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第1章 アリシアの諜報活動
01 王宮への推薦
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魔人達の国、魔国ティナドラン。魔人が侵攻を始めて500年が経った現在、南に位置する広大なアリオカル大陸全てが魔国ティナドランの領地となっていた。
そしてアリオカル大陸の中心からやや北東に位置する王都バルロス。魔王が住む王宮の近くには軍人を輩出する名家の屋敷が集まっているエリアがある。その中の一つであるブルメスター家の屋敷では、書斎の扉の前に、使用人として働いているアメリア=レッツェルの姿があった。
(特にミスはしていないと思うし・・・うん。ないよね)
主人に呼び出されたアメリアは、ドアをノックする手を直前で止め、今一度考える。
呼び出される程の失態はしていないはず。そもそも仕事のミスなら、主人ではなくハウスキーパーから指導される。なので呼び出される心当たりは全くない。
では何故主人に呼び出されたのか。
(まさか、もうバレたなんてことは・・・)
気付かれないように細心の注意を払ってきたが、もし、万が一気付かれていたら。
嫌な想像がアメリアの頭の中を過り、同時に頭から血の気が引いていくのに気が付いた。アメリアは頭を横に振って脳内を飛び交う不安を振り払う。
(いえ、ここは軍人のお屋敷だもの。もしバレたのなら、呼び出しなんて悠長なことしないで、力ずくで捕まえて尋問するはず)
そう考えて己を宥めようとするが、呼び出したその場で拘束される可能性も頭に浮かんだ。
(それはない。大丈夫だってば)
再び己を宥めて冷静に考える。先程アメリアを執務室へ行くように言いつけたハウスキーパーは普段以上にニコニコとご機嫌だった。彼女は真っ直ぐな気性の持ち主だ。呼び出しの理由を知っていて機嫌が良いのであれば、悪い意味の呼び出しではないはずだ。
だから違う、きっと別件だと己に言い聞かせて、ノックするために上げた手を握り締める。
(落ち着け。大丈夫。落ち着いて私)
ゆっくりと深呼吸をしてから、アメリアは書斎の扉をノックする。すぐに「入れ」と声が聞こえた。
アメリアは緊張した面持ちで書斎へ入ると、机の向こう側に座る、この屋敷の主人トビアス=ブルメスターへと視線を向けた。いつも通りの優しい雰囲気を醸し出しているトビアスだが、それでもアメリアの心臓は胸から飛び出そうな程にドキドキしている。落ちつけと再度己に言い聞かせ、ゆっくりと息をついてから口を開いた。
「失礼致します。アメリア=レッツェルです。お呼びと伺い参りました」
意識して落ちついた声を出せたし、顔も平静を保っている。しかしアメリアのピリピリとした雰囲気は軍人である主人に伝わってしまったのだろう。トビアスはふっと笑い、表情を柔和にさせた。
「レッツェル。叱るために呼んだ訳ではないから、もう少し楽にしなさい。長い前置きをしては、今の君には余計に心労をかける事になりそうだな。直ぐに本題に入ろう。突然だが、君を王宮の使用人に推薦したいと思ってね」
「・・・は・・・・・・え?王宮・・・?私が、ですか?」
(おうきゅう・・・あの王宮よね)
全くの予想外の内容に、アメリアは目を見開いた後に何度も瞬かせ、心の中で疑問符をつけながら『王宮』を繰り返す。緊張のあまり聞き間違えたかと、思わず聞き返した。
驚きを隠せず、初々しい反応をするアメリアに微笑みながら、トビアスは引き出しを開けて紙を一枚取り出す。視界の邪魔にならない位置に持ち直し、その用紙に目を落として口を開いた。
「ここのところ王宮の使用人が少々不足しているらしい。なのに今月になって更に3人辞めることになった。それではさすがに手が回らないので、使用人を募集することにしたと。無理強いはせぬが、各家で推薦出来る者があればするようにとのお達しだ」
説明を終えると同時に、トビアスは再びアメリアへと視線を向けて微笑する。
「我が家へ話が来たのは、私が所属する第三軍、リーネルト将軍の推薦でね。本来私の地位では魔王様に謁見する機会はないんだが、今回のお話は魔王様から直接伺った。わざわざお時間を割いてお言葉を頂いたのだから、是非とも魔王様のお力になりたい。そう我が家のハウスキーパーに相談して、君が適任だろうという事になった」
「・・・」
