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第1章 アリシアの諜報活動
26 ヴュンシュマン将軍の動向
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「今日は午前中から大騒ぎだったわねー」
いつも通りアリシアの部屋で、対面に座ったリーゼは気怠げにそう言うと、大きくため息をついてコーヒーを一口飲んだ。
「そうね。でも私達パーラーには何もなくて良かったじゃない」
「まあねー。ちょっと拍子抜けだったけど」
テーブルに肘をついて頬を乗せ、もう一度ため息をつくリーゼを見て、アリシアは苦笑した。
あの後隠れ場所をいくつか見繕い、今か今かとパーラー全員で緊張していた。そのうち給仕を終えたエルゼ達が戻ってきて、そこからまたしばらく経ってから、近衛兵から『ヴュンシュマン将軍がお帰りになりました。それに伴い、厳戒態勢は解除されました』と連絡が来た。その時にはパーラー全員から安堵のため息が漏れた。近衛兵に苦笑され、労いの言葉までいただいてしまった。
「まさか私達まで警戒しなきゃいけないなんて、思ってなかったわ」
「何してくるか全く予想できない方だから、王宮全体で警戒しないと駄目なのよ。だってリューベックに付きまとってた時、王宮で盗聴の魔術を使ったのよ?」
「はぁ!?盗聴!?王宮で!?」
アリシアが驚いてリーゼの顔を凝視すると、彼女は嫌そうな顔で続けた。
「リューベックが何処にいるのか探るために使ったみたいでね。でもすぐに魔王様がお気付きになって、術を強制解除された後、窘めてくださって、それ以降はないわ」
「・・・・・・呆れて何も言えないわ」
「でしょう?」
アリシアは呆れ顔でため息をつくと、リーゼも呆れ顔で顔を横に振っている。
(王宮で盗聴って、常識の欠片もないわね)
魔国ティナドランの王宮において、使用人は魔術の使用を制限されている。一方、客人には魔術の制限を掛けていない。それは礼節を弁えた常識ある者しか登城しないという、大前提に基づいたものだ。機密情報も扱う王宮で盗聴など、これが人類連合側の国の出来事であれば、諜報容疑で即拘束だ。
一体どんな常識をお持ちなのか、とアリシアは今日初めて見たヴュンシュマン将軍の後ろ姿を思い出した。
「・・・ああ、でも帰り際にヴュンシュマン将軍の後ろ姿だけでも、上から見れて良かったわ」
「顔までは見えなくても、なんとなく雰囲気は分かったでしょ?」
「うん。お陰様で」
「王宮以外でも、あの背格好の方を見かけたら気をつけなさいよ」
「そうね・・・」
近衛兵から『厳戒態勢解除』の連絡をもらった後すぐに、先輩パーラー達から助言をもらったのだ。正面から会うのは危険なので止めた方が良いが、今後の為にも、遠くから姿を見知っておいた方が良いと。
確かにと頷いたアリシアは、急いで2階の給仕準備室へ向かった。一緒についてきてくれたリーゼや他の先輩に、カーテンの隙間から覗いて教えてもらったのだ。
「軍人らしい背格好だったけど、ちょっと歩く姿勢が悪いように見えたかな」
「そうそう!何故か猫背なのよね。軍人って姿勢良いものじゃない?だから余計に目立つのよ。顔の作りも悪くなくて、パッと見はイケメンなんだけど、性格の悪さが顔に出てるのか・・・なーんか粘着質というか神経質というか・・・」
「ああ・・・なるほど」
アリシアは素直なリーゼの言葉に苦笑しつつ、言わんとするところを理解した。
リーゼはリューベックを庇う為に、何度かヴュンシュマン将軍に会っている。その時のヴュンシュマン将軍は、リューベックを手に入れようと躍起になっていたことだろう。そういう時こそ、その人の本質が顔に出るものだ。
リーゼがここまで酷評するなんて、一体どんなお顔なのやらと、アリシアはもう一度ヴュンシュマン将軍の後ろ姿を思い出した。
