ハーフエルフと魔国動乱~敵国で諜報活動してたら、敵国将軍に気に入られてしまいました~

木々野コトネ

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第1章 アリシアの諜報活動

32 真相

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32話は話の流れ上途中で分けられなかったので、2話分のボリュームがあります。というわけで今日は1話だけアップです。
============================

 本屋で欲しい本を購入し、そのついでに珍しい本を眺め、再び馬車に乗ってハルシュタイン将軍の屋敷に辿り着いた。
 ハルシュタイン邸に着くと、玄関で執事と従者が出迎えてくれた。

 ちなみにこの国では軍人などのお屋敷で雇われる男性使用人は、執事、従者、従僕、厩番、シェフ、といった所だろうか。

「少し散らかってるが・・・そこに腰かけてくれ」

 ハルシュタイン将軍の執務室に通され、ソファを勧められる。アリシアは「失礼します」と勧められたソファの真ん中に腰かけた。
 失礼にならない程度に室内を見渡すと、片側の壁には本棚が設えてあり、ギッシリと本が詰まっている。部屋の中央には執務机がある。本が何冊か積み重ねてあり、書類も何枚か卓上に見える。散らかっているというのは、あの辺りの事だろうか。
 その執務机の前に、広いローテーブルを挟んで二人掛けのソファが一対置いてある。その片方のソファにアリシアが座っていた。

「この部屋は盗聴透視を弾く結界を張っている。軍の陣営にある執務室と同程度の強力なやつだから、何を話しても漏れることはない」

 ハルシュタイン将軍はそう言いながら、執務机の引き出しから何かを取り出すと、アリシアの向かいのソファに座った。

「君に暗殺計画阻止の協力をしてもらえて助かった。王宮内部の情報があの精度で得られたのは大きい。ヴュンシュマンの護衛が居なくなったと手紙が届いたのも、後手に回らずに済んだ」

 アリシアは話を聞きながら納得する。話したい事とは、暗殺計画阻止の話だったのだ。確かにおいそれとその辺では話せない。

「この前の公示は表向きの概要だけだ。もし知りたいことがあるなら話そう。機密に触れない範囲なら、ギルベルトからは許可をもらっている」
「知りたいこと・・・」

 うーん、と視線を上に向けて、何か聞きたいことが無かったか考える。

 グルオル地方の洪水はアリシアが想像していた通りだった。公示の後、各新聞社が詳細を知らせてくれた。それによって、既にアリシアの疑問は解消されている。
 
 グルオル地方の洪水についての疑問。それは『災害を起こす場所として、何故ロイデ村が選ばれたのか』であった。新聞には『あの辺りで唯一人間が住む農村だったから』と書かれていた。
 魔国ティナドランはかつてアリオカル大陸に存在していた人間、獣人の国を侵略し、次々に飲み込んでいった。しかしその一方、平和を望む穏やかな一般人には危害を加えず、そのままその土地に住むことを許していた。ロイデ村もその一つで、代々農業を営み、農産物を魔人達にも売って生計を立てていた。その為魔人との軋轢もなく、むしろ良好な関係を築いていたのだ。
 しかし今も戦争が続く中、魔人の中には人間と獣人へ嫌悪を持つ者もいる。ヴュンシュマン元将軍もその一人だった。そして同じ嫌悪を抱いていた第5軍の兵士に、川の堤防の細工をさせたのだった。
 その兵士も今は捕まっている。取り調べでは、『イタズラする程度の気持ちだった』『人間なら死んでも構わないと思った』『むしろ人間は死ぬべき』『粛清であって、自分は何も悪くない』と供述していて、大して反省していないという。結果、悪質と見做され厳刑に処されるだろう、と新聞に書かれていた。

 アリシアは思い浮かんだ新聞記事を頭の隅へ押しやり、その次に起こった事を思い出す。グルオル地方の洪水の後、アードラー元文官長が登城して・・・と思い出している中で、一つ浮かんだ。

「ヴュンシュマン元将軍がエレオノーラ様に結婚を迫っていましたよね。魔王様の暗殺を考えていたのに、何故妹のエレオノーラ様に結婚を?」

 この件はエレオノーラのイメージダウンを引き起こさないためにと、王宮使用人に口外禁止令が出された。エレオノーラは被害者なので、ヴュンシュマン元将軍への嫌悪感が増えるだけなのでは、と思ったが、何かにつけて難癖をつけてくる輩がいるので、混乱を引き起こさないように、との事だった。その為アリシアは詳しく知らないのだ。

