ハーフエルフと魔国動乱~敵国で諜報活動してたら、敵国将軍に気に入られてしまいました~

木々野コトネ

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第1章 アリシアの諜報活動

16 不穏な策略

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 魔国ティナドランには魔王の下に5人の将軍がいる。その中の一人、第5軍ベルント=ヴュンシュマン将軍が魔王暗殺を計画しているという情報をリーネルト将軍の配下が入手した。
 ヴュンシュマン将軍は時折、魔王ギルベルトに対して不穏な発言をしていた。他の将軍達は威勢が良いだけで本気ではないと気に留めていなかったが、一人危機感を覚えたリーネルト将軍はヴュンシュマン将軍を警戒し、部下に見張らせていたのだ。

 ヴュンシュマンが魔王暗殺を企む背景には、少々ややこしい事情がある。
 そもそも魔王は世襲制ではない。魔王が退位もしくは崩御した際に魔神エルトナが毎回指名して即位する。

初代カール=ヴュンシュマン
2代目ホルスト=ツェルナー
3代目ライナー=ヴュンシュマン
4代目ファビアン=クレマース
5代目カイ=ヴュンシュマン
6代目ディートリヒ=ファーベルク

 歴代魔王を見ると、奇数の代にヴュンシュマン家の者が即位している。そのジンクス通りであれば、次の7代目はエルマー=ヴュンシュマンか、その息子のベルント=ヴュンシュマンが選ばれると考えられていた。
 しかし5年前、7代目に選ばれたのは、6代目の息子ギルベルト=ファーベルクだった。

 プライドの高いエルマーはヴュンシュマン家から選ばれなかった事に納得しなかった。7代目となったギルベルトに何度も抗議をした結果、一度だけ魔神エルトナからエルマーへ直々のお言葉を許された。しかし魔神エルトナから何を語られたのか、エルマーは一切話さなかった。そしてそれ以降、エルマーは魔王についての言及をしなくなった。

 現魔王ギルベルトは在位5年。歴代魔王の平均在位期間は84年。8代目はまだ先の話ではあるが、高い魔力を持つギルベルトとその妹エレオノーラの二人には子供とその孫を期待されている。高魔力は遺伝しやすいからだ。
 しかしもし、子孫に高魔力保有者が現れなければ。男子が生まれなかったら。
 そうなれば8代目は再び血縁外から選ばれる可能性が高くなるのでは、と囁かれている。

 その話題を聞き付けたのか、ベルント=ヴュンシュマンが動き出した。

 悠長に子供が出来るのを待つ必要はない。その前にギルベルトが崩御すれば、多くの魔王を輩出してきたヴュンシュマン家の、一番の魔力保有者である自分が選ばれると信じているらしい。

 魔神エルトナが魔王を指名する際の基準は明らかにされていない。歴代の魔王を見れば、高魔力保有者であるという共通点はある。しかし魔力量だけで選ばれているわけでもないし、血縁も実績も関係ない。ギルベルトを暗殺したところで、そんな卑怯者を魔神エルトナが選ぶかと言えば、NOだ。
 だが、彼は本気で魔王になれると信じている。

 現在はリーネルト将軍を軸に、魔王ギルベルトとハルシュタイン将軍の3人でベルント=ヴュンシュマン将軍を探っている。
 しかしそれはあちらも同じで、魔王ギルベルトの信認が厚いハルシュタイン将軍とリーネルト将軍を監視している。

「だがあちらがギルベルトに直接の監視をつけるのは難しい。あいつは王宮使用人を敵に回しているからな。何度か子飼いを使用人に紛れ込ませようとしたが、王宮使用人達に阻まれて失敗している。そんな訳で、私とアレクの方にやたら監視がついている。今も店の外に3人いるみたいだが」

 言いながら、やれやれと言わんばかりに窓の外へと視線を向ける。

「全く無駄なことだ。あちらの監視を私の手の者が監視している。今は泳がせているが、いつでも対応出来る状態にしてある」

 ハルシュタイン将軍は肩を竦めてからアリシアへ顔を向ける。

「しかし王宮に配下を忍ばせられないのは私達も同じだ」
「同じ・・・何故ですか?」

 魔王を守る為なのに、何故それが出来ないのか。幼い頃から魔王の友人であるハルシュタイン将軍と、信頼厚いリーネルト将軍の配下を置けない理由が、アリシアには浮かばない。
 王宮でもそのような決まりはないはずだが。

