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第1章 アリシアの諜報活動
14 待ち合わせ
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今日はアリシアの一週間に一度のお休み。
王宮を出て城下町を歩くアリシアは、ふと視界に入った秋らしい己の装いに気分を良くした。
今のアリシアはダークブラウンの髪に褐色の肌、黒い瞳という、典型的な魔人カラーだ。
いつも仕事中は髪を纏めているが、今は肩甲骨の下までのロングヘアをストレートにしている。
そこに淡いベージュのワンピースを着て、上にミルクチョコレート色の丈の短いカーディガン。靴はえんじ色のブーツに白い靴下。バッグはそれほど多く持っていないので、無難に黒い革バッグを肩から斜めに掛けている。
(この色、元の私の色でも合いそうよね)
祖国である神聖ルアンキリでは見かけたことのないデザインのワンピースだ。店頭に並んでいるのを見て気に入り、すぐ購入した。手持ちの秋服の中で一番のお気に入りだ。
スッキリしたシルエットのワンピースなのだが、スカート部分の左右に切れ目があり、そこから下の栗皮色のシフォンスカートがチラリと見えるのだ。足を進める度にフワリとシフォンスカートが見えるので、アリシアはその度に楽しくなる。
しかし。
アリシアは今向かっている先を思い出し、大きくため息をついた。
(お偉いさんと会う訳だから、一番落ち着きつつ華のある服を着て来たけど・・・正直行きたくない)
アリシアの行き先は『ヘットナーズカフェ』。先日コーヒー一式を購入した喫茶店とは別の店だ。
本来なら違うお店のコーヒーを楽しめると、ウキウキしながら足を進めるのだが、今からそこで会う人物を思い出すとため息しかでなかった。
(もー・・・一体何を話されるのやら)
先日の給仕をした際、ハルシュタイン将軍と今日王宮近くのヘットナーズカフェで落ち合うという約束をしたのだ。
正直なところ、あまり話を聞きたくない。
部屋に忍び込まれたあの日。日中の給仕の際に妙な質問を沢山受けた。きっとこれから話される事に関連する質問だったのだろうと、アリシアは予想している。
(変なことに巻き込まれないといいけど・・・)
折角の休日。見上げればスッキリとした秋晴れにさわやかな空気。お気に入りの服を着て丁度いい気温。
それに相反して心が重たい。
再び大きくため息をついてアリシアは足を進めた。
カフェに着くと、店主に待ち合わせの旨を伝えてから店内を見渡す。午前中だからか、まだ店内に客は少ない。ハルシュタイン将軍の姿も見当たらなかった。
「ホットのオリジナルコーヒーをお願いします。席はあそこに座りますね」
カウンターの壁にあるメニュー確認してから言うと、店主がニコリと頷く。
アリシアは指さした2人席のテーブルへと移動して、入り口が見える席に座った。
(別件の用事があって遅れるかもしれない、とは言ってたし)
アリシアは休日だが、ハルシュタイン将軍は仕事があるらしく、彼の仕事の合間に時間を作って話をしたいらしい。
(仕事の合間で話したいって、絶対に噂で流してたような告白じゃないでしょ)
世間一般的に、想いを寄せている相手に対し、仕事の合間に告白をしようとは思わないだろう。切羽詰まっていたり、そこしか時間が取れないなら別だが、大抵は落ち着いて話が出来るよう、時間と場所を用意するものだ、と弟のダーマットが以前何かの話の流れで言っていた。アリシアも同感だ。
5分程で店主がコーヒーと小さいクッキー3枚が載せられた小皿を持ってきた。
「こちらは女性限定のサービスになっております。甘いクッキーですので、コーヒーの合間にどうぞ」
アリシアは驚いて目を瞬かせる。そんなアリシアに店主は笑みを深めた。
「うちは女性のお客様が少ないので、このようなサービスをしております。よろしければお召し上がりください」
「・・・なるほど」
店内を改めて見渡せば、他は男性客ばかりだ。女性がコーヒーの苦さを苦手とするのは、魔国ティナドランでも同じらしい。