「ああ、そういえば口外禁止令が出たんだったな」

 ふむ、とハルシュタイン将軍が腕を組むと、執務室のドアがノックされた。
 盗聴防止結界がある為、ハルシュタイン将軍は伝達魔術を使い「入れ」と伝えた。

「失礼致します」

 おや、とアリシアは思った。てっきりお茶の用意でメイドが来たのだと思ったのだが、聞こえてきた声は男性だったのだ。

 ドアが開いて入ってきたのは従僕。しかし手にはティーカップ2つと焼き菓子を載せたトレーを持っていた。

 魔国ティナドランでは、お茶の用意はメイドの仕事のはずだ。アリシアはマジマジと従僕を眺めていたが、向かいのハルシュタイン将軍がジト目で見ていることに気付いた。

「なんでしょうか・・・?」

 目が合ってもジト目をやめないハルシュタイン将軍に、アリシアは戸惑いながら問いかけた。

「・・・君はこういう見た目の男が好きなのか?」
「・・・は?」

 想像もしていなかった斜め上な話に、アリシアからは呆れた声が出た。同時に、紅茶をローテーブルに並べていた従僕がガチャッと音をたてた。

「失礼いたしました」

 彼は音をたててしまったことを謝ると、顔色悪く急いでセッティングをして執務室を出ていった。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 しばし無言が続く。ハルシュタイン将軍は相変わらずアリシアをジトっと見ている。その様子に、アリシアは小さくため息をついた。

「メイドが来たのだと思ったら従僕が紅茶を持ってきたので、珍しいと思って眺めていただけです」
「・・・」

 アリシアが説明すると、ハルシュタインは少しバツの悪い顔をした。

「そういえば普通はメイドだったな」

 そう言って少し沈黙した後、諦めたようにため息をついた。

「俺が親父からこの屋敷を引き継いだ時はメイドも居たんだ。親父の時の使用人は親父の隠居先に付いていったから、新しく雇い直した。まあ、それから色々と揉めてな。面倒だから今は屋敷に女性使用人はいない」
「あ・・・なるほど」

 物凄くふんわりと言われたが、つまり女性使用人から迫られた、もしくは女性同士でハルシュタイン将軍の取り合いによる揉め事が発生したので解雇した、ということだ。そして女性は誰も残らなかった。つまり雇った女性全員が問題を起こしたのだろう。壮絶だったに違いない。

(自宅でそんな事があったんじゃ、まあ警戒もするようになるか・・・)

 アリシアは度々見てきた、ハルシュタイン将軍の女性への態度に納得した。

「怪我をして軍にいられなくなった奴も、使用人として何人か雇っている。それもあってこの家は男ばかりだな」

 アリシアは改めて向かいに座るハルシュタイン将軍をマジマジと見つめた。

(そっか・・・紅茶を持ってきた人が足を少し引きずってたのは、そういう・・・)

 言われてみれば体格も良かった。アリシアはなるほど、と頷く。

(やっぱりこの人は、とても優しいのね)

 普通はいかに将軍であろうとも、怪我による退役軍人のその後まで面倒を見る事はない。きっとハルシュタイン将軍の中で彼らが退役せざるを得なかった事に、やり切れない想いがあったのだろう。

「で、エレオノーラの件だったな」

 アリシアからの尊敬の眼差しに気付いて照れたのだろうか。居住まいを正してから先程の話題に戻した。

「ギルベルトを暗殺した後、確実に自分が魔王になるための策だったらしい」

 魔王暗殺犯特定の捜査が入る際、その妹であるエレオノーラと婚姻していれば、暫くの間は疑いの目が逸れるだろうと考えていたようだ。義理の兄を暗殺するわけがないと誤摩化している間に、誰かに罪を擦り付ける予定だった。
 魔王選定の際にも、魔神エルトナお気に入りであるエレオノーラを妻にしておけば、有利になると思い込んでいた。
 また、魔力の高いエレオノーラに子供を産ませれば、その子供か孫が自分の次の魔王に選ばれる可能性も高くなる。

「まさに自分勝手、ひたすら迷惑な話だ」
「本当に・・・。それで魔王に選ばれると考えてる時点で、計画も綻びだらけ、ですね・・・」
「ああ。アードラーもついていたのに、何故ゴーを出したのか、理解に苦しむな・・・」

