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第1章 アリシアの諜報活動
21 いざ出発
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今日はアリシアの休日。ハルシュタイン将軍も仕事の都合がついたので、王都近くの森林公園へ遠出する予定だ。
アリシアは王宮内にある厩に近寄る。その脇にある待合用の椅子に腰かけると、自身を見下ろした。今日は乗馬する予定なので、薄手のタートルネックの上に、袖と裾がふんわりとしたニットのカーディガン、スキニーパンツとブーツというスタイルにした。髪も耳の下あたりで一つにまとめている。
乗馬の際は足の保護のためにロングブーツが推奨されるが、今アリシアは持っていない。買いに行く時間もなかったので、手持ちのミドルブーツにした。
(ミドルだけど、足にぴったりなタイプだから・・・大丈夫よね)
乗馬用のロングブーツは実家にはある。しかし魔国ティナドランで乗馬する予定など無かったので、持ってきていない。
アリシアの経験上、怪我といっても大抵は擦り傷だ。ズボンを履いていれば大丈夫だろうと、丈夫な生地のスキニーパンツを選んだ。
「もういたのか。待たせたか?」
聞こえてきた声に、ズボンとブーツを眺めていたアリシアは顔を上げる。厩の方を向くと、ハルシュタイン将軍が近寄ってきていた。アリシアはすぐに立ち上がる。
「おはようございます。先程来たばかりです」
「おはよう。そうか。・・・ブーツが短いな。大丈夫か?」
ハルシュタイン将軍はアリシアの全身をサッと見て、足元で目が止まる。
アリシアもハルシュタイン将軍の服装を足元から見ていく。彼は将軍服の時とは違うロングブーツを履いて、そこにスラックスとシャツ、シンプルなジャケットを着ている。普段の装飾が多い将軍服ばかり見ているせいか、きっちりとしたジャケットなのにラフさを感じる装いだ。
「乗馬用のブーツが無くて。仕事がある日は店が開いてる時間に間に合いませんので、手持ちの物で」
「なるほど。気が付かず悪かった。これから買いに行くか?」
「いえ、大丈夫です。実家で馬に乗っていた時はロングブーツじゃない時もありましたし。擦り傷程度なら大丈夫なように、厚手のズボンにしてきましたから」
「・・・これからも乗馬する機会があるかもしれないだろう。持っていないなら今買っておいた方が良いんじゃないか?」
「・・・・・・」
アリシアはハルシュタイン将軍の顔へと視線を向ける。
(今日以外で乗馬する機会があるかしら・・・)
ハルシュタイン将軍との今の関係はヴュンシュマン将軍の企みが落ち着いたら解消されるだろう。そうであれば、王宮使用人であるアリシアが乗馬する機会は、数える程度しか・・・いや今回だけではないか。
(もしかしたら長期化して、その間のカモフラージュでまた乗馬する機会が・・・・・・あるかなぁ?)