アリシアはその心遣いに嬉しくなってお礼を言うと、店主は「ごゆっくり」と言ってからカウンターへと戻って行った。
早速コーヒーに口をつけると、まろやかな味わいと豊かな香りを感じる。
(うん。ここのコーヒーもとても美味しいわ)
アリシアは小さく笑みを浮かべ、クッキーを間に挟みつつ、コーヒーを楽しむ。
そうしてコーヒーを半分ほど飲んで香りと味を堪能すると、アリシアはバッグから本を取り出した。
それは今読みかけの恋愛小説で、最近魔国ティナドランで人気の身分差恋愛だ。身分制度のない実力主義国家のはずなのに、何故か貴族の青年と平民の少女の恋愛を描いた物語。さも貴族社会を見て来たかのような作風であり、波乱に満ちた展開で、思わずアリシアも夢中になってしまっている。
(でもこれ、作者を見たら納得よね)
裏表紙を開き、最後のページにある著者についての説明書きを眺める。そこには『原作:エルトナ、代筆:エレオノーラ=ファーベルク』とあった。
(一体、人類連合の誰が想像出来るかしら。まさか魔神エルトナが小説、しかも恋愛物を書いてるなんて)
恋愛小説は王宮使用人になってから、パーラー仲間からオススメされて読んだのだが、読み終わって最後のページを見た瞬間、見間違いか己の勘違いを疑った。
翌日出勤し、オススメしてきたパーラーに確認してみると、やはり魔神エルトナが原作者だと教わった。
これはただ単に魔神エルトナが恋愛小説が好きというわけではなく、小説を通して他国の文化を魔人達に教えているそうだ。
(私がこっちに来てから読んだ本を確認したら、ほとんどが魔神エルトナが書いたものだった事にも驚いたわ)
恋愛に限らず、経済や都市開発、工業、事業の経営、国防、戦術、料理、掃除の方法、果てはカードゲームの遊び方まで、幅広く執筆していた。
その代筆はいずれも当時の魔王に次ぐ魔力の持ち主だった。なんでも魔神と交信するには、相当な魔力量が必要だとか。
現在は魔王ギルベルトの妹、エレオノーラが代筆を勤めている。先代魔王の時代の本には、現魔王であるギルベルトが代筆になっているものもあった。
ちなみにアリシアが知る限り、ギルベルト代筆の恋愛小説は一切無い。逆を言うと、エレオノーラが代筆になってから恋愛物が増えたらしい。
(こうして他国との交流がない事による不足をフォローしてるのよね、きっと)
これまでに魔国ティナドランは侵略した国々が保有する知識を吸収しているだろうが、それでも人類連合側の新しい知識などは入ってこない。ある程度は魔国ティナドラン国内だけで研究や知識の蓄積もしているだろうが、交流や流通が盛んな国の知識・情報量には後れを取る。そんな不足した知識を魔神エルトナが教えることで魔国ティナドランを滞りなく治め、魔人達の知識レベルを上げているのだ。
恐らく本による知識の伝播以外にも、魔王を通じた政策でフォローしている部分もあるだろう。
(魔神エルトナは魔人に慈悲深い、というのは魔人達からよく聞くけど、本当みたい)
そもそも神というものは慈悲深い。アリシアが会った事がある神は現世に顕現している精霊神ハヤトだ。あの方もとても慈悲深い。たまに驚くほど怖い時もあるが。
だからこそ魔人達は自分達を創造し慈しむ魔神エルトナを信じ崇める。
(でもそうであれば、どうしても分からない。魔人達を慈しむ魔神エルトナが何故、侵略を命じているのか。戦争は侵略側であっても死者が出るのに、なんの目的で死地に向かえと・・・)
もし人間と獣人を駆逐し尽くすという事であれば、今の魔国ティナドランの在り方は矛盾する。侵略された国に住んでいた一般の人間と獣人達は、ほぼそのままその場所で暮らし、魔人達とも平和に交流している。
魔人たちは元々何もなかった場所に都市を造っているので、人類側との土地を巡る摩擦はないと聞く。反乱やクーデターなどもなく、この魔国ティナドランは侵略していること以外、平和そのものだ。土地も広く資源も豊富。足りなくて困り果てている、なんて事はないのだ。
(それなら、何故、何のために、私たちはまだ争っているの?)