 答えを求めてハルシュタイン将軍の顔を見つめると、それに気付いた彼は一瞬だけ笑みを浮かべ、すぐに真顔に戻して口を開く。

「ヴュンシュマン将軍は王宮の人の出入りを外から監視している。私かアレクシスが王宮に配下を置けば、すぐに気付かれてギルベルトの暗殺に動く可能性が高い。その動きに対応出来るように、こちら側が王宮の人の出入りをリアルタイムで全て把握できればいいが、現状では難しい。ギルベルトも王宮内の情報収集を常にしているが、ギルベルトとエレオノーラ以外の全ての客人を把握するには時間がかかる。かといって体制を変えようにも、魔王であるギルベルトが動けば、事が大きくなり察知されやすくなる」
「・・・なるほど」

 アリシアはハルシュタイン将軍の今の説明で、今回の彼の意図を把握した。

「つまり私に知りうる限りの王宮の来客と、可能であればその人物の王宮での言動、そして王宮内で妙な動きがあれば報告して欲しいと。噂を流したのも、ヴュンシュマン将軍を意識したものだったのですね」

 アリシアの言葉を受けて、ハルシュタイン将軍はニヤリとした。

「その通り」

 迷惑な噂だと思っていたが、こうして王宮の外で何の名目もなしに会えば、ヴュンシュマンの目はアリシアにも向けられる。かといって王宮内で話せば使用人たちの間で噂が立つ。そしてその噂はいずれヴュンシュマンの耳に入るだろう。
 どうせ噂が立つのであれば、動きやすくなる噂の方がマシだ。そう考えたハルシュタイン将軍は、アリシアへ告白したいという噂を流した。そうすればアリシアの部屋に忍び込んだ言い訳にもなる。実際に言い訳に使っていた。
 そしてそれに応えたアリシアが王宮の外でハルシュタイン将軍と会うのも自然な流れだ。もしアリシアが協力すると言えば、恋人になったと偽って情報交換が容易くなる。断ったとしても、ハルシュタイン将軍がフラれたと再び噂を流せばいい。
 ヴュンシュマン将軍がどんな人物か知らないが、ハルシュタイン将軍の事だ。恐らくどちらを選択しても、恋愛ごとにしておけばヴュンシュマン将軍の目が反れ、アリシアに及ぶ危険は小さくなるのだろう。

 更に言えば、もしアリシアがOKしなくとも、ハルシュタイン将軍は王宮に来やすくなる。表立った用事が無くとも、『レッツェルにはフラれたがまだ諦めていないから会いに来た』とでも言えば、誰にも怪しまれない。そうしてさりげなく王宮内を警戒することも出来る。
 ヴュンシュマン将軍に対しても、ハルシュタイン将軍が恋にうつつを抜かしていると、油断させる良いネタになるだろう。

(やっぱり将軍ね。しかも非常に頭がキレる)

 単なる噂。されど噂だ。一つの事象に対して、最大限の益を得ようとするのは智将であればこそだ。今述べた益はアリシアが考え得る限りのものだが、恐らくこれ以上の効力をハルシュタイン将軍は考えている。智将とはそういうものだと、父オーウィンと弟ダーマットの戦術談話を聞いてきたアリシアは知っている。
 父オーウィンが手こずった訳だと、アリシアは心の中で納得した。

 しかしここまで現状を理解したアリシアは、ますます関わらない方が良さそうだと感じた。魔王暗殺だなんて、そんな大事に巻き込まれてアリシアの正体がバレたら本末転倒。それにハルシュタイン将軍の恋人だなんて嫌だ。色んな意味で。
 アリシアは、遠慮せず率直に聞いた。