揶揄う気など欠片も見当たらない、真面目な顔でアリシアの返事を待つハルシュタイン将軍の顔を眺めながら、本当に買う必要があるのか考える。しかしアリシアが答える前に、ハルシュタイン将軍は半目になって恨みがましそうな顔をした。
「どうせ君の事だ。乗馬なんて今回限りだとでも思っているんだろう」
「・・・・・・違うのですか」
思っている事がバレて、少し気まずい。アリシアは顔を背けて厩の方へ視線をやりながら答える。
「俺としては違うと言いたいが・・・・・・それも君次第か。取り合えず出発しよう」
アリシアは小さな違和感を感じてハルシュタイン将軍へと視線を戻す。彼は厩の方へと視線をやり、そちらへと足を進めた。アリシアも遅れないようにと、その後をついて行く。
(・・・そっか。いつも『私』って言ってたけど、今日はお休みだから『俺』なのね)
それに、とアリシアは続けて考える。今の拗ねたような発言は、カモフラージュの手紙の中の彼そのものだ。
(・・・やっぱりハルシュタイン将軍が書いてたのね・・・いや、そりゃそうだろうけど)
カモフラージュの手紙を書くハルシュタイン将軍を想像できなかったが、今のやり取りでどんな顔をして書いていたのか頭に浮かぶ。きっと今みたいに恨みがましい顔で書いていたに違いない。
(・・・ん?カモフラージュの為だよね?今もきっと監視が付いてるから、それらしく振舞っているだけ・・・よね。うん)
考えているうちに訳が分からなくなる。その答えに矛盾があるような無いような。
引っ掛かりを覚えて、それが何かを考えようとしたところで、前を歩くハルシュタイン将軍の足が止まる。アリシアがその先に目を向けると、1頭の黒馬が厩の外に繋いであった。
「この子がシュヴィート・・・」
父からも話は聞いていたが、実際に見るのは初めてだ。一般の魔人達も、軍に関わらない限り見る機会はないらしいので、隠すことなくアリシアはその姿をじっと観察する。
体躯は通常の馬と変わらない。大きさも顔立ちも普通の馬だ。ただ違うのは、額から真っすぐの角が1本伸びている。アリシアの上腕程の長さだろうか。体毛と同じく角も黒い。
(あの角が、空気抵抗を軽減する媒体・・・)
アリシアはハルシュタイン将軍からの手紙の内容を思い出す。シュヴィートの話題が出た流れで、馬との違いを手紙で教えてくれたのだ。
シュヴィートは馬の2~3倍の速度で走る。当然ながらその分の相当な風圧を受ける。そのためシュヴィートは体の一番前に出る角で空気抵抗を和らげ、更にそこから風を遮る結界を張る。そうしてシュヴィート自身の体への負担も、背中に乗る者の負担も小さくする。
興味深くシュヴィートの角を見つめるアリシアに、ハルシュタイン将軍は笑みを浮かべて口を開いた。
「俺の愛馬、ヴァネサだ」
「ヴァネサ・・・女の子ですね。触っても大丈夫でしょうか?」
アリシアが問うと、ハルシュタイン将軍はヴァネサへ視線を向ける。アリシアもヴァネサの角から顔へと視線を向けるが、警戒している様子もない。むしろアリシアを興味深そうに見つめている。
「大丈夫そうだ」
その答えにアリシアは笑みを浮かべた。驚かせないようにゆっくりとヴァネサへと近寄っていく。
「ヴァネサ、初めまして。アメリア=レッツェルよ。今日はあなたの背中に乗せてもらうね。少しだけ触るのを許してくれる?」
言いながら顔に手を伸ばすと、ヴァネサの方から頭を寄せてきた。
魔獣は元となった動物よりも賢いと言われている。アリシアが伝えた言葉も理解しているようだ。
「ふふっ可愛い」
アリシアは鼻の上辺りを撫でると、ヴァネサはつぶらな大きい瞳でじっとアリシアを見つめる。口許も緩んでいて、ヴァネサがアリシアに好意を寄せているのが分かる。
「ヴァネサが俺以外で、しかも初対面でこんなに懐くのは珍しいな。ハンナの事も手紙で書いてただろう?返事をするなんて、相当君の事を気に入ったんだと思うが・・・」
アリシアはドキリとする。