 文官には向いていたが、はかりごとには向いていなかった、ということだろうか。
一番慎重に考察を重ねるべき点が杜撰だった事に呆れつつ、アリシアはもう一つ確認したいことを思い出した。

「そういえば・・・不審者が王宮に入り込んだ時、第5軍に動きは無かったんですか?」

 紅茶を飲むハルシュタイン将軍に、アリシアは尋ねる。
 あの時アリシアの想像よりも早く、ハルシュタイン将軍は登城した。しかもその時既にヴュンシュマン元将軍を捕らえていたのだ。第5軍を抑えている時間があったのだろうか、と不思議に思っていた。

「ああ、第5軍の副将が協力してくれたからな」
「副将が、ですか?」

 上の命令には絶対の軍で、将軍の次の地位にある人が背けるのだろうか。アリシアは信じられずに問い返す。

「元々第5軍の次期将軍にと考えられていた人物なんだ。ヴュンシュマンは人類連合のサリヴァン将軍を討った報奨として将軍になっただろう?五百人の指揮すら執ったことない奴が、いきなり将軍として指揮するのは到底無理だ。2年前だから君も覚えているだろうが、あの時は国全体が沸いていた。そんな国民の手前、それなりの地位に就かせないと反発が生まれる。ヴュンシュマン本人も強く望んでいたしな。・・・・・・そもそも、あいつは第5軍所属なのに、アレクシスの第3軍に潜り込んで騙し討ちしたんだ。アレクシスの面子を潰しておいて、名誉だなんだと騒ぐ性根が俺には良く分からないが」

 突然父オーウィンの話が出てきて、アリシアは言葉もなく、ああ、と思った。そういうことだったのか、と合点がいく。

 人類連合へ毎日報告する術『データベース』。何故半年以上前の情報を遡れないのか。それはアリシアに父オーウィンが討たれた際の、魔国側の情報を見せない為だった。
 魔国ティナドランからすれば、オーウィン=グレヴィ=サリヴァンは憎き敵将。討たれた2年前は、ハルシュタイン将軍が言ったように国を挙げて喜んだはずだ。精霊神はとても優しい。ショックを受けないようにと、きっとアリシアにだけ制限をかけていたのだ。

 そして父オーウィンの副官から聞いた、父を討った魔人。その全てが、ヴュンシュマン元将軍と合致している。
 ヴュンシュマン元将軍はまさに『ダークブルーの髪に耳は短かい、20代くらいの男』。外見的特徴は一致している。40歳代と聞いていたし、遠くから見ただけのアリシアには気付けなかった。
 捕虜に聞いても正体を誰も知らなかった、とも言っていたが、それも当然だ。捕虜は当時父オーウィンが対峙していたリーネルト将軍の第3軍の兵士だったはずだ。第5軍の五百人隊長ですらなかった男など知らないだろう。
 更に言えば、『将軍クラスの魔人』にも頷ける。何人も魔王を排出した家の出身なのだから、魔力は相当強いだろう。

「そんな見せかけだけの名誉将軍だったから、実質軍を動かしていたのは副将のヤンカーだ。本来軍内の人事権は将軍にあるんだが、ギルベルトの命令でな。将軍にしてやるから副将はヤンカー以外認めないと。ヤンカーは魔王暗殺計画については全く知らなかったようで、全力で協力してくれた。ヴュンシュマンを捕縛するための証拠の出所の大半は副将だ」

 ハルシュタイン将軍の話はちゃんと聞こえているし、頭に入ってきている。しかし深く考えられない。
 幸いなことに、ハルシュタイン将軍はアリシアの変化には気付いていないようだ。もしかしたら全く表に出ていないのかもしれない。しかしアリシアの内面では衝撃が走っていた。

(父さん・・・・・・)

 アリシアは泣きたい気分に陥る。どういう感情からそう思うのかも分からない。ただただ父を偲びたい。

(ああ・・・でも、ある意味父さんの敵討ちにはなったのかしら)