「もし私がそのお話をお断りしたら、どうなりますか?」
「王宮に出入りする者の詳しい情報が手に入らなくなる」
「え・・・他の方には依頼をしないのですか?」

 予想外の回答に、アリシアは目を見開いた。彼の事だ。てっきり第2第3の案が用意してあるのだと思っていた。

 ハルシュタイン将軍は少しだけアリシアの顔を見た後、頭に手を当てて髪をワシワシとしながらため息をついた。

「出来れば王宮に入ったばかりの君に負担をかけたくはない。だが、他の者にはどうしても無理だ。君はヴュンシュマンが王宮で起こした事件、聞いてないか?」

 いつも飄々としているハルシュタイン将軍の珍しい行動に、アリシアはつい見入ってしまう。心の中で珍しいと思いながら、しかし先ほど聞いていて気になった点が、ここにきて戻ってきた。アリシアはすかさず確認する。

「ヴュンシュマン将軍の事件といいますと、もしかしてパーラーメイドのパトリシア=リューベックという方のことですか?」
「知っていたのか」
「事件は聞いております。ただ、どなたが起こした事件なのかは明言されませんでした。ハルシュタイン将軍のお話を聞いて、もしやと」
「なるほど」

 ハルシュタイン将軍は頭に置いていた手を戻し、頷いて少し考えた後、言葉を続ける。

「あの一件でヴュンシュマン将軍と第5軍は王宮内で警戒されている。私達としてはありがたいが、今回はそれが裏目に出てしまうんだ。王宮使用人達はヴュンシュマン将軍に怒りと敵対心を抱えている。そんな中、自分達が仕えている主の暗殺を企てていると知ったら?」
「・・・火に油を注いでしまいますね」
「そう。情報の取り扱いには冷静さと客観性が必要だ。対象に怒りを感じ、敵認識をしている場合、素人が扱う情報には感情が入る。そうなると正しい情報とは言い切れない」

 そこまで言うと一旦言葉を止め、ため息をついて頭を振った。

「情報提供者はパーラーが一番都合がいい。だが私とアレクシスはパーラーにあまり良い思い出が無くてな」

(ああ・・・例の。パレンツァンとキストラー、だったかしら)

 アリシアは懲戒退職処分をされた二人の名前を思い出す。片方はスティルルームメイドだが、接近禁止命令を出されたヘンゼルトもパーラーだ。

「だが君は違うだろ?私たちに指名されることを心の底から嫌がっている」
「・・・分かっているのなら、指名しないでください」

 アリシアはつい半目になって抗議する。直接ハッキリと言われたのだから、もう隠す必要はない。本当に指名しないで欲しい。

 ハルシュタイン将軍はそんなアリシアの反応に可笑しそうに笑った後、いつもの悪戯じみた笑みを浮かべた。

「悪いが私達の心の安寧の為に、君が何と言おうとも指名させてもらう」
「・・・・・・そうですか」

 変わらず半目でジトリと見るアリシアに小さく笑うと、ハルシュタイン将軍は出されたまま手を付けていなかった紅茶に手を伸ばす。
 アリシアも手付かずだったことに気付き、同じくカップを取った。一口飲んでソーサーにカップを戻すと、ハルシュタイン将軍は膝に肘をついて手を組んだ。

「だから先日君に色々質問させてもらった。他の信用出来るパーラー数人にも質問はしてみた。だがその結果、君が一番冷静で視野も広く、物事を深く考えられる。もしトラブルがあってもきちんと対応できるだろう」
「そんなことはありません。先日ハルシュタイン将軍が部屋までお越しになった際は、幽霊だと思い込んで騒ぎにしてしまいました」

 少々買い被られてないだろうかと、先日の失敗をやり玉に上げる。
 ハルシュタイン将軍も思い出したようで、苦笑している。

「いや、あれは本当に私が悪かったんだ。深夜に君の断りもなく部屋に侵入し、事情も話さずに近寄ったのだから」
「・・・あの時に話されてましたが、ハルシュタイン将軍は部下の方にいつもそうされてるのですか?」
「ああ。初めは驚かせてやろうと思ったんだが、皆段々と慣れてしまってな。今はそれが普通になってしまって、仕事の話をする時はいつもアレだ」

 慣れる程侵入しているのか。そもそも将軍ともあろう者が、一体何をしているのか。
 アリシアはもう隠す気もなくなり、呆れ顔でハルシュタイン将軍を見やった。

「あの日もいつも通りに侵入して話をしようと名前を呼んだ。だが振り向いた君が・・・」
「・・・?」
「・・・・・・いや、なんでもない」

 珍しく言い淀んだと思ったら、目を反らして真顔で黙り込んだ。

(振り向いた私が・・・?何か変な事あったっけ?)