(いつもの事だから気にしてなかったけど、そういえば不自然・・・かな)
エルフは自然と共にある存在だ。故に自然の中で生きる動物達にも好かれる。中には動物と意志疎通出来るエルフもいると聞いたアリシアは、とても羨ましく思ったものだ。
ハーフエルフであるアリシアも動物が好きで、動物からも好かれる。魔獣も例外ではないようだ。
「昔から動物には好かれやすいようです」
「・・・・・・動物だけか?」
「え?」
ぽつりと言った言葉の意味が分からず、アリシアはハルシュタイン将軍へと振り返る。ハルシュタイン将軍は左手だけ腰に当て、首を傾げてアリシアを見ていた。
「いや、何でもない」
すぐに誤魔化すように背を向け、その先の遠くを見ている。何かあるのかとアリシアも視線の先を見やる。もしかして今日向かう先はあの方角なのだろうか。
何があるのだろうと眺めていると、隣にいたヴァネサが少しだけ頭を下げて低く鳴いた。
「あ・・・ごめんねヴァネサ。頭に手を置いたままだった」
今の声は馬ならご機嫌な時の声だ。しかしシュヴィートも同じだと考えて良いのだろうか。
不安になって慌てて手を引っ込めると、そうじゃないよと言いたげにアリシアの腕に顔を寄せて瞳を向けてくる。その様子にアリシアはホッとした。
「ヴァネサ・・・笑うなよ」
振り返ったハルシュタイン将軍がジト目でヴァネサを見ていた。今のは笑っていたのかとアリシアがヴァネサへ視線を向けると、彼女はハルシュタイン将軍へ顔を向けて楽し気に尻尾を振っていた。
ハルシュタイン将軍はヴァネサを面白くなさそうな顔で見つめた後、首の後ろに手をやり、うつ向きながらヴァネサへ近寄る。
「そろそろ行くぞ。今日はレッツェルを乗せていくから、基本的にほどほどのスピードで、だ」
言いながら顔を上げ、ヴァネサの首を2回叩く。ヴァネサは心得たと言うように、低い声音で鳴いた。
「レッツェル、一人で乗れるか?」
繋いであったヴァネサの手綱を手に取りながら、ハルシュタイン将軍はアリシアを振り返る。アリシアはヴァネサの装備を確認してから答えようと、彼女の前から左横へ移動しつつ、改めて全体を見渡す。
背中には二人乗り用の鞍が置いてある。その後ろには荷物が積んであった。
「乗れると思いますが・・・荷物が多いですね」
今日は森林公園へ散策に行くだけ。多少の荷物は必要だろうが、必要以上の量に見える。
「それは着いてからのお楽しみだな。軍人はキャンプには強いから、安心しろ」
「・・・はぁ」
何をどう安心するのかよく分からないが、頷いてからヴァネサへ声をかける。
「ヴァネサ。乗らせてもらうね」
アリシアの言葉に前を向いていたヴァネサは『いつでもどうぞ』と言いたげに少しだけ顔を向けてくる。その様が可愛くて、アリシアは顔が緩んだ。
手綱はハルシュタイン将軍がしっかりと持ってくれているので、鞍の前部分にあるホーンと呼ばれる取っ手を掴み、鐙に左足をかけて、勢いをつけて飛び乗る。
「手慣れているな」
「ドがつく田舎の出身ですので。馬に乗れないと生活できませんでしたから」
馬に乗れないと生活できなかったのは神聖ルアンキリではなく、母の故郷であるエルフの里だったが、もちろんそれは内緒である。
「じゃあ行くか」
そうつぶやくと、ハルシュタイン将軍は片手に手綱を持ち、もう片手で後ろのホーンを掴んで飛び乗る。その瞬間、アリシアはドキリとした。
(父さんと兄さんとは二人乗りしてたけど・・・そういえば家族以外の男性とは初めてだった・・・)
家族となら気にならない距離でも、家族以外の男性との距離としては近すぎる事に、今になって気付いた。
「ホーンか、そこに短めの手綱があるだろう。それかヴァネサのタテガミだな。制御は俺がするから、楽な方を掴んでいると良い」
言いながらハルシュタイン将軍は手綱をアリシアの前に持ってきて騎乗の体勢を整える。
(ひえっ・・・!いくら恋人のふりでも、これはちょっと・・・!)