アメリアは驚きのあまり返事も出来ず、無言でトビアスの顔を凝視してしまう。脳内は混乱を極め、色んな考えが過っては消えていく。そんな頭の片隅に残った冷静な部分では、ハウスキーパーが上機嫌だったことに得心していた。彼女は自分がイチから使用人として教育したアメリアが王宮使用人になることを喜んでいたのだろう。
取り留めのない考えが頭の中をいくつも駆け巡り、アメリアは言葉を発せられないまま、しばしの沈黙が流れた。
そんなアメリアの混乱した様子が可笑しかったのだろう。再びフフッと笑うトビアスの声で、アメリアは我に返った。使用人が主人の顔を無言で凝視するなんて、失礼もいいところだ。慌てて頭を下げた。
「無作法を致しました。申し訳ございません」
「いや、気にしないでいい。突然の話だ。驚くなと言う方が無理だろう」
「・・・ありがとうございます」
「それでこの件に関して、何か聞きたい事はあるかな?」
「聞きたいこと・・・」
むしろ聞きたい事しかない。しかし混乱した頭では考えがまとまらない。
「申し訳ございません。お聞きしたいことはあるのですが、驚きすぎて混乱しています。深呼吸する時間を頂戴してもよろしいでしょうか」
「ふふっ・・・構わないよ。時間はあるから気にせず、落ち着くと良い」
可笑しそうに吹き出した後、トビアスはアメリアを気遣って小さく笑う。アメリアは苦笑を返して礼を伝えると、胸に手を当ててゆっくりと呼吸を繰り返した。
(ダメダメ。冷静にならないと、ボロが出てしまう)
アメリアは何度も「落ち着け」と自分に言い聞かせる。
少し頭が冷静さを取り戻した所で、伝えられた情報を元に思考を巡らす。
公募ではなく各家に推薦を求めるという事は、現在使用人として働いている人材を求めている、つまり即戦力を求めている。人が足りないせいで、あまり人材育成に時間は掛けられない、という事だろう。
それに加えて場所は王宮であり、この国の中枢。本来なら応募してきた者の身辺調査を行うはずだが、そんな時間を掛けられない程に日々の仕事が逼迫している。だからこそ信用のあるいくつかの家に推薦を呼び掛けたのだろうと想像できる。
(でも・・・人手不足なのに、今月だけで3人も辞めたなんて・・・。たまたまなのか、何かあったのか)
受けるか否かの前に、もう少し情報が欲しい。
王宮には変な風習があり長く勤めるには忍耐が必要とか、お局様のお眼鏡に適わないといけないとか、はたまた横暴な上司がいるとか。
折角王宮で働けることになっても、問題に巻き込まれて正体がバレた、なんて事になったら目も当てられない。事前に知っておけば対策も練れるし、心の準備も出来る。
しかし王宮内の事は話せないことの方が多いだろう。実際王宮使用人を応募していることは知っていたが、不足してるなんて初めて耳にしたし、3人退職の話も全く出回っていない。聞いて良いものか少し悩んだ。
(いえ、話せるかどうかはトビアス様が判断される事で、私がどうこう出来る事じゃない)
アメリアは今一度深呼吸をすると、胸に当てていた手を降ろす。お腹の前で両手を交差させる基本姿勢になってから、トビアスへと視線を向けた。
「何故今月になって3人も辞める事態になったのか、お聞きしても宜しいでしょうか」
案の定、トビアスは困ったように眉を寄せ、少し思案してから口を開いた。
「もめ事があったらしい。その原因となる者が懲戒退職することとなった。詳細も聞いてはいるが、今はこれ以上は言えない。王宮内の事は他言無用が基本だからな。すまない」
「・・・わかりました。その説明で充分です。教えてくださりありがとうございます」
アメリアは笑みを浮かべて小さく礼をする。
人によっては「言う必要はない」と使用人に説明しない事もあるだろうに、トビアスは口にできる範囲で端的に分かりやすく情報をくれた。誠実な人だ、と思うと自然と笑みが浮かんだ。
感謝しつつ、頂いた情報からアメリアは考察する。
問題を起こしたのであれば、使用人が不足していたとしても、辞めさせざるを得ないだろう。そしてその原因となった使用人が退職したのであれば、今は安全と考えて良さそうだ。
(それなら、その件に関してのとばっちりはなさそうね)
ホッとしているアメリアに、トビアスは微笑みを向けて続けた。
「同じような問題を起こさない、真面目な者を推薦するようにと言われている。この半年間君を見てきたハウスキーパーが、君なら大丈夫だろうと太鼓判を押している」
アメリアは目を何度か瞬きしながらトビアスを見つめる。
(私なら絶対に起こさない問題?)
