン将軍に、アリシアは混乱した。何故言ってしまったのか。

「アリシア。俺の気持ちに今すぐに応えて欲しい訳じゃない。ただ、俺の前からいなくならないで欲しい」

 ハルシュタイン将軍に『アリシア』と呼ばれる度に、心の中に熱が生まれる。いなくなるなと引き止められて、喜ぶ自分に気付いた。
 そしてアリシアはそうか、と腑に落ちた。

(私も、ハルシュタイン将軍を好きなんだ・・・)

 彼に本名で呼んで欲しかった。『アリシア』と呼ぶその声を聞いてみたかったのだと、心の奥にある願望に気付いた。

 途端、アリシアの視界がぼやける。止めることも出来ず、ポロポロと雫となって溢れていった。
 ハルシュタイン将軍の目が見開かれるのを、ぼやけた視界越しに見る。どうにか平静を装いたいのに、アリシアにもどうしても止められなかった。

「どうした?なんで泣くんだ」
「・・・すみません」

 何故泣いているのか。感情が入り混じり、アリシア自身にもよく分からない。この胸を引き裂く痛みは何故なのか。

「・・・そんなに泣くな」

 優しい声音で囁くように言われ、余計に涙が溢れる。見かねたハルシュタイン将軍は、「少し触れるぞ」と断りを入れてから、ハンカチを取り出してアリシアの頬に当てる。

(ああ、そうか。そうね・・・)

 アリシアは目を伏せる。

 これは、互いの想いが通じたとしても、絶対に叶うことのない恋。ハルシュタイン将軍は敵国である魔国ティナドランの名だたる将軍。そしてアリシアは人類連合の希望と言われたサリヴァン将軍の娘であり、今は人類連合の諜報員。
 今アリシアの涙を拭っているハルシュタイン将軍との物理的な距離は近い。きっと気持ちも近いのだろう。しかし、互いの立場だけがとてつもなく遠い。そしてその距離が縮まることはない。

 その現実が辛くて胸が痛い。悲しくて涙が止まらないのだ。

 しかし一旦気持ちを自覚したからか、感情が止めどなく溢れてくる。ハルシュタイン将軍が好きだと。心配そうに覗き込んでいる彼が愛おしいと。

(後先考えないで、感情の赴くままに伝えられたら・・・ううん、それは出来ない)

 アリシアは祖国を捨て、家族を忘れて、精霊神を裏切ることなど出来ない。

(でももし、もしもそれが出来たら・・・幸せだろうか)

 初めて人を好きになった。自覚したばかりの今は特に、相手を想う感情をコントロールできない。全てを忘れてハルシュタイン将軍が差し出す手を取ってしまいたい。

 アリシアは想像する。諜報員を辞めて、このまま魔人として生きていく。ハルシュタイン将軍に気持ちを伝えて、王宮使用人を本職にして。
 精霊神はとても優しい。もしそんなアリシアに気付いたとしても、体の色素変化の術を解いたり、連れ戻したりはしないだろう。

(でももし、兄さんが戦場で討たれたなんて聞いたら・・・?)

 もし魔国ティナドランが優勢になり、神聖ルアンキリにまで到達したと聞いたら、アリシアは冷静でいられるだろうか。

(多分・・・・・・私には出来ない)

 もし兄エンジュを討ったのがハルシュタイン将軍だったとしたら。侵攻の結果、母カエデも弟ダーマットも亡くなったら。頭では理解していても、ハルシュタイン将軍を許せない気持ちが出てくるかもしれない。好きな相手を恨む。そんな状況に、正気でいられる自信などない。

 それにハルシュタイン将軍はどうだろうか。
 彼はアリシアを魔人だと思っている。国内の誰かが放った諜報員だと思っているから、見逃しても問題ないと判断したのだろう。
 しかし長く共に居れば、アリシアに違和感を抱くかもしれない。もしそこからアリシアが人類連合のハーフエルフだと知ったら。あのサリヴァン将軍の娘だと知られたら。
 ハルシュタイン将軍はそれでも良いと言うかもしれない。しかしハルシュタイン将軍は父オーウィンと何度も対峙してきた。彼の年齢を考えれば、軍に入ったばかりの頃に父オーウィンが率いる軍と衝突したはずだ。父オーウィンは強かった。きっと辛酸を嘗めてきた事だろう。表面上は良しとしても、心の奥底に恨む気持ちが全く無い訳がない。

 そして万が一魔国ティナドランにアリシアの正体を知られたら、決してハルシュタイン将軍とアリシアの関係を認める事はないだろう。それどころかハルシュタイン将軍に対して、敵国と通じていると疑いの目を向けるかもしれない。彼は将軍を降ろされ、尋問される。もちろんアリシアも捕まるだろう。
 アリシアはそんな未来、耐える事なんて出来ない。好きな人の破滅なんて望んでいない。

 やはり戦争が続く限り、結ばれることはあり得ないのだ。そしてアリシアは戦争を止める情報を持ち合わせていない。

 今一度、アリシアはハルシュタイン将軍を見る。今はアリシアの様子をじっと見つめる彼と目が合う。

(・・・やっぱり好き)

 でも結ばれる事は決してない。

 アリシアの瞳から大きな雫が落ちる。それをハルシュタイン将軍は何も言わず、ただ拭う。

 今日大型書店で一緒に本を眺めて話したのはとても楽しかった。森林公園に行ったのも。王宮で彼に給仕している時も。面倒だと思いながらも、手紙のやり取りだって心の底では楽しかったのだ。彼といる時に感じていた楽しさは全て、彼への好意から生まれていたのだろう。

 アリシアは目を閉じる。

 この幸せな思い出だけがあれば良い。きっと、時が経てば忘れられる。自分には帰るべき家がある。家族も待っている。精霊神もエルフの里の皆も、アリシアが諜報員になる事をとても心配してくれた。諜報員で唯一の女性だからと、精霊神は特別に身を守る術まで授けてくれた。彼らの所に帰るだけだ。この気持ちを諦めて。

(出来る。きっと出来る。忘れられる)

 心が鎮まると、涙も止まった。
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