ホーンを握ったまま、アリシアは焦った。
「あの・・・!父と相乗りしてた時の感覚でつい前に乗りましたけど、私は後ろに座った方が制御しやすいのでは・・・」
将軍ともなれば後ろからの操作でも何の問題もないだろう事はアリシアにも分かっている。彼らは片手で剣を振るいながら馬を操るのだから。これは単なる建前だ。
アリシアは己の脇へ目をやる。後ろから両側を腕で挟まれた今の状態はいかがなものか。ハルシュタイン将軍の腕がアリシアの腕に触れるか触れないか、いや僅かに触れている。彼はジャケットを着ているので体温までは感じないが、どうしても意識してしまう。
さすがに顔が熱い。肌の色素が濃い今は表面に出にくいが、元の色素なら真っ赤になっているだろうと自覚しつつ、前を向いたまま提案した。
「シュヴィートは初めてだろう。俺が前に乗ったら、前方の景色が見えないじゃないか。制御は問題ないから遠慮するな」
「・・・・・・いえ・・・その。思ってたより近くて・・・」
当然ながら建前はあっさりと流されてしまったので、アリシアは素直に白状した。
端的な言葉だったが、アリシアの言いたいことを察したのだろう。後ろからフフッと笑う声が聞こえた。
「俺と君は恋人同士なんだから、別におかしくはないだろう?」
「・・・私が後ろでも、別におかしくはないのでは・・・」
「つべこべ言ってないで行くぞ。ヴァネサ」
アリシアの反論もむなしく、ハルシュタイン将軍は楽しそうな声で言うと、ヴァネサに声をかけて前進の指令を伝えてしまう。それに応えてヴァネサはゆっくりと歩きだした。
(ええ・・・!そんな!)
動揺するアリシアの主張を無視したまま、ハルシュタイン将軍は王宮内をゆっくりと進む。門まで来ると門番と挨拶代わりの短い会話をした後、王宮の外へ出た。
馬の足とはいえ、王宮内なのでゆっくりと歩かせている。厩から門に行くまでには徒歩より少し早い程度だ。門外に出た時には、アリシアの動揺も多少落ち着いてきた。
(つべこべ言うな、なんて・・・やっぱり軍人ね)
王宮でアリシアが接する時は、やはり仕事モードなのだろう。口調や仕草が丁寧だったが、今は軍人特有の荒っぽさが仕草からも垣間見える。
(父さん、私には優しかったけど、兄さんとの剣術訓練の時は物凄く口が悪かったし)
兄エンジュを訪ねて軍の訓練場に行った時も、皆して口が悪かった。どこの国でも軍人はそういうものなのだろう。
アリシアは諦めのため息をついた。今後ろにいるのは兄エンジュだと思い込む事に決め・・・ようとして、うっかり『兄さん』と言ったらマズい事に気付く。『アメリア=レッツェル』は一人っ子の設定だ。
アリシアは父オーウィンだと思い込む事にして、辺りを見渡す。
まだ朝早く、店は開いていないためか、通りを歩く人は少ない。大通りまで出ると、ハルシュタイン将軍はヴァネサの足を少し速めた。
「郊外まで行ったらスピードを上げる。森林公園の近くは野原が広がっているから、興味があるならヴァネサのトップスピードも経験してみるか?」
「ヴァネサのトップスピード・・・」
(それは是非一度経験してみたい・・・けどそれはこの状態が前提・・・よね)
アリシアはうーんと悩む。しかしアリシアの返事を待たず、ハルシュタイン将軍は続けた。
「悩むという事は、速い馬に乗る事自体は嫌ではない、という事だな。なら郊外まで出たら、道を外れて行く。早く着くしな」
(・・・もしかして監視を振り切るつもりかな?)