アリシアは諜報員として潜入し、こうして魔人達と接して実感したことがある。彼らは人類と何も変わらない。もしかすると人類より魔人達の方が、気性が穏やかなのかもしれないと思う事も多々ある。
戦争さえなくなれば、その後時間がかかったとしても、魔国ティナドランは人類側の国々と交流を持つだろう。そうなればとても良い関係を築けるのは目に見えている。今のアリシアと魔人達のように。
ふと、アリシアは父の言葉を思い出した。
『一部の者は野蛮な種族だと言うが、魔人達は私達人類と何も変わらない。彼らは戦場でも互いを助け、庇い、そして我々を退けようと決死の覚悟で向かってくる。・・・何も、私達と変わらないんだ』
(父さん・・・実際に自分の目で見て、本当にその通りだって分かった)
父は戦場で相まみえた魔人達に敬意を払っていた。皆、軍人として尊敬すべき人物だと。
しかしそんな父が2年前に討たれた。
その時の相手はリーネルト将軍だった。万全の態勢で応戦しなければならない相手であり、少しでも油断すればこちらが深手を負う。近辺も常に警戒をし、辺りに潜む突撃隊を見つけては退けていた。
しかし突如、父オーウィンの近くにいた兵が魔術を放った。近辺に精霊術の行使を抑制する術を放ったようで、辺りにいた者達は皆、精霊術を上手く扱えない状態に陥った。精霊術を抑制された状態で魔術に対抗するのは非常に難しく、結果父オーウィンは重傷を負い、そのまま帰らぬ人となった。
それらは父の死について報告に来た副官から直接聞いた。
『あれは将軍クラスの魔人でしょう。でなければ、人間に偽装して近寄り、魔術で精霊術を抑え込むなど、とてもできない。剣術も見事なものでした。後に捕虜となった魔人に聞きだそうとしましたが、何故か誰も正体を知らず・・・。ダークブルーの髪に耳は短かい、20代くらいの男でした』
物思いに耽っていたアリシアだったが、誰かが店内に訪れたのが見えたので顔を上げた。
(ダークブルーの髪に耳は短かい、20代くらいの男・・・)
記憶の中の言葉をそのまま表現した男が立っていたが、すぐにそれがハルシュタイン将軍であることに気付いた。目立つのを避ける為、いつも身にまとっている将軍服だけ脱いできたのだろう。シャツとスラックス、いつものロングブーツ姿だ。
ハルシュタイン将軍は店内を見渡すと、アリシアに気付き手を上げて外を指し示した。
慌てて温くなったコーヒーを飲み干し、全く読まなかった本をバッグに戻すと、席を立って店の入り口まで急いだ。
「会計は済ませた。行こう」
「えっ!?お支払いします。おいくらでした?」
「いい。待たせてしまったから、詫びだと思ってくれ」
そう言われて店内の時計を見ると、確かに指定された時間より10分以上経っていた。
(思っていたより考え込んでいたみたい)
待ち合わせ時間よりも早く、余裕をもって店に来たのだが、答えの出ない事で悶々としすぎたらしい。
コーヒーは喫茶店で飲んでも高い。しかし将軍を務める彼にとっては、痛くもない金額だろう。
「・・・では、お言葉に甘えさせていただきます」
「ああ。じゃ、行くか」
ハルシュタイン将軍はそう言うと扉を開く。アリシアが店を出るまで扉を抑えていてくれたのは意外だった。
(案外、女性に優しいのね)
そう思いながら礼を言うアリシアに、ハルシュタイン将軍は見慣れた笑みを浮かべた。
「少し歩くが、大丈夫か?」
「はい。どちらへ向かうのでしょうか?」
「行けば分かる。ま、着くまでのお楽しみだな」
(・・・?)