 正々堂々とした作戦の結果、父は討ち取られたのだと思っていた。だから相対していたリーネルト将軍には恨みも憎しみも抱いていなかった。
 しかし実際はそうではなかったのだ。であれば、一矢報いたい気持ちも心の片隅に沸いてくる。ヴュンシュマン元将軍が姑息なことをしなければ、父はまだ存命だったのかもしれないのだから。しかし『もしかしたら』を考えても仕方がない。父は既に亡くなっている。
 ただ、アリシアがハルシュタイン将軍に情報提供を行った事が、ヴュンシュマン元将軍の捕縛に多少なりとも貢献できたのなら、それは一矢報えたと言っても良いのではないだろうか。

 父の死を悲しんで平和を欲した。魔国ティナドランに潜入し、王宮で働くことになり、そして父を討ったヴュンシュマン元将軍の企みを阻止する助けになれた。その流れに運命的なものを感じる。全く持って人生とは不思議なものだ。
 父の敵討ちになった。魔国ティナドランで内乱も起きなかった。これで良かったのだ。
 そう思うと泣きたい気分と入れ違いに、心の中に暖かい気持ちが広がった。

(きっと、父さんも『良くやった』って言ってくれてる)

「そうでしたか・・・。大事になっていなくて、安心しました」

 ハルシュタイン将軍の言葉に返事をして、アリシアは穏やかに微笑んだ。

「・・・・・・」

 ハルシュタイン将軍がアリシアの微笑みを見つめている事に気付き、もしかして不自然に思われた?と内心慌てた。アリシアは感情を押し流して蓋をする。父オーウィンの事は後で時間がある時にゆっくり考えればいいのだ。

「すみません。本当に無事に終わったんだと思ったら、感慨深くなってしまって」
「・・・そうか」

 ハルシュタイン将軍はそれだけ言うと、先程従僕が置いて行ったクッキーを一つ手に取って口に入れる。続けて紅茶を飲んでから口を開いた。

「他に聞きたいことは?」
「・・・あ。そういえば手紙でも書きましたが、ヴュンシュマン元将軍が登城した際、2階の給仕準備室を覗いていた事について、何か証言していましたか?」
「ああ。そういえばそこに関しては新聞に書かれていなかったな」

 アリシアが読んだ新聞にも書かれていなかった。という事は新聞社に情報を流したのだろうか。ハルシュタイン将軍は思い出すように上を見た後、アリシアへ視線を寄こした。

「2回目の登城で、ヴュンシュマンは刺客を置いて行っただろう。あの時、刺客に強力な毒薬を持たせていた。2階の給仕準備室に入って、毒を盛っておけと言われたらしい。その確認で前もって見ていたようだ」
「ああ、なるほど・・・。パーラーが皆気持ち悪がっていたので、伝えておきます」
「そうしてやってくれ」

 『気持ち悪がっていた』でハルシュタイン将軍は小さく吹き出し、そのまま小さくフフッと笑った。その流れで思い出したのか、「ああ」と声を出した。

「ちなみにだが。刺客を命じられた兵士は魔王を暗殺するつもりは全くなく、そのまま王宮使用人に告白するつもりだったらしい。しかし緊急伝達で使用人達は部屋に閉じこもっていて、誰も見当たらない。部屋の鍵もかかっていて開かない。仕方なく確実に誰かがいるであろう1階給仕準備室に話しに行った、と証言していた」
「・・・やっぱりそうでしたか」

 あの時は人質目的かと思ったが、あの兵士は『お伝えしたい事がある』と言っていた。その後公示で兵士に害意が無かった事を知り、恐らくそういう事なのだろうと推測していた。
 公示を聞いた先輩パーラーは『怖がって損した』と話していたが、あの時はそんな事すら分からない状況だったのだ。アリシアは仕方ないと思っている。やはり情報というものはとても大事だ。

 そこまで考えて、ふとアリシアは公示内容を思い出した。

「そういえば、その刺客に命じられた方ですが、ご家族は無事だったんでしょうか?人質に取られていたと公示で言われていましたが・・・」
「ああ。家族は別の仲間に救出を依頼していて、彼が王宮に来た時には、もう保護されていた」
「無事で良かったです」

 アリシアは胸撫で下ろした。公示で『人質に取られた上での脅迫』と発表されていたので、どうなったのかと心配していたのだ。

「他は?」
「あと・・・・・・は大丈夫だと思います。新聞で色々書かれてますし」
「ギルベルトが記者に情報を流したからな。たまに着色されているものもあるが、大概正しい情報が出回ってる」