こちらを監視している者は身を隠すためにも、街中では馬に乗らないだろう。もし郊外で馬に乗って追いかけてきたとしても、それはそれで目立つ。ハルシュタイン将軍ならすぐに気付くだろう。
気付かれないようにシュヴィートのトップスピードに着いてくることは無理だ。監視も諦めるだろう。
アリシアだって見ず知らずの相手に監視されるのは気分も気持ちも悪い。もし振り切れるのなら、それはそれで胸がすく思いだろう。監視がどうなったか直接アリシアが確認出来るわけでもないが、ハルシュタイン将軍には分かるはずだ。
「・・・・・・ではそれでお願いします」
「承知した」
楽しそうに返事をするハルシュタイン将軍の声が後方間近から聞こえる。
(これは父さん、父さん、父さん・・・)
アリシアは自分に言い聞かせながら、いつもより随分と高い視野で見渡す街の景色を楽しむ事で、後ろを意識しない事にした。
アリシアは王宮内にある厩に近寄る。その脇にある待合用の椅子に腰かけると、自身を見下ろした。今日は乗馬する予定なので、薄手のタートルネックの上に、袖と裾がふんわりとしたニットのカーディガン、スキニーパンツとブーツというスタイルにした。髪も耳の下あたりで一つにまとめている。
乗馬の際は足の保護のためにロングブーツが推奨されるが、今アリシアは持っていない。買いに行く時間もなかったので、手持ちのミドルブーツにした。
(ミドルだけど、足にぴったりなタイプだから・・・大丈夫よね)
乗馬用のロングブーツは実家にはある。しかし魔国ティナドランで乗馬する予定など無かったので、持ってきていない。
アリシアの経験上、怪我といっても大抵は擦り傷だ。ズボンを履いていれば大丈夫だろうと、丈夫な生地のスキニーパンツを選んだ。
「もういたのか。待たせたか?」
聞こえてきた声に、ズボンとブーツを眺めていたアリシアは顔を上げる。厩の方を向くと、ハルシュタイン将軍が近寄ってきていた。アリシアはすぐに立ち上がる。
「おはようございます。先程来たばかりです」
「おはよう。そうか。・・・ブーツが短いな。大丈夫か?」
ハルシュタイン将軍はアリシアの全身をサッと見て、足元で目が止まる。
アリシアもハルシュタイン将軍の服装を足元から見ていく。彼は将軍服の時とは違うロングブーツを履いて、そこにスラックスとシャツ、シンプルなジャケットを着ている。普段の装飾が多い将軍服ばかり見ているせいか、きっちりとしたジャケットなのにラフさを感じる装いだ。
「乗馬用のブーツが無くて。仕事がある日は店が開いてる時間に間に合いませんので、手持ちの物で」
「なるほど。気が付かず悪かった。これから買いに行くか?」
「いえ、大丈夫です。実家で馬に乗っていた時はロングブーツじゃない時もありましたし。擦り傷程度なら大丈夫なように、厚手のズボンにしてきましたから」
「・・・これからも乗馬する機会があるかもしれないだろう。持っていないなら今買っておいた方が良いんじゃないか?」
「・・・・・・」
アリシアはハルシュタイン将軍の顔へと視線を向ける。
(今日以外で乗馬する機会があるかしら・・・)
ハルシュタイン将軍との今の関係はヴュンシュマン将軍の企みが落ち着いたら解消されるだろう。そうであれば、王宮使用人であるアリシアが乗馬する機会は、数える程度しか・・・いや今回だけではないか。
(もしかしたら長期化して、その間のカモフラージュでまた乗馬する機会が・・・・・・あるかなぁ?)
揶揄う気など欠片も見当たらない、真面目な顔でアリシアの返事を待つハルシュタイン将軍の顔を眺めながら、本当に買う必要があるのか考える。しかしアリシアが答える前に、ハルシュタイン将軍は半目になって恨みがましそうな顔をした。
「どうせ君の事だ。乗馬なんて今回限りだとでも思っているんだろう」