そんな事を言われたら気になるではないか。上司から太鼓判を押される程の事とは一体なんだろう。
気にはなるが、アメリアは己を律する。
先程これ以上は話せないと言われたのだ。同じ問題を起こさない、となると、その問題の本質に繋がる事柄だ。
アメリアは疑問と好奇心は頭の片隅に追いやる。他にも聞きたいことがあるのだ。
「もう一つ、お聞きしてもいいでしょうか」
「ああ」
「このお屋敷には私から見ても真面目で優秀な先輩は何人もいます。なのに何故、私なのでしょうか」
アメリアの使用人経験はまだ半年程。まず思うのは『仕事にも職場にもやっと慣れてきた所なのに』という点だ。アメリアから見ても、もっと経験豊富な、適切と思われる使用人がこの屋敷には何人もいる。具体的にアメリアのどの部分に太鼓判が押されたのかよく分からないが、太鼓判とまではいかなくても、それなりに合致する人物はいるのではないか。
そんなアメリアの困惑に気付いたトビアスは微笑んだ。
「この屋敷の要となっている使用人がいなくなると、我が家も困る。だから最近入った者達の中で、先程の条件に合致し、かつ優秀な者を選んだ。それが君だ」
アメリアはその言葉を聞いて数秒思案した後、照れて視線を彷徨わせる。
(もしかしなくても・・・誉められているわね)
トビアスは嫌味や皮肉を言うタイプではないし、アメリアに対する態度は好意的だ。そもそも無能だと判断した者を王宮へと送り出す訳もない。これは言葉通りに受け取っていいのだろう。
そう結論付けると、トビアスへと視線を戻して笑みを浮かべた。
「新参者である私には勿体ないお言葉です。ありがとうございます」
トビアスはアメリアの反応と言葉に、頷いて優しく微笑みかけた。
「君なら安心して送り出せる。皆の評価も高いしな。まだ半年だから経験は足りないかもしれないが、君の人格と能力を鑑みれば、王宮も問題ないだろう。私は間接的に魔王様に貢献出来るし、君は今より待遇が良くなる。どうだろうか?」
トビアスは手に持っていた書類を執務机の上に置くと、優しい笑みを浮かべたまま、肘をついて顎の前で手を組んだ。
そんな主人を眺めながら、アメリアは考える。
この国に身分制度はないが、地位の高い者が下の者を蔑ろにする事は良くあると聞く。そんな中、この主人はこうして使用人にも誠実に対応してくれる。そしてそんな主人が好ましいと思える使用人がこの屋敷に集まっている。その結果、このお屋敷はとても働きやすいのだ。アメリアは今の職場をとても気に入っていた。
(でも・・・王宮よ。この国の中枢に堂々と入れるのは大きいわ)
アメリアの本来の目的を考えれば、この国の王宮に入り込めるなんて願ったり叶ったりだ。こんなチャンスはそうそう巡っては来ない。
アリシアは上を見ていた視線を下ろし、トビアスへと向ける。
「私にはもったいない程の、とても良いお話だと思います。ですがまだ冷静に考えられていない部分もあると思いますので、数日・・・いえ、明日まで考える時間を頂けませんか?」
とても良いチャンスではあるが、これは重大な事案。報告と許可が必要だ。
「ああ。色好い返事を貰えると期待しておくよ」
トビアスの言葉に、アメリアはハッキリとした返答は避けて、ただニコリとした。
そしてアリオカル大陸の中心からやや北東に位置する王都バルロス。魔王が住む王宮の近くには軍人を輩出する名家の屋敷が集まっているエリアがある。その中の一つであるブルメスター家の屋敷では、書斎の扉の前に、使用人として働いているアメリア=レッツェルの姿があった。
(特にミスはしていないと思うし・・・うん。ないよね)
主人に呼び出されたアメリアは、ドアをノックする手を直前で止め、今一度考える。
呼び出される程の失態はしていないはず。そもそも仕事のミスなら、主人ではなくハウスキーパーから指導される。なので呼び出される心当たりは全くない。
では何故主人に呼び出されたのか。