行き先を誤魔化す言い方に、アリシアは少し引っ掛かった。
普段の彼の言動を考えれば、いたずら心からそんな言い方もしそうだ。しかし仕事の合間に時間を作ってまでアリシアに話したいことがあると、わざわざ王宮の外に呼び出したのだ。にも関わらず行き先を明言しない。むしろ明言を避けているように感じたのは気のせいだろうか。
「分かりました」
ひとまずアリシアはただ頷くだけに留め、ハルシュタイン将軍の隣を歩く。
(・・・王宮の外で会うのって、なんだか変な感じがするわ)
友達でも上司でもない。単なる仕事上での付き合いだ。職場以外で会うこの違和感は、何とも言い表せない。
(並んで歩いたことが無かったから、今まで気にしたことはなかったけど、結構背が高いのね)
兄エンジュと同じくらいだろうか。もしかしたらハルシュタイン将軍の方が背が高いかもしれない。その上顔立ちは整い、背も高く、体もがっしりしている。
アリシアは目だけで辺りを見渡すと、先程から女性たちが皆チラチラとハルシュタイン将軍を見ていた。
(まあ、そりゃ見るよね。恋愛対象としてじゃなくて、鑑賞目的で眺めてる女の子もいるみたいだし)
どこの国の軍隊でも、女性の数はかなり少ない。ほぼいないと言っていいだろう。基本、軍隊は男ばかりのむさくるしい場所であり、女性との出会いが無い、と兄エンジュが嘆いていた。なので誰かの姉や妹が軍の拠点などに来ると、ここぞとばかりに話しかけて、『あわよくば』を狙うらしい。
(なのに、ハルシュタイン将軍もリーネルト将軍も、全くそういう興味がなさそう)
どれほど女性関係で悩まされればそうなるのだろうか。現に今も視線を集めている事に気付いているだろうに、完全に無視をしている。
(私も兄さんに用事があって行ったら、毎回隊の人達に囲まれて動けなくて、いつもうんざりしてたな・・・。ハルシュタイン将軍とリーネルト将軍に至っては、もううんざりレベルじゃないのかもしれないわね・・・)
街並みを眺めながらそんな事を考えていると、ふと隣を歩くハルシュタイン将軍が小さく笑った。
「さすがレッツェルだな。通りすがりの男共が皆振り返って見てるぞ」
「・・・は?」
驚いて隣を見上げると、楽しそうに、しかしすぐに勝気な笑みに変えると、鋭い視線を周辺に向ける。
アリシアもそれに倣って視線を向けると、顔を青くしてサッと視線を逸らす男性が数人いた。
「・・・・・・あれはハルシュタイン将軍を眺めていたのでは?」
「は?」
疑問符を顔に浮かべたハルシュタイン将軍が、アリシアへ視線を向ける。
「ハルシュタイン将軍はとても・・・もし気分を害されたら申し訳ございません。とても理想的な容姿をされていますので、女性も男性も目を奪われているのかと」
「・・・いや、ちょっと待て。なんで男が私に目を奪われるんだ」
「ここは王都ですから、ハルシュタイン将軍をご存じの方もいらっしゃるでしょう?有名な将軍が街を歩いていたら、男性でも遠くから眺めるのではないですか?」
「・・・明らかに君を見ていただろう」
「それはハルシュタイン将軍の隣を歩いているからだと思います」
「・・・・・・」
ハルシュタイン将軍は困惑した顔でアリシアを見つめた後、前方を見据えると、更に遠くを見る様な無表情に変わった。
(・・・何故だろう・・・この顔は見覚えが・・・。ああ、シャルロットか)
神聖ルアンキリにいる友人が度々同じような顔をしていた。彼女はどうしているだろうか。学校を卒業した後は飲食店で元気に働いているはずだが。
「ここだ。入ろう」
懐かしい気持ちで友人の事を思い出していると、無表情のままのハルシュタイン将軍が近くの店を指さした。
王宮を出て城下町を歩くアリシアは、ふと視界に入った秋らしい己の装いに気分を良くした。
今のアリシアはダークブラウンの髪に褐色の肌、黒い瞳という、典型的な魔人カラーだ。