 ハルシュタイン将軍はそこまで言うと、スラックスのポケットから何かを取り出してローテーブルの上に置いた。

「これはギルベルトからだ。君の情報提供のお陰で、ギルベルトは随分助けられた。ヴュンシュマンの護衛が居なくなったと緊急で手紙をくれた事もな。王宮の入口から死角になっている場所で一人離れたようだ。もし君の連絡が無かったら、あの早いタイミングでは気付けなかった」

 アリシアは卓上に置かれた物を見る。黒のビロード生地が貼られた、高級感溢れる長方形のケースだ。
 スラックスのポケットから高級感あるケースが出てきた事にまず疑問を抱くが、今は突っ込む時ではないだろう。

「これは・・・?」

 高級感がありすぎて、アリシアは手に取れない。コワゴワとハルシュタイン将軍に聞く。
 ハルシュタイン将軍はケースを手にとって蓋を開けると、アリシアに中が見えるように置いた。

「今朝受け取ってきた、影の功労者への褒賞だ。1枚で金貨40枚相当だと言っていた」
「ええ!?40・・・!?」

 あまりの高額にアリシアは驚く。何度もケースとハルシュタイン将軍を往復で見てしまう。ケースの中には、大きい白金色のコイン2枚がフカフカそうな深紅の台座の上に載っていた。

 金貨40枚は高給取りな王宮使用人の年収と同程度だ。それが2枚。驚くなと言う方が無理だろう。

 凝視するばかりで手に取ろうとしないアリシアに、ハルシュタイン将軍はケースを閉じる。そしてそのままアリシアの方へと置いた。

「当然の報酬だ。貰っておけ」
「・・・・・・はい。では有難く頂きます」

 そう言われては受け取る他ない。「受け取れません」と突っ返しては、魔王ギルベルトの顔に泥を塗ることにもなる。

 ゴワゴワと手に取ると、絶対に無くさないようにと、バッグの底の方へ入れた。

「それから」

 ハルシュタイン将軍はソファの上に置いていた物をローテーブルの上に移動した。先程執務机から取り出してきたものだろう。
 今度は長細いケースだ。白い布地に青銀色の刺繍が施されている。再び高級感溢れるケースが出てきて、アリシアは困惑した。今度は一体なんだろう。

 黙ってケースを見つめるアリシアに、ハルシュタイン将軍は再びケースの蓋を開けた。

「これは俺から」

 ケースの中には、銀の鎖に1cm程の雫型の宝石が付いたネックレスが収まっていた。

「グリーンガーネットだ」

 アリシアは今度こそ飛び上がるほどに驚いた。

(嘘でしょ!?グリーンガーネットだなんて・・・!)

 本来ガーネットは赤や褐色の宝石だ。しかしこのアリオカル大陸の極一部の山で、エレラルド色をしたガーネットが産出される。元々希少価値の高いものだったが、アリオカル大陸を魔人が占拠したため、人類連合側への供給が止まり、今や幻の宝石と言われている。そんな幻の宝石が、今目の前に1cmもの大きさで鎮座している。その価値は金貨40枚どころではない。

「さすがにこちらは受け取れません!」

 魔国ティナドラン内でも、金貨40枚以上の価値がある代物だ。魔王ギルベルトからのコインは国庫から出されたものかもしれないが、ハルシュタイン将軍は間違いなく個人資産からだ。アリシアは頭を横に振った。

 受け取り拒否をしたにも関わらず、ハルシュタイン将軍は気にした様子もなく、箱からネックレスを取り出す。

「ギルベルトだけではなく、俺も君の協力で助けられた」

 言いながらハルシュタイン将軍はソファから立ち上がる。

「これはその礼と、君への評価、あとは俺の気持ちだ」

 ローテーブルを回り込んでアリシアのソファの後に立つ。途中まではアリシアも目で追えていたが、真後ろに立たれると視界に入らない。戸惑っていると、ハルシュタイン将軍はネックレスの留め具を外し、アリシアの前に広げて見せる。自然とアリシアはそちらへ目を向けた。つい、視界に入った美しい雫型のグリーンガーネットに目を奪われる。