 確かあの日もいつもの部屋着を着ていた。男性の前に出るにしても露出は少ないし、それほど変な格好ではないはずだが。
 アリシアは心当たりを探すべく、当日の事を客観的に思い返す。

 名前を呼ばれて振り返り、立ち上がった。そしたらハルシュタイン将軍が近寄ってきて肩に手を伸ばしてきて・・・。

(もしかして・・・肩にゴミか汚れでも付いてた・・・?)

 それはちょっと・・・いや中々に恥ずかしい。全く気付かなかったが、帰ったら部屋着を確認しておこう。
 アリシアが忘れないようにと何度も頭の中で繰り返していると、ハルシュタイン将軍は長く息を吐いた。

「話がズレたな。つまり私達は王宮に訪れる人物を知りたい。それにはパーラーが最も適していて、かつ信用出来る情報を取り扱える者が必要だ。そしてそれに当てはまるパーラーは君だけだ」
「・・・」
「私達も警戒と対策はしているが、ヴュンシュマンも将軍だ。その権限で何をしてくるか分からん。王宮内の状況が分からなければ、咄嗟の対応も取れない。最悪ギルベルトが死ぬ」
「・・・!」

 アリシアは『ギルベルトが死ぬ』という言葉に息を飲んだ。
 ここは王宮。戦場は離れた場所であり、人の死に触れる事はないと思っていた。

「ギルベルトが死んだら国が荒れる。まだ在位5年の魔王だ。発表すれば自然死ではないと国民は気付く。すぐにヴュンシュマン将軍を捕えて罰せられればいいが、証拠が無ければ難しい。他の者に罪を擦り付ける可能性もある」
「・・・暗殺を止められず、証拠も得られなければ・・・互いに正当性を主張して内乱が起こる可能性まで・・・」
「その通りだ。それに次の魔王に奴は絶対に選ばれない。そうなれば、再び暗殺を企てる」
「・・・」

 アリシアは俯いて思考を巡らせる。
 自分が魔国ティナドランに潜伏して情報を流しているのは、この国を破滅させたいからではない。侵略を止めさせる情報を得て、争いをなくして平和を得るためだ。そしてその時の為に魔国ティナドランという国を知っておく必要がある。その為の諜報員だ。

 ヴュンシュマン将軍に繋がる証拠もなく、全く関係のない人物が罪をかぶることになったら。その行く末が内乱だったら。この国は一体どうなってしまうのか。

(侵略どころではなくなるわ。でもそれを人類連合側に気付かれる訳にはいかない。無理やりにでも侵略は続ける。その間に内乱を治めなければならない、と考えるでしょう)

 人類連合軍は父オーウィンを失った。しかし父が育てた頼もしい後進が沢山いる。兄エンジュもその一人だ。必ず異変に気付く。

(まず戦線が崩れる。魔王暗殺に内乱なんて、国家を揺るがす非常事態よ。今まで後進の憂いが無かっただけに、魔人達が戦いに集中できなくなる)

 人類連合軍に押されて戦線がアリオカル大陸の内へ内へと移動していく。そうなれば魔国側の戦死者が恐ろしい数になるだろう。

 ただ単純に戦況を見れば、人類連合軍には都合がいいかもしれない。しかし指揮を務める精霊神ハヤトの願いはそうではない。

 魔国ティナドランへ潜入する前、精霊神ハヤトがアリシアに言っていた。

『私は魔人に侵略を止めさせ、戦争の無い平和な時代を望む。私にとって獣人、人間、魔人の命の価値は変わらず等しい。戦争が続く今、彼らの命の価値が軽すぎる。この意識を変えたい』
『そうだな。我らエルフはハヤトによって、彼ら3種族より少しだけ高い次元の存在として創られた。故に彼ら3種族には等しく愛情を感じている。見ろ、この報告を。魔人は人間とほぼ変わらねぇな。面白そうな種族じゃねぇか』