(まさか、もうバレたなんてことは・・・)
気付かれないように細心の注意を払ってきたが、もし、万が一気付かれていたら。
嫌な想像がアメリアの頭の中を過り、同時に頭から血の気が引いていくのに気が付いた。アメリアは頭を横に振って脳内を飛び交う不安を振り払う。
(いえ、ここは軍人のお屋敷だもの。もしバレたのなら、呼び出しなんて悠長なことしないで、力ずくで捕まえて尋問するはず)
そう考えて己を宥めようとするが、呼び出したその場で拘束される可能性も頭に浮かんだ。
(それはない。大丈夫だってば)
再び己を宥めて冷静に考える。先程アメリアを執務室へ行くように言いつけたハウスキーパーは普段以上にニコニコとご機嫌だった。彼女は真っ直ぐな気性の持ち主だ。呼び出しの理由を知っていて機嫌が良いのであれば、悪い意味の呼び出しではないはずだ。
だから違う、きっと別件だと己に言い聞かせて、ノックするために上げた手を握り締める。
(落ち着け。大丈夫。落ち着いて私)
ゆっくりと深呼吸をしてから、アメリアは書斎の扉をノックする。すぐに「入れ」と声が聞こえた。
アメリアは緊張した面持ちで書斎へ入ると、机の向こう側に座る、この屋敷の主人トビアス=ブルメスターへと視線を向けた。いつも通りの優しい雰囲気を醸し出しているトビアスだが、それでもアメリアの心臓は胸から飛び出そうな程にドキドキしている。落ちつけと再度己に言い聞かせ、ゆっくりと息をついてから口を開いた。
「失礼致します。アメリア=レッツェルです。お呼びと伺い参りました」
意識して落ちついた声を出せたし、顔も平静を保っている。しかしアメリアのピリピリとした雰囲気は軍人である主人に伝わってしまったのだろう。トビアスはふっと笑い、表情を柔和にさせた。
「レッツェル。叱るために呼んだ訳ではないから、もう少し楽にしなさい。長い前置きをしては、今の君には余計に心労をかける事になりそうだな。直ぐに本題に入ろう。突然だが、君を王宮の使用人に推薦したいと思ってね」
「・・・は・・・・・・え?王宮・・・?私が、ですか?」
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全くの予想外の内容に、アメリアは目を見開いた後に何度も瞬かせ、心の中で疑問符をつけながら『王宮』を繰り返す。緊張のあまり聞き間違えたかと、思わず聞き返した。
驚きを隠せず、初々しい反応をするアメリアに微笑みながら、トビアスは引き出しを開けて紙を一枚取り出す。視界の邪魔にならない位置に持ち直し、その用紙に目を落として口を開いた。
「ここのところ王宮の使用人が少々不足しているらしい。なのに今月になって更に3人辞めることになった。それではさすがに手が回らないので、使用人を募集することにしたと。無理強いはせぬが、各家で推薦出来る者があればするようにとのお達しだ」
説明を終えると同時に、トビアスは再びアメリアへと視線を向けて微笑する。
「我が家へ話が来たのは、私が所属する第三軍、リーネルト将軍の推薦でね。本来私の地位では魔王様に謁見する機会はないんだが、今回のお話は魔王様から直接伺った。わざわざお時間を割いてお言葉を頂いたのだから、是非とも魔王様のお力になりたい。そう我が家のハウスキーパーに相談して、君が適任だろうという事になった」
「・・・」
アメリアは驚きのあまり返事も出来ず、無言でトビアスの顔を凝視してしまう。脳内は混乱を極め、色んな考えが過っては消えていく。そんな頭の片隅に残った冷静な部分では、ハウスキーパーが上機嫌だったことに得心していた。彼女は自分がイチから使用人として教育したアメリアが王宮使用人になることを喜んでいたのだろう。
取り留めのない考えが頭の中をいくつも駆け巡り、アメリアは言葉を発せられないまま、しばしの沈黙が流れた。
そんなアメリアの混乱した様子が可笑しかったのだろう。再びフフッと笑うトビアスの声で、アメリアは我に返った。使用人が主人の顔を無言で凝視するなんて、失礼もいいところだ。慌てて頭を下げた。