「そういえば。第5軍って全然王宮に来ないから初めて見たけど、制服の色はあの色なのね。今度から茶色の軍服見たら警戒しとくわ」
「うん。そうね。基本第5軍もマトモな方が・・・というか将軍一人だけがおかしいんだけど、下の人達は命令されたら逆らえないからね。それがいいわ」
リーゼはアリシアの言葉に頷きながらそう言うと、コーヒーをまた一口飲んで怒った顔をした。
「で、こっちの話も聞いて頂戴よ。エレオノーラ様に・・・ほんっっっっと失礼な事しでかしてー!」
「・・・何があったの?」
リーゼがこれ程までに怒りを露わにするのは珍しい。パーラーは全員1階で警戒していたため、エレオノーラの居室がある3階で騒ぎがあったとしても、当然ながら何も聞こえてこない。リーゼは何を聞き込んで来たのだろう。アリシアは緊張気味に問いかけた。
「ヴュンシュマン将軍ね・・・魔王様との御用が済んだ後、案の定すぐにエレオノーラ様に会いに行ったのよ。今回は相手がヴュンシュマン将軍だから、近衛兵は室内とエレオノーラ様の後ろにも立って警戒してたそうなんだけど」
顔を顰めたリーゼが憤然とした勢いで話した内容はこうだった。
* * *
ヴュンシュマン将軍は執念深く執着心が強い。それはパトリツィア=リューベックの件で王宮の者全員が知っていた。
エレオノーラも例外ではなく、本来は来訪を断りたいところだが、断って余計に拗れては兄ギルベルトに迷惑がかかるだろうと、仕方なく部屋へと通した。
エレオノーラはこの日、あらかじめ兄ギルベルトから念の為だと、多くの近衛兵をつけられていた。エレオノーラも万が一を考え、部屋の外に2名、部屋の中の扉の前に1名、エレオノーラの後ろに2名近衛兵を置いた。エレオノーラの部屋の近くには、他にも5名の近衛兵が待機している。何かあればすぐに駆け付けてくれるだろう。
そうしてヴュンシュマン将軍を部屋へ迎え入れると、彼はすぐに顔を顰めた。
「貴様ら、何故ここに居る」
そう言って室内にいる近衛兵を睨みつけた。エレオノーラのそばに控えていた侍女—――リーゼが詳しく話を聞いてきた使用人の一人—――は、その言葉を聞いて呆れかえってしまった。約束もなく突然来ておいて、文句を言われる筋合いなどない。自分が王宮使用人にした仕打ちをもう忘れたのか。
「彼らは見ての通り近衛です。私は兄ギルベルトと幼馴染みのハルシュタイン将軍以外の男性には馴れておりません。先日アードラー文官長とお話した際も、失礼ながら大変恐ろしく感じました。兄に相談しましたら、近衛で良ければつけられると。私も近衛の皆さんの事は信頼しております。今日もどうしても心細いので、ここにいるようにお願いしました」
エレオノーラは凛と澄まして言うと、ヴュンシュマン将軍をソファへ座るように促した。ヴュンシュマン将軍はしばしエレオノーラを見つめ、近衛を眺めた後、態度悪く舌打ちをしてからソファにドカリと座った。
「初めまして、ですね。今日はどのようなご用件でいらっしゃったのでしょうか」
エレオノーラはワザと『初めまして』を強調して言ったが、ヴュンシュマン将軍はその意図に気付かなかったのだろう。全く気にする素振りもせず、ニヤリと笑って身を乗り出した。
「アードラーから話は聞いているだろう?そろそろ良い答えを聞かせてもらおうと、態々会いに来たんだ」
エレオノーラを舐めるように見るヴュンシュマン将軍を見て、控えていた侍女は気色の悪さに背筋が凍った。
しかしエレオノーラは涼しい顔で、侍女が差し出した紅茶を早速手に取り、一口飲んでから小さく笑った。
「可笑しなことをおっしゃるわ。私、先程『初めまして』とお伝えしましたよね?今初めてお会いした貴方との結婚なんて・・・唐突すぎて全く考えられません」
魔国ティナドランでもお見合いはあるが、本人同士が直接会い、互いの相性を確認してから話を進めるものだ。それをすっとばして突然結婚しろというのは常識としてまずありえない。それをエレオノーラは言外に伝えた。