いつも仕事中は髪を纏めているが、今は肩甲骨の下までのロングヘアをストレートにしている。
そこに淡いベージュのワンピースを着て、上にミルクチョコレート色の丈の短いカーディガン。靴はえんじ色のブーツに白い靴下。バッグはそれほど多く持っていないので、無難に黒い革バッグを肩から斜めに掛けている。
(この色、元の私の色でも合いそうよね)
祖国である神聖ルアンキリでは見かけたことのないデザインのワンピースだ。店頭に並んでいるのを見て気に入り、すぐ購入した。手持ちの秋服の中で一番のお気に入りだ。
スッキリしたシルエットのワンピースなのだが、スカート部分の左右に切れ目があり、そこから下の栗皮色のシフォンスカートがチラリと見えるのだ。足を進める度にフワリとシフォンスカートが見えるので、アリシアはその度に楽しくなる。
しかし。
アリシアは今向かっている先を思い出し、大きくため息をついた。
(お偉いさんと会う訳だから、一番落ち着きつつ華のある服を着て来たけど・・・正直行きたくない)
アリシアの行き先は『ヘットナーズカフェ』。先日コーヒー一式を購入した喫茶店とは別の店だ。
本来なら違うお店のコーヒーを楽しめると、ウキウキしながら足を進めるのだが、今からそこで会う人物を思い出すとため息しかでなかった。
(もー・・・一体何を話されるのやら)
先日の給仕をした際、ハルシュタイン将軍と今日王宮近くのヘットナーズカフェで落ち合うという約束をしたのだ。
正直なところ、あまり話を聞きたくない。
部屋に忍び込まれたあの日。日中の給仕の際に妙な質問を沢山受けた。きっとこれから話される事に関連する質問だったのだろうと、アリシアは予想している。
(変なことに巻き込まれないといいけど・・・)
折角の休日。見上げればスッキリとした秋晴れにさわやかな空気。お気に入りの服を着て丁度いい気温。
それに相反して心が重たい。
再び大きくため息をついてアリシアは足を進めた。
カフェに着くと、店主に待ち合わせの旨を伝えてから店内を見渡す。午前中だからか、まだ店内に客は少ない。ハルシュタイン将軍の姿も見当たらなかった。
「ホットのオリジナルコーヒーをお願いします。席はあそこに座りますね」
カウンターの壁にあるメニュー確認してから言うと、店主がニコリと頷く。
アリシアは指さした2人席のテーブルへと移動して、入り口が見える席に座った。
(別件の用事があって遅れるかもしれない、とは言ってたし)
アリシアは休日だが、ハルシュタイン将軍は仕事があるらしく、彼の仕事の合間に時間を作って話をしたいらしい。
(仕事の合間で話したいって、絶対に噂で流してたような告白じゃないでしょ)
世間一般的に、想いを寄せている相手に対し、仕事の合間に告白をしようとは思わないだろう。切羽詰まっていたり、そこしか時間が取れないなら別だが、大抵は落ち着いて話が出来るよう、時間と場所を用意するものだ、と弟のダーマットが以前何かの話の流れで言っていた。アリシアも同感だ。
5分程で店主がコーヒーと小さいクッキー3枚が載せられた小皿を持ってきた。
「こちらは女性限定のサービスになっております。甘いクッキーですので、コーヒーの合間にどうぞ」
アリシアは驚いて目を瞬かせる。そんなアリシアに店主は笑みを深めた。
「うちは女性のお客様が少ないので、このようなサービスをしております。よろしければお召し上がりください」
「・・・なるほど」
店内を改めて見渡せば、他は男性客ばかりだ。女性がコーヒーの苦さを苦手とするのは、魔国ティナドランでも同じらしい。
アリシアはその心遣いに嬉しくなってお礼を言うと、店主は「ごゆっくり」と言ってからカウンターへと戻って行った。
早速コーヒーに口をつけると、まろやかな味わいと豊かな香りを感じる。