「・・・・・・違うのですか」
思っている事がバレて、少し気まずい。アリシアは顔を背けて厩の方へ視線をやりながら答える。
「俺としては違うと言いたいが・・・・・・それも君次第か。取り合えず出発しよう」
アリシアは小さな違和感を感じてハルシュタイン将軍へと視線を戻す。彼は厩の方へと視線をやり、そちらへと足を進めた。アリシアも遅れないようにと、その後をついて行く。
(・・・そっか。いつも『私』って言ってたけど、今日はお休みだから『俺』なのね)
それに、とアリシアは続けて考える。今の拗ねたような発言は、カモフラージュの手紙の中の彼そのものだ。
(・・・やっぱりハルシュタイン将軍が書いてたのね・・・いや、そりゃそうだろうけど)
カモフラージュの手紙を書くハルシュタイン将軍を想像できなかったが、今のやり取りでどんな顔をして書いていたのか頭に浮かぶ。きっと今みたいに恨みがましい顔で書いていたに違いない。
(・・・ん?カモフラージュの為だよね?今もきっと監視が付いてるから、それらしく振舞っているだけ・・・よね。うん)
考えているうちに訳が分からなくなる。その答えに矛盾があるような無いような。
引っ掛かりを覚えて、それが何かを考えようとしたところで、前を歩くハルシュタイン将軍の足が止まる。アリシアがその先に目を向けると、1頭の黒馬が厩の外に繋いであった。
「この子がシュヴィート・・・」
父からも話は聞いていたが、実際に見るのは初めてだ。一般の魔人達も、軍に関わらない限り見る機会はないらしいので、隠すことなくアリシアはその姿をじっと観察する。
体躯は通常の馬と変わらない。大きさも顔立ちも普通の馬だ。ただ違うのは、額から真っすぐの角が1本伸びている。アリシアの上腕程の長さだろうか。体毛と同じく角も黒い。
(あの角が、空気抵抗を軽減する媒体・・・)
アリシアはハルシュタイン将軍からの手紙の内容を思い出す。シュヴィートの話題が出た流れで、馬との違いを手紙で教えてくれたのだ。
シュヴィートは馬の2~3倍の速度で走る。当然ながらその分の相当な風圧を受ける。そのためシュヴィートは体の一番前に出る角で空気抵抗を和らげ、更にそこから風を遮る結界を張る。そうしてシュヴィート自身の体への負担も、背中に乗る者の負担も小さくする。
興味深くシュヴィートの角を見つめるアリシアに、ハルシュタイン将軍は笑みを浮かべて口を開いた。
「俺の愛馬、ヴァネサだ」
「ヴァネサ・・・女の子ですね。触っても大丈夫でしょうか?」
アリシアが問うと、ハルシュタイン将軍はヴァネサへ視線を向ける。アリシアもヴァネサの角から顔へと視線を向けるが、警戒している様子もない。むしろアリシアを興味深そうに見つめている。
「大丈夫そうだ」
その答えにアリシアは笑みを浮かべた。驚かせないようにゆっくりとヴァネサへと近寄っていく。
「ヴァネサ、初めまして。アメリア=レッツェルよ。今日はあなたの背中に乗せてもらうね。少しだけ触るのを許してくれる?」
言いながら顔に手を伸ばすと、ヴァネサの方から頭を寄せてきた。
魔獣は元となった動物よりも賢いと言われている。アリシアが伝えた言葉も理解しているようだ。
「ふふっ可愛い」
アリシアは鼻の上辺りを撫でると、ヴァネサはつぶらな大きい瞳でじっとアリシアを見つめる。口許も緩んでいて、ヴァネサがアリシアに好意を寄せているのが分かる。
「ヴァネサが俺以外で、しかも初対面でこんなに懐くのは珍しいな。ハンナの事も手紙で書いてただろう?返事をするなんて、相当君の事を気に入ったんだと思うが・・・」
アリシアはドキリとする。
(いつもの事だから気にしてなかったけど、そういえば不自然・・・かな)