そんなエレオノーラに、ヴュンシュマン将軍はイラついた様子を見せて反論した。
「だから何度かアードラーが話に来ただろう」
「確かにアードラー文官長からお話は伺いましたが、私はお断り致しました。お聞きになってらっしゃらないのかしら」
「聞いた。だからこうして態々会いに来たんだろう」
ジロリと睨みつけてくるヴュンシュマン将軍に、エレオノーラは動じずに続けた。
「先程から『態々』とおっしゃいますが・・・私、一度もお願いしておりません。もう一度お伝えしますが、何度もお断りしております」
「ああ?・・・貰い手がないようだから、俺がもらってやるんだよ。まだ相手もいないんだろう?」
イライラしてきたのか、ヴュンシュマン将軍の心の声そのままが言葉で出てきたようだ。
あまりの無礼に侍女が口を出そうとしたが、それに気付いた近衛兵に手で止められた。危ないから発言はダメだと目で制される。不満げに侍女は近衛兵を見た後、エレオノーラ達へ視線を戻す。するとエレオノーラはふふふと笑い出した。
「随分と貴方だけに都合の良い考え方ですのね。どうして貰い手が居ないと?将軍ともあろうお方が・・・ちゃんとお調べになってからいらした方が良いのでは?」
普段なら謙虚なエレオノーラが強気な発言をした。これはかなり怒っている証拠だ。珍しい姿に、ひとまず侍女は手を握り締めて見守る。
「なんだと?」
「エレオノーラ様は求婚者からのお手紙を、全てお断りしているのが現状です」
「あら・・・自分から言うのは恥ずかしいから、どうお伝えしようかと思っていたの。ありがとう」
後ろに立つ近衛兵がエレオノーラに代わって発言すると、エレオノーラは振り向いて笑みを浮かべた。それに応えて礼をする近衛兵を、ヴュンシュマン将軍はギロリと睨む。
「学生時代の気心が知れた同級生や先輩からもよくお手紙を頂きますが、お断りしております。ですので、今、初めてお会いした、貴方の求婚を受けるなんて、それこそあり得ないと、お判りいただけますか?」
エレオノーラはニッコリと、間を開けて強調して言うと、近衛兵を睨んでいたヴュンシュマン将軍が音を立てて立ち上がった。ダン!と足を大きく踏んで立ち上がったので、侍女は驚いて体をびくりとさせた。
「・・・自分の立場が良く分かってないようだな・・・。まあいい。今日はここまでにしておいてやる。また次に来る時まで、よーく考えておくんだな」
そう言って、ヴュンシュマン将軍は出された紅茶に手を付けないまま、足音猛々しくエレオノーラの部屋を去って行った。
「エレオノーラ様・・・心配致しました。アレは・・・大丈夫でしょうか」
侍女がそう声をかけると、エレオノーラは安心させるように笑みを浮かべた。
「大丈夫よ。こっちはお兄様に、クラウス、アレクシスだって付いてるんだから。更に言えば神界からエルトナ様も見てるのよ。これほど心強い味方は居ないでしょ?」
魔王ギルベルト、ハルシュタイン将軍、リーネルト将軍は、魔国ティナドランの実質トップ3人。その上神域に建つこの王宮は魔人エルトナと通じている。だからこそ、この場所で滅多なことは起こらない。そう言うエレオノーラに、侍女は確かにと頷いて安心した。
エレオノーラはソファから立ち上がると、室内の3人の近衛兵へ順に視線を向けた。
「もちろん、貴方達もその中に入ってるわよ。今日はありがとう。正直言うと凄く怖かったの。貴方達が室内にいてくれて、とても心強かったわ。それと貴方」
エレオノーラは後ろを振り向いて、先程発言した近衛兵に笑みを向けた。
「さっき、この子を止めてくれたでしょう?代わりに貴方が発言してくれて・・・この子を守ってくれてありがとう」
「いえ、当然のことをしたまでです」
ヴュンシュマン将軍に目を付けられないように、侍女に代わってエレオノーラを助けた事を、エレオノーラはちゃんと分かっていたのだ。侍女も慌てて近衛兵にお礼を言うと、彼は照れたように笑った。