(うん。ここのコーヒーもとても美味しいわ)
アリシアは小さく笑みを浮かべ、クッキーを間に挟みつつ、コーヒーを楽しむ。
そうしてコーヒーを半分ほど飲んで香りと味を堪能すると、アリシアはバッグから本を取り出した。
それは今読みかけの恋愛小説で、最近魔国ティナドランで人気の身分差恋愛だ。身分制度のない実力主義国家のはずなのに、何故か貴族の青年と平民の少女の恋愛を描いた物語。さも貴族社会を見て来たかのような作風であり、波乱に満ちた展開で、思わずアリシアも夢中になってしまっている。
(でもこれ、作者を見たら納得よね)
裏表紙を開き、最後のページにある著者についての説明書きを眺める。そこには『原作:エルトナ、代筆:エレオノーラ=ファーベルク』とあった。
(一体、人類連合の誰が想像出来るかしら。まさか魔神エルトナが小説、しかも恋愛物を書いてるなんて)
恋愛小説は王宮使用人になってから、パーラー仲間からオススメされて読んだのだが、読み終わって最後のページを見た瞬間、見間違いか己の勘違いを疑った。
翌日出勤し、オススメしてきたパーラーに確認してみると、やはり魔神エルトナが原作者だと教わった。
これはただ単に魔神エルトナが恋愛小説が好きというわけではなく、小説を通して他国の文化を魔人達に教えているそうだ。
(私がこっちに来てから読んだ本を確認したら、ほとんどが魔神エルトナが書いたものだった事にも驚いたわ)
恋愛に限らず、経済や都市開発、工業、事業の経営、国防、戦術、料理、掃除の方法、果てはカードゲームの遊び方まで、幅広く執筆していた。
その代筆はいずれも当時の魔王に次ぐ魔力の持ち主だった。なんでも魔神と交信するには、相当な魔力量が必要だとか。
現在は魔王ギルベルトの妹、エレオノーラが代筆を勤めている。先代魔王の時代の本には、現魔王であるギルベルトが代筆になっているものもあった。
ちなみにアリシアが知る限り、ギルベルト代筆の恋愛小説は一切無い。逆を言うと、エレオノーラが代筆になってから恋愛物が増えたらしい。
(こうして他国との交流がない事による不足をフォローしてるのよね、きっと)
これまでに魔国ティナドランは侵略した国々が保有する知識を吸収しているだろうが、それでも人類連合側の新しい知識などは入ってこない。ある程度は魔国ティナドラン国内だけで研究や知識の蓄積もしているだろうが、交流や流通が盛んな国の知識・情報量には後れを取る。そんな不足した知識を魔神エルトナが教えることで魔国ティナドランを滞りなく治め、魔人達の知識レベルを上げているのだ。
恐らく本による知識の伝播以外にも、魔王を通じた政策でフォローしている部分もあるだろう。
(魔神エルトナは魔人に慈悲深い、というのは魔人達からよく聞くけど、本当みたい)
そもそも神というものは慈悲深い。アリシアが会った事がある神は現世に顕現している精霊神ハヤトだ。あの方もとても慈悲深い。たまに驚くほど怖い時もあるが。
だからこそ魔人達は自分達を創造し慈しむ魔神エルトナを信じ崇める。
(でもそうであれば、どうしても分からない。魔人達を慈しむ魔神エルトナが何故、侵略を命じているのか。戦争は侵略側であっても死者が出るのに、なんの目的で死地に向かえと・・・)
もし人間と獣人を駆逐し尽くすという事であれば、今の魔国ティナドランの在り方は矛盾する。侵略された国に住んでいた一般の人間と獣人達は、ほぼそのままその場所で暮らし、魔人達とも平和に交流している。
魔人たちは元々何もなかった場所に都市を造っているので、人類側との土地を巡る摩擦はないと聞く。反乱やクーデターなどもなく、この魔国ティナドランは侵略していること以外、平和そのものだ。土地も広く資源も豊富。足りなくて困り果てている、なんて事はないのだ。
(それなら、何故、何のために、私たちはまだ争っているの?)