エルフは自然と共にある存在だ。故に自然の中で生きる動物達にも好かれる。中には動物と意志疎通出来るエルフもいると聞いたアリシアは、とても羨ましく思ったものだ。
ハーフエルフであるアリシアも動物が好きで、動物からも好かれる。魔獣も例外ではないようだ。
「昔から動物には好かれやすいようです」
「・・・・・・動物だけか?」
「え?」
ぽつりと言った言葉の意味が分からず、アリシアはハルシュタイン将軍へと振り返る。ハルシュタイン将軍は左手だけ腰に当て、首を傾げてアリシアを見ていた。
「いや、何でもない」
すぐに誤魔化すように背を向け、その先の遠くを見ている。何かあるのかとアリシアも視線の先を見やる。もしかして今日向かう先はあの方角なのだろうか。
何があるのだろうと眺めていると、隣にいたヴァネサが少しだけ頭を下げて低く鳴いた。
「あ・・・ごめんねヴァネサ。頭に手を置いたままだった」
今の声は馬ならご機嫌な時の声だ。しかしシュヴィートも同じだと考えて良いのだろうか。
不安になって慌てて手を引っ込めると、そうじゃないよと言いたげにアリシアの腕に顔を寄せて瞳を向けてくる。その様子にアリシアはホッとした。
「ヴァネサ・・・笑うなよ」
振り返ったハルシュタイン将軍がジト目でヴァネサを見ていた。今のは笑っていたのかとアリシアがヴァネサへ視線を向けると、彼女はハルシュタイン将軍へ顔を向けて楽し気に尻尾を振っていた。
ハルシュタイン将軍はヴァネサを面白くなさそうな顔で見つめた後、首の後ろに手をやり、うつ向きながらヴァネサへ近寄る。
「そろそろ行くぞ。今日はレッツェルを乗せていくから、基本的にほどほどのスピードで、だ」
言いながら顔を上げ、ヴァネサの首を2回叩く。ヴァネサは心得たと言うように、低い声音で鳴いた。
「レッツェル、一人で乗れるか?」
繋いであったヴァネサの手綱を手に取りながら、ハルシュタイン将軍はアリシアを振り返る。アリシアはヴァネサの装備を確認してから答えようと、彼女の前から左横へ移動しつつ、改めて全体を見渡す。
背中には二人乗り用の鞍が置いてある。その後ろには荷物が積んであった。
「乗れると思いますが・・・荷物が多いですね」
今日は森林公園へ散策に行くだけ。多少の荷物は必要だろうが、必要以上の量に見える。
「それは着いてからのお楽しみだな。軍人はキャンプには強いから、安心しろ」
「・・・はぁ」
何をどう安心するのかよく分からないが、頷いてからヴァネサへ声をかける。
「ヴァネサ。乗らせてもらうね」
アリシアの言葉に前を向いていたヴァネサは『いつでもどうぞ』と言いたげに少しだけ顔を向けてくる。その様が可愛くて、アリシアは顔が緩んだ。
手綱はハルシュタイン将軍がしっかりと持ってくれているので、鞍の前部分にあるホーンと呼ばれる取っ手を掴み、鐙に左足をかけて、勢いをつけて飛び乗る。
「手慣れているな」
「ドがつく田舎の出身ですので。馬に乗れないと生活できませんでしたから」
馬に乗れないと生活できなかったのは神聖ルアンキリではなく、母の故郷であるエルフの里だったが、もちろんそれは内緒である。
「じゃあ行くか」
そうつぶやくと、ハルシュタイン将軍は片手に手綱を持ち、もう片手で後ろのホーンを掴んで飛び乗る。その瞬間、アリシアはドキリとした。
(父さんと兄さんとは二人乗りしてたけど・・・そういえば家族以外の男性とは初めてだった・・・)
家族となら気にならない距離でも、家族以外の男性との距離としては近すぎる事に、今になって気付いた。
「ホーンか、そこに短めの手綱があるだろう。それかヴァネサのタテガミだな。制御は俺がするから、楽な方を掴んでいると良い」
言いながらハルシュタイン将軍は手綱をアリシアの前に持ってきて騎乗の体勢を整える。
(ひえっ・・・!いくら恋人のふりでも、これはちょっと・・・!)