* * *
「あの子、ちょっとその近衛兵に気があるみたいなのよね。しかも彼も満更じゃないと」
「・・・気になるわね」
「・・・でしょ?」
話しているうちにリーゼの意識の向きが代わり、怒りが解けたようだ。楽しそうに目が爛々としている。
「リズ、進展があったら詳しく教えてよ」
「えー。話せる内容ならね」
「・・・それはそうね。人のプライベートな話だったわ」
つい身を乗り出して小声で話していた事に気付いたアリシアは、体を起こしてコーヒーを一口飲んだ。
「それにしても、こうしてリズ達から話を聞くだけで、まだ直接お会いしたことないけど、本当にエレオノーラ様は素敵な方ね」
「でしょ?ミリィもお会いする機会が出来たら、絶対エレオノーラ様の事好きになるわよ」
話し続けて喉が渇いたリーゼも、笑みを浮かべてコーヒーを一口すする。
笑みを返して頷くと、改めてアリシアは考える。今日は近衛兵が室内にいたのだ。
「今回のエレオノーラ様の件は、近衛兵から魔王様に伝わりそうね。念の為ハルシュタイン将軍には伝えておくけど」
「そうね。今まで近衛兵は室内に居なかったから、今日はそういう意味でも良かったわ」
「ヴュンシュマン将軍は、他に怪しい動きはしてなかった?」
「あ!そうそう。何でか知らないけど、2階の給仕準備室に寄ったらしいわよ。誰も居なかったから、そのまま階段下りて帰ったみたいだけど」
「え・・・?何それ」
アリシアは眉を寄せた。自分達が担当する場所に立ち寄ったと聞いたら、その理由が気になるし気味が悪い。リーゼも同様なのか、顔を顰めている。
「理由は分からないわ。『一応私達パーラーも警戒しておきたいから』って近衛兵に聞いて回ったのよ。そしたら2階に配置されてた人から聞いたの。エレオノーラ様の部屋を出た後、2階に寄って給仕準備室の扉を開けたから、驚いて『どうかされましたか』って声をかけたけど、無視されて。室内には入らないでその場でジロジロ中を見てたって。何かイタズラされた訳じゃなさそうだけど・・・」
「・・・気味が悪いわね」
「うん。エルゼさんにも報告しといたけど・・・何で2階だけだったのかしら」
「私達に用事があるなら、3階と1階にも来るだろうしね・・・」
「そうなのよ。だから意味が分からなくて」
互いに顰めた顔を見つめながら可能性を考えてみたが、それらしい考えは全く浮かんでこなかった。
いつも通りアリシアの部屋で、対面に座ったリーゼは気怠げにそう言うと、大きくため息をついてコーヒーを一口飲んだ。
「そうね。でも私達パーラーには何もなくて良かったじゃない」
「まあねー。ちょっと拍子抜けだったけど」
テーブルに肘をついて頬を乗せ、もう一度ため息をつくリーゼを見て、アリシアは苦笑した。
あの後隠れ場所をいくつか見繕い、今か今かとパーラー全員で緊張していた。そのうち給仕を終えたエルゼ達が戻ってきて、そこからまたしばらく経ってから、近衛兵から『ヴュンシュマン将軍がお帰りになりました。それに伴い、厳戒態勢は解除されました』と連絡が来た。その時にはパーラー全員から安堵のため息が漏れた。近衛兵に苦笑され、労いの言葉までいただいてしまった。
「まさか私達まで警戒しなきゃいけないなんて、思ってなかったわ」
「何してくるか全く予想できない方だから、王宮全体で警戒しないと駄目なのよ。だってリューベックに付きまとってた時、王宮で盗聴の魔術を使ったのよ?」
「はぁ!?盗聴!?王宮で!?」
アリシアが驚いてリーゼの顔を凝視すると、彼女は嫌そうな顔で続けた。
「リューベックが何処にいるのか探るために使ったみたいでね。でもすぐに魔王様がお気付きになって、術を強制解除された後、窘めてくださって、それ以降はないわ」
「・・・・・・呆れて何も言えないわ」
「でしょう?」
アリシアは呆れ顔でため息をつくと、リーゼも呆れ顔で顔を横に振っている。
(王宮で盗聴って、常識の欠片もないわね)