アリシアは諜報員として潜入し、こうして魔人達と接して実感したことがある。彼らは人類と何も変わらない。もしかすると人類より魔人達の方が、気性が穏やかなのかもしれないと思う事も多々ある。
戦争さえなくなれば、その後時間がかかったとしても、魔国ティナドランは人類側の国々と交流を持つだろう。そうなればとても良い関係を築けるのは目に見えている。今のアリシアと魔人達のように。
ふと、アリシアは父の言葉を思い出した。
『一部の者は野蛮な種族だと言うが、魔人達は私達人類と何も変わらない。彼らは戦場でも互いを助け、庇い、そして我々を退けようと決死の覚悟で向かってくる。・・・何も、私達と変わらないんだ』
(父さん・・・実際に自分の目で見て、本当にその通りだって分かった)
父は戦場で相まみえた魔人達に敬意を払っていた。皆、軍人として尊敬すべき人物だと。
しかしそんな父が2年前に討たれた。
その時の相手はリーネルト将軍だった。万全の態勢で応戦しなければならない相手であり、少しでも油断すればこちらが深手を負う。近辺も常に警戒をし、辺りに潜む突撃隊を見つけては退けていた。
しかし突如、父オーウィンの近くにいた兵が魔術を放った。近辺に精霊術の行使を抑制する術を放ったようで、辺りにいた者達は皆、精霊術を上手く扱えない状態に陥った。精霊術を抑制された状態で魔術に対抗するのは非常に難しく、結果父オーウィンは重傷を負い、そのまま帰らぬ人となった。
それらは父の死について報告に来た副官から直接聞いた。
『あれは将軍クラスの魔人でしょう。でなければ、人間に偽装して近寄り、魔術で精霊術を抑え込むなど、とてもできない。剣術も見事なものでした。後に捕虜となった魔人に聞きだそうとしましたが、何故か誰も正体を知らず・・・。ダークブルーの髪に耳は短かい、20代くらいの男でした』
物思いに耽っていたアリシアだったが、誰かが店内に訪れたのが見えたので顔を上げた。
(ダークブルーの髪に耳は短かい、20代くらいの男・・・)
記憶の中の言葉をそのまま表現した男が立っていたが、すぐにそれがハルシュタイン将軍であることに気付いた。目立つのを避ける為、いつも身にまとっている将軍服だけ脱いできたのだろう。シャツとスラックス、いつものロングブーツ姿だ。
ハルシュタイン将軍は店内を見渡すと、アリシアに気付き手を上げて外を指し示した。
慌てて温くなったコーヒーを飲み干し、全く読まなかった本をバッグに戻すと、席を立って店の入り口まで急いだ。
「会計は済ませた。行こう」
「えっ!?お支払いします。おいくらでした?」
「いい。待たせてしまったから、詫びだと思ってくれ」
そう言われて店内の時計を見ると、確かに指定された時間より10分以上経っていた。
(思っていたより考え込んでいたみたい)
待ち合わせ時間よりも早く、余裕をもって店に来たのだが、答えの出ない事で悶々としすぎたらしい。
コーヒーは喫茶店で飲んでも高い。しかし将軍を務める彼にとっては、痛くもない金額だろう。
「・・・では、お言葉に甘えさせていただきます」
「ああ。じゃ、行くか」
ハルシュタイン将軍はそう言うと扉を開く。アリシアが店を出るまで扉を抑えていてくれたのは意外だった。
(案外、女性に優しいのね)
そう思いながら礼を言うアリシアに、ハルシュタイン将軍は見慣れた笑みを浮かべた。
「少し歩くが、大丈夫か?」
「はい。どちらへ向かうのでしょうか?」
「行けば分かる。ま、着くまでのお楽しみだな」
(・・・?)