ホーンを握ったまま、アリシアは焦った。
「あの・・・!父と相乗りしてた時の感覚でつい前に乗りましたけど、私は後ろに座った方が制御しやすいのでは・・・」
将軍ともなれば後ろからの操作でも何の問題もないだろう事はアリシアにも分かっている。彼らは片手で剣を振るいながら馬を操るのだから。これは単なる建前だ。
アリシアは己の脇へ目をやる。後ろから両側を腕で挟まれた今の状態はいかがなものか。ハルシュタイン将軍の腕がアリシアの腕に触れるか触れないか、いや僅かに触れている。彼はジャケットを着ているので体温までは感じないが、どうしても意識してしまう。
さすがに顔が熱い。肌の色素が濃い今は表面に出にくいが、元の色素なら真っ赤になっているだろうと自覚しつつ、前を向いたまま提案した。
「シュヴィートは初めてだろう。俺が前に乗ったら、前方の景色が見えないじゃないか。制御は問題ないから遠慮するな」
「・・・・・・いえ・・・その。思ってたより近くて・・・」
当然ながら建前はあっさりと流されてしまったので、アリシアは素直に白状した。
端的な言葉だったが、アリシアの言いたいことを察したのだろう。後ろからフフッと笑う声が聞こえた。
「俺と君は恋人同士なんだから、別におかしくはないだろう?」
「・・・私が後ろでも、別におかしくはないのでは・・・」
「つべこべ言ってないで行くぞ。ヴァネサ」
アリシアの反論もむなしく、ハルシュタイン将軍は楽しそうな声で言うと、ヴァネサに声をかけて前進の指令を伝えてしまう。それに応えてヴァネサはゆっくりと歩きだした。
(ええ・・・!そんな!)
動揺するアリシアの主張を無視したまま、ハルシュタイン将軍は王宮内をゆっくりと進む。門まで来ると門番と挨拶代わりの短い会話をした後、王宮の外へ出た。
馬の足とはいえ、王宮内なのでゆっくりと歩かせている。厩から門に行くまでには徒歩より少し早い程度だ。門外に出た時には、アリシアの動揺も多少落ち着いてきた。
(つべこべ言うな、なんて・・・やっぱり軍人ね)
王宮でアリシアが接する時は、やはり仕事モードなのだろう。口調や仕草が丁寧だったが、今は軍人特有の荒っぽさが仕草からも垣間見える。
(父さん、私には優しかったけど、兄さんとの剣術訓練の時は物凄く口が悪かったし)
兄エンジュを訪ねて軍の訓練場に行った時も、皆して口が悪かった。どこの国でも軍人はそういうものなのだろう。
アリシアは諦めのため息をついた。今後ろにいるのは兄エンジュだと思い込む事に決め・・・ようとして、うっかり『兄さん』と言ったらマズい事に気付く。『アメリア=レッツェル』は一人っ子の設定だ。
アリシアは父オーウィンだと思い込む事にして、辺りを見渡す。
まだ朝早く、店は開いていないためか、通りを歩く人は少ない。大通りまで出ると、ハルシュタイン将軍はヴァネサの足を少し速めた。
「郊外まで行ったらスピードを上げる。森林公園の近くは野原が広がっているから、興味があるならヴァネサのトップスピードも経験してみるか?」
「ヴァネサのトップスピード・・・」
(それは是非一度経験してみたい・・・けどそれはこの状態が前提・・・よね)
アリシアはうーんと悩む。しかしアリシアの返事を待たず、ハルシュタイン将軍は続けた。
「悩むという事は、速い馬に乗る事自体は嫌ではない、という事だな。なら郊外まで出たら、道を外れて行く。早く着くしな」
(・・・もしかして監視を振り切るつもりかな?)
こちらを監視している者は身を隠すためにも、街中では馬に乗らないだろう。もし郊外で馬に乗って追いかけてきたとしても、それはそれで目立つ。ハルシュタイン将軍ならすぐに気付くだろう。
気付かれないようにシュヴィートのトップスピードに着いてくることは無理だ。監視も諦めるだろう。
アリシアだって見ず知らずの相手に監視されるのは気分も気持ちも悪い。もし振り切れるのなら、それはそれで胸がすく思いだろう。監視がどうなったか直接アリシアが確認出来るわけでもないが、ハルシュタイン将軍には分かるはずだ。
「・・・・・・ではそれでお願いします」
「承知した」
楽しそうに返事をするハルシュタイン将軍の声が後方間近から聞こえる。
(これは父さん、父さん、父さん・・・)
アリシアは自分に言い聞かせながら、いつもより随分と高い視野で見渡す街の景色を楽しむ事で、後ろを意識しない事にした。
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