魔国ティナドランの王宮において、使用人は魔術の使用を制限されている。一方、客人には魔術の制限を掛けていない。それは礼節を弁えた常識ある者しか登城しないという、大前提に基づいたものだ。機密情報も扱う王宮で盗聴など、これが人類連合側の国の出来事であれば、諜報容疑で即拘束だ。
一体どんな常識をお持ちなのか、とアリシアは今日初めて見たヴュンシュマン将軍の後ろ姿を思い出した。
「・・・ああ、でも帰り際にヴュンシュマン将軍の後ろ姿だけでも、上から見れて良かったわ」
「顔までは見えなくても、なんとなく雰囲気は分かったでしょ?」
「うん。お陰様で」
「王宮以外でも、あの背格好の方を見かけたら気をつけなさいよ」
「そうね・・・」
近衛兵から『厳戒態勢解除』の連絡をもらった後すぐに、先輩パーラー達から助言をもらったのだ。正面から会うのは危険なので止めた方が良いが、今後の為にも、遠くから姿を見知っておいた方が良いと。
確かにと頷いたアリシアは、急いで2階の給仕準備室へ向かった。一緒についてきてくれたリーゼや他の先輩に、カーテンの隙間から覗いて教えてもらったのだ。
「軍人らしい背格好だったけど、ちょっと歩く姿勢が悪いように見えたかな」
「そうそう!何故か猫背なのよね。軍人って姿勢良いものじゃない?だから余計に目立つのよ。顔の作りも悪くなくて、パッと見はイケメンなんだけど、性格の悪さが顔に出てるのか・・・なーんか粘着質というか神経質というか・・・」
「ああ・・・なるほど」
アリシアは素直なリーゼの言葉に苦笑しつつ、言わんとするところを理解した。
リーゼはリューベックを庇う為に、何度かヴュンシュマン将軍に会っている。その時のヴュンシュマン将軍は、リューベックを手に入れようと躍起になっていたことだろう。そういう時こそ、その人の本質が顔に出るものだ。
リーゼがここまで酷評するなんて、一体どんなお顔なのやらと、アリシアはもう一度ヴュンシュマン将軍の後ろ姿を思い出した。
「そういえば。第5軍って全然王宮に来ないから初めて見たけど、制服の色はあの色なのね。今度から茶色の軍服見たら警戒しとくわ」
「うん。そうね。基本第5軍もマトモな方が・・・というか将軍一人だけがおかしいんだけど、下の人達は命令されたら逆らえないからね。それがいいわ」
リーゼはアリシアの言葉に頷きながらそう言うと、コーヒーをまた一口飲んで怒った顔をした。
「で、こっちの話も聞いて頂戴よ。エレオノーラ様に・・・ほんっっっっと失礼な事しでかしてー!」
「・・・何があったの?」
リーゼがこれ程までに怒りを露わにするのは珍しい。パーラーは全員1階で警戒していたため、エレオノーラの居室がある3階で騒ぎがあったとしても、当然ながら何も聞こえてこない。リーゼは何を聞き込んで来たのだろう。アリシアは緊張気味に問いかけた。
「ヴュンシュマン将軍ね・・・魔王様との御用が済んだ後、案の定すぐにエレオノーラ様に会いに行ったのよ。今回は相手がヴュンシュマン将軍だから、近衛兵は室内とエレオノーラ様の後ろにも立って警戒してたそうなんだけど」
顔を顰めたリーゼが憤然とした勢いで話した内容はこうだった。
* * *
ヴュンシュマン将軍は執念深く執着心が強い。それはパトリツィア=リューベックの件で王宮の者全員が知っていた。
エレオノーラも例外ではなく、本来は来訪を断りたいところだが、断って余計に拗れては兄ギルベルトに迷惑がかかるだろうと、仕方なく部屋へと通した。
エレオノーラはこの日、あらかじめ兄ギルベルトから念の為だと、多くの近衛兵をつけられていた。エレオノーラも万が一を考え、部屋の外に2名、部屋の中の扉の前に1名、エレオノーラの後ろに2名近衛兵を置いた。エレオノーラの部屋の近くには、他にも5名の近衛兵が待機している。何かあればすぐに駆け付けてくれるだろう。
そうしてヴュンシュマン将軍を部屋へ迎え入れると、彼はすぐに顔を顰めた。