「無作法を致しました。申し訳ございません」
「いや、気にしないでいい。突然の話だ。驚くなと言う方が無理だろう」
「・・・ありがとうございます」
「それでこの件に関して、何か聞きたい事はあるかな?」
「聞きたいこと・・・」
むしろ聞きたい事しかない。しかし混乱した頭では考えがまとまらない。
「申し訳ございません。お聞きしたいことはあるのですが、驚きすぎて混乱しています。深呼吸する時間を頂戴してもよろしいでしょうか」
「ふふっ・・・構わないよ。時間はあるから気にせず、落ち着くと良い」
可笑しそうに吹き出した後、トビアスはアメリアを気遣って小さく笑う。アメリアは苦笑を返して礼を伝えると、胸に手を当ててゆっくりと呼吸を繰り返した。
(ダメダメ。冷静にならないと、ボロが出てしまう)
アメリアは何度も「落ち着け」と自分に言い聞かせる。
少し頭が冷静さを取り戻した所で、伝えられた情報を元に思考を巡らす。
公募ではなく各家に推薦を求めるという事は、現在使用人として働いている人材を求めている、つまり即戦力を求めている。人が足りないせいで、あまり人材育成に時間は掛けられない、という事だろう。
それに加えて場所は王宮であり、この国の中枢。本来なら応募してきた者の身辺調査を行うはずだが、そんな時間を掛けられない程に日々の仕事が逼迫している。だからこそ信用のあるいくつかの家に推薦を呼び掛けたのだろうと想像できる。
(でも・・・人手不足なのに、今月だけで3人も辞めたなんて・・・。たまたまなのか、何かあったのか)
受けるか否かの前に、もう少し情報が欲しい。
王宮には変な風習があり長く勤めるには忍耐が必要とか、お局様のお眼鏡に適わないといけないとか、はたまた横暴な上司がいるとか。
折角王宮で働けることになっても、問題に巻き込まれて正体がバレた、なんて事になったら目も当てられない。事前に知っておけば対策も練れるし、心の準備も出来る。
しかし王宮内の事は話せないことの方が多いだろう。実際王宮使用人を応募していることは知っていたが、不足してるなんて初めて耳にしたし、3人退職の話も全く出回っていない。聞いて良いものか少し悩んだ。
(いえ、話せるかどうかはトビアス様が判断される事で、私がどうこう出来る事じゃない)
アメリアは今一度深呼吸をすると、胸に当てていた手を降ろす。お腹の前で両手を交差させる基本姿勢になってから、トビアスへと視線を向けた。
「何故今月になって3人も辞める事態になったのか、お聞きしても宜しいでしょうか」
案の定、トビアスは困ったように眉を寄せ、少し思案してから口を開いた。
「もめ事があったらしい。その原因となる者が懲戒退職することとなった。詳細も聞いてはいるが、今はこれ以上は言えない。王宮内の事は他言無用が基本だからな。すまない」
「・・・わかりました。その説明で充分です。教えてくださりありがとうございます」
アメリアは笑みを浮かべて小さく礼をする。
人によっては「言う必要はない」と使用人に説明しない事もあるだろうに、トビアスは口にできる範囲で端的に分かりやすく情報をくれた。誠実な人だ、と思うと自然と笑みが浮かんだ。
感謝しつつ、頂いた情報からアメリアは考察する。
問題を起こしたのであれば、使用人が不足していたとしても、辞めさせざるを得ないだろう。そしてその原因となった使用人が退職したのであれば、今は安全と考えて良さそうだ。
(それなら、その件に関してのとばっちりはなさそうね)
ホッとしているアメリアに、トビアスは微笑みを向けて続けた。
「同じような問題を起こさない、真面目な者を推薦するようにと言われている。この半年間君を見てきたハウスキーパーが、君なら大丈夫だろうと太鼓判を押している」
アメリアは目を何度か瞬きしながらトビアスを見つめる。
(私なら絶対に起こさない問題?)