 精霊神ハヤトの後に続けたエルフの長は、容姿端麗なその姿には似合わない『がはは!』という笑いをしてから、アリシアに先輩諜報員からの報告を見せてくれた。

(精霊神様、長。本当にその通りだと思います。私だってエルフの端くれ。魔人達と実際に会って話して、彼らに親愛を感じている)

 純粋な人間である父オーウィンも言っていた。

『敵と言えども、相手も人だ。その人が亡くなれば悲しむ人が居るだろう。アリシア。敵だから苦しめばいいと思うのはとても簡単だ。だが、それでは本当の平和は訪れない』

 そう。その通りだ。いくら人類連合軍でも戦死者が出ているとはいえ、魔人達の戦死者が膨れ上がるかもしれない原因を無視していいはずがない。

(それにもし内乱が起こったら、そっちでも死者が続出するでしょうね。一般人も巻き込まれる)

 一般人の中でも、特に王宮使用人は危ないのではないか。混乱に乗じてヴュンシュマン将軍が不都合な真実を知る者達を葬り去るかもしれない。

 アリシアの脳裏に、王宮使用人達の顔が浮かぶ。彼らが殺される未来なんて、これまで想像したこともなかった。

(もしかしたらリズも・・・エルゼさんもよ。・・・ロットナーさんが一番危ないかもしれない)

 アリシアが内乱が起こった事を人類連合側へ報告すれば、すぐに離脱命令が出るだろう。アリシアたち諜報員は安全なエルフの里へと避難する事になる。しかし王宮使用人達はこの国の人だ。逃げ場なんてない。
 それに彼らは王宮使用人であることに誇りを持っている。最期まで職務を全うしようとするのではないだろうか。彼らが逃げずに死んでいく様を想像したら、アリシアの瞳から涙が零れた。

「あ・・・」

 涙が落ちた事に驚いて、アリシアは小さく声を上げた。

「すみません。失礼しました」

(いけない。父さんが亡くなった時の感情がフラッシュバックしたのかな)

 慌てて涙を拭い、顔を上げてハルシュタイン将軍を見やる。突然涙なんて流して呆れられただろうかと、恥ずかしい気持ちになった。

 しかしハルシュタイン将軍が意外な表情をしている事に気付いてアリシアは固まった。以前見た、力の抜けた笑みを浮かべてアリシアを見ていたのだ。

「そんな風に涙を流せるのなら、やはりこの依頼は受けてもらいたい」

 言いながら立ち上がると、アリシアの方へ近寄りハンカチを差し出した。

「指でこすったら腫れる。私ので良ければ使うと良い」
「・・・ありがとうございます」

 優しい笑みを浮かべたままのハルシュタイン将軍の顔を見つめながら、視界の端に差し出されたハンカチを受け取った。
 そして受け取ってから気付く。アリシアもハンカチを持っていた。しかし折角差し出してくれたのだから、ありがたく使わせてもらおう。

 そう思いアリシアは目をハンカチに押し当てる。ふんわりとハルシュタイン将軍の香水の上品な香りが漂い、なんだか照れくさくなる。

(顔、赤くなってないよね)

 特に顔が熱い感じはないので、大丈夫だろう。
 落ち着くためにゆっくり呼吸をすると、その度に香水の香りを感じる。それが安心感をもたらし、心に満ちていた悲しい気持ちが払拭されていく。次第にポロポロと零れていた涙が収まり、完全に止まったことを確認してから、アリシアはハンカチから顔を上げた。

 ハルシュタイン将軍は向かいのソファに座り、ゆっくりと紅茶を飲んでいた。

「ハルシュタイン将軍」

 アリシアが声をかけると、ティーカップを置いて先を促すように視線を寄こす。

 これは仕事でも何でもない。アリシア自身の意思表明だ。涙声にならないように気を付けながら言葉を紡ぐ。

「もし内乱が起きれば、王宮使用人の誰かが死ぬかもしれないと、想像しただけで・・・恥ずかしながら泣いてしまいました。見苦しい姿をお見せして申し訳ございません。しかし私はそんな未来は絶対に嫌です。是非、協力させて下さい」

 アリシアの決意を聞いて、ハルシュタイン将軍は笑みを浮かべて頷いた。


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