「貴様ら、何故ここに居る」
そう言って室内にいる近衛兵を睨みつけた。エレオノーラのそばに控えていた侍女—――リーゼが詳しく話を聞いてきた使用人の一人—――は、その言葉を聞いて呆れかえってしまった。約束もなく突然来ておいて、文句を言われる筋合いなどない。自分が王宮使用人にした仕打ちをもう忘れたのか。
「彼らは見ての通り近衛です。私は兄ギルベルトと幼馴染みのハルシュタイン将軍以外の男性には馴れておりません。先日アードラー文官長とお話した際も、失礼ながら大変恐ろしく感じました。兄に相談しましたら、近衛で良ければつけられると。私も近衛の皆さんの事は信頼しております。今日もどうしても心細いので、ここにいるようにお願いしました」
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「初めまして、ですね。今日はどのようなご用件でいらっしゃったのでしょうか」
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しかしエレオノーラは涼しい顔で、侍女が差し出した紅茶を早速手に取り、一口飲んでから小さく笑った。
「可笑しなことをおっしゃるわ。私、先程『初めまして』とお伝えしましたよね?今初めてお会いした貴方との結婚なんて・・・唐突すぎて全く考えられません」
魔国ティナドランでもお見合いはあるが、本人同士が直接会い、互いの相性を確認してから話を進めるものだ。それをすっとばして突然結婚しろというのは常識としてまずありえない。それをエレオノーラは言外に伝えた。
そんなエレオノーラに、ヴュンシュマン将軍はイラついた様子を見せて反論した。
「だから何度かアードラーが話に来ただろう」
「確かにアードラー文官長からお話は伺いましたが、私はお断り致しました。お聞きになってらっしゃらないのかしら」
「聞いた。だからこうして態々会いに来たんだろう」
ジロリと睨みつけてくるヴュンシュマン将軍に、エレオノーラは動じずに続けた。
「先程から『態々』とおっしゃいますが・・・私、一度もお願いしておりません。もう一度お伝えしますが、何度もお断りしております」
「ああ?・・・貰い手がないようだから、俺がもらってやるんだよ。まだ相手もいないんだろう?」
イライラしてきたのか、ヴュンシュマン将軍の心の声そのままが言葉で出てきたようだ。
あまりの無礼に侍女が口を出そうとしたが、それに気付いた近衛兵に手で止められた。危ないから発言はダメだと目で制される。不満げに侍女は近衛兵を見た後、エレオノーラ達へ視線を戻す。するとエレオノーラはふふふと笑い出した。
「随分と貴方だけに都合の良い考え方ですのね。どうして貰い手が居ないと?将軍ともあろうお方が・・・ちゃんとお調べになってからいらした方が良いのでは?」
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「なんだと?」
「エレオノーラ様は求婚者からのお手紙を、全てお断りしているのが現状です」
「あら・・・自分から言うのは恥ずかしいから、どうお伝えしようかと思っていたの。ありがとう」
後ろに立つ近衛兵がエレオノーラに代わって発言すると、エレオノーラは振り向いて笑みを浮かべた。それに応えて礼をする近衛兵を、ヴュンシュマン将軍はギロリと睨む。
「学生時代の気心が知れた同級生や先輩からもよくお手紙を頂きますが、お断りしております。ですので、今、初めてお会いした、貴方の求婚を受けるなんて、それこそあり得ないと、お判りいただけますか?」
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「・・・自分の立場が良く分かってないようだな・・・。まあいい。今日はここまでにしておいてやる。また次に来る時まで、よーく考えておくんだな」