そんな事を言われたら気になるではないか。上司から太鼓判を押される程の事とは一体なんだろう。
気にはなるが、アメリアは己を律する。
先程これ以上は話せないと言われたのだ。同じ問題を起こさない、となると、その問題の本質に繋がる事柄だ。
アメリアは疑問と好奇心は頭の片隅に追いやる。他にも聞きたいことがあるのだ。
「もう一つ、お聞きしてもいいでしょうか」
「ああ」
「このお屋敷には私から見ても真面目で優秀な先輩は何人もいます。なのに何故、私なのでしょうか」
アメリアの使用人経験はまだ半年程。まず思うのは『仕事にも職場にもやっと慣れてきた所なのに』という点だ。アメリアから見ても、もっと経験豊富な、適切と思われる使用人がこの屋敷には何人もいる。具体的にアメリアのどの部分に太鼓判が押されたのかよく分からないが、太鼓判とまではいかなくても、それなりに合致する人物はいるのではないか。
そんなアメリアの困惑に気付いたトビアスは微笑んだ。
「この屋敷の要となっている使用人がいなくなると、我が家も困る。だから最近入った者達の中で、先程の条件に合致し、かつ優秀な者を選んだ。それが君だ」
アメリアはその言葉を聞いて数秒思案した後、照れて視線を彷徨わせる。
(もしかしなくても・・・誉められているわね)
トビアスは嫌味や皮肉を言うタイプではないし、アメリアに対する態度は好意的だ。そもそも無能だと判断した者を王宮へと送り出す訳もない。これは言葉通りに受け取っていいのだろう。
そう結論付けると、トビアスへと視線を戻して笑みを浮かべた。
「新参者である私には勿体ないお言葉です。ありがとうございます」
トビアスはアメリアの反応と言葉に、頷いて優しく微笑みかけた。
「君なら安心して送り出せる。皆の評価も高いしな。まだ半年だから経験は足りないかもしれないが、君の人格と能力を鑑みれば、王宮も問題ないだろう。私は間接的に魔王様に貢献出来るし、君は今より待遇が良くなる。どうだろうか?」
トビアスは手に持っていた書類を執務机の上に置くと、優しい笑みを浮かべたまま、肘をついて顎の前で手を組んだ。
そんな主人を眺めながら、アメリアは考える。
この国に身分制度はないが、地位の高い者が下の者を蔑ろにする事は良くあると聞く。そんな中、この主人はこうして使用人にも誠実に対応してくれる。そしてそんな主人が好ましいと思える使用人がこの屋敷に集まっている。その結果、このお屋敷はとても働きやすいのだ。アメリアは今の職場をとても気に入っていた。
(でも・・・王宮よ。この国の中枢に堂々と入れるのは大きいわ)
アメリアの本来の目的を考えれば、この国の王宮に入り込めるなんて願ったり叶ったりだ。こんなチャンスはそうそう巡っては来ない。
アリシアは上を見ていた視線を下ろし、トビアスへと向ける。
「私にはもったいない程の、とても良いお話だと思います。ですがまだ冷静に考えられていない部分もあると思いますので、数日・・・いえ、明日まで考える時間を頂けませんか?」
とても良いチャンスではあるが、これは重大な事案。報告と許可が必要だ。
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