「価値なんて気にするな。君に似合うかどうかだ」

 ハルシュタイン将軍はネックレスを下げていき、アリシアの首に当てる。手が触れないように留め具をつけて手を離した。スルッと下にズレて、アリシアの首に重みがかかる。

「遠慮せずに受け取ってくれ」

 身動きしたらハルシュタイン将軍の手に首筋が触れる。アリシアは緊張して動く事が出来ず、大人しくネックレスをつけられてしまう。

「そんな・・・」
「うん。意外と今日の服と合うな。そのまま着けて帰るといい」
「こ・・・こんな高価なものを着けていたら、強盗に襲われます」

 アリシアはネックレスを外して返そうと腕を上げる。

「大丈夫。君に害意を持つ者は近付けないように防御の術をかけてある。強盗なんてヤワな奴らじゃビクともしない。それよりも」

 ハルシュタイン将軍はアリシアの座るソファの斜め前に移動すると、ローテーブルとの隙間に足を滑り込ませて、肘掛けに軽く腰を乗せた。
 アリシアは上げている腕を止めて隣へ視線を向ける。思っていたよりもすぐ近くにハルシュタイン将軍の顔があった。アリシアは驚いてソファの反対側ギリギリまで飛び退る。
 ハルシュタインはアリシアを追いかけ、ソファの空いた部分に腰掛けると、更にアリシアに近寄ってくる。

(なになに!?なんで近寄ってくるの!?近すぎる・・・!)

 アリシアは更にソファの端に身を寄せ、肘掛けを背中にあててハルシュタイン将軍に体を向ける。すると彼は背もたれに片手を置き、続けてアリシアの背中に隠れていない、ローテーブル近くに見える肘掛けにも手を置いた。

「あの・・・」

 ハルシュタイン将軍の腕に挟まれ、アリシアはそれ以上逃げられなくなった。何故こんな事をするのか。何をしたいのか。動揺しながら、アリシアはハルシュタイン将軍の顔を見上げた。

「・・・君は情報のやり取りのためのカモフラージュとして、俺があんな手紙を書いてると言っていたな」
「・・・?」

 何故急に手紙の話を持ち出したのか。アリシアはハルシュタイン将軍の顔を見つめる。しかし揶揄う気配もなく、ただ真剣にアリシアを見つめ返している。

「俺は一切取り繕っていないし、嘘も書いてない。全て本気だ」
「・・・え?」
「レッツェル。君が好きなんだ。君が許してくれるなら、今すぐにでも抱き締めたいと思う程にな」

 言われていることを理解した瞬間、アリシアは体全体が熱くなった。

(ええええ!?嘘・・・!?手紙のアレは、ハルシュタイン将軍の本心・・・?)

 アリシアの脳内に、これまでハルシュタイン将軍が書いてよこした文章が次々と浮かんでくる。『君を大事に思う』やら『君が可愛い』やら、『君を好き』やら、更にはアリシアに冷たくされることを想像したら『胸が痛い』とまで書かれていた。

「・・・・・・」
「やっと俺が本気だと分かったかな」

 ふっとハルシュタイン将軍が小さく笑う。
 顔がアリシア史上一番熱い。胸がドキドキしている。変な汗が出そうだ。むしろ出ている気しかしない。
 ハルシュタイン将軍は再び真剣な顔でアリシアを見つめた。

「悪いとは思ったが、君のことを知りたくて、少し調べさせてもらった」

 その言葉に、アリシアの熱された頭がスゥっと冷えていく。

「君の身元保証となった兵士の親戚に、確かにレッツェル家はあった。君の言うド田舎にあったし、アメリアという娘もいた。しかしその娘と君の年齢が合わない」

 頭から血の気が引いていく。ハルシュタイン将軍を見つめたまま、どんどん顔が青ざめているのが自分でも分かった。

「よくよく調べたら、確かに使用人として働きに出ていたが、場所は王都ではなかった」

 ハルシュタイン将軍は少しの間、無言でアリシアを見つめてから続ける。

「君に情報提供をお願いしたのはこちらだ。しかし君から受け取った情報は、初日からあまりにも精度が高かった。こちらが欲する事を理解し、必要な事を可能な限り書いていた。そんな事は素人には出来ない。・・・・・・君はいつも冷静で、周りをよく見ている。言動にもミスがない」

 アリシアは血の気が引きすぎたのか、目眩まで感じた。地面がグラグラと揺らいでいるように感じる。しかし今はそれに構っていられない。目の前にあるハルシュタイン将軍の顔は、アリシアの変化を見逃さないとばかりに強い眼差しでもって観察している。

 ハルシュタイン将軍は最後に息を吸って、アリシアが一番恐れていた言葉を音にした。

「君は、誰の諜報員だ」
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