そう言って、ヴュンシュマン将軍は出された紅茶に手を付けないまま、足音猛々しくエレオノーラの部屋を去って行った。
「エレオノーラ様・・・心配致しました。アレは・・・大丈夫でしょうか」
侍女がそう声をかけると、エレオノーラは安心させるように笑みを浮かべた。
「大丈夫よ。こっちはお兄様に、クラウス、アレクシスだって付いてるんだから。更に言えば神界からエルトナ様も見てるのよ。これほど心強い味方は居ないでしょ?」
魔王ギルベルト、ハルシュタイン将軍、リーネルト将軍は、魔国ティナドランの実質トップ3人。その上神域に建つこの王宮は魔人エルトナと通じている。だからこそ、この場所で滅多なことは起こらない。そう言うエレオノーラに、侍女は確かにと頷いて安心した。
エレオノーラはソファから立ち上がると、室内の3人の近衛兵へ順に視線を向けた。
「もちろん、貴方達もその中に入ってるわよ。今日はありがとう。正直言うと凄く怖かったの。貴方達が室内にいてくれて、とても心強かったわ。それと貴方」
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「さっき、この子を止めてくれたでしょう?代わりに貴方が発言してくれて・・・この子を守ってくれてありがとう」
「いえ、当然のことをしたまでです」
ヴュンシュマン将軍に目を付けられないように、侍女に代わってエレオノーラを助けた事を、エレオノーラはちゃんと分かっていたのだ。侍女も慌てて近衛兵にお礼を言うと、彼は照れたように笑った。
* * *
「あの子、ちょっとその近衛兵に気があるみたいなのよね。しかも彼も満更じゃないと」
「・・・気になるわね」
「・・・でしょ?」
話しているうちにリーゼの意識の向きが代わり、怒りが解けたようだ。楽しそうに目が爛々としている。
「リズ、進展があったら詳しく教えてよ」
「えー。話せる内容ならね」
「・・・それはそうね。人のプライベートな話だったわ」
つい身を乗り出して小声で話していた事に気付いたアリシアは、体を起こしてコーヒーを一口飲んだ。
「それにしても、こうしてリズ達から話を聞くだけで、まだ直接お会いしたことないけど、本当にエレオノーラ様は素敵な方ね」
「でしょ?ミリィもお会いする機会が出来たら、絶対エレオノーラ様の事好きになるわよ」
話し続けて喉が渇いたリーゼも、笑みを浮かべてコーヒーを一口すする。
笑みを返して頷くと、改めてアリシアは考える。今日は近衛兵が室内にいたのだ。
「今回のエレオノーラ様の件は、近衛兵から魔王様に伝わりそうね。念の為ハルシュタイン将軍には伝えておくけど」
「そうね。今まで近衛兵は室内に居なかったから、今日はそういう意味でも良かったわ」
「ヴュンシュマン将軍は、他に怪しい動きはしてなかった?」
「あ!そうそう。何でか知らないけど、2階の給仕準備室に寄ったらしいわよ。誰も居なかったから、そのまま階段下りて帰ったみたいだけど」
「え・・・?何それ」
アリシアは眉を寄せた。自分達が担当する場所に立ち寄ったと聞いたら、その理由が気になるし気味が悪い。リーゼも同様なのか、顔を顰めている。
「理由は分からないわ。『一応私達パーラーも警戒しておきたいから』って近衛兵に聞いて回ったのよ。そしたら2階に配置されてた人から聞いたの。エレオノーラ様の部屋を出た後、2階に寄って給仕準備室の扉を開けたから、驚いて『どうかされましたか』って声をかけたけど、無視されて。室内には入らないでその場でジロジロ中を見てたって。何かイタズラされた訳じゃなさそうだけど・・・」
「・・・気味が悪いわね」
「うん。エルゼさんにも報告しといたけど・・・何で2階だけだったのかしら」
「私達に用事があるなら、3階と1階にも来るだろうしね・・・」
「そうなのよ。だから意味が分からなくて」
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