行き先を誤魔化す言い方に、アリシアは少し引っ掛かった。
普段の彼の言動を考えれば、いたずら心からそんな言い方もしそうだ。しかし仕事の合間に時間を作ってまでアリシアに話したいことがあると、わざわざ王宮の外に呼び出したのだ。にも関わらず行き先を明言しない。むしろ明言を避けているように感じたのは気のせいだろうか。
「分かりました」
ひとまずアリシアはただ頷くだけに留め、ハルシュタイン将軍の隣を歩く。
(・・・王宮の外で会うのって、なんだか変な感じがするわ)
友達でも上司でもない。単なる仕事上での付き合いだ。職場以外で会うこの違和感は、何とも言い表せない。
(並んで歩いたことが無かったから、今まで気にしたことはなかったけど、結構背が高いのね)
兄エンジュと同じくらいだろうか。もしかしたらハルシュタイン将軍の方が背が高いかもしれない。その上顔立ちは整い、背も高く、体もがっしりしている。
アリシアは目だけで辺りを見渡すと、先程から女性たちが皆チラチラとハルシュタイン将軍を見ていた。
(まあ、そりゃ見るよね。恋愛対象としてじゃなくて、鑑賞目的で眺めてる女の子もいるみたいだし)
どこの国の軍隊でも、女性の数はかなり少ない。ほぼいないと言っていいだろう。基本、軍隊は男ばかりのむさくるしい場所であり、女性との出会いが無い、と兄エンジュが嘆いていた。なので誰かの姉や妹が軍の拠点などに来ると、ここぞとばかりに話しかけて、『あわよくば』を狙うらしい。
(なのに、ハルシュタイン将軍もリーネルト将軍も、全くそういう興味がなさそう)
どれほど女性関係で悩まされればそうなるのだろうか。現に今も視線を集めている事に気付いているだろうに、完全に無視をしている。
(私も兄さんに用事があって行ったら、毎回隊の人達に囲まれて動けなくて、いつもうんざりしてたな・・・。ハルシュタイン将軍とリーネルト将軍に至っては、もううんざりレベルじゃないのかもしれないわね・・・)
街並みを眺めながらそんな事を考えていると、ふと隣を歩くハルシュタイン将軍が小さく笑った。
「さすがレッツェルだな。通りすがりの男共が皆振り返って見てるぞ」
「・・・は?」
驚いて隣を見上げると、楽しそうに、しかしすぐに勝気な笑みに変えると、鋭い視線を周辺に向ける。
アリシアもそれに倣って視線を向けると、顔を青くしてサッと視線を逸らす男性が数人いた。
「・・・・・・あれはハルシュタイン将軍を眺めていたのでは?」
「は?」
疑問符を顔に浮かべたハルシュタイン将軍が、アリシアへ視線を向ける。
「ハルシュタイン将軍はとても・・・もし気分を害されたら申し訳ございません。とても理想的な容姿をされていますので、女性も男性も目を奪われているのかと」
「・・・いや、ちょっと待て。なんで男が私に目を奪われるんだ」
「ここは王都ですから、ハルシュタイン将軍をご存じの方もいらっしゃるでしょう?有名な将軍が街を歩いていたら、男性でも遠くから眺めるのではないですか?」
「・・・明らかに君を見ていただろう」
「それはハルシュタイン将軍の隣を歩いているからだと思います」
「・・・・・・」
ハルシュタイン将軍は困惑した顔でアリシアを見つめた後、前方を見据えると、更に遠くを見る様な無表情に変わった。
(・・・何故だろう・・・この顔は見覚えが・・・。ああ、シャルロットか)
神聖ルアンキリにいる友人が度々同じような顔をしていた。彼女はどうしているだろうか。学校を卒業した後は飲食店で元気に働いているはずだが。
「ここだ。入ろう」
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